いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

東日本大震災・・・被災した福島県いわき市に取材に行きました。圧倒的な被害です。

2011年04月29日 02時24分20秒 | 日記
 
 東日本大震災で被災した福島県いわき市に、4月24
日の日曜日、取材に行きました。取材のかたわら、市内
の避難所に寄り、支援物資も届けました。
 
 実際に見る津波の被害は圧倒的です。
 ジャーナリストは言葉が仕事です。
 だから、
 「言葉がない」
 という言い方は、使わないようにしています。
 しかし、この圧倒的な被害を目にすると、一瞬、言葉
を失うのは事実です。

     *****

 東京・京橋で首都高に乗り、隅田川沿いを北上し、常
磐道に入ります。
 早朝であることに加え、やはり、人出が少ないのでし
ょう。常磐道は渋滞もなく、三郷の料金所を過ぎ、水戸、
日立と進んでいきます。
 いわきの市街地の手前、いわき勿来のインターで高速
を降り、小名浜港に向かいました。津波の被害のあとが
どんなものか、見るためです。

 小名浜港に入ると、いきなり、岸壁に打ち上げられた
漁船が目に飛び込んできました。
 大きな船体が、まるまる、完全に陸に上がって、横渡
っています。

 こんな船体を、津波は軽々と持ち上げてしまったので
すね。
 同じ船を逆方向から見ました。


 近くには、漁業会社のビルがありましたが、骨組みだ
け残って、一階も二階も、破壊されています。


すぐ横には、観光案内所がありますが、やはり同じよう
に屋内が破壊されています。


 こういう感じで破壊された建造物は、今回の津波被害
のひとつの特徴のようです。津波が建物を飲み込み、壁を
破壊し、中の机や家具をひっさらっていくのです。
 だから、建物の骨組みだけ残って、一階も二階も屋内
は空っぽになってしまっています。
 
 港には獲れた魚を扱う卸売市場があります。
 卸売市場は、もともと、取り引きがしやすいように広
く平らなスペースを確保し、しかも、出入りがしやすい
ように、壁で囲っていません。
 これは、津波に対して無防備ということになります。
 魚市場は、柱と天井だけ残って、後はなにもかもなく
なっています。


 小名浜の街は、どの家も、一階が津波でやられました。
 かっさらわれた家具や、水につかって使えなくなった
家具、日用品が、街のあちこちに集められて、山のよう
に積まれています。


 小名浜港から、海沿いの道を。しわきの中心部へ移動
しました。
 小名浜港より、さらに大きな被害を受けています。
 海岸沿いの道の両側には、家が建ち並んでいたのでし
ょうが、そうした家々が、根こそぎ、津波にやられてい
ます。


 地震でゆさぶられたあと、巨大な津波が来て、家を飲
み込んでいく。そして、家を破壊し、引き波で海に引き
ずっていく。
 残ったのは、家の残骸です。
 道の両側に、残骸の山が並びます。
 ここには人々の生活があったのに、もとの生活がどん
なものだったのか思い浮かばないほど、完全に破壊され
ています。




 たまに、残った家があります。
 残った家も、よく見ると、一階は壁が持ち去られて、
柱だけになっています。骨組みだけの家になってしまっ
ているのです。




 
 海岸沿いの道の両側は、ずーっと、こうした破壊のあ
とが続くのです。

 
 海岸から離れても、低地は、みな津波にやられていま
す。
 しかし、少し高台に入ると、地震で屋根が壊れたと言
う被害はありますが、津波が来なかったので、町並みが
きれいに、というと変ですが、これなら十分やり直せる
というぐらいに町並みが残っています。
 津波に襲われた場所とは、ほんの少しの距離だったり
します。
被災した方は、やりきれない思いでしょう。

 これほど圧倒的な被害を見ると、被災した方に、なん
といえばいいのか、言葉がみつかりません。
 「がんばれ」とか、「がんばってください」などとい
う言葉はつかえないと思います。

 海岸線を離れ、いわき市内に入りました。
 日曜のお昼というのに、人も車も少なく、静まりかえ
っています。

 (続く)


 

風邪っぴきでした。もうしばらくお待ちください。近く、被災地のレポートをお届けします。

2011年04月27日 11時10分53秒 | 日記

  ひどい風邪っぴきで、しばらくブログを書けませんで
した。
  風邪が治ってきた24日の日曜日に、大震災の
被災地である福島県・いわき市とその周辺まで取材に行き、
いわき市の避難所に、支援物資も届けてきました。
  海岸に近いところでは、家が津波でごそっと持って
行かれ、船が陸上に打ち上げられていました。
  これは大変だというのが実感です。
  いわきからさらに、原発の20キロ圏の通行止めの
検問のある地点まで、6号線で行ってきました。
  検問の近くには、東電の作業員や自衛隊員が寝泊りし
ているJヴィレッジもあり、そこにも行きました。
  
  近く、そのレポートを掲載します。
  もうしばらくお待ちください。
 

福島原発の事故・・・責任者は東電か政府か?もちろん政府です。政治は責任を果たさなければなりません。

2011年04月19日 13時50分43秒 | 日記

 福島原発の事故に対応する責任は、どこにあるのでしょう。
 東京電力でしょうか?
政府でしょうか?
責任者は、だれでしょうか。

 菅首相と政府は、責任は東京電力にあるという考えのようです。
しかし、結論をいえば、どう見ても、責任は政府にあります。
政府が責任を持って対応すべきものです。

 事故が起きたあとの菅首相の言動を見ると、トラブルがあったと
きは、責任を東電に投げようとする姿勢がはっきり出ます。
水素爆発で発電所の建屋が壊れたときは、東電に乗り込み、「撤退
するな」「撤退すると東電はつぶれるぞ」と声を荒げました。
これは、事故処理は東電がやれということでしょう。

 先週末には、会見で今後の見通しを聞かれ、
「東電に事故処理の工程表を作るよう指示した」
と答えました。
 これは、事故処理は、東電が計画を立ててやりなさいということ
です。

 どちらも、事故処理の主体は東電だよーーといっています。
 首相としての当事者意識に欠けるのです。

 考えてもみてください。
 仮に、海外から「原発事故をどうやって収束させるのか、その
工程を教えてほしい」と要請されたとします。「仮に」と書きま
したが、間違いなく、要請されています。これだけの事故で、放射
線を出しているのですから、当然でしょう。
 そのとき、、首相が
 「いま東電に作らせています」とか
 「東電がまだ作ってきませんので」
 とか答えたら、こいつはアホかと思われますよ。

 国内の農家への補償もそうです。出荷制限をかけたのは政府で
しょう。
 20キロ圏の避難にしてもそうです。避難指示を出したのは、政府です。

 原発に事故があり、実際に放射線が出てしまった段階で、もう、
東電だけではどうにもならなくなります。
 責任は政府のものです。

 菅首相と政府は、矛盾したことをたくさんします。
 福島原発の事故で計画停電することが明らかになった3月14日
の週の半ばには、海江田経産相が突然会見し、「きょうは、電力需要
が多いので、突然、急に停電する可能性があります」と話しました。
これは、東電の停電を、政府が発表したわけです。
こういうときだけ、政府が発表するというのは変です。

