いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

維新の会の結党大会・・・決闘大会にならなければよいのですが。策士、策におぼれすぎではないでしょうか。

2014年09月28日 00時55分15秒 | 日記

 維新の会と結いの党が合併して、「維新の党」が出来ました。維
新の会が39人、結いの党が14人です。
 衆議院議員が42人、参議院議員が11人、合わせて53人とな
ります。
 それなりの人数ですが、なにか、インパクトがありません。メデ
ィアの扱いも小さい。
 かつて、橋下徹氏が「大阪維新の会」を結成して登場してきたと
きには、橋下氏も大阪維新の会も、輝くばかりのオーラがありまし
た。
 今回、「維新の党」となりましたが、もはや、あのころのような
輝きは、どこにもありません。
 目を覆わんばかりの状況です。
 どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

 維新の会は結党大会を開きました。
 このブログにいつも意見を寄せてくれる友人のお医者さんは、
 「結党大会というより、決闘大会じゃないだろうか」
 と言ってきました。
 うまいことをいうものです。
 そう。
実際のところ、維新の党は、旧「維新の会」と旧「結の党」の「決
闘」になりかねません。

 維新の党は、維新の会の橋下徹氏と、結いの党の江田憲司氏が、
共同代表ということになりました。
これが、そもそも、決闘の気配をうかがわせます。

旧維新の会は、減ったといっても39人の国会議員がおり、大阪
維新の会の結成以来のメンバーという議員も少なくありません。
一方の結の党は、みんなの党から分裂して江田氏が作った党で、
国会議員は14人です。

旧維新の会の国会議員にすれば、どうして、新興の党、しかも、
国会議員が14人しかいない結いの党から、共同代表が選ばれる
のだという思いがあるでしょう。
維新の党の結党の会見を見ていても、旧維新の会の古参メンバー
である松野頼久氏は、どこか憮然とした表情をしていました。
当初からのメンバーにすれば、どうして、出来て間がない結いの
党に共同代表を譲らなければならないのだという不満が、間違い
なく、あります。

この不満が、旧維新の会と、旧結いの党の「決闘」につながる可
能性は、非常に高いと思います。

結いの党は、みんなの党で渡辺代表と袂を別った江田氏が、仲間
を誘って作った党でした。
なぜ結いか。江田氏は、野党勢力を結びつける触媒となるという
意味だと説明していました。
維新の会と合流したことで、その言葉を証明しました。
さらにまた、弱小の結いの党から新党(維新の党)の共同代表を
出し、弱小でありながら、大きな維新の党と同格であるように示
しました。

まさに、「結い」という名前をつけた江田氏の思惑通りの展開で
す。

「策士、策におぼれる」という言葉があります。
江田氏の行動を見ていると、まったく、この「策士、策におぼれ
る」という言葉そのもののように思えます。
江田氏の表情を見ても、「策士」のイメージです。
しかし、いくらなんでも、やりすぎでしょう。

渡辺氏がみんなの党を旗揚げすると、いち早く参加して幹事長に
なる。
渡辺氏と意見が合わなくなると、党を割って、結いの党を作る。
維新の会と合流すると、一気に共同代表になる。

政治家を取材していて、何人かのベテラン議員から、こういう言
葉を聞いたことがあります。
「政治家にとって、政党を移るのは、決していいことではないんだよ」
ひとりではなく、複数の政治家から、この言葉を聞きました。

政治家としての経験則から、みなさん、そうおっしゃる。

では、有権者から見るとどうかというと、その人の政策なり考え
なりで投票したのに、当選した後で政党を移ると、なにか、裏切
られた思いがします。
なんとなく、信用できなくなるのです。

典型は、小沢一郎氏でしょう。
小沢氏は、自民党、新進党、自由党、民主党、生活の党と、ころ
ころと所属政党を移りました。そして、最後は、信頼を失い、い
まではもう、フェードアウトした感じで、すっかり存在感を失っ
てしまいました。
有権者にしてみれば、小沢氏が何を考えているか、分からないの
です。

