いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

森友問題で安倍内閣が問われるもの・・・なぜ初めからすぱっと公表しておかなかったのか。もしかするとまた隠すのではないか。その不信感が最悪です。

2018年04月15日 16時47分40秒 | 日記

 森友、加計問題は、いつ果てるともなく、続いています。
 中国が、太平洋の日本の排他的経済水域の中で資源の採掘調査をしてい
たことが明らかになりましたが、中国は、日本の国内が混乱しているときに
は、必ず、日本の領土、領海に手を出し、日本の対応を調べようとしま
す。
 中国が尖閣諸島に船を出したのも、日本が民主党政権で混乱してい
るときでした。
 森友、加計問題をそのまま捨てておけばいいと言うわけではありませんが、
しかし、世界、とくに、日本の隣人は、日本国内の様子をいつも、じっと見て
いる。
 日本が混乱して対外的なことに対応できないと見るや、すぐに日本
を試そうとする。そのことは、忘れてはいけないと思います。

 さて、森友、加計問題です。
 率直にいえば、これは、もともと、そんなに大騒ぎになるような問題では
なかったのです。
 それが、どうしてここまで炎上してしまったかというと、それはもう、安倍
政権、安倍首相の対応が悪かったからです。
 悪かったというより、対応が、稚拙でした。
 対応が下手くそだったのです。
 下手くそすぎました。

 なにが一番よくなかったかというと、森友、加計学園の問題が表面化し
たとき、安倍首相、安倍内閣は、隠して済まそうという対応をしました。
 なーに、たいした問題じゃなから、ややこしいことは隠しておけば、その
うち、なんとなく、終わるだろう。安倍内閣は、そう考えていたのではない
でしょうか。
 しかし、それは、最悪の対応でした。

 この問題の対応にあたり、安倍内閣は広報姿勢が最悪だったのです。
 企業でも政府でも、現代のあらゆる組織は、なにか問題が起きたとき、
広報姿勢が問われます。
 日本で、「広報」ということがはっきり意識されたのは、1960年代後半
から1970年代前半にかけて、昭和でいえば、昭和40年代の「公害」の
時期でした。
 水俣病から始まり、日本のあちこちで、企業の廃棄物によって重大な
健康被害が起きました。当時、日本の企業は、工場で生産した後の廃棄
物を処理もせず、無造作に捨てていました。工場廃液を川に流すものだ
から、日本中の川が、みな、汚染されました。東京の多摩川も、いまはき
れいになりましたが、公害が社会問題になっていた当時は、泥にまみれ、
悪臭を放っていました。 私は神戸生まれですが、当時、実家の近くの
川は、近所の染料工場が廃棄する染料で、毎日、青くなったり、黄色く
なったり、ひどいものでした。
 当時の企業や政府、自治体は、公害の実態や公害の原因を、できる
だけ隠そうとしてきました。
 都合の悪いことは隠して、乗り切ろう。
 いわゆる「組織防衛の広報」です。
 
 しかし、公害問題があまりに大きな広がりを見せ、公害の実態がどんど
ん明らかになり、公害の原因もすべて分かってきました。水俣病も、原因
は、企業が水銀を海に捨て、水銀を魚にたまってしまう。その魚を食べ
た人間が、体内にたまった水銀のため、激しい痛みに襲われ、死に至るのです。

 そうした悲惨な経験を積み、企業は、「組織防衛の広報」は意味がない
ことを知ります。
 公害問題のあと、先進的な組織では、広報の姿勢が変わり、なにか問
題が起きたら、隠さず、積極的に公表するというスタイルになってきまし
た。いわゆる「攻めの広報」です。

 これだけメディアが発達し、なんでも取材する。
 しかも、組織の内部の人が、「これはおかしいのではないか」ということ
を外部に告発するようになった。内部告発です。
 いまはもう、どんな組織でも、都合の悪いことを隠し通せるような時代で
はありません。

