いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

小沢氏、強制起訴される・・・日本がこんな状態のとき、いつまでこんなことを続けるんだろう。

2011年01月31日 23時49分50秒 | 日記

 小沢一郎氏が強制起訴された。
 小沢一郎・民主党元代表は、政治資金規正法に違反(虚
偽記載)しているとして、検察官役の弁護士が31日、
東京地裁に在宅起訴した。
検察が不起訴としたものを、東京第5検察審査会が起
訴すべしと議決したのを受けたものだ。

いつまでこんなことをしなくてはいけないのだろうと、
がっかりする。







サッカーのアジアカップ優勝・・・真理は「期待なければ感激なし」にある。

2011年01月30日 23時44分46秒 | 日記

サッカーのアジアカップで、日本が優勝した。
 準決勝の韓国戦も、決勝のオーストラリア戦も、それ
はみごとな試合で、とくに韓国戦は、歴史に残るような
戦いだった。
 
 結婚式で聞くスピーチに
 「期待なければ絶望なしであります」
 というのがある。
 相手に期待しすぎると、失望も大きい。
 それなら、初めから期待しなければ、失望も絶望もな
いーーというわけだ。
 このスピーチを聞くと、会場から笑いが出る。
 めでたい席の半分冗談、半分本音だろう。
 
 しかし、スポーツは違う。
 スポーツは
 「期待なければ感激なし」 
 だ。

 サッカーの日本代表がオーストラリアと戦う。
 これまで、オーストラリア戦には歩が悪い。
 しかも、今大会のオーストラリアは調子がいい。
 日本は、2006年のドイツ・ワールドカップの初戦
で、オーストラリアに逆転負けを喫し、そこから日本の
サッカーの人気の低迷が始まった。

 それだけの条件が整うと、決勝のオーストラリア戦は、
どうしたって、負けそうな雰囲気だ。

 仮にもし、そう思ってテレビを見たとすれば、当然の
ことだが、感情移入しにくい。どうぜ、日本は負けるだ
ろうと思って見ると、力は入らない。
 劣勢なら、あとでニュースを聞けばいいや。
 それは、まさに、「期待なければ絶望なし」だ。

 そう思って、テレビを見なかったら、あの感激は味
わえない。

 期待すればこそ、感激が大きいのだ。
 世の中には、期待すればこそ、大きな感激がやってく
るというものがある。
 
 期待するのは、エネルギーがいる。
 そのエネルギーが、報いられるとは限らない。
 しかし、それでも、期待すればこそ、やってくる感
激は大きい。

 期待しなければ、たしかに、絶望はないかもしれない。
 しかし、期待しなければ、感激も感動もない。

 真理は「期待なければ感激なし」にある。
 
 しかし、よく勝った。
 




みんなの党が500人擁立するというが・・・「みんな」の党には根源的な疑問がある。

2011年01月29日 23時43分43秒 | 日記

 みんなの党が、次期衆院選に500人の候補者を立
てたいという。

  しかし、「みんな」の党には、根源的な疑問を感じる。
  「みんな」とは何か。
  「みんな」というのは成立しないのではないか。

  高校2年生のとき、生徒会に立候補した。学園紛争
の波を受け、制服の自由化、廃止が大きな問題になって
いた。その状況で、制服を担当する風紀委員長に立候補
した。ふつう、風紀委員長というと規律を担当するから、
制服を守る立場になる。しかし、当時の流れの中では、
風紀委員長は制服の自由化を担当する役割になった。
立候補にあたり、公約を作って大きな模造紙に書い
て掲示板に張り出してくれということになった。
公約かあ。
何を書こうか。
正直、その時点では、まだ、制服の自由化に向けて
の展望がなかった。
一緒に選挙運動をする仲間から、公約を早く決めよ
うといわれ、よし、それなら・・・ということで、その
場で決めたのが、
「みんなで考える会」を作ります
というものだった。

とにかくいま最大の問題は制服の自由化だ。
それを、学校のみんなで考えよう。
そういう会を作ります。

とまあ、そういう趣旨だった。

選挙運動をしながら考えた。
「みんなで考える会を作る」というのは、風紀委員
長に立候補した本人が、明確な方針を持っていないとい
うことだ。
自分自身が、明確な方針を持っていれば、「みんなで
考える会」を作ろうと言ったりせず、
「私はこう考えます」
「私はこうしたい」
「私はこうします」
という公約にしたはずだ。

「みんなで」「みんなの」というのは、そういうこと
だ。「みんなの」というのは、リーダーとして、絶対にこ
うしたいという強い意志を持っていないということだ。

もちろん、「みんな」を大事にするのは、当たり前だ
し、大切なことだ。そんなことは言うまでもない。
しかし、あえて誤解を恐れずに書くが、何か、事を
起こそう、事を成そうというときに、必要なのは、どう
してもそれをしたいという本人あるいはリーダーの意志
ではないのか。
そういうときに「みんなの」「みんなで」と言ってい
たら、結局、何もできないで終わるのではないか。

「みんなの党」には、その意味で、根源的な疑問が
ある。
みんなの党が、10人ぐらいの党である間はいい。
しかし、20人、30人となって、なお「みんなの党」
と言い続けるのか。

方針が何もないとき、強い意志がないとき、そうい
うときに「みんなで」というのは、便利な言葉であり、
それは一種の逃げだ。

スポーツは話が違う。
サッカーでアジア杯に出場するとき、みんなの意志
はもう誰の指示を受ける必要もなく、「勝つこと」だ。
「みんな」の目指すべき道は、たったひとつだ。
だから、「みんな」はひとつに団結できる。

しかし、政治、政党は、スポーツではない。
本来なら、考え方を同じくする者同士が作るのが政
党である。

「みんなの党」というのは、ありえない。
「みんな」というのは、明確な方針がないからつけ
た名称だとしか思えない。

「みんな」としておけば、政治的信条や考えの違う
人も、入ることができる。彼らも「みんな」だから。
10人ぐらいなら、それもよかろう。
しかし、せいぜい、そこまでだろう。
それ以上の人数になると、意見の違いが出てきて、
分列が始まる。
「みんな」という名前をつけた瞬間から、実は、せ
いぜいミニ政党にとどまるということが確定してしま
ったのではないか。

