いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

半導体のエルピーダが倒産しました・・・これは日本経済の危機です。このままでいいはずがありません。

2012年02月28日 23時10分31秒 | 日記

 三洋電機が、こともあろうにパナソニックの手によって
ハイアールに切り売りされたとき、「ついにこの日が来ま
した」と書きました。

 きょう再び、「ついにこの日が来ました」と書かなけれ
ばなりません。

 半導体メーカーのエルピーダが、会社更生法の適用を申
請したのです。早い話が、倒産です。

 エルピーダが製造していたのは、半導体の中でも、DR
AMと呼ばれるメモリーでした。

 これによって、DRAMを製造する日本企業は事実上、
なくなってしまうかもしれません。

 エルピーダの倒産のほうが、三洋電機よりも衝撃は大き
いと思います。

 1980年代から90年代にかけて、日米半導体摩擦と
いう激しい日米摩擦がありました。
 当時、世界のDRAM市場を、日本企業が制覇してしま
ったのです。アメリカ市場も、日本企業が席巻します。
 NEC、富士通、東芝、日立、三菱電機、沖電気など、
日本のほとんどの電機メーカーがDRAM の製造に携わ
り、アメリカの半導体会社を駆逐してしまいます。
 DRAMはあらゆる電機製品で使われるため、産業のコ
メなどと呼ばれました。
 
 そしてなによりも、日本がDRAM市場を制覇したこと
によって、「電子立国」という言葉が生まれました。
 1980年代から90年代にかけて、日本は電子立国で
行くんだという機運が充ち満ちます。その「電子立国」の
中心として考えられていたのが、DRAMだったのです。

 80年代後半、ソニーの盛田昭夫さんと石原慎太郎氏の
共著で「NOと言える日本」という本が出ます。何に対し
てNOかというと、アメリカに対してNOです。

 貿易摩擦で日本に無理難題ばかりふっかけてくるアメリ
カに、断固、NOを言おうというわけです。
 その際、DRAMが念頭にあります。
 F-14トムキャットや、F-15イーグルは、アメリ
カが誇る最強の戦闘機ですが、いずれも、DRAMが大量
に使われています。そのDRAMを供給しているのは日本
の電機メーカーです。だから、日本の電機メーカーがDR
AMの供給を止めれば、F-14もF-15も、作ること
ができません。
 だから、アメリカが無理難題を言ってきたら、DRAM
を売りませんよという姿勢をちらつかせて、NOといおう
ーーというのです。
 
 日本製DRAMの品質の高さも、日本の技術の高さを示
すものとされていました。日本製のDRAMは1000個
作っても不良品は出ないが、アメリカ製のDRAMは10
00個のうち数十個も不良品が出るので、とても使えない
ーーというのです。

 当時、DRAMは、日本企業というより、日本経済の輝
かしい力の源泉、シンボルというイメージがありました。

 昔のことではありません。
 たかだか17,8年前のことです。

 日本の半導体メーカーは、90年代半ばから、韓国と台
湾のメーカーの急速な追い上げを受けます。
 DRAMは、常に新しいものを生産していかなければな
らず、多額の生産投資が求められます。しかし、韓国、台
湾勢が追い上げてきたころに、日本はバブルが崩壊し、日
本企業は、多額の投資をするだけの体力がなくなってしま
します。
その結果、日本の電機メーカーはDRAMの生産から次
々に撤退し、残ったNECと日立が、生き残りをかけてD
RAM部門を合体させて作った会社がエルピーダです。

 そのエルピーダが、とうとう、倒産したわけです。

 「電子立国」や「NOといえる日本」のバックボーンに
あったDRAMを作る会社が、とうとう、消えてなくなる
のです。

 実は、エルピーダは、再建に向けて、アメリカの半導体
会社マイクロン・テクノロジーに提携を打診していまし
た。
 倒産後、マイクロン社が、エルピーダの救済に入る可能
性も報じられています。
 この話も、「とうとうその日が」という話なのです。

 というのも、マイクロン・テクノロジーは、1980年
代、日米半導体摩擦のきっかけとなった会社なのです。マ
イクロン社は、80年代、日本の電機メーカーがアメリカ
市場に半導体をダンピング輸出しているとして、米政府に
訴えます。それが日米半導体摩擦のスタートになるのです。
 マイクロン社は、アイダホ州にある小さな半導体メーカ
ーで、訴えたものの、やがては、日本企業の攻勢に堪えき
れず、倒産するのではないかと見られていました。
 ところがどっこい、マイクロン社はしぶとく生き残り、
逆に、その日本企業を救済しようというのです。
 本当に分からないものです。

 あれだけ、世界に覇を唱えた日本の電機メーカー、半導
体メーカーが、それからたかだか10数年で、ここまで凋
落してしまうとは、考えもしませんでした。

世界のDRAM市場は、韓国のサムスン、やはり韓国の
ハイニックス、日本のエルピーダ、アメリカのマイクロン
・テクノノロジーの4社で、寡占状態となっています。
 エルピーダが撤退すれば、日本は、DRAMを海外メー
カーから輸入しないといけないことになります。