 原発の周辺に放射線に汚染された水がたまり、やむなく、汚染水
1万トンを海に放出しました。
 当然、あちこちから猛烈な抗議がありました。
 抗議を受け、政府は東電に「周辺自治体などに、もっとしっかり
連絡するように」と伝えます。
 しかし、放射線で汚染された水を放出するなど、東電だけの判断
でできるはずもありません。当然、国が決定にかかわっているはず
です。東電の停電を経産相が発表するのであれば、周辺自治体など
への連絡も、政府がやるべきでしょう。

 この汚染水の放出には、ロシアや韓国、中国からも抗議がありま
した。では、ロシアや韓国、中国にも、東電が連絡するべきだった
のでしょうか。そうだとすれば、外交も東電がやることになります。
そんなばかなことはないでしょう。

 節電のこともそうです。
 企業など大口需要者には家庭以上に節電する必要があります。
 そこで経産省が、企業の担当者を集め、節電を要請しているので
す。
 汚染水の放出は東電が関係者に連絡しろといい、節電は経産省が
要請する。
 こんな筋の通らない話はないでしょう。
 
 こうしたことをまとめてみると、はっきり、ひとつの傾向があり
ます。
 トラブルを招くやっかいなことは東電にやらせて、節電要請など
手を汚さずにすむことは政府がやるーーという姿勢です。
 政府が全面的に責任を取れば、政府の対応も腰がすわります。
責任を取ろうとしないから、ふらふらするのです。

 逆に、すべては東電に責任だというのであれば、そもそも、保安
院の会見は不要です。保安院は口を出さず、東電にまかせておけば
いい。
 保安院の会見は、いつも、「東電によりますと」で始まります。
保安院は、情報をすべて東電から得ているのです。
 
 菅首相と政府は、どうしてこうも責任を回避しようとするのでし
ょう。
 なさけないですね。
 役人は責任を回避するのが特徴です。それは彼らの習い性となっ
ています。
 それをしっかり押さえ込み、指示・命令するのが、政治の責任で
す。

 政治は、いまこそ、しっかりしないといけないのです。
 菅首相には
「私がすべての責任を取ります」
「すべての避難民を救済します」
と言ってほしいですね。
そうやって、希望を持てるようなことを言ってほしいですね。

 菅さん。
 うそでもいいから、
 「避難された方、被災された方は、一人残らず救います」
 「私がすべての責任を持ちます」
 と、言いませんか。
 首相たる者、希望の言葉を吐いてほしいと思います。




東日本大震災・・・被災者のメンタルケアで、石井苗子さんが保健の専門家として被災地に入っています。

2011年04月18日 01時15分15秒 | 日記

 このところ、芸能人やスポーツ選手が大勢、被
災地に入り、避難所を訪ねています。
 杉良太郎さんは、芸能人が避難所を訪ねるとパ
フォーマンスだとかなんだとか、いろいろ言われ
るだろうが、自分は困っている人を助けたいから
やるんであって、なんと言われようとかまわない
ーーという趣旨のことを話しています。
 立派な人だと思います。

 実際、芸能人やスポーツ選手が避難所を訪ねる
と、避難所にいる人々も、いっときであるにせよ、
ぱっと華やかな気分になることができるので、大変
いいことだと思います。こういうことは、思いっき
り、善意に受け取るのがいいと思います。

 今回は、芸能人の中で、異色の人のことをお話
したいと思います。
 芸能人やスポーツマンが、いまのように現地に
入り始める前、早くから被災地に入って活動して
いる人がいます。
 石井苗子さんです。
 石井さんは、もともと英語の通訳をしていまし
たが、英語の力を生かしてテレビのキャスターと
なりました。そのうち、映画にスカウトされ、「あ
げまん」でデビューしました。
 あるとき、一念発起して、聖路加に入学し、看
護師となりました。
 さらに、東大医学部の博士課程に入り、200
7年に保健学の博士号をとります。

 専門はメンタルケア、精神衛生で、仕事におけ
るストレスに治療などに当たっています。

 今回の地震と津波の被害を見て、石井さんはい
わきに入り、被災者のメンタルケアに当たります。
そうした活動を受け、聖路加で、組織をあげて、
福島での被災者のケアをすることになりました。

 石井さんは現在、福島と東京を往復しながら、
被災者のケアと、それだけではなく、支援部隊の
ストレスのケアも担当しています。
 スタンスは、「長期のケア」「長期戦」です。
 
 女優というより、保健の専門家としてのボラン
ティア活動です。
 女優として被災地に行けば、ほかの芸能人と同
じようにテレビにも取り上げられるのでしょう。 
しかし、保健の専門家として被災地に入ってい
るので、テレビに取り上げられる機会がありません。
 おかしいなことです。
 芸能人やスポーツマンが被災地を訪問するのは

大きな意味がありますが、しかし、1日か2日、
せいぜい数日でしょう。
 それに対し、保健の専門家として、長期戦の覚
悟で被災地に入ると、あまりニュースにならない
ーーというのは、大変残念なことです。

 石井さんと聖路加のチームの活動は、他の医療
チームももちろんそうですが、非常に意味のある
ことです。
 私の実家が被災した神戸もそうでしたが、被災
した人たちは、長い長い我慢を強いられます。神
戸で仮設住宅がなくなったのは、つい数年前のこ
とです。自宅の再建で、住宅ローンの二重払いに
苦しむ人も多いのです。その地域に住んでいた人
が離散し、コミュニティが崩壊したケースも珍し
くありません。とくに、高齢者は、すっかり気力
をなくしてしまうことがあります。
 被災者は、否応もなく、長期戦になってしまう
のです。
 石井さんのように「長期戦を覚悟しています」
というのは、被災者にとっては、ものすごくあり
がたいことなのです。

 もうひとつ。
 石井さんは、支援者、支援部隊のストレスの対
策も担当するそうです。
 すばらしいですね。
 長期戦になると、支援部隊も疲れてきます。
 1週間なら、気合いだけでやっていけるでしょ
うが、何か月も続くとなると、気合いだけではで
きません。
 その支援部隊のストレスまで考えるというの
は、本当に長期戦に備えるということですから、
すばらしいと思います。

 いつか、どこかの段階で、新聞やテレビで報道
してほしいですね。

 石井さんは、読売新聞の医療のページ「ヨミド
クター」で、ブログを持っていて、このボランテ
ィア活動の報告をしています。
 アドレスは
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=21225

 です。
 ぜひ、アクセスしてみてください。
 
石井さんたちの活動を、もっと知ってもらい
たいと思い、私のこのブログで、取り上げました。
 これからも、このブログで応援します。




東日本大震災・・・被災した石巻日日新聞が手書きの新聞を発行し、アメリカで展示されることになりました。

2011年04月17日 02時21分07秒 | 日記

 今回の地震と津波で被災した石巻市に、「石巻
日日新聞」という新聞があります。
 いしのまきにちにちしんぶん
 ではなく、
 いしのまきひびしんぶん
 と読みます。