500人の立候補という意欲は買う。
しかし、「みんな」とした時点で、みずから限界を定
めてしまったのだ。







国債の格付けの引き下げで「そういうことにはうとくて」・・・しかし、きょうは菅首相の肩を持ってみます。

2011年01月28日 22時59分11秒 | 日記

  菅首相が、27日の木曜日、日本の国債の格付けが下げられ
たことを記者団に質問され、
  「私、そういうことにうといので、またあとで」
  と答えた。

  これが、28日の国会で、大きな問題になった。

  それは、問題になるでしょう。
  国債の格下げという事態に、
  「そういうことにうといので」
  と答えていては、問題にならないほうがおかしい。

  しかし、きょうは、菅首相を擁護してみたい。

  仮にも一国の首相に、国債の格下げなどというテクニカルな
問題をどう思うか聞くほうがおかしい。
  聞くなら、まだしも財務相だろう。
  
  聞く側の記者は、国債の格付けが何かを知っているの
だろうか。たぶん、知らないと思う。  
  首相に毎日ああやって質問するのは各社の政治
部の記者であって、経済部の記者ではない。国債の格付けという
テクニカルな問題は、経済部の守備範囲であって、政治部の記者
なら敬遠したがる問題だ。政治部の記者は、格付けの意味
をあまりよくは分かっていないと思う。そう。菅首相といい勝負
ではないか。
  自分たちが分からないのに、首相の見解を聞くとはいい度胸だ。

  もしアメリカの国債(財務省証券)の格付けが下げられたとし
たら、ホワイトハウスの記者団は、オバマ大統領に、そのことを質
問するだろうか?
  多分、質問しない。
  イギリスの首相も同じだろう。

  なぜ、菅首相がそんなことを聞かれたのかというと、毎日のよ
うに、ああいう形で記者団の一問一答に応じるからだ。

  首相が通りがかりに足を止め、記者団との一問一答に応じると
いうのは、小泉首相のときに始まった。
  その後も、この形が踏襲され、民主党政権になっても、そのま
ま続いているわけだ。

  アメリカでもイギリスでも、こういうことはやらない。

  首相がメディアを通じて、国民と接するというのは、悪いこと
ではない。むしろ、大変いいことだろう。

  しかし、いまのような形だと、質問する記者団も答える首相
も、お互い、カタコトの一問一答になり、聞きたいこと、言いた
いことが、素直にうまくは伝わらない。
  
  考えてもみてください。
  国債の格付けが下げられたというニュースを、あの短い一問
一答で、いったい、どう答えればいいのだろう。
  答えようがないのではないか。

  もし、私が首相だったとして、記者団から「首相、国債の格付
けが引き下げられましたが・・・」と質問されたら、なんと答える
だろう。
  「うーん。まだよく情報を検討してないんですよ」
   だろうか?
  「うーん。日本の国債って、もっと信用があるでしょう?」
   だろうか?
  「うーん。そんな民間の勝手な格付けのことで、いちいち、
一喜一憂できませんよ」
   だろうか?

   どの答えにも、冒頭に、「うーん」が入る。
   格付けの引き下げというやっかいは話に対し、あの短い間に、
とっさには、うまい答えは見つからない。

   もし、質問された人間が、財務省や日銀のスタッフで、格
付けのことをよく知っている人間であれば、逆に、このときとば
かり、滔々と、テクニカルな答えを展開するかもしれない。
    記者団はそんな答えは望んでいないだろう。

    だから、国債の格付けが下がったことを、あんな一問
一答の場で首相に聞くこと自体がおかしいし、首相だって、答
えようがない。

    しかし、記者団とすれば、ああやって首相が質問に答
えるなら、やはり、国債の格付けの話は聞きたい。

    では、どうすればいいか?
    まず、いまのような首相の一問一答は中止する。
    その代わりに、首相の公式会見を毎月1回とか毎月
2回に増やす。
    そして、公式会見は時間を十分取り、首相はしっかり
答える。

    そのほうがいいのではないか。

    もともと、あれは、小泉首相のいわゆる「ワンフレー
ズ・ポリティックス」、気の利いたひとことで政策をPRす
るということから始まった。
    そう。首相のPRの場だったのだ。
    それが、いまや、首相の失言とあらさがしの場とな
っている。   

 
    それならもう、あれを中止し、公式会見を増やす
ということでいいのではないか。
    
    *********  
    きょうは、菅首相の肩を持ってみました。
    正直、きのうの国債をめぐる一問一答も、ちょ
っと菅首相が気の毒だったように思います。
    では。




再び、アジア杯の日本ー韓国戦・・・日本代表の通訳さん、もうちょっとちゃんと通訳してくれませんか。

2011年01月27日 00時43分28秒 | 日記

  
   サッカーの日本代表の通訳さん、もうちょっと
ちゃんと通訳してくれませんか?

  25日の日韓戦の後、ザッケローニ監督のインタ
ビューで、監督につく日本人のイタリア語の通訳さん
が、気になった。
  インタビューに対し、ザック監督は、いっぱいい
ろいろと答えている。この人、岡田監督と違ってサービ
ス精神が旺盛だから、いろいろと答えてくれる。
  ところが、通訳がちょっとおかしい。
  ザック監督の答えの半分ぐらいしか訳していないのだ。
ザック監督の話す時間と、通訳の時間を見ているとわかる。
ザック監督が20秒ぐらいしゃべっても、通訳は10秒ぐ
らいしか話さない。
  え? ザック監督は、もっとしゃべってるだろう、と
いう感じが、最初から最後まで、ずうっとしている。

  通訳というのは、通訳する対象人物の話すことを正確に
そのまま伝えるのが仕事だ。対象人物の話を、勝手
にはしょったり、編集したりしてはいけない。
  その意味で、サッカー日本代表の通訳さんは、ちょっと
問題があるのではないか。