もちろん、江田氏は、小沢一郎氏ほどの大物ではありません。
しかし、わずか数年の間に、所属政党を何度も変えています。

維新の党の共同代表になりましたが、旧維新の会には、不満がく
すぶっていることでしょう。
この不満は、必ず、吹き出てきます。

もともと、大阪維新の会が、輝きを失ったのは、石原慎太郎氏の
を共同代表に迎えたあたりからです。
当時、大阪維新の会は、大阪で、本当に人気がありました。
しかし、石原慎太郎氏を迎えた時から、大阪での人気は、一気に
下がり始めます。
大阪の有権者は、石原氏という異質の人を迎え、しかも共同代表
にしたことで、どこか、裏切られた思いを抱いたのです。
なんや、せっかく支持してきたのに、大阪維新の会、違うことを
し始めたやんか。
そういう、思いです。
その後も、自民党に近づいてみたり、民主党に接近してみたり、
あれこれすればするほど、人気を失いました。
坂本竜馬の船中八策に手本を取り、維新八策という政策を発表し、
それも評判を呼んだのに、いろんな政党と近づいたり離れたしして
いるうちに、有権者は、「大阪維新の会は、いったい、何をしたい
んだろう」「あの八策というのは、いったい何だったのか」と思い
始めます。
そうやって、せっかくの大阪維新の会は、みずから、どんどん力を
失ってきました。
そこへ、結いの党との合併です。
有権者にしてみれば、もういい加減にしてくれというところでしょう。

策士、策におぼれる。

結党大会は、本当に、決闘大会だったのかもしれません。

しかし、野党が、こんなことばかりやっているのは、日本にとって
まことに不幸なことだというほかありません。






アジア大会とリオ五輪・・・「次はリオでも金ですね」と言うのはやめませんか。五輪偏重が過ぎます。

2014年09月22日 11時46分58秒 | 日記

 もう一度、アジア大会のことを書きます。
 五輪とアジア大会、五輪と世界選手権の位置づけです。
メディアは、新聞やテレビも、あまりに五輪にこだわりすぎで
はないかと思うのです。

 水泳で、萩野選手が200m自由形で金メダルを取りました。
北京五輪で金の朴選手(韓国)、ロンドン五輪で金の孫選手(中国)
を破って金を取ったのですから、素晴らしい。150mのターン
では3位で、これは負けたかと思いましたが、最後の50mの追
い込みが驚異的でした。
 驚くことに萩野野選手は、すぐそのあと、200m背泳に出て
銅メダルを取りました。
 この背泳では、入江選手が、萩野選手を制して、金メダルを取
りました。
 柔道も、もう少し技をかければいいのにと思いますが、メダル
を取っています。
 日本の選手団は、よくがんばっています。
 
 今回のアジア大会では、メダルを取ったあとのインタビューも、
それなりの工夫が見られ、
 「メダルを取っていまの気持ちは?」
 「今後への抱負は?」
 「応援してくれる人へのメッセ―ジを」
 という手抜き質問のトップ3、三大手抜き質問は、あまり見ら
れません。
 
 それは喜ぶべきことです。
 しかし、その代わりというわけではないのでしょうが、
インタビュアーの質問に、こういうのがあります。
 「これで、2年後のリオ五輪に、はずみがつきますね」
 「リオ五輪では、金を期待しています」


 萩野選手にも、この質問が出ました。
 いつも丁寧に明るく、質問に答える萩野選手は、このとき、
顔をしかめていました。

 どの選手も、リオ五輪に向けて、と質問されると、ちょっと
嫌な顔をします。

 それはそうでしょう。
 いま、必死に戦って、メダルを取ったのです。
 試合に臨み、選手は手抜きなどしません。
 それで、メダルを取った。
 金メダルなら最高ですが、銀でも銅でも、立派なメダリストで
す。
 ああ、よかった。
ああ、ひとまず終わった。
選手は、そう思っているでしょう。
 
 そこへ、「2年後のリオに向けてはずみになりますね」と言われ
ると、選手も、ムッとするのではないでしょうか。

 せっかく金メダルを取った選手に「リオに向けて」と言うのは、
それは、まるで、アジア大会の金メダルが五輪より価値が低く、
アジア大会で勝ったことが少しも評価されていないように言うの
と、同じことではないでしょうか。

 かつて、女子マラソンの世界選手権で金メダルを取った選手、
たぶん、浅利選手だったと記憶していますが、試合後のインタビ
ューで
 「これで次の五輪でも、金ですね」
 と質問されました。
 この選手は、帰国後、
 「世界選手権で勝ったのに、なんで、五輪でも金と言われるん
でしょう。世界選手権で勝ったことは、どうして、評価されない
のでしょう」
 と、新聞の取材に答えていました。