 新聞には、
① 読売や朝日のように、全国で配られている全
国紙
② 北海道新聞や中日新聞のように、全国とはい
かないけれど、広い地域で配られているブロ
ック紙
③ 河北新報や信濃毎日のように、ひとつの県で
配られている県紙
 ーーがあります。
そして、それに加え、
④ エリア紙
 というものがあります。
 エリア紙は、県の中でも、特定の市や町だけで
配られる新聞です。
 エリア紙の発行部数は、数千部から数万部とい
うところです。1万部程度というところが多いよ
うです。全国紙は1000万部、800万部、県
紙は50万部、60万部という発行部数があるわ
けですから、エリア紙は、小さな新聞です。

 しかし、その分、地域に密着して、地域で親し
まれています。
 東京や大阪にいると、こういうエリア紙を見る
機会は、まずありません。

 石巻日日新聞は、そうしたエリア紙のひとつで
す。石巻市で発行されているエリア紙です。
発行部数は1万部ちょっとという小さな新聞で
す。

 この新聞が、地震と津波で社屋が被災し、新聞
を発行できなくなりました。

 ところが、記者たちは、手書きで新聞を作り、
壁に貼りだしたのです。
 だれもが小学校で作ったことのある壁新聞で
す。




数日間、手書きの壁新聞を作ったそうです。
 新聞記者、ジャーナリストとして、なんとして
も新聞を出したいという思いと気概を感じます。

 そして、この石巻日日新聞の壁新聞が、アメリ
カのワシントンにある新聞の博物館「ニュージア
ム」に展示されることになったのです。

 石巻に取材に言ったニューヨークタイムズの記
者がこの壁新聞に気づき、記事にしました。それ
がニューヨークタイムズに掲載され、ニュージア
ムのスタッフの目にとまったのです。
 自分たちも被災したにもかかわらず、ニュース
を届けようとするジャーナリストの活動の記録と
して、展示されるのです。

 16日にこのニュースを知ったとき、
 「やられた」
 と思いました。

 なぜ、そう思ったか?
 それは、なぜ、日本でこの新聞を展示しようと
しなかったのだろうかということです。
 なぜ、アメリカなのか。
 日本で、この記念すべき壁新聞を展示すればよ
かったのに。
 なぜ、アメリカに先を越されたのだろう。
 いや、先を越すではない。ニュージアムが展示
しなければ、日本では、どこかにうっちゃられて
しまっていたのではないでしょうか。
 
 日本にも、新聞協会があり、横浜に新聞博物館
があるのです。
 アメリカに先駆けて、新聞協会なり、新聞博物
館が、気がつけばよかった。
 気がつけばよかった、というより、
 「これはすばらしい」
 と感じるセンスがあるかどうかですね。

 この原稿、私は、自戒を込めて書いています。
 私も、この壁新聞のことは知っていましたし、
写真でも見ました。
 しかし、そのとき、私は、
 「この新聞は展示して保存するべきだ」
 とは思わなかったのです。
 私は、自省しないといけません。

 アメリカ人は、ヒーローが大好きで、いつも、
ヒーローを作ろうとします。
 石巻日日新聞は、そういう意味で、ヒーローと
して取り上げられたのだと思います。
 そこは、日本と風土がまるで違います。

 しかし、それは、エクスキューズです。
 やはり、石巻日日新聞の壁新聞の価値を、私も
含め、日本の報道関係者、新聞関係者は、気づく
べきでした。
 今回は、アメリカにやられました。
 深く反省しましょう。
でも、石巻日日新聞のみなさん、よかったです
ね。こんなときに変な言葉ですが、「おめでとう
ございます」。
本当によかったと思います。
 

福島原発ーー民主党は野党時代の精神に戻ってほしいですね。

2011年04月16日 02時32分44秒 | 日記

 菅首相と民主党は、今回の原発事故で、対応を完全に間違えまし
た。対応を間違えたといっても、情報の公開が遅かったとか、やる
ことが後手後手に回ったとか、そういうことではありません。
 もっと根本的な、民主党のルーツにかかわる話です。

 民主党は、いろんな政党の寄り合い所帯として生まれました。
 社会党、自由党、民社党、新自由クラブ、社民連、自民党などな
どです。
 
 しかし、ざっくりといえば、民主党のルーツは、
 自民党政権が続いていたころの野党的なものです。
菅首相はその象徴みたいなもので、かつてUiは、市民運動家でした。
市民運動家が首相になったのです。
 
民主党的なもの、民主党の結党の精神というのは、明らかに、野
党的なもの、市民運動的なものです。

そして、大事なことは、長い間の自民党政権の時代、野党的なも
の、市民運動的なものというのは、間違いなく、「反原発」だったと
いうことです。

 福島原発の事故で皮肉なのは、自民党政権が推し進めた原子力発
電のツケに、反原発をひとつのルーツとする民主党政権が対応を迫
られているということです。
 枝野官房長官など、事故のことを、何回かおわびしていました。
 
 しかし、本来、自民党と、自民党時代に原発を推進した霞が関の
官僚がおわびしなければなりません。

 それを民主党の首相、閣僚がおわびするというのは、皮肉であり、
ブラックユーモアであり、シュールな風景です。

 民主党が対応を間違えたというのは、そこを言うのです。

 大地震で原発の事故が起きたとき、菅首相と民主党政権は、思い
切って、
 「民主党は、原発には反対してきました」
 「福島原発の事故には、全力で対応して、収束を図ります」
 「しかし、この事故を機に、原発を減らす、あるいは、原発をな
くすことは出来ないか。それを考えていきます」
 「ただ、いまは、福島原発の事故に全力で対応しますので、国民
のみなさんのお力を貸していただきたいのです」
 と言えばよかったのです。

 そうすれば、国民も、政府に協力しようという気持ちになれた。

 いまの民主党政権は、原発の事故に、いやいや対応しているよう
に見えます。
 そうではなくて、民主党は原発に反対で、原発は出来ればなくし
たいんだが、いまは、目の前の事故に集中しなければなりませんー
ーという姿勢をとっていれば、国民は納得したのです。
 そうすれば、情報を、遅いといわれる前に公開することもできた
でしょう。「原発には反対」と表明してしまえば、隠すような情報は
ひとつもなくなってしまいます。

 なんで、そんなことが分からないのでしょう。
 
 いまからでも遅くありません。
 菅首相か枝野官房長か、
 「民主党は原発に反対です。この事故を機に、原発のあり方を根
本的に考えます」
 「でも、いまは、この事故の処理に力を貸してください」
 と、言ってくれませんか。
 
 




東日本大震災・・・復興構想会議がスタートしましたが、しかし、国会は何をしているのでしょうか。

2011年04月15日 12時08分15秒 | 日記

 *** 復興構想会議というものが出来ました ***

 東日本大震災からの復興を目指し、菅首相は復興構想会議を設置
して、14日に初会合を開きました。防衛大学校の五百旗頭真校長
が議長で、メンバーは、大学教授が中心です。
 会議の性格は、首相の私的諮問機関です。