 こんなことは、80年代、90年代には、考えもしなか
ったことです。
 とんでもない事態になりました。

 日本企業、日本経済は、このまま凋落の道をたどるので
しょうか?
 それとも、この危機感をバネにして、ふたたび復活する
日も来るのでしょうか。

 非常に心配なことが、ひとつあります。
 それは、日本企業、日本経済のこれだけの危機に臨んで、
民主党政府から、ほとんどなんの反応も返ってこないこと
です。
 エルピーダは、政府資金で救済してもいいぐらいの大事
な企業です。
 野田首相の顔を見ていると、エルピーダの倒産の意味を
まったく分かってないのではないかと、本当に心配になり
ます。

 このままでいいはずがありません。
 奮起せよ、日本企業。
 奮起せよ、日本の企業人。







芸能人のできちゃった婚・・・ここにあるのは、プロ意識の欠如です。

2012年02月26日 23時46分25秒 | 日記

 タレントや芸能人、呼び方はいろいろありますが、テレ
ビや映画に出演するような人たちは、観客や聴衆、お客さ
んが夢を見ることのできるような、本来、そんな役割を
持っています。
 
 華やかな世界、日常ではない世界、そうしたものを、
お客さんは求めるのです。

 中村メイコさんが、親友だった美空ひばりさんのことを、
こんなふうに書いていたことがあります。
 ・・・その日、2人とも、長い仕事で、とても疲れてい
ました。私は、もうぐたーっとして、ソファーにひっくり
返ってしまいたい気分だったのに、隣りにいるひばりちゃ
んは、しゃんとした姿勢を取っています。
 私が「ねえ、ひばりちゃん、あなたも疲れたでしょう。
ちょっと寝っ転がりたいよね」と軽い気持ちで話しかけた
ら、ひばりちゃんは、きっとなって「メイコちゃん、私た
ちは、そんなことをしてはいけないの。夢を見てもらう商
売だから、いつもちゃんとしてないといけないのよ」と言
ったのです。
 私は自分が恥ずかしくなり、そしてまた、ああこれがプ
ロなんだと思って、感動しました・・・。

 最近は、芸能人の結婚ラッシュです。
 しかも、その多くが、子供が出来たからあわてて結婚す
るという「できちゃった婚」です。

 一番最近では、黒木メイサさんです。
 ちょっと前には、倖田來未さんがそうです。
 広末涼子さん、木村カエラさんもそうでした。

 なんだか、当たり前のようになってきましたが、中村メ
イコさん、美空ひばりさんの話と比較すると、プロ意識が
欠如していることは明白です。

 例えば、倖田來未さんは、歌手活動の中断を余儀なくさ
れます。プロとしての倖田來未さんの歌を好きだったと
いう人は数多くいるはずです。美空ひばりさんの言葉を借
りれば、「私たちは、夢を見てもらう商売だから、そんな
ことをしてはいけないのよ」ということになります。

 黒木メイサさんもそうでしょう。
 彼女は、若手の俳優として、期待されています。
 ただし、私は、個人的には、好きではありません。
 最近は、阿部寛さんの映画「麒麟の翼」に、新聞記者の
役柄で出ていました。
 しばらくは、映画にも出られなくなるでしょう。
 彼女はまだ23歳です。出産の機会は、これから先、十
二分にあるのに、いったい、何をしていたのでしょう。
 プロ意識がゼロだといわれてもしようがないでしょう。
 
 黒木メイサさんは、CMにもよく出ています。

 これは、文春か新潮だったかで指摘されていましたが、
CMに起用したスポンサー企業は、困ってしまいます。そ
れはそうでしょう。妊娠した黒木メイサさんというのは、
CMに起用したイメージとはまるで違ってしまうのですか
らね。

 どういうふうにすれば妊娠するのか、大人なのだから、
そんなことは、男も女も分かっているはずです。
 そんなことは、芸能人であるかどうか以前の問題です。

 芸能人やスポーツ選手だけがプロなのではありません。
 会社員も、当然、プロです。
 毎日の仕事を、だれもがみな、プロとしてこなし、そし
て、給料をもらうのです。
 どの人も、自分の所属する世界では、プロなのです。
 そして、プロの仕事を見るのは、楽しいものなのです。

 そういう目で見ると、できちゃった婚を発表する芸能人
たちは、プロとしての意識が欠如しているとしか、言いよ
うがありません。
 最近の芸能人のプロ意識の欠如は、目を覆わんばかりで
す。




民主党政権への失望・・・民主党はすっかり「保守」になりました。

2012年02月23日 13時56分22秒 | 日記

 2009年の総選挙は、戦後、日本で初めて本格的な政
権交代をもたらし、歴史的な転換点となりました。
 しかし、政権を取った民主党への期待は、少しずつ失望
に変わっていきました。
 次の総選挙では、民主党はたぶん、負けて、政権の座か
ら降りるでしょう。 
 せっかく政権交代を実現しながら、なにがおかしくなっ
たのか。

 「民主党の失敗」を、ひとつづつ、振り返っていきたい
と思います。
 今回は、第一回目です。

失敗の第一は、
 民主党は自民党といったいどこが違うのか?
 民主党は自民党と同じになってしまったのではないか。
 ――ということです。

 たとえば、「雰囲気」「立ち姿」です。
 きょうも国会論戦をやっていますが、答弁に立つ野田首
相から、新鮮な雰囲気、なにかしてくれそうな期待感、そ
ういったものが、全く伝わってきません。
 政権交代で、民主党には大きな期待が寄せられました。
 その期待に応えようという気概、意欲、そういったもの
が、野田首相からは、全然伝わってこないのです。