 これは、もう、その通りだと思います。
 世界選手権というのは、世界のトップが集まる大会で、出てく
る選手は、ほとんど、五輪と同じメンバーです。
 そこで勝つのは大変なことなのに、せっかく勝ったのに、「五輪
でも金ですね」と言われる。
 じゃあ、世界選手権で勝ったのは、いったい、何だったのかと、
そういうことになってしまいます。
 選手にしてみると、こんなにくやしいことはないでしょう。

 アジア大会も、まったく同じです。
 たしかに、欧州とアメリカの選手は参加していない。しかし、
これは、アジアにとっては、大切な大会です。そこで勝つこと、
そこで戦うことを、もっと、評価しないといけないと思います。
 メディアも、それなりには取り上げていますが、もっと、しっ
かり取り上げられないものでしょうか。

 アジア大会でも、世界選手権でも、五輪でも、そしてもちろん、
日本選手権でも、競技を終えた選手、勝った選手は、うれしいと
同時に、なによりもまず、ほっとするのではないでしょうか。
 そういうときに、次の試合のことを聞くのは、一生懸命やった
選手に申し訳ないことだと思います。
 
 もう、「これでリオ五輪に」というのは、やめにしませんか。







アジア大会と選手村・・・「アウェーの洗礼」などというのは、もうよしましょう。おかしいことはおかしい。

2014年09月18日 13時22分00秒 | 日記

 朝日新聞と慰安婦の問題から、一回、離れます。
 アジア大会の話です。
 具体的には、「アウェーの洗礼」の話です。
 「アウェーの洗礼」って、変だと思いませんか?

 韓国でアジア大会が始まりました。
 すでに、サッカーの試合が始まっています。
 日本をはじめ、各国の選手団も選手村に入りました。

 そこで、困ったことが起きているようです。
 9月18日の読売新聞の朝刊に、こんな記事が出ています。

   ***************

 「選手村 悲喜こもごも」
「22階の部屋まで徒歩  食堂24時間OK」


「16日に日本選手団の入村式が行われた選手村・・・(略)・・・
選手たちは思わぬハプニングに迎えられた。
選手村は仁川市内に建設されたばかりの22棟の高層ビル。大
会後はマンションとして活用される予定だ。しかし、入居選手
によると、エレベーターは時々止まる。エアコンなしの扇風機
だけの部屋もあり、網戸がなく蚊に悩まされる選手もいるとい
う。
 バレーボールの越川優は、『17階まで階段で上がったが、ぼ
くの棟は二十数階まである。上の人は大変だったのでは』と苦
笑い。サッカー男子の鈴木武蔵は22階まで歩いたという。F
Wの野津田岳人は、『びっくりするようなことがたくさんあるが、
こういうところでやならいと上に行けない』と話、“アウェー”
で戦う覚悟をにじませた」
「一方、セーリングの松尾虎太郎は、『いろいろ設備がそろって
ごはんもすごくおいしい』。24時間多様な料理が楽しめる大食
堂や・・・(略)・・・娯楽施設も多数そろえる選手村に驚いた
様子だった」

     ***********

これ、おかしいでしょう?
24時間、食事ができて、おいしいというのは、なによりです。
しかし、高層ビルのエレベーターが止まるとか、エアコンがな
くて蚊に悩まされるとか、それを、
「こういうところでやらないと上に行けない」 
と言うのは、おかしい。
まして、
「アウェーの洗礼」
と言うのは、どこかが決定的に間違っています。

こういうところで戦えないと、という意気込みは買います。し
かし、高層ビルのエレベーターが止まるというのは、「こういう
ところで」の限度を超えています。
まして、それを「アウェーの洗礼」と言ったり書いたりするの
は、問題の筋が違います。
まず第一に、高層ビルでエレベーターが止まるというのは、も
う、それ自体が、間違っています。
そんなビルは、欠陥建築です。
22階まで歩いて上るのは、鍛えた選手であっても、疲れるで
しょう。

第二に、そもそも、高層ビルで止まるエレベーターなんて、危
険でしょう。エレベーターが動かないから階段を使うので危なく
ないということなら、それはブラックジョークでしょう。

第三に、エアコンがなくて扇風機だけの部屋があるというのも、
それは、差別でしょう。エアコンのある部屋とない部屋と、ど
の国の選手団が入るか、だれが決めるのでしょう。

第四に、エアコンもない。網戸もないという部屋は、エレベーター
が止まるのと同じように、欠陥です。

この選手村は、あとでマンションとして売るということですが、
そのままでは、だれも買いません。当然、マンションと
して売るときには、エレベーターもエアコンも、ちゃんとして、
売り出すのでしょう。