 梅原猛さんや、御厨貴さん、内館牧子さんら、なかなかの顔ぶれ
が見えます。
 被災した岩手県、宮城県、福島県の知事も入っています。

 これから毎週土曜日の午後に会議を開き、6月末をめどに提言を
まとめるということです。

 菅首相は、14日の会議の冒頭で、
 「ただ元に戻すという復旧ではなく、改めて作り出すという創造
的な復興をお示しいただきたい」
 とあいさつしました。


 ・・・とまあ、これが、復興構想会議の全容です。

 顔ぶれは悪くないし、期待したいと思います。

 しかし、これでいいのだろうかという思いがどうしてもあります。
 首相が、こうやって、私的諮問機関を作り、政策を考えるという
スタイルは、中曽根首相が好んで用いました。
 中曽根首相は、自ら選んだ委員について
 「委員のみなさんには、暴れ馬のように活動してほしい」
 と話しました。
 「暴れ馬」という言い方がいっとき流行しました。
 
 これで流れが決まり、その後の政権も、いろんな諮問会議、委員
会を作りました。
 「賢人会議」という名前もよく使われたものです。

 共通するのは、
1)首相が選んだ学者や経済人、企業経営者、文化人がメンバーに
なる。
2)首相から、政策立案の要請を受け、会議や委員会として、答申
や提言をまとめる。
・・・というものです。

 しかし、なにかがおかしいのです。

 *** では政府は何をしているのでしょう? ***

 メンバーの法的な地位がどうのと、野暮なことを言うのではあり
ません。
 そうではなく、大事な政策を立案するたびに、首相が私的
な会議を作り、首相が選んだ人をメンバーにし、そこで政策を考え
るというのであれば、では、政府って、いったい何でしょう。
 
経済産業省、国土交通省、農水省、厚生労働省、財務省、外務省、
総務省、さらには自衛隊、警察、消防と、日本には、あらゆる分
野をカバーする省庁があって、それを統括する組織として官邸が
あります。
 そして、首相が、そのすべてを司るのです。

 それなのに、首相が私的な会議、委員会を作ってそこで政策を立
案するというのであれば、政府は、いったい、何のために存在する
のでしょうか。

 政府の閣僚のみなさん。
そして、大勢いる官僚のみなさん。
 はずかしくないですか?

 しかし、もっと大きな問題があります。
 議会、国会です。

*** 議会はいったい何をしているのでしょうか ***

 この復興構想会議で、もっと大きな問題は、国会は何をしてい
るのか? ということです。

 国民が「頼むぞ」といって、国政の場に送り出したのが国会議員
です。
 本来であれば、衆院、参院で、
 国会議員による「復興構想会議」
 が作られるべきなのです。

 え? 国会に?
 と思われるかもしれません。
 そうです。
 国会にです。

 アメリカは、国会のことを連邦議会といいます。
 連邦議会に、たとえば、外交委員会という委員会があります。 
 この外交委員会は、非常に強力な権限を持ち、政府の外交に大き
な影響を与えます。外交に関しては、まるで独立した外交をしてい
るかのような独自の政策を作り、独自の動きをします。
 外交委員長は、国務長官のような地位と権限を持っています。
 ほかにも多くの委員会がありますが、いずれの委員会も、同じよ
うに独自の政策を考えます。

 民主主義国家では、すべての政策は、法律で決められます。そし
て、法律を審議するのが国会です。だから、議員が、自分で政策を
考えて、法案を作り、国会で成立させれば、政策になります。
 それが本来の姿なのです。

 では日本はというと、国会が、まったく機能していない。
 日本の国会は、すべての機能、すべての権限を、政府に投げ渡し
てしまっているのです。

 東日本大震災のように大規模で悲惨なことが起きたら、本来、国
会が立ち上がらなければなりません。
 国会議員が、衆議院、参議院で、委員会を作り、自ら政策を考え
て法案を作り、自ら国会で法案を審議し、自ら法律を作ればいいの
です。
 そうすれば、例えば、被災者にまずは100万円を渡すーーなど
ということも、すぐに出来ます。

 国会議員は、法案を審議するのが役割ですから、本当は、何だっ
てできるのです。
 
 ですから、本当は、国会に
 「復興構想会議」
 を作ります。
 メンバーは、もちろん、国会議員です。
 そして、構想会議の議長には、見識のある国会議員がなって、どん
どんと復興に向けた法律を作っていけばいいのです。

 国会議員は、私たちが、「頼むぞ」といって国会に送り出した国民
の代表です。
 そのひとたちが、復興構想会議を作ってメンバーになるのは、国
会議員の本来の役割です。
  それなのに、日本の衆議院議員、参議院議員は、いったい何をし
ているのでしょう。
 大震災にあたって、議員諸氏の顔が、ぜんぜん見えないではあり
ませんか。

 大学教授が復興構想会議のメンバーになり、復興政策を考え、決
める。
 それが東日本大震災の復興策になるーーこれは、ちょっと、おかし
くないですか?
 それが当たり前だと思うことが異常なのです。
 国会議員のみなさん。
 おかしいと思いませんか?
 あなたたちは、法律を作ることが出来るんですよ。

ひとことでいえば、
 いまこのときにあたって、国会はいったい何をしておるのか
ということに尽きるのです。




福島原発・・・会見の質問が聞くにたえません。記者の質が落ちてきているのではないかと心配です。

2011年04月12日 02時55分46秒 | 日記

 福島原発の事故で、会見に出る記者を見ている
と、記者の質が落ちているのではないかと、心配
になってきました。
 
 4月11日の月曜日には、東電の清水社長が福
島県庁を訪れ、知事に会おうとしました。断られ
はしましたが、県庁の秘書課の職員に名刺を渡し、
あいさつをしました。

 このとき、清水社長を取り囲んだ報道陣の中で、
どこかの記者がこういったのです。
 「社長、いまごろ来て、遅すぎると思いません
か?」。
 
 いったい、なんという質問でしょう。
 ひとつめは、「遅すぎるのではないか」という
自分の主観で取材しようとしていることです。遅
いという自分の感想をもとに、初めから、清水社
長を非難しようとしている。被災者なら清水社長
を責めたくなるでしょう。しかし、この記者は、
被災者ではありません。記者が、被災者のような
顔をして東電の社長を非難してどうなるというの
でしょう。
 ふたつめは、この記者は、清水社長が事故から
2,3日のうちに県庁を訪れたとしたら、そのと
きは「県庁に来てもしようがないでしょう。あな
たは原発に行くべきでしょう」と責め立てたに決
まっています。
 みっつめは、とにかく、この記者は、清水社長
が悪者だという前提で問い詰めようとしている。
 よっつめは、人に話を聞くとき、こんな居丈高
な調子で聞くものではない。
 いつつめは、これが一番の問題かもしれません
が、この記者の質問は、品がない。下品です。人
間として、社会人として、守るべきエチケットが
あるでしょう。

 清水社長が、なにも反論できないという状況で、
社長を責め立てているのです。
 この記者が、清水社長の家の隣りに住んでいた
として、お隣さんにこんな居丈高に話をします
か?けんかになりますよ。

