いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

中国と領土的野心・・・社会主義国が帝国主義国になってしまうとは、本当に皮肉です。

2012年08月28日 14時01分06秒 | 日記

 領土をめぐる中国の姿勢を見ていて、非常に皮肉なのは、
中国が、社会主義、共産主義を標ぼうしている国であるこ
とです。
 
 社会主義は、いうまでもなく、マルクスが理論的根拠を
作りました。
 元来、しいたげられた人々、弱い立場の人々のためとい
うのが、社会主義の理念の根幹としてあります。
 かつて、日本でも、60年代、70年代の学生運動の時
代には、社会主義が、目指すもののひとつとして語られて
いました。

 中国も、第二次大戦後、元来は、そういう理念で建国さ
れたはずです。

 ところが、現実の中国は、周辺諸国や弱い立場の人々を、
みずから、しいたげる国家となっています。

 尖閣諸島や西沙諸島だけではありません。
 チベットもそうです。
 中国は、海と内陸と、両方で領土に対する野心を示して
います。

 西沙諸島(パラセル諸島)の領有権をめぐっては、中国
とベトナムの間で、軍事的な緊張を生んでいます。
 中国とベトナムの両方とも社会主義国であり、これなど
は、社会主義国同士の争いです。

 もうひとつの社会主義の大国といえば、旧ソ連でした。
 旧ソ連も、領土的な野心を持ち、帝国主義国家でした。

 ついでにいえば、北朝鮮も、社会主義を標ぼうしていま
す。

 社会主義は、弱い立場の人々のためということを掲げた
ため、ある時代、強い支持を得ました。
 その社会主義を標ぼうする国が、そろいもそろって、帝
国主義的な国になるとは、皮肉なことです。

(本日は、このすぐ次に、もう一本あります)。





武力衝突・・・最後は核武装にまでエスカレートします。これは避けなければなりません。

2012年08月28日 01時18分45秒 | 日記

 尖閣諸島で、中国に対して強硬な姿勢を取るのは、誤解
を恐れずにいえば、間違いなく、気持ちのいいものです。

 ただし、強硬な姿勢を取り続けた場合、いずれ、どこか
で武力衝突に発展してしまう可能性を考えておかなければ
なりません。

 もし、日本と中国が、武力衝突、そして、軍事衝突をし
てしまったら、どうなるのでしょうか。

 防衛大学の関係者に、
 「あってはいけないことですし、あくまでシミュレーシ
ョンとしての話ですが、日本と中国が、いま戦わざるをえ
ないとしたら、どちらが勝ちますか」
 と聞いたことがあります。
2010年、中国漁船が尖閣諸島に近づき、海上保安庁
の船に体当たりしたときのことです。

 この人の答えは、次のようなものでした。
 「日本も相当強いので、通常兵器の戦いなら、いい勝負
でしょう」
 なるほど。

 「しかし、中国は、核兵器を持っています。
  中国が、核ミサイルを使うということを言えば、その
時点で、話は終わります」
 
 そうなんです。
 結局、核兵器を持っているほうが勝つということになっ
てしまうのです。

 そうなると、必ず、
 「じゃあ、日本も核武装すればいいんじゃないか」
 という声が出てきます。

 武力衝突ということ想定し始めると、最後は、核武装に
まで行き着いてしまうのです。

 原子力発電所をなくそうという議論が、国民的に起きて
いる現在の日本で、「核武装」というのは、あまりにシュ
ールで、非現実的な話です。

 武力衝突は、エスカレートします。
 行き着くところは、核兵器です。
 ですから、武力衝突は、避けなければなりません。

 中国に対する強硬論は、間違いなく、気分がすっきりし
ます。
 しかし、強硬論は、その行き着く先を、考えておかなけ
ればなりません。
 最後は核武装の話になりかねないのです。
強硬論の危うさは、ひとつには、そこにあります。





尖閣諸島と日本、中国・・・中国は「遅れてきた帝国主義国家」です。

2012年08月24日 17時00分04秒 | 日記

 領土をめぐる最近の中国の動きは、簡単にいえば、「帝
国主義」です。
 領土的な野心に燃えた国を、帝国主義国と呼ぶのです。
 
北方領土をめぐるロシアの動きも、やはり、帝国主義的
というべきでしょう。

歴史上、「帝国主義の時代」というのは、19世紀後半
から第一次世界大戦までーーということになります。その
時代が、第二次世界大戦まで続くわけです。
帝国主義の時代の最大の特徴は、領土的な野望です。