そう。
これは、手抜きの選手村なのです。
欠陥選手村です。

それを、「アウェーの洗礼」などと言ってしまっては、いけません。
これは、「アウェー」だから許されるものではありません。
「アウェー」だからと、黙っていていいというものではありま
せん。

これは、失礼な話なのです。
海外からやってくる選手に対し、非常に失礼な話です。
「おもてなし」とは対極の、いい加減な対応です。

日本の選手団、そして、各国の選手団は、こういうことには、
正式に抗議しないといけません。

何かあったとき、それを「アウェーの洗礼」といってしまうの
は、間違っています。
「アウェーの洗礼」と言ってしまった瞬間に、もう、あきらめ
てしまったことになるのです。
何も、むやみに文句をいえというのではありません。

いいことはいい。おかしいことはおかしい。

おかしいことには、おかしいと言わなければならないのです。
もう、選手もメディアも、「アウェーの洗礼」などというのは、
いい加減、やめましょう。






検証記事と、朝日新聞の誤算・・・社内の論理、社内の常識は、社外では通じませんでした。

2014年09月17日 13時10分49秒 | 日記

 慰安婦の報道をめぐる検証記事で、朝日新聞には、大きな誤算
があったと思います。
 それはなにかというと、あの検証記事を掲載したとき、朝日新
聞は、「さすが朝日新聞」と、高く評価されると考えていたのでは
ないかということです。
 
 「さすが、朝日新聞、よくぞ、自ら過ちを認めた」
 「過ちを認めるだけではなく、立派な検証記事も掲載した」 
 「これこそ、新聞の良心」
 
 とまあ、そういう声が出て、朝日新聞が称賛されると考えてい
たのではないでしょうか。
 
 朝日の木村社長は、60歳です。
 慰安婦を強制連行したという吉田氏の記事が初めに出たのが
32年前ですから、木村社長は、そのころまだ28歳です。その
記事を書いたのは、別の記者です。
 木村社長ご本人は、慰安婦を強制連行したという記事には、直
接には関わっていないはずです。
 
それにまた、朝日があんな大扱いで検証記事を出して、吉田証
言の記事を取り消すなら、いまではなく、もう10年前、20
年前にやっておくべきものです。当然、そのときの社長は、木
村社長ではなく、別の社長です。
 検証記事を出すにあたり、木村社長は、ご自身は直接担当した
わけではない慰安婦の強制連行の記事を、あえて、火中の栗を拾
い、自分が始末をつけたーーという思いがあったのではないでし
ょうか。

 さすが朝日新聞、よく、あれだけの検証記事を書いた。
 そういう声を期待していたんだと思います。

 称賛されると思っていた。
 だからこそ、初めは、謝罪しなかったし、社長も会見しなかった
のでしょう。
 ほめられると思っていたら、おわびなんかしません。

 9月11日には、木村社長が初めて記者会見をしました。
 木村社長は、会見でおわびしながら、しかし、
 「検証記事には自信があります」
 とはっきり語りました。
 この言葉でも、よく分かります。
 そう。
 あの検証記事で、木村社長は、さすが朝日と評価されると思っ
ていたのです。

 朝日が検証記事を出したあと、週刊誌が、こぞって、それを取
り上げました。
 そのなかで、週刊ポストが、学者・評論家30人に、検証記事
をどう考えるかというアンケートを掲載していました。そのアン
ケートで、ひとり、ふたりの評論家が、「間違えた記事を取り消し
た朝日の態度を、他紙も見習ってほしい」と答えていました。
 木村社長は、検証記事を載せるとき、こういう声がもっとたく
さん出るものと、期待していたと思います。いや、期待していた
というより、そういう声がどっと出て、朝日の評価が一段と高ま
ると、信じて疑わなかったのではないでしょうか。

 それが、検証記事を載せてみると、朝日に対する批判の嵐とい
う状態になりました。
 それは、木村社長にとっても、朝日新聞にとっても、大誤算だ
ったのです。
 木村社長は、「なぜだ」と言いたいところだったでしょうね。