 もうひとつ。
 東電が計画停電を発表してすぐのころ、どこで
いつごろ停電するのか、東電が毎日、会見をして
発表していました。計画の中に、午後6時から9
時だったか、夜の時間帯に停電する地区がありま
した。
 それを見たどこかの記者がこういったのです。
 「冬の夜に3時間も停電したら死ぬだろう。
  東電、人を殺す気か?」。
  これもまた、なんという言いぐさでしょう。

  首都圏の3月に、3時間、停電したからといっ
て、だれが死にますか。冗談もいい加減にしなさい。
  
  それになにより、相手に対し「人を殺す気か?」
というのは、相手の人格をふみにじるものです。
  
計画停電は、東電の不手際が目立ちました。
このときの会見でも、要領を得ない答えがありま
した。それに対し、同じ記者が
 「どうなんだ。東電、答えろ」
 と言ったのです。

 ネットでは、
 「記者はやくざか?」
 「記者会見にやくざが紛れ込んだのか?」
 と揶揄されています。
 
 「東電、答えろ」
 というのは、「殺す気か?」と同じように、相手
の人格を踏みにじる言い方です。

 いずれの質問も、東電側が苦しい立場にあって
何も反論できない状態にいるのを承知で、東電を
責め立てているのです。
 卑怯でしょう。
 人間として、品性のかけらもありません。

 こういう手合いが、「記者」として記事を書く
などというのは、恥ずかしい限りです。
 両方とも、どこの記者か、名乗っていないので、
所属先などはわかりません。

 しかし、こんなことは、取材でもなんでもあり
ません。
 ただ、自分の感情をぶちまけているだけです。
 
 記者の質が落ちてきたとしか、いいようがあり
ません。
 記者というのはこういうものだと、社会の人々
が思ったとすれば、本当に悲しいことです。 



東日本大震災・・・あの日から1か月たちました。神戸からも16年です。

2011年04月11日 16時02分19秒 | 日記

・・・ 震災から1か月 ・・・・・・・

 きょう4月11日は、東日本大震災が起きてちょうど
1か月にあたります。地震が起きたのは3月11日の金
曜日、午後2時46分でした。
 福島原発の事故がなければ、被災地の支援、復興に
もっと力を注げただろうにと、それが残念です。

 私は神戸生まれで、実家が1995年の阪神大震災で
被災しました。阪神大震災は95年1月17日の午前5
時46分に起きました。不思議なもので同じ「46分」
です。阪神大震災が起きて、毎年1月17日の未明、
同じ時間には、神戸で追悼集会が開かれます。
 気がつけば、2011年の今年、もう16回目の1月
17日を迎えました。神戸の街は、その間に、ずいぶん
立ち直りました。

 東日本大震災で被災した地域も、被災された方々も、
いつか、
   「あんなことがあったなあ」
と振り返ることができるような日がきっと来ます。

 あのとき、神戸の人は、
  「がんばれ」
 といわれるのがつらかったのです。
 それをいわれると、神戸の人は、
  「いまでも、もう十分がんばっているのに」
 という思いがしました。
 だからいまは、東日本で被災した方を、そっと応援し
ていたいと思います。

 きょうは、阪神大震災のことを思い出し、あのころの
ことを書こうと思います。

・・・ 阪神大震災の日 ・・・・・・・

 阪神大震災のときは、東京に勤務しており、横浜に住
んでいました。あの日は、横浜でもわずかに揺れ、震度
1だったのです。なんとなく気になって目がさめ、テレ
ビをつけました。
  
 NHKをつけると、大阪放送局から中継をしていました。
実はこのとき、神戸放送局は地震の直後で、放送のでき
るような状況ではなかったのです。そこで大阪放送局か
らの映像を流したのですが、大阪は、ほとんど何も被害
を受けていません。
  NHKのアナウンサーは、その映像を見ながら、「神
戸で大きな地震があったようですが、大阪は、ご覧のよ
うに、いまのところ大きな被害は出ていません」と話し
てしまいました。
  私は、それでひと安心し、もう一度寝たのです。
  7時すぎに起きて、テレビをつけると、神戸からの
映像が入ってきて、とんでもない光景が広がっていました。

  阪神大震災は、ピンポイントで神戸とその周辺だけ
が、揺れたのです。それが阪神大震災の特徴で、直下型
の表層地震でした。だから、被害の地域は極めて限られ
ていました。
 NHK大阪のアナウンサーが、大阪だけを見て「い
まのところ被害は」といったのは、そういう事情です。
 神戸と大阪は、すぐとなりです。罪作りな放送でした
が、あの地震は、そのぐらい、狭いエリアに集中したの
です。
 その狭いエリアが、神戸という大都市だったことが、
悲劇でした。なんでまた、わざわざ神戸という大都市を
選んだのかと思います。どこか、太平洋の陸地からはる
か離れた沖合いだったら、あのぐらいの地震なら津波も
起きなかったでしょうし、なにも被害はなかったのにと
思います。

 あれは火曜日でしたが、水曜日には、家族が全員無事
にいることがわかり、安心しました。
 そして、その週末、神戸に戻りました。

・・・ 神戸へ ・・・・・・・

 東海道新幹線で、京都をすぎ、大阪が近づくと、緊張
しました。いったいどんなことになっているのだろう。
  ところが、大阪の駅に下り、梅田の地下街に入る
と、呆然としました。若い女性たちが、なにごともな
かったかのように、笑いさんざめきながら、歩いている
のです。
 ビルも倒れていないし、けがした人もいません。
 キツネにつままれたような気分でした。

 阪神電車に乗って、実家のある駅に向かいます。窓か
ら外をながめても、なにということもありません。
  なんなんだろう、これは。

 ところが、武庫川を越え、尼崎に入ると、いきなり風景
が変わりました。家倒壊した家が出てきました。

 まもなく甲子園の駅です。 阪神電車は、甲子園から先
は止まっていました。甲子園からは国道43号線沿いに、
神戸・東灘区の実家まで3時間ほどかけて歩いて帰りまし
た。
 その国道43号線の上に、大阪から神戸まで、高架で
走っているのが、阪神高速です。この高架が、地震で横倒
しになったのです。
 43号線に出ると、なんだか、大きなビルがどーんとあります。
 なんだろう、これは。
 こんなもの、こんなところにあっただろうか。
 そう思ってよくみると、それは、横倒しになった高速道
路だったのです。これには驚きました。

・・・ 実家で ・・・・・・・

 東灘区は、地震がもっとも激しかったのですが、実家は、
ドアが曲がったりしたものの、奇跡のように、立ち残って
いました。
  やれやれよかったと、実家に入ると、家の中には、ご
近所さんがたくさんいました。つぶれなかった実家に、家
が倒壊した近所の方が、避難してきていたのです。

  父や母の元気な顔を見て、安心しました。
  すぐに、家のうちそとの復旧を手伝い始めたのですが、
なにしろ、家の外は、ほとんどの家が倒壊しています。子
供のころから見慣れた町並みが、崩壊しています。
  二階家が多かったのですが、多くの家が、二階建ての
ままぐしゃっと上から押しつぶされたようになっていま
す。押しつぶされて、平屋のようになってしまっているの
です。不幸にして一階で寝ていた方は、下敷きになってし
まっただろうなあと、すぐ分かりました。