主役は、当時の欧州列強です。
イギリス、フランス、オランダが、アジア、そして、ア
フリカに次々に進出して、領土を広げました。
遅れて、ドイツとロシアも領土拡張に乗り出しました。
そのさい、領土を拡張する手段は、武力であり、軍隊で
す。軍事力です。
当時のアジア、アフリカ諸国は、欧州に対抗できるよう
な軍事力を持っていません。
それを、欧州諸国は、軍事力で次々に征服していったわ
けです。
そうした中で、日本はよく独立を保ったものです。

二度の世界大戦は、そうした領土的野望の衝突によって
起きました。
お互いに領土的野望を押し通すと、結局のところ、武力
衝突になってしまいます。
どちらが強いかやってみようじゃないか。
そして、勝ったほうが、領土を制圧する。
弱肉強食の、それが、帝国主義です。

二度の世界大戦で、戦争の悲惨さを身にしみて知り、欧
米諸国は、領土的野望がいかに馬鹿げたものであるかを、
経験として学びました。
日本も同様です。

この経験と反省を踏まえ、第二次大戦後は、日本も欧州
もアメリカも、領土的野望を持たないようになりました。 
武力による領土拡張というものは、日本、アメリカ、欧
州諸国に関する限り、第二次大戦後は、見られなくなりま
した。

帝国主義の時代は終わったと、多くの人が、そう思って
いました。

しかし、いまの中国を見ていると、これはほどんど帝国
主義です。

尖閣諸島だけではありません。

中国は、南沙諸島(スプラトリー諸島)、西沙諸島(パ
ラセル諸島)の領有権を主張して、軍隊まで配備してしま
いました。


しかし、地図で見るとすぐわかりますが、西沙諸島はベ
トナムとフィリピンの間に位置し、これを中国領というの
は無理でしょう。無茶です。
南沙諸島となると、もっとすごくて、フィリピンよりさ
らに南、もうマレーシアやブルネイの沖です。
これのどこをどう見れば、中国領になるのでしょう。
ベトナムやフィリピン、マレーシアが怒るのは当然です。

これを領土的野望といわずして、何と呼びますか。

領土に関する中国の動きは、19世紀後半から20世紀
にかけて、「帝国主義の時代」に欧州諸国が取っていた動
きと同じです。

尖閣を機に中国で燃え上がる反日のデモを見ていると、
ほとんど、帝国主義国家であるかのようなスローガンを掲
げています。
たとえば、デモ隊は、
「どんな小さな領土でも中国の領土だ」
「一片の領土も譲らない」
と叫んでいます。
「日本の軍国主義は許さない」
というスローガンも出ていましたが、これはもう、ほと
んどブラック・ジョークです。
「中華帝国」というスローガンまで飛び出したそうです
から、そうなると、ジョークではすみません。

いまの中国をひとことでいえば、
「遅れてきた帝国主義国家」
です。
二度の世界大戦で、欧州、アメリカ、日本が、帝国主義
国家であることをやめました。
いま、日米欧の諸国で、軍事力をもって自国の領土を拡
張しようという国は、もうありません。
それだけに、かえって、
「帝国主義・中国」
にどう対応すればいいのか、戸惑ってしまうのです。

もし、日米欧が、いまも帝国主義国家なら、尖閣諸島や
パラセル諸島、スプラトリー諸島で、とっくに中国との間
で軍事衝突が起きていると思います。
それをせずにすんでいるのが、二度の世界大戦で得た人
類の経験であり、知恵であり、財産です。
とにかく、武力衝突だけは避けなければなりません。

日米欧が帝国主義国家であることをやめたあとに、中国
は、遅れてきた帝国主義国家として登場しました。
中国への対応が難しいのは、それが大きな原因となって
います。
中国は帝国主義国家だとして認識するのが、まず、第一
でしょう。
そして、最終的には、中国に、帝国主義国家であること
をやめてもらわなければなりません。

日米欧は、それを、21世紀の大きなテーマと見定めて、
真剣に取り組む必要があるのではないでしょうか。







竹島と日本・・・韓国の大統領が言及した「日本の国際的影響力」とはなんでしょうか。

2012年08月23日 14時44分54秒 | 日記

 今回の竹島上陸に際し、韓国の李明博大統領が
 「日本の国際的影響力も、低下しでいる」
 と発言しました。

 日本の国際的影響力が低下しているいまなら、竹島に上
陸しても、日本は何もできないーーと、そういう言い方で
す。

(外務省のパンフレットから)

 しかし、日本には、もともと、国際的な影響力があった
のでしょうか?