 これなら、自民党時代の首相の姿と、何も変わりません。
 
 戦後、日本には、長い間、保守と革新という言い方があ
りました。
 もちろん、保守は自民党です。
革新は社会党です。民社、共産、あるいは市民政党も革
新の一角にいましたが、革新の軸は社会党です。
自民党 対 社会党
保守  対 革新
この構図が、日本の政治の構図でした。

 1990年代に社会党が自然消滅するかのように姿を
消しました。
 2000年代になって、その代わりとして大きくなった
のが民主党です。
 その結果、
 保守と革新の対立という構図は、
 自民党と民主党の対立という構図になりました。

 そして、2009年8月の総選挙で、政権交代が実現し、
民主党が政権の座についたわけです。

 そこで問題が起きます。
 革新であった民主党は、政権に就いて、いったいどうな
るのか。
 政権に就いても「革新」であり続けることができるのか。

 いまの民主党を見ていると、とても「革新」のイメージ
ではありません。
 どんどん保守的になってきています。
 そう。
 民主党は、政権に就いた日から、少しづつ保守的になり、
いまはもう、日に日に保守化が進んでいるのです。
 それが、野田首相の姿に反映されてしまうのです。

 沖縄の普天間基地の移転問題で、いま、民主党政権の姿
を見ていると、沖縄県民のことは関係なく、とにかくしゃ
にむに既定路線を進めてしまおうという、ただそれだけで
す。
 昨年末に、政府が、沖縄県に出す書類の山を、宅急便会
社に配達させました。しかも、反対派がいない午前4時と
か午前5時とか、そんな時間に配達させたのです。
 こんなことは、自民党でさえ、しませんでした。
 もしいまが自民党政権だと仮定して、政府がそんなこと
をしたら、野党である民主党は、自民党を猛烈に批判し、
攻撃したでしょう。
 
 増税もそうです。
 財政再建が必要なことは、だれにでもわかる。
 しかし、野田首相は、どうして、それを丁寧に国民に説
明しないのでしょう。
 「いまやらないと大変なことになる」とか
 「党派を超えてやらなければならない」とか
 野田首相はいろいろ言いますが、野田首相の言い方は、
別に野田首相でなくても言えます。「いまやらないと大変
なことになる」というのは、自民党の麻生首相の言葉だと
してもおかしくありません。
 同じ増税をするにしても、納税者である国民が
 「ああ、民主党政権でよかったな」
 「野田首相でよかった」
 と思えるような説明、方法が、なぜできないのでしょう
か。
 増税についての野田首相の説明は、自民党の首相の説明
となにも変わらないのです。
 それなら、政権交代を実現した意味はどこにあったので
しょう。

 いまの民主党を「革新」と呼ぶわけにはいきません。
 「保守」そのものです。保守どころか、守旧派といった
ほうがいいかもしれませんね。

 しかし、では、野党の自民党を「革新」と呼んでいいか
というと、自民党のみなさん自身、「革新」といわれたら
困ってしまうでしょう。
 
 いまの政治状況は、日本から「革新」が消えてしまった
のです。
 もちろん、社民党や共産党はありますが、小さな勢力に
なってしまいました。
 
 与党・民主も、野党・自民も、どちらも、「革新」では
ないのです。

 革新という言葉は、戦後日本にあって、なにがしか、希
望や期待と同じ意味がありました。
 政府がおかしなことをしたら、批判し、正してくれる勢
力というイメージがありました。

 ところが、革新であったはずの民主が、もう、革新では
なくなってしまった。
 自民は革新ではない。
 
 もしかすると、いまの政治状況は、戦後日本にあって、
いちばん悪い政治状況のひとつなのかもしれません。





早大入試に都教委がうろたえる。君が代問題で・・・大学は沈黙せず、もっと発言するべきです。

2012年02月20日 15時19分45秒 | 日記

 君が代、日の丸に関する東京都教育委員会の強硬な姿
勢に対し、大学側がちょっとした一撃を加えました。都
教委は、この一撃に、うろたえています。
 社会問題に関して、日本の大学は発言しなくなってし
まいましたが、大学のこのちょっとした行動が、波紋を
呼んでいます。大変いいことです。
 日本の大学は、もっと発言しなければなりません。

 この大学は、早稲田大学です。


 早大の法学部は、2月15日の入試で、
 「入学式や卒業式で国歌を歌うとき、起立しなかっ
た教職員を処分するという強権的な姿勢が目立ってい
る」
 「教育には強制はふさわしくない」
 という文章を読ませたうえで、設問に答える問題を出
しました。

 この試験問題にある「強権的」とか「教育にはふさわ
しくない」という言い方に、東京都教委が、敏感に反応し
ました。
 具体的には、この入試問題を受けて、都教委は、都立
高校30校に対し、早大法学部の受験者数を調査してい
るのだそうです。

 いったい、都教委は、何を考えているのでしょう。
 早大法学部を受けた受験者数を調査して、どうすると
いうのでしょうか。早大、とくに法学部は危険思想(?)
に染まっているから、今後は、受験するなとでもいうの
でしょうか。
都教委が調査をしきたら、都立高の現場の先生たちは
「これは早大法学部は受けるなという圧力かな」と思っ
てもおかしくありません。
 都教委が、「調査」するという行為自体が、そういう
意味合いを持つのです。