  プロ野球は、昔から外国人選手がいるので、どのチーム
にも通訳がいる。試合後のヒーローインタビューを見ている
と、うまい通訳と、下手な通訳とがいる。下手な通訳は、や
はり、外国人選手のしゃべったことを端折ってしまう。

  プロ野球の通訳で、傑作だったのは、10数年前の阪神
タイガースの通訳だ。当時、阪神の主力にオマリーがいて、
4番でファーストだった。これがよくホームランを打った。
   ホームランを打って、ヒーローインタビューに呼ばれ
る。
   インタビュアーが「いいホームランでしたね」と聞くと
、通訳が英語に訳し、オマリーがもちろん英語で答える。
   たとえば、
 「Oh、yeah,that‘s a great home run!」
   と答えるわけだ。
    
  すると、この通訳さん、大阪弁で
   「いやほんま、ごっついええホームランでしたわ」
  と訳して答えるのだ。

  なんやねん、それは。
  オマリーは大阪弁、しゃべるんかい。

  しかし、これが甲子園に妙にあっていた。
  この通訳さんは、よかった。
  
  サッカーの通訳さん、ちょっと考えてね。

(もう一本、この下にアップしています。そちらもどうぞ)。





アジア杯の日本対韓国・・・本当に素晴らしい試合だった。それなのにインタビューのひどさは。

2011年01月26日 22時53分15秒 | 日記

1月25日の火曜日にあったサッカー・アジア杯の日本対
韓国の試合は、歴史に残る激闘だった。
サッカーの報道は、実は、日経新聞が一番いい。サッカーだ
けではなく、野球も含め、スポーツ全般で日経新聞がいい。
記者の視点が素晴らしいと思う。
きょう26日の日経夕刊にも、こんな小さな記事が出ていた。
 

韓国の監督は、試合後の会見で、質疑が出尽くしたあと、会
見場を出ようとした報道陣を制し、こう言った。
「最後に、ひとことお話したい。この試合を勝った日本に、
おめでとうと申し上げる」。
監督は、ともに死闘を戦った日本を称え、拍手をした。
その監督に対し、会見場から、暖かい拍手が起きた。

 どうです。
 いい記事でしょう。
 この記事が、日経にしか出ていない。
 神は細部に宿る。
 こういう小さな記事が、あの試合がいかに素晴らしかったか
を伝える。

  きょう、書こうとしたのは、そのことではない。
それだけの試合をした選手たちへのインタビューで、なぜ、もっ
といいインタビューができないのか、ということだ。

  韓国戦の後、ザッケローニ監督へのインタビューで、
質疑の流れの中で、監督が、決勝戦の戦い方みたいなことを話
した。決勝戦の相手で、オーストラリアになってもウズベキス
タンになっても、日本は日本の戦い方をすればいい、というよ
うなことを言った。

  韓国戦に勝ち、気持ちが高揚している中で、我々は我々の
戦い方をすれば勝つんだという、強い気持ちが言わせた言葉だ
った。
  それなのに、インタビュアーは、インタビューの締めくく
りとして、
 「それでは、決勝戦への抱負を聞かせてください」
 と質問したのだ。

   この質問で、ザッケローニ監督が、白けた顔をしたのが
よく分かった。
   さっき言ったよ、とはさすがに言わなかったが、
「我々の戦い方をするだけです」と、短く言って、インタビュー
を終わらせてしまった。

   最近は、「いまの気持ちはいかがですか」とか、
「試合が終わって、感想はいかがですか」というような質問は
なくなってきた。
   しかし、必ず最後に、「次の試合に向けての抱負を聞か
せてください」と聞く。
   こういう紋切型の質問は、質問しやすいし、こう聞かれ
たら、相手も断るわけにはいかないだろう。しかし、「次の試
合に向けての抱負を」といわれたら、「がんばります」としか
言いようがないじゃないか。
   インタビュアーが勉強していないから、聞くことがなく
て、こんな紋切型の質問が出る。

   プロ野球でも、この質問が必ずでる。
   ひどいのは、長丁場のペナントレースでようやく優勝し
た日、優勝したチームの監督に、
   「日本シリーズへの抱負を聞かせてください」
質問することだ。
   140試合を超す試合をこなし、へとへとになり、よう
やっと優勝をつかんだその日に、次の日本シリーズへの抱負は
ないだろう。
   3、4年前、巨人の原監督が、やはり、優勝決定の日に
この質問を受け、
   「うーん。きょうぐらいは、そんなことを考えずに、優
勝の余韻にひたらせてくださいよ」
と答えていた。
   その通りだと思う。

   シドニー五輪で優勝した柔道の野村が、帰国して、地元・大
阪で祝勝パーティに招かれ、その席で、新聞各社の個別インタビ
ューに応じた。
   個室ではなく、パーティ会場の隅っこでやったので、他社の
インタビューが見えて、聞こえる。
   一番ひどかったのは、ある新聞社の記者が、
   「次のオリンピックへの抱負を聞かせてください」
   と質問したことだ。

   4年に一度の五輪に出るだけでも大変なのに、そこでつい
に金メダルを取り、充実感や幸福感、燃え尽き感、達成感など、
さまざまな思いにひたっているはずだ。
   その選手に、4年後の五輪への抱負を語ってくれとは、い
ったいなにごとだ。
   これは、質問した記者が、何の勉強もせずにインタビュー
をしているということだ。

   このときは、野村はさすがにむっとした表情をし、   
   「そんなこと、いま聞かれてもわかりませんよ」
   と、ぶすっともらしただけだった。

   サッカーの日韓戦、歴史に残る名勝負だった。
   それなのに、試合後のインタビューを受けた選手や監督、本
田も、川島も、ザッケローニも、インタビューの後、ぶすっとした
顔をした。