 どんなに隠しても、絶対に明らかになる。
いまどきの広報は、そう考えておかないと、もう広報になりません。

 ところが、森友、加計問題で、安倍内閣は、ほとんど、かつての公害問
題の企業広報のような「守りの広報」「組織防衛の広報」をしました。
 簡単にいえば、すべて、隠そうとしたのです。
 この問題が表面化したのは、昨年2017年の初めですが、当時の財務
省の佐川理財局長は、「交渉の文書は破棄しましたので、もう、ありませ
ん」と答弁しました。
 しかし、文書は、しっかり残っていて、つい先日、財務省がすべてを公
開しました。
 文書は、このブログでも読んで解説しておきましたが、なんということの
ない文書です。森友の籠池理事長が、国有地を買おうとし、値下げを迫
った。そのとき、安倍昭恵さんの名前をちらつかせた。財務省は、しつこ
い値下げ要求に負けて、値下げしてしまった。
 それだけのことです。
 初めに公開していれば、それで済んだ話です。
 しかも、財務省は、初め、原本に少し手を加え、修正した文書を公開し
ていました。これが、「公文書の改ざん」として、野党と朝日新聞から追及
されています。
 
 この文書を、森友学園の問題が表面化したときに、初めからスパッと公
表していれば、もう、それですべて済んでいた話です。
それを、しつこく追及され、1年がかりで、ようやく、今年になって、すべ
て公表したわけです。

 文書の内容は、別に、なんということもありません。
 むしろ、森友問題で、安倍内閣が信頼を失いつつあるのは、文書の内
容ではなく、文書を隠していたことや、文書を修正したこと、すなわち、問
題を隠そうとしたその姿勢のためです。
 この程度の文書を、どうして、隠そうとしたのか。
 その広報姿勢は、かつて、公害問題で企業が組織を守ろうとした「組
織防衛の広報」そのものです。
 この「広報姿勢」は、別の言葉、いまどきの言葉でいえば、「危機管理
です。安倍内閣の危機管理の能力は、相当にひどい、というわけです。

 加計学園でも、当時の首相秘書官が、獣医学部の新設を要請に来た愛媛県
の担当者に会ったことはないと話していました。ところが、最近になって、
愛媛県側で、職員が首相秘書官に会い、加計は「首相案件」といわれた
という記録が出てきました。
 これも、会っていたのなら、何も否定する必要は、まったくなかった
のです。会ってたなら、会いましたと言って、どこが悪かったのでしょう。
理解に苦しみます。

 今回の問題で、安倍内閣は、言ってみれば、1970年ごろの古い古い
広報の手法を取りました。しかし、時代は、もうすっかり変わっています。
簡単にいえば、安倍内閣は、まったくの時代遅れになってしまったので
す。
 こんな程度のことを、こんなに隠そうとするのなら、安全保障や、憲法
改正といったもっと大事なことで、安倍内閣は、もっと隠そうとするのでは
ないか。そういう不信感が、国民の間に芽生えたのではないかと思いま
す。もしそうだとすれば、安倍内閣は、苦しくなります。

 そんなことでドタバタしていると、今度は、防衛省で、派遣された自衛隊
の日誌が発見されました。稲田防衛相の時代に、この日誌は、もうなくな
ったとされていたものです。それが、いまになって、出てきたわけです。
 これも、森友学園で財務省の文書がなくなったとされたあと、やっぱり
ありました、というのと同じパターンです。
 自衛隊の日誌も、初めから、公表しておけば、少なくとも「隠していた」
ということは、問題になりません。

 政府は、やっぱり、都合の悪いことは、隠すんだ。
 国民がそう思ったとすれば、安倍内閣は、かなりの危機です。
 いや、都合の悪いことを本当に隠す政府だとすれば、政府自体が危う
くなります。
 また隠すのではないか。
 国民の多くがそう思ったとすれば、安倍内閣は危ないでしょう。