 これはもう、思想・信条の自由への介入でしょう。

 そうかと思えば、都教委も腰が引けています。
読売新聞によれば、取材を受けた都教委は、調査の理
由を「問題を見た受験生や保護者が都教委の見解を求め
てくる可能性があるので、受験生の数を把握したほうが
いいと思った」と、まことに苦しい説明をしています。
 説明というより、ほとんど言い訳ですね。

 さらにまた、都教委は、
「問題自体に明らかな誤りがあるわけではないの
で、早大側に問い合わせをするつもりはない」
と答えたということです。

これを、へっぴり腰といわずして、なんというので
しょうか。早大の出題がおかしいと思えば、早大に抗議
すればいいのです。早大の問題は、国歌斉唱で起立を求
めるのは強権的とか、強制は教育にふさわしくないとか
書いてあるわけです。それは、都教委の姿勢を批判して
いるわけでしょう。
ところが、都教委は
「問題自体に明らかな誤りがあるわけではない」
というのです。

君が代で起立を求めるのは強権的だという表現は、
「明らかな誤りではない」ということになりますね。

なにしろ、「早大側に説明を求めるつもりはない」
というのですから、君が代・日の丸問題で、都立高の先
生に見せる厳しい態度とは、まるで違います。

早稲田大学が、入試問題で、ちょっとこういう問題
を出すだけで、都教委は、これほどまでに過敏に反応す
るのです。
 東京地裁の判決に対する反応よりも大きい反応です
よ。

これを見れば、大学は、もっと普段から、発言し、
行動するべきだということがよくわかります。
 大学の発言は、影響力があるのです。

それなのに、本当に、日本の大学は、発言しなくなりま
した。
君が代・日の丸問題にしても、どの大学も教育学部
を持っていて、自分の大学の学生に降りかかってくる問
題でしょう。

いや、たとえ教育学部を持っていなくても、大学は、
現実の社会問題、政治問題、経済問題に対し、もっとも
っと発言するべきです。
新聞やテレビからコメントを求められて、コメント
しているだけでは、発言するうちには入りません。

早大がちょっと入試に出せば、都教委はこれだけ反
応する。
「君が代・日の丸の起立強制を、大学はおかしいと
思っているんです」と、ひとこと言うだけで、それは、
都教委に対する強烈なプレッシャーになるのです。

大学は、なぜ、こうも発言しなくなってしまたたの
でしょうか。

 大学は、沈黙していてはいけません。
 沈黙していては、
「われらがひごろの抱負を知るや
進取の精神 学の独立」
が泣きます。





とうとうこの日が来ました・・・三洋電機を買収した中国のハイアールが本格的に日本進出です。

2012年02月17日 14時35分41秒 | 日記

 とうとう、この日が来ました。
 新聞各紙に、まるまるいちページを使った全面広告が出
ました。モデルは小泉今日子さんです。ファッションの広
告かと思えば、これが、
中国の家電メーカー ハイアール社
 の広告なのです。

 冷蔵庫の広告でした。
 ブランド名は、アクア といいます。


 実は、つい最近まで、これは、三洋電機でした。
 三洋電機は経営不振に陥り、パナソニックによって買収
されました。
 しかし、三洋電機とパナソニックは、重なる商品が非常
に多いのです。冷蔵庫、洗濯機のいわゆる白もの家電がそ
うです。テレビもそうです。電気掃除機、デジタルカメラ
もそうです。充電式の乾電池もそうです。
 むしろ、重なっていない商品を探したほうが早いぐらい
です。

その結果、パナソニックは、三洋電機を買収したあと、
重なった部分を、中国の家電メーカーであるハイアールに
売却したのです。
重なった部分が非常に多いので、結局のところ、これ
は、三洋電機の主力部門を、そのままハイアールに売り払
ったのと同じことになります。

単純にいえば、三洋電機は、パナソニックを通じて、
中国企業に売却されたようなものです。
大きな疑問は、パナソニックの経営陣は、いったい、
何を考えていたのかということです。
本当におかしい。

三洋の主力部門を買収したハイアールは、早速、三洋
の冷蔵庫を、日本市場に投入してきました。
それが、小泉今日子さんを起用した新聞の大広告です。

ハイアールが使う「アクア」というブランド名も、も
ともとは、三洋電機が自ら開発したブランドです。
この「アクア」は、きっと、それなりのシェアを取る
でしょう。
なんのことはない。
パナソニックは、自分で自分の首を絞めているのです。
経営陣の責任は大きいでしょう。

これなら、三洋電機を買収する必要はなかったという
ことになります。
三洋電機も、もう少し、自分でがんばれなかったのだ
ろうかと、非常に残念です。

しかし、とうとうこの日が来たーーというのは、別の
意味があります。
長い間、世界市場で大きなシェアを持ち、世界市場の
トップであり続けた日本の電機メーカーが、とうとう、
中国企業の傘下に入ってしまったということです。

日本の電機メーカー、家電メーカーは、自動車企業と
ともに、戦後、一貫して、日本経済を牽引してきました。
電機と自動車は、日本経済のクリーンアップ、3番と
4番です。
 それが、とうとう、中国の軍門に下ったわけです。