川島は、PKで韓国のキックを2本止めた。
   すばらしいキーパーだった。
   インタビュアーはどう聞いたか?
   「川島さん。2本続けてPKを止めて素晴らしかったですが、
    あれは、相手の情報が入っていたのですか?」
   いったい、何を聞いているんだろう。
   「素晴らしいかったですね」
   で止めておけば、川島は喜んで、いろいろと話してくれた
だろう。しかし、「(うまく止められたのは)情報が入っていた
からですか?」と聞いたら、それは、ケチをつけているのと同じだ。
   案の定、川島は、この質問でむっとした表情になり、あんまり
しゃべらなくなった。

   本田も、せっかくいろいろ話していたのに、最後に
   「決勝戦への抱負を」と言われ、
   「結果だけです」と、ぶっきらぼうに返事して後味の悪さを
残してしまった。

   試合の興奮、試合の素晴らしさが、インタビューで、さめてし
まった。
   インタビューをする人間は、ジャーナリストとしての自覚、
あるいはアナウンサーとしての自覚、プロとしての自覚を持って
インタビューをしてほしい。

   逆に、これまで見た中で、素晴らしいと思ったインタビュー
のことを書く。
   冬の長野五輪より前のことだ。
   当時、スケートの500メートルは、清水宏保と堀井学の二
人が、互角の争いをしていた。ところが、少しずつ清水のほうが勝
つようになり、五輪の出場権をかけるような重要な大会で、堀井が
着外に落ちるような惨敗を喫した。

   しかし、インタビューをしなければならない。
   NHKのスポーツのベテランのアナウンサーが、スケートリ
ンクの出口でじっと待っていたら、堀井が出てきた。
   堀井は悲嘆にくれた表情をして、アナウンサーを見た。
   私は、「いやー、いったい、何を聞くんだろう。こんな悲し
そうな顔をしている選手に、感想は? なんて聞かないでね」と思
いながら、はらはらしてテレビを見ていた。
   すると、そのアナウンサーは、堀井に対し、こう切り出した
のだ。
   「つらいねえ・・・」。
   それを聞いた堀井は、がっくりと腰を落とし、両手を両ひざ
に置いて、
   「はい。声援を送ってくれた子供たちに申し訳ないです・・・」
   と、絞り出すようにして答えたのだ。

   このインタビューは、素晴らしいものだった。
   こんなとき、選手に
  「つらいねえ」
  と、声をかけられるというのは、なんと、いいことではないか。
  そういうふうに声をかけられたら、悲嘆に暮れている選手だって、
心を開くだろう。
  そう。
  インタビューは、相手に心を開いてもらう作業であってもいい
のだ。

  堀井選手へのインタビューのようなすぐれたインタビューは、
その後、一度も見ていない。
  あんなインタビューなら、もっと見たい。



菅首相の施政方針演説をどう見るか・・・菅直人という人は首相になるべきではなかった。

2011年01月25日 00時28分59秒 | 日記


  もうあまり菅直人首相のことは書きたくない。
  書かないようにしようと思っていた。
  しかし、きょう、国会が召集され、菅首相が施政方
針演説をするのを聞いていたら、書かざるをえなくなっ
た。

  この人は、やはり、首相になるべきではなかった。
  施政方針演説の後、野党の党首がテレビのインタビ
ューに答えていた。その中で、共産党の志位委員長の言
葉が、正鵠を得ていた。
  志位委員長はなんといったか?
  「菅さんは、自民党を打倒するといって、やってき
たわけでしょう。それなのに、きょうの演説を聞いてい
ると、無残ですね」
  といったのである。
 
  そう。
  「無残ですね」。
この言葉が、いまの菅直人という人のありようを、
よく伝えている。

   志位委員長は、「無残ですね」といいつつも、残念
そうな表情を見せた。
   せっかく自民党を倒し、政権交代を実現しながら、
どうして・・・という感じが、その表情によく出ていた。
   
   そしてまた、その思いは、国民にも共通している
のではないか。

   菅首相の施政方針演説で、最悪なのは、野党に
「各党で意見を持ちあって、国会で議論を始めようで
はありませんか」
と呼びかけていることだ。

   菅首相は、このフレーズを、何度も何度も使った。

   たとえば、TPP(環太平洋経済連携協定)の交
渉に参加を訴えるところだ。
菅首相はこれを「平成の開国」と名付け、
「そうした各党の意見を持ち寄り、この国会で議
論を始めようではありませんか」
 と言った。

 社会保障と税の改革、つまりは、消費税の引き
上げについても、こう言った。
 「問題意識と論点の多くは共有されていると思
います」
 「与野党間で議論を始めようではありませんか」

 そして、とどめとして、こう話した。
「この大きな課題に対策を講じる責任は、与野党
の国会議員全員が負っている」

  ここまで聞くと、神戸生まれの私は、ひとこと、
   「あほや」
と言いたくなる。
  首相というポストには最大の敬意を払うが、しか
し、菅直人という人には
   「あほちゃうか」
と言いたい。

   いま、政権にあるのはどこのだれだ。
民主党が政権党として、内閣を組織し、日本の政
府を動かしている。
政策を出すのは政権与党であり、その政策を実行
するのは政権与党の組織する政府である。

   消費税の引き上げや、TPPは、日本という国の
ありように決め、私たちの生活に直結する重要な政策だ。
その政策を出すのは、政権与党と政府をおいて、
ほかにはない。

  与党と政府が出した政策、つまり法案を、国会で
審議する。
  それが、当たり前のことだ。

   まず、与党と政府が、政策を立案しなければなら
ない。

   消費税を引き上げたいのなら、その理由や、今後
の税収への展望、何パーセントにしたいのかなど
を、政権与党が責任を持って立案し、国会に提出
しなければならない。
そうして初めて、野党が質問し、与党が答え、つ
まり国会審議をして、修正するなら修正し、ある
いは、野党が対案を出す。
   国会とはそういうものだ。

   そして、それ以上に、私たちは、政権を取った民
主党がどういう政策を打ち出したいのかを聞きたいのだ。
多くの国民が期待とともに投票した民主党がどういう政
策を考えているのか、それを、聞きたいのだ。自民党の
政策を聞くのは、そのあとでいい。