  当日は、この状態のところへ、何時間かたってから、
火が出たのです。これではどうしようもありません。

 家の中で、困ったのは、割れたガラスの後始末です。
 いまの家の中は、ガラスだらけです。窓ガラスは割れ
ずにすんだのですが、掛け時計、絵や賞状を飾る額、コッ
プ、飾りだなと、たくさんあります。
 こうしたガラス製品が、床に落ちて割れています。
 その破片が問題です。
 こういう作業のとき、軍手をはめるのが普通ですが、ガ
ラスの破片は、軍手を突き抜けて、指に刺さるのです。軍
手が役に立ちません。

 1時間、2時間と、作業を続け、ひといきいれようと
いうことになって、洗面所で手を洗おうとしました。ところが、蛇口をひねっても水が出ません。
 ああそうか、断水したままなんだ。
 泥まみれ、ほこりまみれになっていても、手が洗えないんだ。
 もちろん、お風呂に入れるはずもありません。
 これは大変だと、つくづく思いました。

 父の話によると、地震で、電気、水道、ガス、電話と、
すべてがとまった。電気が止まっているのが、なさけない。
1月17日は真冬ですから、日の落ちるのが早い。夕方5
時すぎにはもう暗くなってくるのですが、電気がつかない。
本当のまっくらになるから、片付けようとか、なにかしよ
うと思っても、何も出来ないのです。
 日が落ちると、本当に真っ暗で、何もできない。
 それが一番つらかったそうです。

 地震から、三日目か四日目の夜に、電気が通じました。
 日が暮れて、まっくらになり、家族やご近所さんと一緒
に集まって、ぼそぼそとおにぎりを食べていたら、天井の
蛍光灯が、いきなり、ぱっとついたそうです。
 父や、その場にいたみんなは、思わず、
  「ばんざーい」
 と叫んだそうです。

 神戸は関西電力で、東京電力ではありません。
 しかし、電力は電力です。
 曽野綾子さんは、よく
  「電気は民主主義の経済的基盤」
 と指摘します。
 その通りだと思います。
 いま、東電が責められています。しかし、ただ、東電を
責めればいいというものではないとも思います。
  
・・・ 東日本大震災と阪神大震災 ・・・・・・・
  
 仕事がありますので、何日か神戸にいて、また東京に戻
りました。その後は、週末ごとに神戸に入りました。

 神戸から、新幹線に乗るために、大阪に出ると、大阪の
街は、ほとんど何の被害も受けていません。若い女性や家
族連れが、笑いさんざめきながら、梅田でショッピングを
したり、食事をしたりしています。
 このギャップはいったい何なのだろう。
 本当に、キツネにつままれているというのは、このこと
でしょう。

 このギャップが生まれた原因は、阪神大震災が、極めて
限られて地域を襲った直下型地震だったということです。
 今回の東日本大震災は、プレートとプレートの境目で生
まれたひすみが原因でした。しかし、阪神は、プレートが
どうのという話ではなく、どこでも、いつでも起きる可能
性のある地震だったのです。それが、たまたま神戸という
大都市の直下で発生したということです。
 阪神大震災型の地震なら、全国、どこででも起きうると
いうことです。
 逆にいえば、だから、あのとき、神戸のすぐ隣りにある
大阪や京都は、無事だったのです。さらにいえば、名古屋
も東京も無事だったのです。
 だから、神戸には、無事だった近隣の都市から、支援の
手がすぐに入りました。

 しかし、東日本大震災は、被災の範囲が非常に広い。阪
神大震災とは比べものになりません。
 しかも、阪神大震災では、二階家が押しつぶされて平屋
になった、あるいは、マンションがぐしゃっとおしつぶさ
れたという被害が多かったのですが、幸か不幸か、人と物
は、被災したその現場にいたのです。
 それに対して、東日本大震災は、すぐあとに津波が襲った
ため、人も物も、さらっていきました。人と物が、もと
いた場に残っていないのです。

 だから、東日本大震災の復興には、阪神大震災とは比較
にならないぐらい、時間も人手もかかると思います。
  
 阪神大震災のときも、被災地に立ち、
 「これはいったいどうすればいいんだろう」
 と思いました。
 でも、16年たち、神戸の街は生き返りました。
 東北の街も、そうあってほしいと願わずにはいられませ
ん。







福島原発・・・東電が汚染水を排出し、抗議が相次いでいます。役人は責任を東電に押しつけています。

2011年04月07日 02時10分49秒 | 日記


 また役人の話を書きます。
 またがっかりという話です。

 東電が、福島第一発電所の建物にたまった低レベル汚
染水を海に放出しています。
その量が、1万トンというのですから、半端な量では
ありません。
 これまで、たとえば柏崎原発で、低レベル汚染水がち
ょっと漏れたといっては大騒ぎしたものです。しかし、
1万トンという圧倒的な量を前にすると、ちょっと漏れ
たといって大騒ぎしたのは、いったい何だったんだろう
と思わざるをえません。

 この1万トンを放出するにあたって、事前の通知が十
分ではなかったというので、あちこちから抗議と批判の
声が出ています。
 沿岸の水産業にとっては死活問題です。
 韓国など近隣諸国も抗議しています。

 確かに、この放出は、なんだかあっという間に決まって
しまって、あれよあれよという間に実施されてしまいました。
 低レベルとはいえ、汚染された水を1万トンも放出する
のですから、こんなことを、東電だけで決められるはずが
ありません。
 当然、政府、具体的には、保安院や原子力安全委員会が
東電に許可したことは間違いありません。
 いや、もっといえば、東電ではなく、保安院や安全委員会
が決めたのだろうと思います。

 こんなこと、東電だけで決められるはずもないでしょう。
1万トンもの汚染水の放出を、いち私企業だけで決められる
とすれば、そのほうが、どうかしています。

 端的にいえば、この汚染水の放出は、政府が決めたのです。

実をいえば、地震で原発に被害が発生したあと、対応が
まずいという批判を受け、数日たってようやく、菅首相が、
政府と東電を合わせた総合対策本部を設置しました。
 この総合対策本部が、原発事故への司令塔になるという
触れ込みだったのです。
 実際、海江田経済産業相は、毎日、この本部で長い時間を
過ごしていました。
 
 汚染水の放出は、当然、この本部で話し合わせているはず
です。
 そして、そこには、政府各省庁の役人も、いたはずです。
 総合対策本部ですから、原発に関係する経産省、保安院、
原子力安全委員会だけではなく、食料を扱う農水省、外国
との交渉にあたる外務省など、各省庁が入っていなければな
りません。
 
 ですから、汚染水の放出は、政府の各省庁は知っていた
はずなのです。
  
 ところが、あちこちから批判が出たのを見て、6日、保安
院は、東電に対し、放出するときは関係自治体に広く通知す
るように、という指示を文書で出したのです。

 これは、いったい、何なのでしょう。
 保安院は、汚染水の放出を、もちろん知っていた。
 汚染水の放出は、東電といういち私企業が持つ権限をはる
かに超えている。
 当然、政府が責任を持つものです。

 そのために、総合対策本部を設置したのでしょう。
 「でも、うちの役所は聞いてませんでした」
 というのであれば、給料を返上するべきでしょう。

 漁師さん、漁業団体、関係自治体に、汚染水を放出する
ことを連絡するのは、政府の責任でやるべき話です。
 それを、いまさら、東電に、放出するときは関係自治体
に通知しなさいーーはないでしょう。

 それは、通知するのは東電の責任であって、保安院は知
らなかったんですーーとエクスキューズしているだけです。
 保安院の役人が、責任を東電に押しつけているだけです。
 いや、政府の役人が、そろって、責任を東電に押し付け
ているのです。
 
 しかし、みなさん。
 この期に及んで、責任を東電に押しつけますか?