 しかし、実は、日本企業は、1970年代、80年
代に、アメリカで同じようなことをしてきました。
 日本の家電メーカーのお家芸だったカラーテレビ
は、日本企業の技術者たちが、戦後、アメリカの電機メー
カーであるRCAに留学し、その技術を学んできたのです。
学んできた技術でカラーテレビを作り、日本の電機メ
ーカーは1980年代にはアメリカ市場を制覇してしま
いました。先生役だったRCAはフランスの企業に売却さ
れていきました。
いま、アメリカ企業で、テレビを作っている企業はひ
とつもありません。

今回のハイアールは、当時のアメリカ市場における日
本企業とそっくりです。
日本の家庭に、中国製の冷蔵庫や洗濯機が入り込む日
が、とうとう、やってきました。
日本経済は、今後、どう進んでいくべきか。
引くに引けない正念場を迎えたようです。日本人は覚
悟しなければなりません。



国会議員は減らすべきではありません・・・国会議員は私たちの代表です。官僚とは違います。

2012年02月14日 16時58分23秒 | 日記

 国会議員を減らせという議論があちこちでされていま
す。民主党も自民党も、議員の削減そのものは、しなくて
はいけないと考えているようです。

 しかし、ちょっと待て。
 国会議員を削減するなんて、とんでもないことです。

 国会議員を削減せよという人は、国会議員と中央官庁の
官僚とを混同しています。

 国会議員は、私たち自身が選挙で投票し、「私たちの代
表として頼むぞ」「頼んだぞ」といって、国会に送り出し
たのです。

 国会議員は、私たち国民の代表として、国会に出て行き、
そこで、政策を決めているのです。
 国会議員を減らせというのは、私たち自身の代表を減ら
せというのと同じなんですよ。
 いってみれば、国政において、私たち自身の存在を小さ
くするということなのです。
 そんなことがあってはならないことです。
 むしろ、私たちの代表である国会議員は、もっと強化し
てもいいぐらいです。

この人も、私たちが「頼むぞ」といって国会に送り出した
私たちの代表なのです。

 本当に減らすべきなのは、中央省庁の官僚なのです。
 マスコミ、とくにテレビで、「議員や官僚は」というふ
うに、議員と官僚をいっしょくたにして言い表します。
これが間違いのもとでもあります。
 官僚は、私たち国民が、税金で給料を支払っていおり、
私たち国民にとっては、「使用人」です。
 言い換えれば、私たち国民が「雇用者」であり、官僚は
ただの「被雇用者」です。
 財務省の事務次官といえども、それは同じことです。
 彼らは、私たち国民からみれば、「被雇用者」にすぎま
せん。

 国会議員も税金で給料を払っている?
 それはその通りです。
 しかし、国会議員は、私たちの「代表」です。
 官僚は、私たちの「使用人」「被雇用者」です。
 そこは、決定的に違うのです。
 その違いは、決定的なのです。
 国会議員を削減せよという人は、そこが分かっていない。

 国会議員の人数はどのぐらいでしょうか。
 衆議院が480人、参議院が242人で、
 合計722人です。
 たった722人ですよ。
 私たちの日本は、いま1億2000万人の国民がいます。
 その1億2000万人の代表として、私たちが国会に送
り出している人数、つまり議員が、たった722人なので
す。

 では、一方の官僚はどのぐらいいるでしょうか。
 国家公務員は、94万人です。
 国会議員とは、まるでケタが違うでしょう。
 94万人のうち、自衛隊などの特別職が30万人で、い
わゆる事務職の「役人」は64万人です。
 それとは別に、県や市の地方公務員が304万人います。     
 これもまた、ケタが違います。

 財政赤字の改善ということでいえば、たかだか722人
の国会議員を減らしたところで、たいした影響はありませ
ん。
 財政への影響というのであれば、94万人の国家公務員
を減らしたほうが、はるかに効果があるでしょう。それは、
だれにでも、簡単にわかることです。
 あるいは、もしかすると、304万人の地方公務員を減
らしたほうが、もっと効果があります。

 国会議員を減らせという議論が強くなれば、反比例のよ
うにして、公務員を減らせという議論が弱くなります。
 国会議員を減らせという議論で、いちばん喜ぶのは、公
務員です。

 いま、国会議員を減らせという議論が起きるのは、現在
の国会の状況を見ていて、「議員は何もしていない」「政治
は何をしているんだ」という怒りの気持ちが、私たち国民
にあるからです。
 議員への懲罰のような感じがあるのでしょう。
 しかし、繰り返し言いますが、国会議員は、私たちの代
表として、私たちが国会の場に送り出したのです。
 
 極論として、国会議員をゼロにするとしましょう。
 そうすると、94万人の国家公務員だけが残ります。
 この公務員の雇い主は、私たちです。
 しかし、その94万人を、私たちは、いったい、どう使
いますか?
 本来、国会議員は、私たちの代表として、公務員を使う
のです。

 まず減らすのは、公務員です。
 国会議員と公務員・官僚は、全然別の存在です。
 それを分かってほしいと思います。
 



ローザンヌの優勝・・・素晴らしい快挙です。でも、書かずばなるまいということがあります。

2012年02月09日 11時26分07秒 | 日記

ローザンヌ国際バレエコンクールで高校2年生の菅井円加
さんが優勝しました。
 素晴らしいですね。
 日本経済が長く低迷する中、女子サッカーや、テニスの錦
織選手、そしてバレエの菅井さんと、スポーツや芸術、文化の
面では、日本人の活躍が目立ちます。本当にうれしいことです。
 しかし、ひとつだけ、指摘しておきたいことがあります。
 めでたいことなので、書くのをためらうのですが、ここは、書
かずばなるまいと思いました。
 「与える」です。