 結論を先にいえば、日本は、政治的には国際的な影響力
はほとんどありませんでした。
 しかし、経済的にはかなり強力な影響力がありました。

 1980年代、90年代、とくに1985年ごろから95年
ごろまでの10年間は、日本経済は強い力を持ち、世
界の国が日本に注目していました。
 そして、経済的な影響力が強いので、弱いはずの政治面
でも、日本はそれなりの影響力がありました。

 1985年から95年までの10年間なら、日本には国
際的な影響力があったといっていいでしょう。

 しかし、バブル崩壊によって日本がデフレに沈み、経済
的力が低下すると、日本の国際的な影響力は、まず経済面
で低下してしまいました。そして、経済力を背景にした政
治的な影響力は、簡単に消えてしまいました。

 2012年という「いま」は、そういう状況にあります。

 1985年から95年までの10年間、日本の経済的影
響力は、本当に強かった。
 当時、財政赤字に悩むアメリカ政府は、定期的に、多額
の国債(財務省証券)を発行していました。その国債は、
いつも、半分以上を、生命保険会社を中心とした日本企業
が買っていたのです。
 だから、アメリカの財政赤字は、日本企業が補てんして
いるような状況でした。アメリカの財政そのものが、日本
に支えられているという感じでさえありました。
 そんなとき、タイムだったかニューズウイークだったか、
アメリカの有力な雑誌が、こんな記事を載せました。
         ****
 
20**年のこと。日本海で海難事故が発生した。そこ
で、日本の首相がアメリカの大統領に電話をした。
「大統領、日本海の海難事故の現場に、沖縄の基地から
救援隊を出していただけませんか」
「首相閣下、了解しました。沖縄の基地から、すぐに救
援を出しましょう。いつでも、ご用命ください」
「どうもありがとう。次回のアメリカ国債の入札も、日
本の企業がちゃんと買わせていただきます」
「いつも、ありがとうございます。お役に立てて幸いで
す」
アメリカ政府は、現在も、すでに、財政を日本に握られ
ている。
このままも状態が続けば、いずれ、アメリカは日本の言
うことを聞くしかないという状態になり、ここに書いたよ
うに、日本の首相の一本の電話で、アメリカの大統領が動
かざるをえないようになるだろう。

        ****

 この記事は、経済力を背景にした日本の国際的な影響力が
いかに強かったかを、大変よく示しています。
 実際に、当時のアメリカは、日本に対して、まさにこの記事
のような危機感を抱いていました。このままでは、経済的に
日本の影響下に入ってしまうのではないだろうかーーと。
 
 アメリカでさえそうだったのですから、ほかの国は、推して
知るべしです。
 当時なら、韓国の大統領が竹島に上陸するということは
なかったでしょうし、中国・香港の活動家も尖閣諸島に上
陸するということもしなかったでしょう。
 
 それは、
 「日本を怒らせるとまずい」
 という漠然とした思いがあったからです。
 
 たとえば、当時、アメリカの各州が、東京に日本事務所
を開いていました。
 なんのためかというと、日本企業を、自分の州に誘致す
るためです。
 日本には電機も自動車も、多くの有力な企業がある。
おカネもある。
自分の州に、工場を作ってほしい。
当時は、アメリカのどの州も、そういう思いを持ってい
ました。
そういうときに、日本とトラブルを起こしたくないとい
うのは、自然の話です。
そうやって、経済力は、政治的な影響力ともなります。

 たかだか10数年前の話です。
 李明博大統領はビジネスマンだったから、当時の日本経
済の力をよく知っています。
だから、今回、
「日本の国際的な影響力も弱くなった」
と発言したのは、大統領の皮膚感覚みたいなもので、ま
さに、実感だったのでしょう。

 さきほどのアメリカの雑誌の記事を考えてみてくださ
い。
 1990年ごろに、韓国の大統領が竹島に上陸しようと
考えたとすれば、たとえば、こういう記事になります。

     *****
 日本の首相がアメリカの大統領に電話した。
 「大統領、竹島に韓国の大統領が上陸するという話があ
って、日本は困っているのですが、なんとかなりませんか」
 「分かりました。私から、韓国の大統領に自重するよう
電話をしておきます。そして、沖縄の米軍からも、竹島に
船を出しておきましょう」
 「助かります。次回のアメリカ国債の入札でも、日本企
業が国債をたくさん買いますよ」
 「いつもありがとうございます。いつでも、ご用命くだ
さい」

