いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

猛暑の東京五輪・・・こんな猛暑の時期になぜ五輪を開くのか。五輪は商業主義に落ちました。

2017年07月12日 01時14分49秒 | 日記

東京はきょうも暑い一日でした。
バリバリに暑いと言いたいところですが、湿度が高く、
ベトーっ としているので、ベトベトに暑いという言葉の
ほうがぴったりです。
昼間、外に出ると、まるでサウナに入るような感じにな
ります。

7月11日でこんな感じです。
これから先、いったい、どんな暑さになるのでしょう。
日本の夏は、おかしくなりましたね。

こんな夏の最中に、2020年の東京五輪を開くのです。
開会式は2020年の7月24日です。
8月9日が閉会式となっています。
東京が、というより、日本が最も暑い最中です。

こんな時期に東京で五輪を開くのは、おかしいと思います。
この話は、当ブログでも、過去に何回か取り上げましたが、
夏にな るたびに、やはりおかしいと思ってしまいます。

なんでこんなことになったかというと、IOC(国際五輪
委員会)が、夏の五輪は7月、8月に開くと定めているか
らです。
本来なら、涼しくて気候の良い秋に開くのがいちばんいい
はずです。
実際、前回、1964年の東京五輪は、10月10日から
始まりました。10月10日に開会式があり、だから、
後に、10月10日 を体育の日の休日と定めたのです。 

今度の東京五輪も、本来なら、10月に開くべきです。
ところが、IOCは、10月開催を認めません。

というのは、いま、IOCの最大の収入源は、アメリカ
のテレビ局がIOCに支払う放映権です。
逆に、アメリカのテレビ局は、IOCに対し、大きな影
響力を持っています。
そして、アメリカでは、10月に野球の年間チャンピオ
ンを決めるワールドシリーズが開かれます。これは、
アメリカにとっては、非常に大きな行事で、その放送は、
アメリカのテレビ局にとって大変重要なものとなります
。視聴率が稼げるし、なによりも、ワールドシリーズの
CM収入が大事なのです。
野球だけではなく、アメリカンフットボールやバスケッ
トボール、アイスホッケーも、10月は本格的なシーズ
ンとなります。
だから、アメリカのテレビ局は、五輪が10月に開かれ
ては困るのです。
アメリカのテレビ局は、IOCの最大のスポンサーです
から、当然、IOCにも、そう働きかけます。
そうなると、五輪は、アメリカが夏休み気分である7月、
8月に開くのがいちばん都合がいいのです。

五輪の開催時期は、極めて商業的に決まるのです。
商業主義といっていいと思います。

欧州でも、似たようなものです。
欧州は、もちろん、サッカーが最も人気のあるスポーツ
です。野球は全く人気がありません。そのサッカーは、
秋から冬、春にかけてのスポーツで、夏は、シーズン
オフです。
だから、五輪は、サッカーがシーズンオフの7月、8月
に開くのがいちばんいいのです。

五輪は、1984年のロサンゼルス五輪から、商業主義
になりました。
五輪は、いまも、開くことがその国の名誉というところ
があります。しかし、かつては、「名誉」という感じが、
いまよりはるかに強かったと思います。
1964年の東京五輪は、日本が1945年に戦争で負
けてわずか19年で開かれました。日本にとっては、戦
後の復興を世界に示す意味があり、採算など、ほとんど度
外視していました。
当時はまた、ミスターアマチュアリズムと呼ばれたブラ
ンデージ氏がIOC会長で、五輪は、徹底したアマチュア
リズムを貫いていました。なにしろ、選手が身につける
ユニフォームや靴に、スポーツメーカーのロゴが入って
いてもダメだったのです。ユニフォームの胸にCMを入
れるなど、もってのほかでした。
そう。当時は、五輪に、そもそも、スポンサーなどいな
かったのです。開催都市、開催国が、財政的な負担をす
べて受け持っていました。
だから、テレビ局の意向など通じるはずもなく、五輪は、
その国のベストの季節に開くことが出来ました。
その結果、1964年の東京五輪は、日本でスポーツを
するのにのベストなシーズン、すなわち10月に開くこ
とが出来たのです。