 菅井さんは、受賞後の記者会見で、今後の抱負を聞かれ、
 「バレエで感動を与えたい」
 「感動を与えるようなバレエをしたい」
 と答えているのです。
 このブログでたびたび指摘してきた「勇気を与える」というあ
の言い方です。
 菅井さん本人は、決して、上から目線で言ったわけではない
と思います。
 何気なくつかった言い回しだと思います。
 でも、だからこそ、この「与える」という言い方が、こんなに広
がってしまったのかと、気になるのです。
 菅井さんは「子供のころから、バレエをするのが楽しかった」
と話しています。
 そうです。
 それこそが、彼女がバレエをする原動力であり、ローザンヌ
で優勝をもたらした力です。
 それが素直な気持ちなのです。
 彼女は「バレエで人に感動を与えよう」と思ってバレエを始め
たのではないでしょう。
 いまも、バレエを踊るとき、「バレエで人に感動を与えよう」と
思って踊っているわけではないでしょう。
 豊かな才能、その才能を裏打ちする厳しい練習、そして、才
能と練習がもたらす菅井さんのバレエーー私たちは、それに
感動するのです。
 踊りだす前に「人に感動を与えよう」と思って踊りだすバレリ
ーナって、いるでしょうか?
 誤解されると困りますが、けなしているのではありません。

 ローザンヌでの優勝は、快挙です。
 心から、お祝します。
 しかし、まだ高校生のバレリーナが、「感動を与えたい」という
のを聞くと、画竜点睛を欠くという感じが拭えないのです。
 こんな言い方が定着しないように祈ります。 






沖縄防衛局長の「講話」問題・・・官僚機構は、政治とは別に独自に存在します。その構造は強固です。

2012年02月06日 02時31分11秒 | 日記

 普天間基地を抱える宜野湾市の市長選に際し、沖縄防衛
局の真部局長が、職員とその家族、親戚に、選挙に行くよ
う「講話」したという話は、日本政府に内在する根深い問題
を、改めて、示してみせました。
 それは、政治とは別個に存在する官僚機構の問題です。

 真部局長が「講話」したということが明らかにされて、
民主党の田中防衛相は窮地に陥っています。防衛相だけで
はなく、民主党政権がかなり厳しい状況に置かれています。


 しかし、野党・自民党が、この問題で民主党を攻撃する
矛先が、どこか鈍いのです。
 鈍いというより、攻撃を控えているようなところがあり
ます。

 なぜなら、沖縄防衛局の局長が、選挙にあたって、職員
向けに「講話」するのは、少なくとも5年前から続いてい
たことが分かったからです。
そう。
 5年前というのは、まだ、自民党政権、自民・公明の連
立政権のときです。
 
 なんのことはない。
 自民党は、この問題で民主党を攻撃すれば、その火の粉
が自分自身に降りかかってくるのです。

 これを、いったい、どう考えればいいのでしょうか。

 答えは、ひとつ。
 官僚機構というものは、政党、政治とは関係なく、官僚
機構として独立した意識を持ち、独立した行動をするーー
ということです。

 この局長は、普天間基地の移転で、防衛省に都合の良い
政策をとってくれる候補者を推したかったのです。
 もっといえば、防衛省に都合のいい政策をとってくれる
候補者であれば、民主党でも、自民党でも、どちらでもよ
かったのです。

 これまでの日本の政治の図式でいえば、普天間基地で、
なりふり構わず、米軍との約束を果たそうとするのが自民
党で、それを阻止しようとするのが民主党でした。

 ところが、いまは、それが逆になっています。
 民主党が、普天間基地の移転をめぐる米軍との約束をし
ゃにむに果たそうとし、それを、自民党が批判する。
 まことにおかしな構図が出現してしまいました。

 日本では、戦後長い間、「保守」と「革新」という言葉
がありました。もちろん、自民党が保守、社会党が革新で
す。社会党の流れをくむのは、本来、社民党です。しかし、
社民党は弱小政党になってしまったので、実態としては、
民主党が「革新」でした。

 しかし、いまや、民主党が「保守」です。
 とくに、沖縄の基地問題では、民主党は、保守そのもの
です。もはや、自民党以上の保守でしょう。
 民主党に夢をつないできた人々は、がっかりしているこ
とでしょう。

 政党、政治のそうした皮肉な混乱、収拾のつかない混沌
とした状況を、しかし、冷酷に眺めている集団がありまし
た。
 それが、官僚機構です。

 沖縄防衛局の歴代の局長は、自民党政権であろうが、民
主党政権であろうが、防衛省のやりたいことを実現してく
れる政党を支持してきたのです。ーーそれが、今回の局長
の「講話」問題で、明らかになってしまいました。

 官僚は、確信犯です。
 この局長は、国会に召還されて、与野党の議員からいろ
いろと質問を受けました。
 しかし、この局長は、質問にたいし、ただの一回も、お
わびをいいませんでした。