   政権与党は、初めに、政策を打ち出す義務がある
のだ。それが、選挙で民主党を選んだ国民に対する義務
というものだ。
   国民に対する神聖な義務だ。

   ところが、菅直人という人は、国会の審議が始ま
る前から、そして、与党が具体案を出す前から、
とにかく一緒に議論をしましょうよ
と訴えている。
  
  国民とすれば、
   え?その前に、民主党はどう考えているの?
   民主党の政策を聞かせてよ
  といいたい。 

  消費税の引き上げは、民主党内部にも、大きな異
論がある。民主党自身が、一本化できないかもし
れない。
  少なくとも、いまの時点では、民主党内部はまと
まってい。そんなものを、野党に
  「各党が意見を持ち寄って」
と、よくまあ、恥ずかしげもなく言えるものだ。

  自民党の谷垣総裁は、やはりインタビューで
「菅首相は、自分の党はこうしたいという政策を
おっしゃらないで、よその党のことばかりあげつ
らっておられます」
と皮肉を言っていたが、もうまったく、その通だ。

  公明党の山口代表は
「菅首相は、まず与党が、こうしたいという政策
を国会に出すのが先決です」
  と述べていたが、これも、まったくその通りだ。

  菅首相は野党時代、もし、自民党の首相が「各党    
が意見を持ち寄って」などと言ったら、口をきわ
めて罵倒しただろう。それが、首相になったら、
なんという様変わりだ。志位委員長の「無残です」
という言葉がぴったりとあてはまる。

  たたずまいがおかしい。

  菅直人という人は、首相になるべきではなかった。







卓球の全日本選手権・・・かつて日本には長谷川というものすごい選手がいた。

2011年01月24日 00時40分52秒 | 日記

   中国のGDPの話はいったん中断して、きょうは
卓球の話を書きます。

         ***

  卓球の全日本選手権で、水谷準(明大)が史上初
めて5連覇を達成した。長く低迷していた日本の卓球界
に現れたエースだ。

   しかし、日本には、かつて、長谷川信彦という強
力なエースがいたことを記憶にとどめておきたい。

   長谷川選手は、1965年、愛知工業大学の学生
のとき、18歳9か月で全日本を制した。これは当時の
史上最年少の記録だった。

   卓球のラケットの握り方は、ペンホルダーとシェ
ークハンドのふたつがある。
   当時は、日本がペンホルダー、欧州がシェークハ
ンドとなっていた。

   長谷川が素晴らしい印象を残したのは、そのシェ
ークハンドによる強烈な攻撃である。

   ペンホルダー全盛の日本にあって、長谷川はシェ
ークハンドで戦った。それも、ふつうのシェークハンド
ではない。ふつうのシェークハンドだと、人差し指をラ
ケットの裏面に斜めにそっと置く。ところが、長谷川の
シェークハンドは、人差し指をラケットの裏面の中心に
沿って一直線に置く。これを、長谷川の一本ざしグリッ
プと呼んだ。
   裏面の中心線、つまり、裏面の手元からトップに
向かって、まん真ん中に人差し指を置くわけだから、裏
面では球が打てない。裏面で球を打とうとすれば、人差
し指が邪魔になる。

   では、長谷川はどうしたかというと、そもそも、
ラケットの裏を使わなかった。
   すべて、ラケットの表だけで攻撃した。
 バックハンドは一切使わず、フォアハンドだけで卓球
をやったのだ。

   人差し指をそうやって裏面の中心に置くから、表
面で球を打つと、強い力で打てる。
   非常に強い力で球を打てるのだ。
   そうやって長谷川は、かつてだれもやったことが
ないような強力なフォアハンドを振った。
 
 そのフォアハンドから繰り出される球は、剛速球
のようなもので、「来るぞ」と構えている相手の脇を、
うなりをあげて抜いていった。
 長谷川のフォアハンドは、一発で相手を抜いた。

 その代わり、バックハンドは打てない。
 当然、相手は、長谷川のバックに球を打ってくる。
 バックを打たない長谷川は、フットワークで回り
込み、それを、なんとファアハンドで打ち返したのである。
 圧倒的な運動量だ。

 そうやって、長谷川は18歳で全日本を制した。

 そして長谷川は1967年に、世界選手権で優勝
する。
 長谷川の一本ざしは、世界も制したのだ。

 その後も長谷川は活躍し、全日本で合計6回、優
勝している。
 しかし、長谷川の本当のピークは、65年に全日
本を制したときだった。

 バックに返ってくるボールもフォアハンドで打ち
返すのだから、ものすごい運動量だ。
 それは、18歳という若さがあって、なしえたも
のだったかもしれない。

  残念ながら、彼はすでに事故で亡くなっている。
  彼のために「長谷川信彦」の名前を書き残しておく。
  
  そう。
  かつて、日本には、長谷川信彦というものすごい
選手がいた。
   





日本が逆転された日(1)・・・中国のGDPが日本を抜いて世界第二位になった。日本はどうする。

2011年01月20日 23時25分28秒 | 日記


  日本経済が中国に逆転された。
  中国の経済規模が、とうとう日本を抜き、アメリカ
についで世界第二位になった。
  日本は、二位から三位になる。
  さて、では日本が中国に抜かれたことをどう見れば
いいのだろうか。

  まず、基本的なデータをおさえておきたい。
  経済規模は国内総生産(GDP)の数字だ。GDP
は、その国で、1年間にどれだけのものが生産されたを
総合計したものになる。

  中国の国家統計局は、20日、2010年のGDP
が39兆7983元になったと発表した。ドル換算する
と5兆8800億ドルになる。

  一方、日本の2010年のGDPは2月14日のバ
レンタインデーに発表されるのでそれまでは分からない
が、1月から9月までのGDPから推計すると、5兆4
000億ドル前後とみられている。
  約4000億ドルの差で、三位に転落するわけだ。


  ちなみに、アメリカの2010年のGDPは、14
兆6000億ドルと推計される。

  日本が中国に逆転されるのは、もう3、4年前から
予想されていた。しかし、実際に逆転されてみると、イ
ンパクトは大きい。

  なぜ逆転されたのかということから見ていこう。
  実のところ、逆転の一番大きな原因は、日本の物価
が下がっていることだ。このブログの牛丼の値下げのと
ころで書いたデフレがとりあえずは最大の原因だ。
日本のGDPを円のままで見てみると、