文書の書き換えは、財務省が「組織の論理」でやったものです・・・民主主義の根幹を揺らがせるというような話ではないと思います。

2018年04月09日 01時11分10秒 | 日記

 前回に続き、森友学園の話を取り上げます。
 この問題は、いろんな取り上げ方がありますが、とりあえず、い
ま問題になっているのは、財務省(近畿財務局)が、決裁文書を書
き換えたということです。では、決裁文書とは何かというと、財務
省(近畿財務局)が森友学園に国有地を小学校用地として売却した。
その交渉記録、売却価格などを記した文書のことです。
 その文書は、財務省として、省内の決済を受けた文書なので、役
所としては、最終の文書、決済文書なのです。
 その文書を、財務省(近畿財務局)が書き換えたというわけです。
 その経緯は、前回の当ブログで説明してありますので、詳細は、
そちらをご覧になっていただければと思います。

 さて、野党すなわち、立憲民主党、希望の党、民進党、共産党、
社民党と、朝日新聞は、決済文書の書き換えは民主主義の根幹を揺
るがすものだとして安倍内閣を厳しく批判し、安倍首相の退陣を迫
ります。
かつてアメリカのニクソン大統領が、辞任に追い込まれたウオー
ターゲート事件になぞらえて、野党は、これを、モリトモゲートな
どと呼んだりしています。

 でも、本当に、これは、民主主義の根幹に関わるような大事件な
のでしょうか。
あえて、異論を記しておきます。

 決裁文書の書き換えというのは、これは、財務省という官庁、官
僚組織の中で起きたことです。
 前回のブログでも触れましたが、安倍首相や麻生財務相が、財務
官僚に、文書の書き換えを命じたとは、ちょっと考えられません。
安部首相や麻生財務相は、書き換えを命じたことはないと、国会で、
繰り返し、述べています。証人喚問で国会に出てきた佐川前理財局
長も、首相や財務相から、文書の書き換えを指示されたことはない
と断言しました。
 もちろん、野党と朝日新聞は、それを信用せず、疑惑は深まった
としています。証人喚問で佐川局長が、首相や財務相から書き換え
を指示されたことはないと、あまりにはっきり証言したものですか
ら、そこだけはっきり答えるのはおかしいと、批判されるほどです。

 しかし、よく言われるように、「ない」ことを証明するのは、「悪
魔の証明」と呼ばれ、証明は不可能です。例えば小学校のクラスで、
だれかの鉛筆がなくなった。いじめっ子が、いつもいじめている子
供に、「お前だろう」という。いじめられている子供は身に覚えが
ないので、「ぼくじゃない」という。すると、いじめっ子は「じゃ
あ、取ってないという証拠を見せろ」という。それは不可能です。
それを言うなら、いじめっ子が、証拠を出さないといけません。

 文書の書き換え問題も、批判する側が、証拠を示さないといけな
いのです。国会論戦で、まことにおかしいのは、野党が、その証拠
を、全然出せないことです。それは怠慢というものです。野党には、
その証拠を見つけてくるだけの調査能力もないということでしょ
う。これまでも、結局のところ、野党は、新聞が書いたことを材料
に安倍内閣を批判しているだけであり、ちょっとはずかしいと思い
ます。朝日新聞も、さすがに、ちょっとネタ切れしてきました。す
ると、野党も安倍政権を追及できなくなります。

 そうなると、野党は困ってしまい、「疑惑はさらに深まった」とか
「国民は安倍内閣を信じていない」とか言うだけです。挙げ句の果ては、
民進党の代表など、「安倍首相はもう、首相をお譲りになってはいかが
ですか」という。
 これでは、安倍首相や麻生首相は、かちんときたり、むっと
したりするでしょうが、全然、怖くないでしょう。