 局長は「反省している」と言いましたが、
 「申し訳ない」と言ったのは田中防衛相でした。

 自民党がこのまま攻撃を続け、田中防衛相がこの局長を
更迭すると、どうなるのでしょうか。
 田中防衛相は、開き直って、
 「局長を更迭しますが、でも、局長の講話というものは、
自民党政権のころから続いていたものです。局長講話を始
めたのは、民主党ではなく、自民党政権なんですよ」
 といえばいいのです。

 そうすると、自民党も、困ってしまいます。
 振り上げた拳を降ろす場がなくなってしまいます。

 民主党も自民党も、お互い、行き詰まってしまうのです。
 身動きの取れない政党同士を横目に、官僚機構は、した
たかに存在を見せつけるのです。

 今回の問題は、官僚機構のしたたかさを、もののみごと
に示しました。
 この最強の機構と、どう向き合うのか。
それは、民主党にとっても、自民党にとっても、避ける
ことのできない第一級の難問なのです。



田中防衛相と国会・・・防衛相を笑いものにするだけの質問は聞いている国民も嫌になります。

2012年02月04日 01時25分52秒 | 日記

 この国会の質疑は、いったい、なんなのでしょう。
 揚げ足取りの質問で、閣僚を困らせる。
 困る閣僚も弱ったものですが、質問するほうも質問する
ほうです。
 なんの生産性もありません。
 ひどいものです。

 沖縄防衛局の真部局長が宜野湾市の市長選に際し、職員
とその家族、親戚のリストを作らせ、選挙に行くよう「講
話」していたことが発覚しました。
 そのため、真部局長はもちろんですが、田中直紀・防衛
相も、野党からの批判の集中攻撃を受けています。
 
 この局長は、講話とやらで、市長選の候補者の主張の違
いを説明し、そのうえで、投票に行くよう、呼びかけてい
たのです。
 それは、どうエクスキューズしようと、防衛省に都合の
いい候補者に投票してくれーーということです。
 
 ですから、田中防衛相と真部局長が批判のを受けるのは、
しようがありません。

 しかし、田中防衛相への批判の仕方が、陰湿なのです。

 自民党の山谷えり子議員は、田中防衛相に、
 「アフリカに出ている自衛隊を警護しているのは、だれ
か」
 と質問しました。
 答えは、バングラデシュなのですが、田中防衛相は答え
ることができませんでした。

 もちろん、知らなかった防衛相が悪い。
 しかし、いまここで、アフリカに出ている自衛隊を警護
するのはだれかと質問して、いったい、どうなるというの
でしょう。
 山谷議員は、田中防衛相が答えられないのを見越して、
こんな質問をしているのです。

 田中氏が、人のよさそうな顔でおわびするのを見ながら、
山谷議員は、「してやったり」の「どや顔」をしていまし
た。
 こういうのを、「ためにする質問」といいます。
 日本という国にとって、この質問は、まったく何に意味
もありません。

 自民党ではありませんが、照屋議員は、田中防衛相に、
 「硫黄島は、防衛省では、なんと呼ぶのか。いおうじま
かいとうとうか?」
 と質問しました。

 それが、今回の沖縄の問題と、どう関係があるというの
でしょう。
 ただただ、田中防衛相を困らせてやろうと、わかりにく
い質問をしただけのことでしょう。
 田中防衛相に防衛省の官僚がメモを渡そうとすると、照
屋議員は、
 「役人はメモを渡すな! 大臣が自分で答えろ」
 と迫りました。
 
 なさけないですね。
 これは、ただのいじめでしょう。

 いおうじまでも、いおうとうでも、どちらでもいいじゃ
ないですか。
 そもそも、私たちの国、日本も、にほん という読み方
と、にっぽん という読み方の両方があり、どちらも同じ
ように使われているのです。どちらが正解というものでは
ありません。
 硫黄島を、「あわじしま」とか「さどがしま」と読めば、
それはさすがに問題でしょうけれども、「いおうとう」と
読もうが、「いおうじま」と読もうが、何の問題があると
いうのでしょう。

 これも、田中防衛相を困らせようと思って出した質問に
すぎません。

 こんなこと、国会でやる話ではありません。

 きょうは、自民党の石破・元防衛相が、田中防衛相に、
憲法9条論議をふっかけていました。
 石破氏は、田中防衛相に
 「自衛隊は、憲法9条のどの部分で、合憲なのか、教え
てください」
 と質問したのです。

 憲法9条は、ものすごく大事な問題ですが、しかし、い
まここで、それを質問して、いったい、どうなるとうので
しょうか。
 今回の沖縄防衛局の問題が、憲法9条に関係するとは、
なかなか思えません。

 田中防衛相は、この質問に、一生懸命答えていました。
 しかし、石破氏は、田中防衛相がどう答えても満足せず、
結局、自分で田中防衛相に対して、解説していました。

 なんなんでしょう、これは。

 もちろん、原因を作ったのは、田中防衛相であり、真部
局長です。
 しかし、自民党と野党がしている質問は、それにはまっ
たく関係がなく、ただただ、田中防衛相を困らせてやろう
という、それだけの質問です。

