築地市場の豊洲への移転問題は、混沌としてきました。毎日のよ
うに新しい話が出てくるので、今の段階で、あれこれ書くのは控え
たいと思います。
しかし、ひとつ、書いておきたいことがあります。
それは、今回のことで、石原慎太郎・元東京都知事が、男を下げ
たということです。
豊洲の新市場は、当初の計画では、市場全体に盛り土をする予定
だったのに、実際には、盛り土をしないまま、工事が進みました。
豊洲は、もともと、大きな工場があり、その廃棄物が問題視され
ていました。本当は、そんなところに築地市場を移転するのがおか
しいと思います。
でも、いまは、さておきます。
その廃棄物の影響を避けるため、豊洲市場は、敷地全体に盛り土
をする計画でした。
それが、いつの間にか、盛り土をしないまま、工事が進んだ。
計画が変更というか、骨抜きにされたわけです。
では、計画が変更になったときの知事はだれかというと、石原慎
太郎氏だったのです。
石原氏は、1999年に東京都知事に当選しました。その後、2
012年になって、突然、衆議院議員に立候補し、知事を辞任しま
した。
結局、足かけ13年にわたって、石原氏は、東京都知事を務めた
のです。
ですから、築地の豊洲移転には、深く関わっています。
先週末、明らかになったのは、盛り土の代わりに、コンクリート
製の大きな箱を並べたらどうか、そのほうが、早いし、安いのでは
ないかと、石原氏が、事務方に検討をするよう指示したということ
です。
いま、「指示した」と書きましたがが、そこがひとつ、もめてい
るところです。
当時の東京都の市場長だった比留間氏という方と、石原氏が、取
材を受けた場面が、テレビ各社のニュースで流れました。
市場長というのは東京都の局長ポストで、重要な役職です。比留
間氏は、役人OBとして、誠実に答えていました。
比留間氏は、「当時の石原知事から、盛り土の代わりに、コンク
リート製の箱を埋めたらどうか検討せよと言われ、検討しました」
と答えたのです。
そして、「検討したところ、盛り土より高くなるということが分
かり、石原知事に報告しました」と続けました。報道陣から「知事
の返事はどうだったのですか」と質問され、比留間氏は、「知事は、
あ、そう、という返事で、あまり関心がない感じでした」と答えま
した。
こういう問題、つまり、責任を問われかねない問題について、官
僚、役人のOBが、顔を出して、しっかり答えるというのは、大変
珍しいことです。
しかも、これは会見でもなんでもなく、報道陣が、外出した比留
間氏をつかまえて話を聞いたものです。ふつう、そういうときは、
役人OBならずとも、カメラを避けたり、「困ります」と答えたり、
早足で逃げたりするものです。ところが、この方は、立ち止まって、
堂々、当時のことを話しました。
大変立派な態度だったと思います。
ところが、それに比べて、石原慎太郎氏は、まことになさけなか
った。
石原氏は、同じ日、家の前で報道陣に取り囲まれ、同じ質問をさ
れました。
このときの答え方が、大変なさけなかったのです。
石原氏は、こう答えたのです。
「事務方から言ってきたと思う」。
報道陣が「市場長じゃなくて、事務方ですか」と聞くと、
「事務方といえば市場長じゃないか」
報道陣が、「市場長は比留間氏ですか」と確認すると、
「役人の名前なんて、いちいち、覚えてないよ」と答えました。
そして、
「(このことで)私がものを決める権限もないし、現場がいろん
な酌量をして決めたことですから」
と言い放ったのです。
東京都知事という東京都の最高の地位にあって、
「私がものを決める権限もないし」
とは、いったい、なんということでしょう。
石原氏は、市場の盛り土のことぐらいで都知事には権限はないと言
いたかったのでしょうが、しかし、このことであれ、どんな小さな
案件であれ、東京都の最高責任者は、都知事です。
すべては、都知事の責任です。
石原氏が「(このことで)私がものを決める権限もないし」とい
うのは、ひとことでいえば、責任回避、責任逃れです。
この人は、自分では、責任を取らないのです。
石原氏は、激しい発言や相手への批判、そして、なにより、強面の
態度で知られてきました。
しかし、この発言を聞いていると、石原氏は、どんなに強面の態
度を取って見せても、結局は、自分では責任を取らない人なんだと
いうことが、分かってしまいました。
築地市場の豊洲移転は、重大な案件です。
豊洲の盛り土というのは、市場の安全に関わる核心的なポイント
です。
それを、「私はものを決める権限もないし」と言い放つ。
東京都は、13年間も、こういう人物を都知事としていたのです。
石原氏は、報道陣の質問を受けたあと、車に乗り込みました。
乗り込むとき、最後の質問を受けました。
「石原さん、東京都に、何かひとことありませんか」
これに対し、石原氏は、こう答えのです。
「東京都というのは、伏魔殿だね」
と。
この言葉には、あ然としました。
石原氏は、足かけ13年、東京都知事を務めていたのです。
13年というのは、半端な年数ではありません。
13年、東京都に君臨し、いまになって、「東京都は伏魔殿だね」
と言うのは、どういう神経でしょう。
東京都を伏魔殿だというのなら、13年の長い時間、石原氏は、
その伏魔殿を変えようとはしなかったのでしょうか。
13年間の自分の責任は、どこにあるのでしょうか。
この人は、自分では責任を取ろうとしません。
責任を回避します。
今回のことで、それが、はっきり分かってしまいました。
もう、この人は、信用されないでしょう。
男を下げるとは、こういうことです。