2001年 493兆円
2002年 489兆円
2003年 493兆円
2004年 498兆円
2005年 503兆円
2006年 507兆円
2007年 515兆円
2008年 505兆円
2009年 474兆円
2010年 477兆円(推計)

  となっている。
  これは、市場でのナマの数字で表してある。
  これを名目値、名目GDPという。

  驚くべきことに、2001年(493兆円)より、
2010年(477兆円)のほうが、日本のGDPは少
ない。
  言い換えると、この10年間、名目GDPで見ると、
日本経済は、まったく成長していないことになる。
成長していないどこどか、経済規模が縮小している。

  これがデフレだ。
  なぜこんなことになるのだろう?
  牛丼に答えがある。

  牛丼各社は、今月、300円台の牛丼を200円台
に値下げした。簡単のために、300円から200円に
値下げしたとしよう。
  それまで100人だったお客さんが、値下げによっ
て120人に増えたとする。それで売り上げを計算する
と、それまでは300円かける100人で、3万円だ。
値下げ後は、200円かける120人になるが、合計2
万4000円だ。
  牛丼屋さんに来る人数が20人も増えたのに、売
り上げは3万円から2万4000円に、6000円も減った。

  20人もお客さんが増えたら、店は忙しくなる。
店のスタッフの仕事はかなり増えるだろうし、使うおコメ
も多くなる。牛肉の消費量も格段に増える。
  そうると店が活発になったように見えるのだが、値下げ
のせいで、売り上げは全然増えない。

  それと同じことが、日本経済の全体に起きている。 

  牛丼屋さんの売り上げが減っているように、日本
経済の総生産、つまりGDPが減っているのだ。
  怠けてなんかはいない。
  それどころか、みんなして、一生懸命に仕事を探し、
一生懸命に働こうとしていて、以前より余裕がないほど
なのに、日本の経済規模が縮小しているのだ。
  日本経済の全体が、牛丼屋さんのようになってし
まっているわけだ。

  いってみれば
  「日本経済の牛丼屋さん現象」
  というような現象が起きている。

   この状態を石川啄木の短歌でいえば
     「働けど働けど
      なおわが暮らし
      楽にならざり
      じっと手を見る」
    ということになる。

   もし、牛丼屋さんが値下げせず、お客さんが10
0人から、たったの一人でも増えて、101人になってい
たら、牛丼屋さんの売り上げが増えて、日本経済のGDP
が増える。
   GDPとはそういうものだ。
   しかし、実際は、日本中がいま牛丼屋さんのよう
になってしまっている。

   現実に、日本の物価は下がっている。
   物価が下がれば、給料の使いでが増えて、実質的
に給料が増えたことになる。そんな理屈がいわれたことも
ある。それも、このブログの牛丼の項で書いた。
   経済学としてはそれで正しいのだが、しかし、実感
としては、それはほとんど屁理屈だろう。

   経済学的には、給料と同じように、名目のGDP
だって、物価が下がったなら、実質のGDPは増える。
   簡単にいえば、もし、物価が5%下がれば、給料
は5%分、使いでが増える。
   同じように、物価が5%下がれば、名目GDPは
5%増えるとして計算する。それが実質GDPだ。
   
   政府は、ずっと、名目GDPではなく、実質GDPを
重視し、それを政策判断の基準としてきた。
   GDPは四半期ごとに発表され、新聞の一面を飾る
が、それも、よく見ると、実質GDPのことを書いてある。

   バブルが崩壊して以来、実際に日本の物価は下がって
いる。そこで、この物価下落を勘案して、名目GDPを、
実質GDPに直す。それは、経済企画庁、いまの内閣府が
発表している。
   その実質GDPを並べてみると。
 
2001年  504兆円
2002年  505兆円
2003年  512兆円
2004年  526兆円
2005年  536兆円
2006年  547兆円
2007年  560兆円
2008年  553兆円
2009年  525兆円
2010年  539兆円

 驚くべきことに、実質GDPは大きくなっているのだ。

  日本経済は、名目の規模で見ると縮小しているのに、
実質の規模で見ると拡大しているという、まことに不思
議な状態に陥ってしまっている。
 
  しかし、私たちが、実際に牛丼屋さんや、街の
商店街、デパートで買う商品の値段は、もちろん、
名目の値段だ。
 実質の値段などというものは、銀座を歩いて
いても、どこにもない。
 そう。実質GDP というのは、極めてバーチャルな、
仮想空間のデータなのだ。
 
  日本の実質GDPは成長しているんだけれどと
いったとすると、それは、プレーステーションで、
「シミュレーションゲーム・日本経済」というような
ゲームをやっているにすぎない。

  各国の経済規模を比較するのに、そんなバーチャル
な実質GDP を使ってもしようがない。
  比較するのは、名目のGDPだ。
  日本と中国も、名目での比較になる。
  日本経済は、この10年間、名目値で横ばいないし
は減少となっていたから、中国に追い越されるのは、時
間の問題だったわけだ。

 景気の気は元気の気だ。
 だから、経済でも、本当に大事なのは「名目」だ。
 しかし、日本経済は実質GDPで成長しているとい
うのが、政府の長い間の公式見解だった。これはなに
も政府を批判しているのではなく、経済学がそう教え
ているのだ。

  しかし、それが、経済政策をあやまらせた。
  実質GDPは成長しているのだから、経済はうまく
いっている。そういう見方がどこかにある。

  だが、きょう、日本の経済規模は、中国の後塵を拝
することになった。
  それが、名目値の話だ。

  そして、名目値こそ、私たちがいま現実に生きてい
る世界の話だ。物価が下がったから給料の使いでが増え
たでしょうといわれても、だれもうれしくない。むしろ、
物価が少々上がっても給料がそれ以上に増えたほうが、
はるかにうれしい。