 霞が関の官庁は、財務省、経済産業省、外務省、総務省、国土交
通省というところが、強力な官庁です。なかでも、国の予算を握っ
ている財務省は、最も強力な官庁です。
 実は、国会議員も、財務省には頭が上がらないところがあります。
かつて、もう亡くなった宮沢喜一氏は、蔵相のとき、不況対策とし
て、公共事業をたくさん積み増そうとしました。ところが、当時の
大蔵省は、省を挙げて、宮沢蔵相に反対したのです。公共事業を積
み増すには、国債を発行しなければなりません。国債を出せば、財
政赤字が増えます。だから、大蔵省の官僚は、宮沢蔵相に反対した
のです。
 このとき、宮沢蔵相は、厳しい顔をして、「どうも、大蔵省の諸
君は、私の言うことを聞いてくれませんなあ」とぼやいていました。

 そういう官庁ですから、今回、もし本当に首相や財務相から文書
の書き換えを指示されたとしても、たぶん、拒否したと思います。
私は、かつて、財務省を取材しており、それが、取材の実感です。
 では、どういう状況なら、書き換えるか。
 それは、書き換えの指示が、同じ財務省の省内からあった場合で
す。
 官庁の組織は、どこでも似たようなもので、財務省の場合、

 事務次官
 財務官
 官房長
 局長(主計局長、理財局長など)、近畿財務局長など地方局長
 審議官
 課長
 課長補佐
 係長
 一般職員

 という構造になります。
 別に、こんな構造は珍しいものではなく、民間企業でも同じよう
なものでしょう。

 ただし、この構造、見て分かるように、政治家が、どこにも入っ
ていないのです。
 事務次官の上に、政治家から選ばれる財務相がいて、財務相が財
務省のトップにいるのですが、しかし、財務省の官僚は、官僚だけ
の人事を作っているのです。それは、ほかの省庁も変わりません。
 ここに手を入れたのが、話題の内閣人事局なのですが、それは、
次の機会に述べることにし、いまは触れません。
 
 さて、事務次官を頂点としたヒエラルキーは、あくまで官僚だけ
で構成されるヒエラルキーです。
 もちろん、財務相がトップなのですが、官僚の心の中では、一番
偉いのは、事務次官なのです。
だから、財務省も経済産業省も、外務省も、官僚は、あくまでも
官僚組織の一員として動きます。
 官僚組織は、閉ざされた組織であって、政治の介入を嫌い、問題
やトラブルは、その組織の中だけで解決しようとします。
 ですから、森友学園の文書の書き換えという問題は、あくまで、
財務省という組織が、組織の問題として、実行したものです。
近畿財務局も財務省のヒエラルキーに組み込まれていますから、あ
くまで、財務省の一員として、動きます。

 さて、それで、どういうことが起きるでしょうか。
 今回、たまたま、自民党政権、安倍内閣で、文書の書き換えとい
う問題が起きました。だから、安倍内閣の責任だというのが、野党
や朝日新聞の立場です。
 しかし、これがかつての民主党政権のように、自民党以外の政党
が政権の座にあったとしても、財務省は、やはり、文書を書き換え
ただろう、ということです。
 それが、組織の論理、官僚組織の論理、役所の論理なのです。

 実際、かつての民主党政権の時代、厚労省の東北の組織で、文書
を書き換えたという事件がありました。当時の長妻厚労相は、弁明
に苦労していました。
 
 そうなのです。
 官庁、官僚には、官庁、官僚だけの組織の論理、官僚の論理があ
るのです。
 同じように、自民党、立憲民主党には、自民党、立憲民主党の組
織の論理、政党の論理があるのです。
 
 官僚の論理と、政党の論理は、それぞれ、別個のものとして、成
り立っています。
 官僚と政治家は、そこを、お互い、あうんの呼吸で認め合って、
仕事をしています。

 今回の森友学園の文書の書き換えは、財務省が、財務省という官
庁の「組織の論理」の中で、書き換えたものだと思います。自民党
政権ではなく、立憲民主党が政権を取っていたとしても、同じよう
な問題が起きたとき、財務省は財務省の論理として、文書を書き換
えたのではないでしょうか。
 組織として、組織防衛のためにやったのです。

 組織とは、そういうものです。
 これは、必ずしも、民主主義の根幹に関わるような性質のもので
はないのだろうと思います。