アマチュアリズムを貫くと、開催国、開催都市の財政負
担は、かなりのものになります。
五輪は、開くたびに、開催国に赤字が残りました。
だから、五輪の開催に手を挙げる国がだんだん減ってい
き、このままでは危ないという状況になりました。
それを逆転したのが1984年のロサンゼルス五輪で、
米五輪委員会のピーター・ユベロス会長が、徹底した収
入増加を図りま
した。テレビ局の放映権が跳ね上がったのは、このとき
からです。
ユベロス会長は、もともと、野球のメジャーリーグに携
わっており、五輪に野球の手法を持ち込んだのです。
そして、それは大成功し、五輪は、もうかるイベントと
なりました。
このときから、五輪は、商業主義になったのです。

ですから、アメリカの4大スポーツ、すなわち、野球、
アメリカンフットボール、バスケットボール、アイス
ホッケーと時期が重なる秋10月は、五輪は、出来な
くなりました。
五輪は、アメリカが夏休みの7月、8月に開いてもら
うのがいちばんいいのです。

東京五輪が、猛暑で最悪の7月から8月にかけて開か
れるのは、そういう背景があります。
ところが、東京五輪の招致委員会は、開催時期につい
て、「東京は、7月から8月にかけて、気候が安定し
ている」としていました。うそでしょう、といいたい
ところです。
招致にあたって、もし、開催時期を10月などとして
いたら、ハナから相手にしてもらえなかったでしょう。

 だから、東京五輪は、この猛暑の時期に開くしかな
かったのです。
 しかし、気象庁が「猛暑のため、外出はお控えくだ
さい」と呼びかけている最中に、世界中から集まった
アスリートたちに、競技をやらせようというのです。
 こんなシュールな話はありません。
 ほとんど、ブラックジョークです。


 これ、五輪関係者のだれも、おかしいとは思わな
かったのでしょうか。言うに事欠いて、「7月、8月
は、東京は気候が安定しているから」はないだろうと
思い
ます。

 五輪の招致で、滝川クリステルさんの「お・も・
て・な・し」が大きなインパクトがありました。
 おもてなしは、間違いなく、日本の素晴らしいと
ころです。
 しかし。
 これだけ不快な暑さが続けば、いくら一生懸命に
「お・も・て・な・し」をしても、選手も観客も、
「こんなところで五輪を開くのはおかしい」と思う
のではないかと、それが心配です。




加計学園にみる日本の行政と立法の関係・・・民進党と朝日新聞はかつて「政治主導」を掲げていました。思惑が透けて見えます。

2017年07月11日 01時03分28秒 | 日記

 国会は7月10日の月曜日、文科省の前川事務次官を招き、加計
学園の問題で、閉会中審査を開きました。
10日のテレビ各局、11日の新聞各紙で、さまざまな論評が出
るでしょうが、いまここで、ひとつ指摘しておきたいことがありま
す。
 それは、前川氏をヒーロー扱いするのはおかしいということです。
 
 前川氏の主張は、「行政が政治にねじ曲げられた」ということに
尽きます。
 これが、おかしい。
 行政は、政治が決めたことを、粛々と行うことです。
 行政を担当する人たち、すなわち、官僚は、政治すなわち、閣僚
をはじめとする政治家や国会の決めたことを、着実に実行するのが、
その仕事なのです。
 
 行政は、政治が決めたことを着実に実行するのが仕事なのですか
ら、「行政が政治にねじ曲げられた」というようなことは、あり得
ないことなのです。
 もし、前川氏が、そこまで思うのなら、前川氏は、官僚ではなく、
政治家になるべきだったでしょう。

 実は、「脱官僚の政治」を掲げた政権があります。
 2009年夏の総選挙で、自民党から政権を奪取した民主党政権
です。
 民主党政権は、「政治主導」を掲げ、官僚の出番を思い切り減ら
しました。
 財務省や経産省など、霞が関の各省庁は、事務次官が定期的に会
見を開きます。
 民主党政権は、その次官会見も、廃止しました。
 会見は、閣僚がやる、というのです。

 この志は、大変よかったのです。
 なぜか。
 いわゆる三権分立というのは、立法、行政、司法をそれぞれ独立
した存在とみなす考え方です。
 ところが、日本では、長い間、行政が強すぎて、立法は小さくな
っていました。長い間、というのは、明治以来、といっていいと思
います。
 行政が強いというのはどういうことかというと、官僚が強いとい
うことです。
 日本では、多くは東大法学部の卒業生が、国家公務員試験を通っ
て官僚になり、財務省や経産省、国土交通省など各省庁に入省しま
す。そして、彼らが、各省庁ごとに、政策を作り、それを法案とし
て国会に提出して、それが法律になります。
 