それは、言い換えれば、 プロ野球の巨人・阪神戦で、
阪神がごく当たり前に通にプレーしているのに、巨人が
勝手に委縮してしまい、凡打と失策の山を築いているよ
うなものだ。
  巨人が自滅したのだ。

  今回、日本が中国に逆転されたのは、とりあえずは、
日本の自滅である。
 
  もちろん、それだけが原因ではないが、それはまた
次回に。
                  (続く)

観光資源としての東京(3止)・・・和のものを無理に探す必要はない。私たちの街そのものが観光資源だ。

2011年01月19日 02時23分45秒 | 日記

  大阪の地盤沈下を止め、大阪が元気を回復するには
どうすればいいか。何年か前、そういう企画を考えたこ
とがある。
  そのひとつとして、海外から大阪に観光客を呼び込
もうというのがあった。それでは、大阪で、何を観光し
てもらえばいいのか。
  みんなでアイデアとしてすぐに上がったのは、大阪
城だ。これは大阪のシンボルみたいなものだから、だれ
でも思い
つく。
  しかし、その次が出てこない。

  同じように、東京でも、海外からもっと観光客を呼
び込むとすれば、何を観光してもらえばいいのだろう。
  いかにも観光地として上がるのは、ひとつは、浅草
だろう。浅草・雷門の大提灯は、東京を紹介する観光案
内や絵葉書には必ず載っている。
  次は、皇居だろうか。 
そして、東京というより郊外になるが、富士山や箱
根だろう。
やはり、その次が出てこない。

  しかし、私たちが、海外に観光旅行に出かけるとき、
たとえば、ニューヨーク観光、パリ観光、ロンドン観光
という言い方をする。
  ニューヨーク観光という場合、ニューヨークという
街を見に行く。観光客のイメージとしては、エンパイア
ステートビルや、ブロードウエー、ウオール街などが思
い浮かぶのではないだろうか。
  パリもロンドンもそうだ。観光客は、街そのものを
見にいくのだ。

  ボストンは、はっきりしている。
  ボストンに行くと、歩道に赤いペンキでずっとライ
ンが引いてある。このラインをたどると、ボストンの見
どころを回れるのだ。イギリスから独立するきっかけに
なったボストン茶会事件の現場や、マサチューセッツ州
の州庁舎など、赤いラインをたどると、市内の歴史的建
造物を見て回れる。
  ボストンは、アメリカにあって最も歴史の古い街だ
から、街として、その歴史を見せようという姿勢になっ
ている。

  では、東京も大阪も、同じように、観光客に、街そ
のものを見せればいいのではないか。

  東京は、江戸以来の歴史があり、アメリカのどの都
市よりも歴史が古い。ボストンなど、目ではない。
  現代の都市としては、銀座をはじめ、渋谷、新宿
など、23区に、ほとんどあらゆる要素が盛り込まれて
いる。中国人の観光客が好んで銀座に来るのも、銀座と
いう街の魅力にひかれるからだ。
  昨年末に封切られた映画「バイオハザード4」は、
雨の渋谷から始まっている。
  海外から公演に来たマジシャンたちは、渋谷の東急
ハンズに行きたがる。マジックのタネに加工できそうな
グッズがたくさんあるからだ。
  合羽橋の道具街は外国からの観光客でにぎわう。
  築地市場は、もうすっかり有名になった。

  同じようにして大阪も考えてみよう。
  大阪の歴史は、東京よりさらに古く、あちこちに歴
史の遺産が残る。大阪市の東側には、お寺がずらりと並
んだ地区がある。豊臣秀吉が、大阪が攻められるとすれ
ば東からだと読み、そこにお寺を並べた。いざとなれば、
そこに人馬など軍勢を置くことができるからだ。このお
寺の連なりは実際にみごとだ。
  現代の都市として見ても、魅力がたっぷりだ。 
大阪市の中心を貫き、梅田と難波を結ぶ御堂筋は、
道幅が広く、両側に銀杏の木が整然と植えられてい
る。 
道頓堀には、グリコの大看板や、かに道楽、ふぐの
づぼらやの看板が、いかにも大阪らしく、満艦飾で
立ち並ぶ。
松屋町筋は、ひな人形や武者人形、プラモデル、お
もちゃの商店がびっしりと立ち並ぶ。
南九宝寺町は、生活雑貨や小物の卸売の店が通りに
そって軒を連ねている。
アメリカ村という若者向けのファッションと雑貨の
街があり、関西に修学旅行に来る中学生、高校生の
間では、人気ナンバー1 となっている。

東京も大阪も、ここで挙げた例は、そのいずれもが、
決して観光用に整備されたわけではなく、その街に
暮らす人々が、長い間の営みとして、自然に作り上
げたものだ。日々の生活の場だ。
実は、それが、海外から見た場合に、魅力的なもの
となる。
その街に暮らす我々にとってはごく自然で当たり前
のものが、魅力的な観光資源になるのだ。

なにも、大阪城や、浅草・雷門といったいかにも日
本的なものを、わざわざ持ち出す必要もない。
  私たち自身がふだん接しないような「和」のものを
無理やり探し出してくる必要なんかないのだ。

東京そのものが観光資源になる。
大阪という街そのものが観光資源になる。

私たちがニューヨーク観光、パリ観光をするように、
海外からの人々に、東京観光、大阪観光をしてもら
えばいいのだ。

神戸も、横浜も、名古屋も、札幌も、福岡も、みん
なそうだ。

そうやって私たちの住む街を見た場合、私たちの街
は、なんと魅力的なものにあふれていることか。








観光資源としての東京(2)・・・中国からの観光客はトイパークのあとどこへ行くのかというと。

2011年01月17日 18時04分39秒 | 日記


 銀座に来た中国人の観光客は、バスを降りて、まず、
博品館・トイパークに入る。トイパークの次に、そこ
から一番近いデパート松坂屋に行く。そこまでが前回
の話だった。

 今回はその続きだが、実は、トイパークから松坂屋に
行く間に、もうひとつ、大事な店がある。
 それは、バーバリーだ。
 トイパークのすぐ隣りにバーバリーの店がある。
 