      ****
 こういうことになれば、韓国も竹島には来れないし、中
国も尖閣列島に手出しできないでしょう。

 日本の国際的な影響力は、すべて、経済力が源泉だった
のです。
 
 その経済力は、凋落が目立つ。
 当然、国際的な影響力はなくなる。

 では、経済力が落ちたいま、日本は、何をもって国際的
な影響力を確保すればいいのでしょう。
 これこそが、日本の首相が政治生命をかけるべきもので
す。
 
 今回は、ひとまず、ここまでとしておきますが、この問
題は、続編を書きます。
 では。




竹島と尖閣・・・今後は毎年、夏のお盆の時期に、繰り返されるのではないでしょうか。

2012年08月17日 15時22分04秒 | 日記

 日本では、夏休みは、お盆に取ります。
 お盆は、たまたま、終戦記念日にあたります。
 お盆と終戦記念日が重なっているので、閣僚の靖国神社
への参拝も、当たり前ですが、同じ時期になります。
 
日本の終戦記念日は、韓国や中国にとっては、勝利の日
ということになりますので、韓国や中国ではナショナリズ
ムが高揚する時期ということになります。

 韓国の大統領が竹島に上陸したり、尖閣諸島に香港の活
動家が上陸したりしたのは、まさに、そういう時期です。
 
 これまで、各国は、この時期の行動を、それぞれ、抑制
してきました。

 しかし、今回は抑制がきかず、とうとう、一線を越えて
しまった感じがあります。

 ということは、今後、こういうことが、毎年、この時期
に起きると見るのが正解でしょう。
 怖いのは、これが毎年起き続けるうちに、行動がだんだ
んエスカレートしていくことです。
 その意味では、今年、とうとうパンドラの箱が開いてし
まったということになるのかもしれません。

 この問題は、いくつも大事な論点があります。
 うかつなことは書けませんが、ひとつ、当初から気にな
っていることがあります。
 それは、韓国の大統領が、
 「日本は、国際的な影響力も、かつてに比べて小さくな
っている」
 と述べたことです。

 キーワードは、日本の国際的な影響力 です。
 私も、次回、夏休みあけの記事は、
 「日本の国際的な影響力」
 から再開したいと思います。



東京の緯度とロンドン五輪・・・欧州は高緯度地方です。低緯度の東京で五輪をするなら10月です。

2012年08月07日 17時02分21秒 | 日記

 ロンドン五輪のテレビ中継を見ていると、ロンドンにいるキャスター
や記者が、長そでのジャケットを着て「こちらは肌寒い一日です」など
と報告しています。

 同じ8月というのに、猛暑の続く日本とは大違いです。
 なぜ、こんなに違うのでしょうか。

 いうまでもなく、緯度の違いです。
 ロンドンをはじめ、欧米諸国は、緯度が高いのです。
 
 ロンドンは北緯51度です。
 これは、北海道よりさらに北にあり、樺太ぐらいの高さです。

 欧州の都市は、どこも高緯度です。
 パリは48度、ベルリンは52度、モスクワは55度、
 ストックホルムにいたっては59度です。

 「南」のイメージのあるイタリアのローマでさえ41度あります。
 日本は、「北国」の代表である札幌でも43度です。
 暖かいイメージのローマと、寒冷というイメージの札幌が、実は、同
じぐらいの緯度なのです。

では、日本の首都、東京はというと、北緯35度です。
かなり緯度が低くなります。
 東京は、欧米諸国の主要都市と比べると、ほどんど「南国」といって
いいほど、緯度が低いのです。 

 アメリカは、欧州ほどではありませんが、主要都市はやはり高緯度で
す。
 ボストンは42度、ニュ―ヨークは40度です。
 
 青森が40度ですから、アメリカの北部の大都市は、だいたい、札幌
と青森の間ぐらいの緯度になります。
 東京が暑い暑いといっても、ロンドンは暑くないのです。

 五輪だけではなく、政治、経済の国際委員会、国際機関の本部は、だ
いたい、欧州にあります。欧州でなければアメリカにあります。

 なにか世界的なイベントを考える場合、ですから、どうしても欧州中
心の考え方になります。

 五輪やサッカーがその典型です。

 五輪を、一年のいつごろに開けばいいか。
 欧州にいて考えると、8月になります。
 8月といっても暑くはない。
 寒いわけでもないので、水泳もできる。
 みんなが夏休みを取っていて、観客も多い。
 スポーツをするのに、いい季節なのです。