 では、立法は何をするかというと、日本では、各省庁の官僚が国
会に提出してきた法案を、審議して、法律にするというのが、長い
間、その仕事でした。
 おかしいでしょう?
 というのは、国会は、立法府なのに自らは法案を出さず、各省庁
すなわち行政府が出す法案を、審議して法律にするわけです。
 簡単にいえば、国会が、各省庁の法案を可決するだけの場になっ
ていたわけです。
 もっといえば、立法府=政治が、行政府=官僚の言いなりになっ
てきたわけです。

 国会議員のことを、英語では、
 LAW MAKER
 といいます。
 法律を作る人たちです。

 ところが、日本では、LAW MAKER は、霞が関の官僚だ
ったのです。
 日本では、霞が関の官僚が法律を作ってきたのです。

 言い換えると、政治が行政に口を出すというのは、基本的に、な
かったのです。
 
 民主党政権は、それを覆そうとしました。
 うまくいったとは言いにくいのですが、その狙いは悪くなかった。

 今回、前川・前次官が「行政が政治にねじ曲げられた」と主張し
ているのは、結局のところ、政治は行政に口を出すなと、そう言っ
ているのです。
それは、官僚の思い上がりでしょう。

 前川氏は、官僚が決めたことを、政治は認めてくれればいい、官
僚が作った法案を国会は可決してくれればいいと、そういうことな
のです。
 それが、長い間の日本のシステムだったのです。

「政治主導」を掲げた民主党政権は、そのシステムを改革しよう
としました。
 朝日新聞は、それを、100%支援しました。
言ってみれば、”前川氏的なもの”を改革しようとしたのです。

 ところが、今回、民進党は、前川氏の言い分をほぼ100%支持
して、安倍首相の攻撃に使っています。
 民進党の議員にいたっては、「前川氏に民進党の代表をやっても
らいたい」という声も出るほどで、いったい、何を考えているのか
と思います。
 朝日新聞は、民主党時代、あれほど「政治主導」を支持したのに、
今回は、行政が政治にねじ曲げられたという前川氏をサポートする。
民主党時代の政治主導支持は、どこへ行ったのでしょうか。
 
 結局のところ、民進党も朝日新聞も、目的は、安倍内閣の打倒で
す。
 安倍内閣を打倒するためには、なんでも使う。
 加計学園も、そのひとつであるということでしょう。
 
 民進党は、民主党時代の反省がまったくありません。
 朝日は、これで安倍政権を倒せると踏んだのでしょうが、しかし、
いくらなんでも、狙いが露骨過ぎます。
 そういう思惑が透けて見えるから、この問題は、国民の支持があ
まり集まらず、どこか、しらけた空気が漂うのです。 





都議選で民進党は惨敗しました・・・蓮舫代表が安倍首相のミスを声高に批判すればするほど、民進党の支持率は落ちます。

2017年07月06日 01時03分22秒 | 日記

 都議選で、小池知事の都民ファーストの会が圧勝し、自民党が歴
史的な大敗を喫しました。
 しかし、自民党以上にひどかったのが、民進党です。
 民進党は、たったの5議席しか取れませんでした。
 仮にも国会で、自民党につぐ議席数を持つ野党第一党です。それ
が、東京都議会で、たった5議席とは、ほとんど、ミニ政党みたい
なものです。
 いまの日本にとって、野党第一党である民進党がこんな体たらく
であることは、大問題です。

 今回、都議選で自民党が大敗して、安倍首相の独走に、とりあえ
ず、待ったをかけたということになっています。
 しかし、誰が待ったをかけたのでしょうか。
 東京都民です。
 都議選ですから、投票するのは、都民だけです。
 神奈川県民や大阪府民、北海道民は、まったく関係がありません
でした。
 
 もし安倍首相の独走が良くないとすれば、では、誰が待ったをか
けるべきだったのでしょうか。
 都議選ですから、大阪府民や神奈川県民が待ったをかけようと思
っても、それは不可能でした。
 では、誰が?
 それこそ、野党第一党の民進党が、待ったをかける立場だったの
です。