その文脈で考えると、池上彰さんの原稿の掲載を拒否した背景が
よく分かってきます。
 朝日は、池上さんから、

 「朝日新聞、よくやった。
  少し遅かったけれど、立派な検証記事を出した。
  これが、新聞のありかただ。
  さすがは朝日新聞ですね」
  
 --という原稿が出るものと予想していたのではないでしょうか。
 予想というより、信じていたと思います。
 池上さんは分かってくれているーーと。

 あの検証記事は、朝日の社内に限っていえば、たしかに、「よく
やった」ということなのでしょう。
 たぶん、社内的には、吉田証言はウソだったと、早く認めたほ
うがいいという声があったのでしょう。
 しかし、だれも、それを言い出せなかった。
 歴代社長も、それを、放ってきた。
 そういう問題を、木村社長は、あえて取り上げ、ちゃんとウソ
だったと認め、朝日としての立場を表明した。
 だから、たぶん、朝日の社内では、「よくやった」という声にな
るのでしょう。
 それは、「社内の論理」といっていいかもしれません。

 ところが、朝日の社外では、まるで違った。
 朝日の「社内の論理」は、社外では、つまり、社会では通用し
なかったのです。
 どうしてそんなことが、分からなかったのかと思います。

 しかし、あの会見を見ていると、「社内の論理」が社会では
通用しないということを、まだ分かっていないのではないかと、
そんな思いがします。
 




強制連行。「ない証明」は難しい・・・日本は覚悟を決め、国際的な信用を回復をしなければなりません。

2014年09月11日 01時49分25秒 | 日記

 悪魔の証明という言い方があります。
 「ない」ことを証明するのは、ほとんど不可能だという意味です。
 
 学校とかサークル、あるいは、職場で、だれかの持ち物、たと
えば、腕時計がなくなったとします。みんなで探しますが、出て
きません。その中に、ひとり、いつも、ちょっといじめられてい
る人がいるとします。
 すると、こんな展開になります。

 「あの人が、あやしいんじゃないの?」
 「そうだよなあ」
 「席も近いしなあ」
 「ちょっと聞いてみるか」

  で、その、ちょっといじめられている人に、
 「ねえ、君、なくなった腕時計、どこにあるか知っているんじゃない?」
 「いや、知りませんよ」
 「君がとったんじゃない?」
 「そんなわけないでしょう」
 「でも、前に、あの腕時計、いいなあって言ってたこと、あったよね」
 「そんなの関係ないでしょう」

 「あなたじゃないの?」 
 「冗談じゃない。なんで、私がとらなくっちゃ、いけないんで
す。私は、腕時計なんか、とってませんよ。とるわけがない」
 「ふーん。じゃあ、とってないことを、証明してみなさいよ」
 「えっ? そんなの、証明できるわけないじゃないですか」
 「じゃあ、君、やっぱり、とったんだろう」
 「何言ってんですか。じゃあ、私の持ち物とか、かばんとか、
机とか、調べてくださいよ」
 「もう、別の所に置いてあるかもしれないし」
 「何言ってんですか。私は、そんなもの、とってませんってば」

 「だから、とってないんなら、証明しなさいよ」
 「そんなこと、できるわけないでしょう」
 「なんで出来ないんだ。やってないなら、証明できるはずだ」
 「そんな無茶な」

 漫画や小説で、学校のいじめの場面として、いかにも描かれそ
うな話です。
 
 「やってないこと」「ないこと」を証明するのは、本当に難しい。
というより、ほとんど、不可能です。
 逆に、「やったこと」「あること」を証明するのは、簡単です。
 
 当たり前のことですが、「やったこと」「あること」を証明する
には、たったひとつでいいから、やった証拠、あった証拠を探し
出してくればいいのです。
 ところが、「やってないこと」「ないこと」を証明するには、国
中、草の根を分けてくまなく探しまわり、どこにもないことを証
明するしかないのですが、しかし、どこかにたったひとつ、「やっ
た証拠」「あった証拠」が見つかれば、それで終わりです。

 ですから、「やってないこと」「ないこと」を証明するのは、事
実上、不可能です。
 これを、一般に、「悪魔の証明」と呼びます。
 もともとは、イエス・キリストを試そうとしたサタンの問いかけ
に由来するといいますが、由来はひとまず、置きましょう。
 
 さて、そこで、慰安婦の問題です。
 慰安婦の強制連行の問題は、一種、悪魔の証明になるのです。

 朝日新聞は1991年、吉田証言を元に、「慰安婦は強制的に連行
された」と報じました。
 この朝日報道をベースに、韓国は「日本軍は慰安婦を強制連行
した」と主張します。また、やはりそれをベースに、国連の諮問
機関からは、やはり、日本軍は慰安婦を強制連行したという、ク
マラスワミ報告が出ます。