 保安院の会見も、ハナから、必要ありませんでした。
 保安院の会見は、東電から聞いたことを、そのまま伝え
ているだけです。
 まったく意味がありません。

 会見は、東電と、枝野官房長官だけでいい。
 保安院も、原子力安全委員会も、存在する意味はまった
くありません。
 
 菅首相は、政治主導を掲げるのですから、こうした役人組
織は、ぜひ、解体していただきたいと思います。

 きょうの新聞のコラムに、痛烈なジョークが書いてあり
ました。
 初対面の二人が名刺を交換して、あいさつしました。
 「あなたのところは、どのぐらいの方が働いていらっ
 しゃるのですか?」
 「うーん、半分ぐらいですかねえ」
 
 何人ぐらいの人が働いているのですかと聞いたのに、
 答える側は、思わず、「働いているのは半分だけだ」と、
 日ごろ感じていることを、つい口にしてしまったという
 わけです。

 いまの政府の役人を見ていると、
 「どのぐらいの方が働いていらっしゃるのですか?」
 と聞かれたら、
 「うーん、2、3人ですかねえ」
 と答えてしまいそうです。
                    (止)
    




福島原発・・・気象庁が拡散予測をIAEAに送りながら、公表していませんでした。役人というのは!

2011年04月05日 02時09分12秒 | 日記

  またか、まったく役人というのはと、唖然とします。
取材の現場で、あるいは、プライベートな場面で、もう
何度も経験してきたことですが、役人の習性には、あほ
らしくてため息が出ます。


気象庁が、放射性物質の拡散予測を、なんと地震の
あった当日の3月11日から毎日計算していること
が分かりました。
これは国際原子力機関(IAEA)の要請に基づく
もので、気象庁は、このデータを毎日、IAEAに
報告していました。
  それをIAEAは、各国の原子力を担当する部局に
通知していたそうです。

この予測を、こともあろうに、外国、具体的にはド
イツやノルウエーですが、外国の気象機関が公開して
いました。

それを、気象庁は、まったく何も公表していなかっ
たのです。

いったい、なんということでしょう。

怒る前に、ひとつ、押さえておかなければなら
ないポイントがあります。
この予測は、
  「もし放射性物質が原発から放出されたとした
   ら、風向きや気圧配置によって、どういうふ
   うに広がるか」
を予測したものらしいということです。

  つまり、放射性物質が原発から実際に放出された
のではありません。
そうではなく、もし、原発から放出されたとした
ら、その日は、どういうふうに拡散していくかーー
それを見たものです。
たしかに誤解されやすいデータではあります。

 読売新聞が、そのドイツ気象局の拡散予測図を掲載
していますが、それを見ると、日本列島の太平洋岸に、
広く、拡散するという図になっています。
 東京も、拡散の範囲に入っています。
 なるほど、世界の人がこの図を見たら、東京も放射
能で汚染されたと思うでしょう。

  気象庁の役人は、きっと、こう考えたのでしょう。
  「これは、もし、仮に、放射線物質が原発から放出
   されたらーーという仮定を置いたものだ」
  「実際には、放射線物質は、放出されてはいない」
  「それなら、公表しなくてもいいだろう」

  あるいは
  「まるで放射能が実際に拡散しているように、間違
   って受け取られやすい予測だから、公表しないほ
   うがいいだろう」
  と考えたかもしれません。

  あるいはまた
 「公表するなら、間違って受け止められないよう
  に、詳しい説明をしなければならない。それは面倒
  くさいから、やめておこう」
  考えたかもしれません。

  しかし、役人のあなたたちに考えてほしいことが
あります。
  それは、あなたたちの給料は、私たちの税金で支
払われているということです。
  そしてまた、予測に使ったコンピューターや機械
も、やはり、私たちの税金で買われたものだというこ
とです。

 あなたたちは、私たち国民に雇われているのです。
 税金で給料をもらっているあなたたちが、税金で
買った機械で予測した。

 どうして、それを、税金を払っている国民に見せ
ないのでしょうか。

 もし、公表すると国民が混乱するーーと考えている
とすれば、それは、傲慢というものです。
 国民は、あなたたちの雇い主です。
 判断するのは雇い主でしょう。
 あなたたちが、勝手に判断していいものではありません。

 こともあろうに、それが、ドイツの気象局で公表された。
 我々の税金は、ドイツの人に予測を見せるために
遣われたというわけです。

 もうひとつ。
 IAEAに予測を送り、IAEAが各国に通知す
るということを、あなたたち役人は、知っていたの
でしょう?
 IAEAに予測を送り、IAEAがそれを各国に
通知した。それだけ多くの人が知ったわけですから、
新聞、テレビに加え、これだけインターネットが発達
し、多様なメディアが普及したこの時代にあって、
だれも知らないまま、右から左へ消えていくという
ことは、ありません。

 必ず、どこかで表面に出る。
 そもそも、各国にとっては、公表しても、自分の
国には、何の影響もない話です。

 しかし、実際のところ、メディア論をいう必要
さえありません。
 もともと、IAEAは、隠すつもりがまったくない
のですからね。
 
 そうしたら、必ず、日本にも届くに決まっています。
 そんな想像力さえ、役人にはないのです。

 日本という国は、本当に、役人が悪くしています。
 このブログ、役人の方が読んでいたら申し訳ない
けれど、本当にそう思います。


福島原発・・・放射線量が健康に影響のないことを証明するのは難しい。

2011年04月04日 01時57分36秒 | 日記

 悪魔の証明という言い方があります。
 「やってない」ことを証明するのは、不可能だという
ものです。
 
 どこかで、なにか、ものが無くなったとします。
 あいつが怪しいということになって、みんなで問い詰
めます。本当は、その人は、なにもしていません。
 「お前だろう」 
 「知らないよ」
 「お前が取っただろう」
 「そんなことしないよ」
 「じゃあ、証明してみろ」
 ・・・と、こういう展開になります。
 こういう展開になると、最悪です。
 やってないことを証明するのは、ほとんど不可能です。