 私の立場を先に書いておくと、安倍首相の政治姿勢や考え方には、
賛成するところもあれば、反対する部分もあります。しかし、安倍
首相が自分の政策を実現するための手法には、首をひねらざるをえ
ません。
 反テロ法案を、国会の小委員会の採決を経ず、本会議で可決・成
立させてしまったことは、安倍首相の手法として、ひとつの典型で
しょう。小委員会を経ずに本会議で採決する方法があるとは、私も
知りませんでした。そんなことが可能なのであれば、これからも、
小委員会など、開く必要がなくなってしまいます。これはもう、国
会軽視というほかないでしょう。
 国会で、野党議員から、憲法改正に対する考え方を聞かれたとき、
「詳しくは読売新聞を読んでいただければと思います」と答えたの
も、いくらなんでも、やりすぎでしょう。ちょうどその日、読売新
聞に安倍首相のインタビューが載っていたので、安倍首相はそう答
えたわけですが、もし、そんな言い方が通用するなら、国会の論戦
は必要がなくなってしまいます。国会で野党議員に答えるより先に、
新聞や雑誌、テレビのインタビューに出て、「詳しくはそちらを見
てください」と答えて済まそうというのですから。
 
 安倍首相のこうした手法、姿勢には、自民党支持者でも、首をひ
ねってしまうのではないでしょうか。
 
 ところが、本来、そこをちゃんと詰めるべき民進党が、何もでき
ない。
 いまの民進党のありようを象徴するのは、蓮舫代表です。

 蓮舫氏は、専ら、森友学園と加計学園で、安倍首相を攻めます。
 反テロ法や憲法改正問題は、理念をめぐる論戦、抽象的な論戦に
なります。
 それに対し、森友学園や加計学園は、籠池夫妻や加計氏、安倍首
相の昭恵夫人、萩生田氏と、キャラクターのはっきりした生身の人
間が登場するので、具体的で分かりやすい展開になります。
 だから、安倍首相を攻めるには、反テロ法や憲法問題より、森友
学園や加計学園を取り上げたほうが、攻めやすいのです。
それに、理念をめぐる論戦は、どちらも自分の考えがあるので、
議論をしても勝負はつきません。しかし、森友学園や加計学園の問
題は、安倍首相の弱点を攻めるわけですから、民進党が攻撃、安倍
首相が守勢と、攻守がはっきりしています。はっきりいって、森友、
加計の問題は、安倍首相のミス、オウンゴールです。
 
 だから、蓮舫氏も、森友学園、加計学園を集中的に攻撃するので
す。
 
 しかし、民進党が、森友、加計問題で、いくら安倍首相を攻撃し
ても、民進党の支持率は上がりません。
 そこのところを、蓮舫氏は、どうにも、分かっていないようです。
 どうして、分からないのかと思います。
 日本的な風土では、相手のミスを攻めたてて、それで支持が集ま
るということは、まず、ありえません。
 だれかのミスをあげつらい、批判しても、日本では、「そうだ、
よくやった」とは、なかなか、ほめてもらえません。
 それがいいかどうかということではなく、日本の風土には、そう
いうところがあるということです。
 
 蓮舫氏が、森友、加計問題で、声高に、安倍首相を攻撃すればす
るほど、普通の国民は、「森友は、もういいよ」「また加計か」と
思ってしまいます。
 蓮舫氏は、どうして、それが分からないのかと思います。
 
 森友、加計だけではありません。
 都議選の最中には、稲田防衛相が「自衛隊としても(自民党支持
を)お願いする」と発言しました。自民党の下村都連会長には、
加計学園の関係者からの寄付があったことも報じられました。

 蓮舫氏は、その都度、声を極めて、安倍首相と自民党を批判して
いました。
 しかし、悲しいかな、蓮舫氏が声高に批判すればするほど、有権
者は、民進党から離れていった感じがあります。
なぜか。
 それらはすべて、安倍首相、安倍内閣のミスであり、オウンゴー
ルだからです。
 蓮舫氏が、取り上げて批判するのは、すべて、相手のミスなので
す。
相手のミスを批判しても、たいした得点にはならないのです。

 なぜ、安倍首相のミスばかり取り上げるのか。
 それは、裏を返せば、民進党に、自ら訴えるべき政策や提案がな
いからです。
 安倍首相のミスは、なるほど、分かった。それはその通りだ。じ
ゃあ、民進党の政策なり提案を聞かせてくれよーー国民が、民進党
から、蓮舫氏から聞きたいのは、民進党の政策であり、提案なので
す。
 それなのに、いつまでたっても、相手のミスばかり、取り上げて
いる。
 それでは、民進党は支持されません。
 民主主義にとって、健全な野党第一党は、なくてはならぬ存在で
す。
 その野党第一党がこんな体たらくなのは、日本の民主主義にとっ
て、大いなる悲劇です。