 この質疑で、国会で防衛に関する議論が戦わされ、防衛
に関する認識が高まったでしょうか?
 とんでもない。

 ただ、田中防衛相を笑いものにしただけのことでしょう。

 なんと、後味の悪い、陰湿な質疑だったことでしょう。
 山谷さん、照屋さん、石破さん、
 あなたたちは、そんな質問をして、恥ずかしくないです
か。

 私は、田中防衛相、真部局長をかばおうとしているので
はありません。原因を作ったのは、この人たちです。

 しかし、知識のない防衛相を、ただ笑いものにするだけ
の質問は、聞いている国民が、なさけなくなります。
 国民は、こんな質問を聞くために、議員に投票したわけ
ではないのです。

 こんな質疑をして、国会は、空転します。
 いま、私たちの日本は、そんな空転が許されるような余
裕は、もうないのです。

 国会議員のみなさん。
 もういい加減、目をさましませんか。




「恵方巻き」への疑問・・・する地域もあるし、しない地域もある、ということですね。ただし、最近は、イベント化してしまいました。

2012年02月01日 11時27分15秒 | 日記

 きょうから2月です。
 2月4日の土曜日は、もう、立春です。
 
 去年、このブログを始めたばかりのころ、一度書いたの
ですが、気になるので、また書いておきます。
 立春の「恵方巻き」とやらのことです。
 
 きょうもテレビで、
 「立春というと恵方巻きです。
 恵方巻きは、関西の習慣で、その年のめでたい方角、恵
方を向いて、太巻き寿司を食べるというものです」
 と、解説していました。

 しかし、これは、恵方巻きというものを、一般化しすぎています。

 私は、神戸生まれで、大学に入るまで神戸で育ち、神戸、大阪、京都
のことはよく知っていますが、周囲で、恵方巻きというものを見たこと
はなかったのです。
 恵方巻きという言葉そのものも、聞いたことがありませんでした。

 私の祖母は、神戸で、明治に生まれました。もう他界し
ましたが、まさしく「明治の女」でした。
 どう「明治の女」かというと、神様、仏様を大事にし、
習俗・風習はしっかり実践するのです。
 お正月には、盛大に、お節料理を作ります。
 ひなまつりもやります。
 京都の神社やお寺には、なにかあると、必ずお参りして
いました。
 その祖母が、ただの一度も、「恵方巻き」というものを
やったことがありません。
 恵方巻きという言葉も言わなければ、立春に太巻き寿司
を食べたこともありません。
 ご近所さんを見ても、立春に太巻き寿司を食べるなどと
いうことはありませんでした。
 
 当時は、もちろんまだコンビニなどというものはなく、
駅前の市場や商店街がにぎわっていたころです。市場や商
店街は、当然、なにか行事があると、それに関連した食べ
物や商品を売り出します。しかし、神戸の市場や商店街で、
立春にお寿司を売り出す風景などは、見たことがありません。

 本当に恵方巻きというものがあって、関西が本場だとい
うのなら、当時、関西のテレビ局は、立春になると、ここ
ぞとばかり、恵方巻きのCMを流したでしょうが、しかし、
そんなCMを見た記憶もありません。

 恵方巻きというものを見始めたのは、ここ20年のことでは
ないでしょうか。
 私自身、神戸にいるころは、恵方巻きという言葉を聞いたこと
がなく、この20年ほど、コンビニで、恵方巻きの広告を見るように
なって、初めて、恵方巻きという言葉を知りました。
 最近は、デパートの地下でも、見るようになりました。
 そして、テレビの朝のワイドショーです。

 だいたい、恵方って、だれがどうやって決めるのでしょう?
 神戸、大阪、京都で、かつて、そんなに方角のことは気
にすることもなかったと思います。
 北枕はいけないとか、そういうことはありましたが、こ
の方向がいいとか悪いとか、そんなことを言う大人たちは
いなかったのではないでしょうか。私の祖母も、そんなこ
とを言ってはいませんでした。
 恵方巻きは、立春にイベントを作って、商品を売りたい
流通業界や食品業界が、意図的に仕立て上げた「架空の風
習」のように思えるのです。
 
 ーーというブログを書くと、
 ・ いや、関西にもあった。
 ・ 子供のころ、家族で太巻き寿司を食べた。
 ・ 昔から、今年の恵方に向かって寿司を食べた
 ーーというコメントをたくさんいだできます。

 しかし、その一方で、
 ・ その通り。私もそんな習慣、知らなかった。
 ・ 東海地方では恵方巻きはなかった。
 ーーというようなコメントもいただきます。

 総合すると、恵方巻きは、各地にある習慣のようです。
 といって、全国どこででもやっているという習慣でもないようです。

 今年(2020年)は、農水省が、恵方巻きで大量の売れのこし
が出ることを心配し、コンビニやデパートに、適量の販売を
要請しました。
 そんなことに政府が首を突っ込むことでもないように思いますが、
まあ、それだけ、最近はイベント化しているということなの
でしょう。

 餅つきのような全国どこにでも昔からある習慣なら、食べ残しを
心配するようなこともないでしょう。
 政府が食べ残しを心配するというのも、大きなお世話ですが、まあ、
それだけ、イベント化してしまったということなのでしょう。
 餅つきで、農水省が、餅をつきすぎないでくださいと心配した
というような話は聞いたことがありませんから。

 結論からいうと、恵方巻きは、する地域もあるし、しない地域も
ある、ということのようです。
 最近は、イベント化しているということなのでしょう。