 では、どこに問題があるか。
 実際は、「やっただろう」と問い詰める側が、その人が
やったことを証明しないといけないのです。

 きょうは、あえて、誤解を恐れずに書きます。

 福島原発の事故、放射能漏れの話です。
 枝野官房長官や保安院が、
 「測定された放射線量は、いますぐ健康に影響の出る
ような量ではありません」
 と答えます。

 これに対し、つい、
 「政府は嘘をついている」
 「政府は本当のことを言ってない」
 と言いたくなります。
 「本当?」
 という感じです。

 しかし、では、健康に影響は出ないということを、ど
うやって証明できるでしょうか。
 無理でしょう。
 それは、悪魔の証明というものです。

 ここでいま、「危なくない」ということを言おうとしてい
るのではありません。

 そうではなく、「政府は本当のことを言ってない」と、
つい言いたくなるような政府の対応が問題だろうと思う
のです。

 原発事故で、放射線がどう広がるかをシミュレーショ
ンする「スピーディ」というシステムがあります。私自
身、今回、それを初めて知りました。
 担当は原子力安全委員会です。
 ところが、スピーディは、事故が起きてすぐにシミュ
レーションをし、どこまで放射線が拡散するかという図
まで作ったのに、原子力安全委員会は、何日も公表しな
かったのです。
 会見で追及された委員長は、
 「まだ確定した数字じゃないので」とか、
 「放射線の数値が低く、公表しなくてもいいと思った」
 とか、いろいろとエクスキューズをしていました。
 こういう態度が、
「政府は本当のことを言ってない」
 という不信を生むのです。

 そしてまた、「いますぐ健康に影響の出るような量では
ない」というのであれば、そこをもっと懇切丁寧に説明
するべきでしょう。
 枝野官房長官は、今回、よくやっていると思いますが、
しかし、彼とて、
「なぜ、そのぐらいなら影響がないのですか」
「ではどのぐらいになれば危ないのですか」
 と聞かれて、答えられるはずもないのです。

 だから、枝野長官が「影響はありません」というので
あれば、専門家がついて一緒に会見するとか、あとか
ら改めて説明するとか、そういうことが必要なのです。

 ただ「影響はありません」というだけだと、結局は、
「悪魔の証明」を要求され、逆効果になりかねないの
です。
 どうしてそこが分からないのでしょう。

 これ以上「悪魔の証明」を求められないうちに、
菅政権は、ちゃんと対応する必要があるでしょう。
 そして、それが、「風評被害」を防ぐことにも
なるのだと思います。


福島原発の事故・・・メディアの役割は何か。まずは、記者会見をどう伝えるか。

2011年04月01日 02時03分33秒 | 日記


  今度の大地震と原発の事故のような大きな災害にあ
たって、メディアの役割とは、どういうものなんでしょ
う。

  たとえば、記者会見を考えてみます。
  いま、原発事故で、記者会見は、おおむね3種類開
かれています。
  ひとつは、枝野官房長官の会見です。

  ふたつめは、東京電力の会見です。

  みっつめが、保安院の会見です。

  いずれも長時間にわたることが少なくありません。
  とくに東電、保安院の会見は、1時間から2時間ぐ
らい続きます。しかも、深夜に開かれることが多い。
  事故が起きて10日間ぐらいは、民放でも、かなり
の時間を割いて、この会見を生中継していました。
  しかし、3週間たち、生中継するテレビ局は減り
、唯一、日本テレビやTBSが、CATVの枠を使って
生中継するぐらいです。

  さて、週刊誌やネットをみると、会見への批判がい
ろいろと出ています。
  政府も東電も、本当のことを言わない。
  情報を隠している。
  会見で質問する記者が勉強不足だ。
  ・・・などなどです。

  そこで、こういう意見が出ます。
  「記者会見を、すべて、ナマのまま記録して、公開
してほしい」
  と。

  この意見は、メディアへの批判でもあるのです。
  本当のことを書かない・・・という批判です。

  しかし、そうでしょうか。
  記者会見、1時間も2時間もかかる記者会見のやり
とりを、ナマのまま、たとえば速記を取って、そのまま
公開したとして、いったい、だれが読みますか?
  
  では、全部テレビで流したら? 
日ごろ、メディアに批判的な学者が、こう話してい
ました。
「会見の中継は、見ても意味がないので、見ない」
これもまた、矛盾した話です。

実際には、2時間、会見して、それをテレビがすべ
て生中継したとして、だれが、それを2時間も見るでし
ょうか。

そうなんです。
記者会見を、そのまますべて公開せよ。速記録を作
って紙で公開せよ。あるいはインターネット上で公開せ
よ。そしてまた、記者会見をすべてテレビで生中継せよ。
もしそうやったとして、いったい、だれが、長い長
い速記録を読み、2時間の会見の生中継を見ますか。

  現場では、こうした会見をすべて、担当記者が聞い
ています。記者たちが、根気よく、会見を聞き、質問し、
答えを聞いて、また質問し、という作業を繰り返してい
ます。
  そして、会見が終わったら、
  「いまの会見は、何が新しい点だろう」
  「いまの会見で、東電や保安院の説明に、おかしな
ところはないだろうか」
  「いまの会見、またややこしい内容だったが、ポイ
ントは何だろう」
  「要するに、東電や保安院は、何を言わんとしたの
だろう」
   というようなことを考え、自分のノートを見なが
ら、会見の内容を整理して、原稿を書きます。

  活字のメディアの場合、まあ新聞が代表的ですが、
読者が読んでくれない記事は意味がありません。
  普通の読者が読んで分からない記事を書いてもしよ
うがないのです。
  会見で飛び交うシーベルトやべクレル、トレンチ、
放射性ヨウ素などなど、専門用語をそのままナマの形で
原稿にしても、だれも分かりません。

  難しいことをやさしく書く。
  相手がうまく説明できなかったことを、再構成して、
うまく説明しながら書く。
  2時間の会見を、80行の原稿にする。
  
テレビの場合だったら、2時間の会見を、2分とか
3分、場合によっては30秒にカットする。そのとき、
どこがポイントなのかをしっかりつかんでおかないと、
カットなんかできません。

メディアの役割は、いろいろあるのですが、いま記
者会見を舞台に考えると、記者会見に出てくる専門家の
難しい内容を、記者が自ら理解して整理し、普通の市民、
普通の読者、普通の視聴者に分かるように、原稿を書き、
映像を編集するーーというところにあるのです。

それは、言い換えると、ニュースあるいは情報を、
記者が「価値判断する」ということです。
情報を「ジャッジ」するということです。
2時間の会見で、どれが大事なのか、それを「価値
判断」し、あるいは「ジャッジ」すること、それが、も
のすごく大事な役割になります。

ジャーナリズムの役割は、一般には、まず事実を正
確に伝えるということになります。
もちろん、それが大前提です。
そんなことはいうまでもありません。

しかし、それとは別に、ニュースあるいは情報を、
正確に「ジャッジ」するという役割も、実はものすごく
大きな役割になります。

記者会見で、何をどう伝えるか。
それは、ジャーナリストの「ジャッジ」の能力の見
せ場となるのです。

  それは、メディアの大きな役割のひとつです。