 慰安婦の強制連行は、朝日新聞の報じた「吉田証言」がベース
になっているのです。
 吉田証言は、生々しかった。「農作業をしている女性を、私たち
は、つかまえて、トラックに乗せた」というのです。

 この吉田証言のほかには、日本軍が慰安婦を強制連行したとい
う証拠は、今に至るも、報告されていません。

 ところが、この吉田証言を、ほかならぬ朝日新聞が、「虚偽でし
た」と認め、その記事を取り消したわけです。

 とすれば、朝日報道をベースにした韓国の主張も、クマラスワ
ミ報告も、根拠を失います。

 日本では、いや、そんな強制連行はなかった反論する人たちも
多くいて、独自に、吉田証言を検証してきました。吉田証言で強
制連行があったという済州島にまで出向き、実際に調査したけれ
ど、強制連行の証拠はなかったという報告もなされています。


 さあ、これが、悪魔の証明なのです。
 「慰安婦の強制連行はなかった」と証明するのは、「やっていな
いこと」「ないこと」の証明です。
 現地調査をしても、強制連行の証拠は見つからない。
 どう調査しても、証拠はない。

 しかし、一方で、「強制連行はあった」という証明は、たった1
人でも、強制連行された人を見つければ、いいのです。吉田証言
は、1人どころか、1000人、2000人を、強制連行したと
いうのですから、強力です。

 これは、典型的な「悪魔の証明」です。
 「強制連行はあった」という吉田証言はおかしいと思っても、
「強制連行はなかった」と証明するのは、本当に難しい。事実上、
不可能です。

 慰安婦の強制連行をめぐり、日本は、「悪魔の証明」をしなけれ
ばならないという、まことに苦しい立場に置かれてきました。

 さて、そこで、朝日の「記事取り消し」です。
 なんということか、朝日は、「強制連行はあった」という吉田証
言を、23年後に、突然、「あれは虚偽でした」として、「記事を
取り消します」とやったわけです。

 「日本軍は慰安婦を強制連行した」と主張する最大にして唯一
の根拠が、あっけなく、取り消されたわけです。
 本来なら、これで一件落着となるはずなのですが、日本を待って
いるのは、悪魔の証明です。日本がどんなに「強制連行という
ものはありませんでした」とアピールしても、それを証明するの
は、本当に難しいのです。
 
 朝日が吉田証言を取り消した後、韓国政府のスポークスマンに
よる定例会見で、こういうやりとりがあったと、新聞各紙が報じ
ています。
 韓国政府のスポークスマンに、日本の新聞の記者が「慰安婦の
強制連行の主張の柱だった吉田証言を、朝日新聞が虚偽だと認め、
記事を取り消した。これをどう思うか」と質問しました。スポー
クスマンは「強制性はあったという本質に変わりはない」と答え
ました。そこで別の新聞の記者が「いや、いまの質問は、強制連
行はなかったのではないかと聞いたものだ」と質問すると、スポ
ークスマンは「証拠はいくらでもある」と答えました。しかし、
その「いくらでもある証拠」というのは、明らかにはされていな
いのです。
 
 では、日本が、強制連行はなかったという証拠を提示できるか
というと、「なかった証拠」というものは、それは、出しようがな
いのです。

 強制連行はあったという主張の最大にして唯一の根拠であった
吉田証言、そして、それを報じた朝日新聞は、もののみごとに、
当の朝日自身の手で、取り消されました。

 ところが、では、日本が「だから、強制連行はなかったんです」
と主張しても、「なかったという証拠を見せろ」と言われたら、困
ってしまいます。

 いま、日本が置かれている状況は、そういうことです。

 ネットで韓国の人たちの声を見ると、「慰安婦の問題は、だれが
見ても明らかなのに、日本政府は謝罪しない」という言い方が、
もう、ごく普通になされています。
 「だれが見ても明らか」と思っているわけです。
 ところが、その根拠は何もない。
 いままでに明らかになっている"証拠“は、吉田証言と、それを
報じた朝日新聞の記事だけです。