 欧州にいると、どうしても、欧州が世界の中心になります。
欧州を中心にして、モノを考えてしまいます。
世界はどの国も欧州と同じだろうと思ってしまいます。
 
 だから、東京で五輪を開くのも、8月でいいだろうと思ってしまうの
です。
 先進国・日本も、欧州と同じぐらいの気候だろうと思ってしまいます。
 というより、日本が欧州と違う気候だなどとは、発想もしないのです。
東京の緯度が35度としかなく、「南国」といっていいほどの低緯度
地方であることなど、思い至る由もありません。

だから、東京の8月がこんなに猛暑であることを知ると、欧州
の人々は、びっくりします。

 東京ではありませんが、10年ほど前に福岡で世界水泳が開かれまし
た。もちろん、8月です。
 各国の代表団は、その暑さにびっくりしていました。
 欧州から来た代表団は、選手たちに、
「これだけ暑いと体に影響があるから、なるべく外に出ないように」
という指示を出していました。

日本の8月、東京の8月は、スポーツをする気候ではありません。
その暑さだけで、各国の代表団の不評を買うでしょう。

人類のスポーツの祭典である五輪は、いちばんよい季節に開くべきも
のです。
ですから、1964年に東京で日本で初めての五輪を開いたときは、
10月でした。
それは、日本では、10月がベストシーズンだからです。
10月10日が開会式で、その日が、「体育の日」となったのです。

今回、二度目の五輪を東京で開くなら、本来、10月でなければなり
ません。

日本は、欧州にあるIOC(国際五輪委員会)に、
・日本のベストシーズンは10月だ。
・それは、日本が低緯度地方にあるからだ。
・日本は、高緯度地方の欧州とは違う。
・日本の8月は猛暑になる。
・日本の8月はスポーツには適していない。
・だから、東京五輪は、10月に開きたい。
――ということを、説明して、分かってもらわなければなりません。

しかし、実際には、困難でしょう。
ひとつは、欧州にいる人に、日本は欧州と違うということを分かって
もらうのは、時間がかかるだろうということです。
さらにまた、日本の五輪関係者が、そのことを理解できるだろうかと
いう懸念があります。よしんば理解していても、それを欧州に説明して
説き伏せるだけの気合と根性があるだろうかという懸念もあります。

なによりも、いまの五輪は商業主義に染まりました。

1964年の東京五輪のころは、五輪は、完全にアマチュアの大会
でした。当時のIOCのブランデージ会長という人が、アマチュア
リズムの権化で、五輪はプロや商業主義を排した大会でした。

しかし、時代は変わりました。
五輪は、もうけるイベントになりました。
大きな収入源はテレビの放映権です。放映権の収入を考えると、
営業的には、五輪は人々が夏休みを取ってテレビを見やすい8月に開く
のがいいということになりました。

10月なんかだと、テレビを見てくれません。

スポーツファン、五輪ファンとしては、東京で五輪を開くとすれば、
それはうれしいことです。
しかし、当の日本人、私たちが、
「猛暑だ」
という8月に開くのは、どう考えても、おかしいことです。

いま、猛暑の8月に、テレビで
「きょうも猛暑になりますので、スポーツをするかたは、お気をつけ
ください」
と言っています。
「猛暑ですから、屋外でのスポーツはお控えください」
とも言っています。

8月に東京五輪を開き、その最中に、テレビで
「スポーツをするかたは、お気をつけください」
と言ったら、
これはもう、ブラック・ユーモアです。

      ************

参考までに、各国の主要都市の緯度を掲げておきます。
以前にも掲げた表の再掲です。
       
       世界の都市の緯度
 
ストックホルム  59度
モスクワ     55度
ベルリン     52度
ロンドン     51度
パリ       48度
シアトル     47度
オタワ      45度
札幌       43度
ボストン     42度
ローマ      41度
シカゴ       41度
ニューヨーク   40度
青森   40度

秋田       39度
北京        39度
ワシントン   38度
仙台   38度
ソウル  37度
新潟       37度
東京  35度
鹿児島   31度
エルサレム  31度
カイロ   30度

ニューデリー   28度
那覇    26度
リヤド   24度
ホノルル   21度