 ウソも百ぺんいえば本当になるということわざがあります。
 韓国は、そういう状況にあります。
 だからこそ、「だれが見ても明らか」というのです。

 証拠は、吉田証言と朝日以外にはないのですが、それを百回聞
いているうちに、それが本当だと思うようになった。
 しかし、その吉田証言を朝日が虚偽と認め、記事を取り消した。   
 冷静に考えれば、「だれが見ても明らか」の根拠がもろくも消え
てしまったわけですから、もう、ちっとも「明らか」ではないの
です。
 しかし、百回聞いているうちに、それが本当だと信じてしまっ
ているので、本当だと思う信念というか、思い込みだけが、独り
歩きしてしまっているのです。

 これだけ「慰安婦の強制連行はあった」と信じこんでいる韓国
も、吉田証言と朝日の記事以外の証拠は、ひとつも、出せていま
せん。
 韓国政府のスポークスマンは、先ほどの会見の模様を紹介した
ときのように、「証拠はいくらでもある」というのですが、しかし、
その証拠は、出せないのです。

 もう、強制連行の根拠は、なにもないのですが、しかし、では、
日本が「強制連行はなかった」と主張して、それを証明するのは、
悪魔の証明ですから、事実上、不可能なのです。

 朝日の記事が出て23年の間に、日本の国際的なイメージは、
ずいぶん落ちてしまいました。
 これをひっくり返して、日本の名誉を回復するには、慰安婦の
強制連行はなかったと、国際的に信じてもらわなければなりませ
ん。
 何度も繰り返しますが、「なかった」「ない」ことを証明するの
は、非常に難しい。不可能に近い。

 日本は、大変苦しい立場に置かれています。
 それが、いまの日本の立場です。
 しかし、日本は、国際的なイメージ、そして、信用を回復しな
ければなりません。
 どうしても、しなければなりません。

この問題が日本と韓国の間だけにとどまっているのならまだしも、
この23年の間に、韓国がアメリカや欧州でPR作戦を展開したた
め、いまや、国際的な問題になってしまいました。
 日本としても、さすがに、放っておけません。

 政府・外務省は、この23年間、この問題で、日本のイメージ
が落ちるのを放置してきました。
 これから、政府・外務省は、この23年の時間を取り戻す作業
をしなければなりません。
 政府も自民党も民主党も、朝日新聞を責めています。
 もちろん、朝日の責任は大きい。
 朝日は、罪作りなことをした。
 しかし、それ以上に、政府・外務省は、この23年間、自らが
怠慢だったことの責任が大きいのです。
 朝日を責めてそれで済むということではありません。
 
 日本のイメージ回復、信用回復は、遠い道のりです。
 しかし、政府・外務省は、覚悟を決めて、それをやらなければ
なりません。そのための政府であり、外務省なのです。




朝日新聞と慰安婦・・・ひとまず、問題点を、ポイント整理しておきます。

2014年09月08日 12時44分00秒 | 日記

 朝日新聞が、慰安婦の強制連行に自ら関わったとした故・吉田
氏の証言は虚偽だったと認め、吉田証言に基づく記事を取り消し
ました。これが大きな波紋を呼んでいます。
 これについて、何か書くべきかどうか、正直迷っていましたが、
少し、整理をする意味でも、書いておきたいと思います。

 ポイントは、いくつかに分けられます。
 第一は、朝日が自ら記事を取り消したことをどう評価するかで
す。具体的には、肯定的に評価するのか、なにをいまさらと否定
的に見るのか。
 第二は、朝日は記事を取り消した後、論点をすり替えようとし
ているのではないかということです。朝日は、強制連行はなかっ
たが、それでも、慰安婦に対する「強制性」は認められるとして、
慰安婦問題の本質は変わらないとしました。しかし、それは、論
点のすり替えではないかということです。
 第三に、韓国が慰安婦問題で日本に反発し、国連までもが日本
は慰安婦を強制連行したという報告書を出したのは、とりもなお
さず、朝日新聞が報じてきた吉田証言がベースになっているとい
うことです。その吉田証言が虚偽だったと朝日が認めたのだから、
では、韓国の反発や国連の報告は、根拠を失うのではないかとい
うことです。
 さらに言えば、韓国も国連も、よくまあ、朝日新聞という新聞
一紙の報道だけで、日本を非難してきたものだということにもな
ります。
 第四に、朝日が慰安婦の強制連行を記事にしたのは30年前の
ことですが、ではどうして、そんな記事を掲載してしまったのか
ということです。
 第五は、30年間も放置しておいたものを、どうしてまた、い
まごろになって取り消したのかということです。
 第六に、朝日新聞の影響力の大きさ、新聞というメディアの影
響力の大きさを、いろんな意味で感じさせたということもいえる
と思います。

 慰安婦の問題は、日韓の間に、大きな溝を作ってしまいました。
韓国がこの慰安婦を問題にし始めたのは、朝日が強制連行を記事
にした30年前からです。
 その意味では、日韓の間に溝を作ったのは、朝日に大きな責任
があります。
 なによりも、慰安婦の問題で、日本のイメージは、国際的にか
なり傷つけられました。いま、あの記事を取り消して済むという
話ではありません。
 
 ここから先がいちばん大事なのですが、では、そんな30年間、
日本政府、とくに外務省は、海外に向けて、いったい、何をして
いたのでしょう。日本のイメージが傷ついていくのに、政府、外
務省は、ほとんど何もしてこなかったのではないかと、そう思わ
ざるをえません。
 ここからは、政府、外務省は、日本の傷ついたイメージを回復
する方策を、目いっぱい、やってもらわないと困る。吉田証言は
虚偽だった。日本は強制連行などしていない。国際社会に向けて、
そう発信しなければなりません。それが、政府、外務省の仕事で
す。
 それが、これから、一番大事なことです。

 次回から、ここで整理したポイントを、ひとつひとつ見ていき
たいと思います。




デング熱にどう対応するか・・・推理小説みたいな話ですが。でも、実際にはなかなか。

2014年09月01日 12時36分35秒 | 日記

 デング熱にかかった人が、今度は、新潟と横浜で合計3人、出
ました。 
 最初にかかった3人は埼玉でした。
患者はまだ6人程度ですが、地域が広がっているのが気になり
ます。
この患者6人は、いずれも、東京の代々木公園に行っており、
代々木公園でデング熱のウイルスを持った蚊にさされたようです。

さて、では、どうすればいいか。
このブログによく登場する友人のお医者さんから、連絡があり
ました。
彼によると、今後の対策を立てる上で、大事なのは、いつ感染
したか、その感染日を割り出すことだといいます。
そのためには、すべての感染者に、いつ代々木公園に行ったか
を聞き取り、一覧表を作る必要があります。
もし、代々木公園に行った日が同じ日であれば、その日が感染
日として特定できます。
行った日が違っていても、かなり絞り込めるでしょう。

そうやって絞り込んだ感染日を、D-DAYとします。
D-DAYは、デング熱のウイルスを持った蚊が人をさした日
です。

次に、蚊の寿命が問題になります。
蚊の寿命は諸説あるようですが、夏は、人間の血を吸うと寿命
が延びて、2週間ぐらいは生きているようです。
となると、D-DAYから2週間前までの間に、問題の蚊が、
代々木公園に生息していたわけです。
そうすると、D-DAYから二週間前までの間に代々木公園に
来た人で、デング熱のある海外、アフリカ、東南アジア、南米
などに行った経験のある人の中に、今回、デング熱を日本に持
ちこんだ人がいる可能性が高くなります。
この人を、発端者と呼びます。

では、その発端者は、いま、デング熱を発症してないのでしょ
うか?
友人のお医者さんによると、デング熱は、ウイルスが体内に入
っても、発症しない人が多いそうです。
こういう人を、不顕性感染と言うそうです。

今回の場合は、不顕性感染者が、デング熱の発端者になってい
る可能性が高い。しかし、本人はデング熱を発症していないの
で、自分がデング熱だという自覚がない。
放っておくと、また、蚊を通じて広がるかもしれないので、こ
の不顕性の発端者を探し出せれば、今回の日本のデング熱を、
まあ、いわば、根っ子から終息させることが出来ると、そうい
うことになります。

しかし、D-DAYから2週間前までに代々木公園に来た人の
中で、デング熱のある海外に渡航した経歴のある人――という
のは、これは、探し出すのが、ちょっと大変でしょう。

なんだか、推理小説みたいになってきました。

新聞、テレビで呼びかけても、本人に自覚がなければ、名乗り
出る人はいないかもしれませんし、なによりも、下手すると、
犯人探しみたいなことになりかねません。
友人のお医者さんも、それを心配していました。
かつて、エイズが初めて日本で確認されたときが、まさに、犯
人探しのようになりました。

となると、このまま、静かに終息するのを待つということにな
りそうです。
では、デング熱の特効薬はあるのか。
これも、そのお医者さんによれば、デング熱には特効薬はない
のだそうです。対処療法で、治るのを待つということになるそ
うです。

困りましたね。
あまり広がらずに、終息に向かうよう、祈ります。