 バーバリーは、銀座3丁目あたりのマロニエゲート付
近にも店があるのだが、中国人は、トイパークのほう
のバーバリーでないとだめなのだ。

 旅行社に勤める私の友人は中国を担当しているのだが、
彼によると、中国におけるブランドといえばバーバリ
ーにとどめをさすらしい。ほかのどのブランドより、
ブランドといえばバーバリーなのだそうだ。

 しかも、バーバリーならなんでもいいというものでは
ない。バーバリーの中でも、バーバリー・ブラックレ
ーベルというブランドでなければならない。

  ブラックレーベルというのは、バーバリーを少し
カジュアルに振った商品で、コートやジャケットが中
心だ。メンズとレディスの両方がある。
  ブラックレーベルは、日本のバーバリーが開発し
たものだ。日本のバーバリーというのは、コートで有
名な三陽商会がオペレーションしている。
  つまりは、バーバリーのブラックレーベルは、三陽
商会が開発したもので、まあ、日本で企画・生産され
た商品ということになる。

  デザイン的には、どちらかといえば黒系の色合い
のものが多く、バーバリーのチェック柄は服の一部に
残してあるが、それも黒系の色合いなので、一見して
「これぞバーバリー」という感じではない。
   しかし、これが、中国人に大人気なのだ。

    銀座3丁目のほうのバーバリーの店には、こ
のブラックレーベルが置いてない。実は、3丁目のバー
-バリーは、三陽商会ではなく、本店のバーバリー・イ
ンターナショナルが経営する店なのだ。誤解を恐れずに
いえば、3丁目のほうが本店系のバーバリーだ。
    しかし、中国人の観光客は、そちらには見向きも
せず、トイパークの隣りのバーバリーに来る。
そこに、お目当てのバーバリー・ブラックレーベルが
置いてあるからだ。

   これには、
「へえ、中国では、そんなことになっているんだ」
 と、驚くばかりである。
   ブランドというのは、どこでどう評価されるのか、
さっぱり分からない。

   実際に行ってみると、ブラックレーベルを扱う
バーバリー(三陽商会のほうね)は、博品館・トイパーク
のすぐ隣りのビルだ。ほとんどっくっついているので、
銀座8丁目の歩道は、トイーパークに出入りする中国人
観光客と、バーバリーを訪れる中国人観光客とで、大に
ぎわいとなっている。

   さて、博品館・トイパーク、バーバリー、そして松
坂屋と重要な3つの店で買い物をしたら、もうお昼になる。
   では、どこでお昼を食べるのか。
 
   銀座だから値段はそれなりに高いし、観光バスの
大勢のお客さんがいっぺんに入られるドライブインのよ
うな施設もない。

 ところが、よくしたもので、それがあるのだ。

  観光バスが駐車する銀座8丁目と新橋の境の高架下には、
もともと、「肉のはなまさ」という大きな肉の店がある。
  いまも一階は「はなまさ」のスーパーとしてにぎわっ
ていて、二階は居酒屋になっている。

  この店の裏側、昭和通りに面したビルの地下に、はな
まさ直営の「カルネステーション」という焼肉レストランが
ある。
  カルネステーションは、一人1000円で焼肉食べ放
題、1200円で焼肉食べ放題、ソフトドリンク飲み放
題――という格安の焼肉レストランだ。食い放題という
が、好きな肉や野菜を取るスタイルで、いってみれば、
焼肉バイキングだ。しかも広い。
  場所も、ちょうど、バスが駐車するあたりのすぐ裏側
にある。
 トイパークも、バーバリーも、松坂屋も近い。
 そんなわけで、買い物を済ませた中国人の観光客は、
大挙して、このカルネステーションに来て、焼肉の食い放題
でお昼をとる。

 食後はどこへ行くかということなのだが、これも決ま
っている。
 よくできたもので、カルネセンターのすぐ隣りが、雑
貨スーパーの「ドンキホーテ」だ。
 知っている人は自らドンキホーテに行くし、知らない
人には、添乗員が、「隣りに、ドンキホーテという安い雑
貨を扱う店があります」とアドバイスする。
 
 ドンキホーテに行ってみると、なるほど、店内の表示
は中国語だらけだ。
 商品は、腕時計、置時計、文房具、ライター、ゲーム機、
おもしろグッズと、トイパークの商品の廉価版を並べた
イメージだ。
 
   旅行会社に勤める友人の解説によると、
  「トイパークとか松坂屋で買う商品は、自分のも
の、あるいは、家族のものです。ドンキホーテで買う
ものは、それ以外の、会社の人とか、そういう人へ
のお土産のようですね」
   だそうだ。

  これで、銀座の買い物ツアーは、もうかなりの
時間がたっている。
   しかし、ここでもうひとつ、隠れた買い物の
名所がある。

  どこだと思いますか?
  ちょっと考えてみてください。

 ******

  答えは、マツモトキヨシだ。

  銀座4丁目の交差点から、晴海通りを日比谷の
方に向かうと、左側、並木通りの入り口に新しいマツ
モトキヨシがある。

  ここが人気スポットだ。

  何が人気かというと、
・バファリンのような鎮痛剤
・風邪薬
・湿布薬
  などだ。

   とくにバファリンは、一番人気らしい。
   バファリンのような鎮痛剤は、痛みや熱に対し
て即効性がある。
   中国は漢方の大国だが、すぐに効き目がほし
いというときは、バファリンのほうがいいのだそ
うだ。そこで、みんな、バファリンを大量に買っていく。

   湿布薬も同様だ。
  最近の日本の湿布薬は、インドメタシン配合とか、
効果が強力になっている。
   旅行社の友人によると、マツキヨに案内した中国
人の観光客は、サロンパスの湿布薬「フェイタス」を気
に入り、これはいいというので、80箱買って帰ったそ
うだ。

  日本で買い物するには、ちょっと前なら、人民元を円
に交換する必要があった。そんな面倒なことをしていたら、
買い物なんかできない。
 そこで切り札となったのが、中国のカード「銀聯」(ぎ
んれん)だ。

  銀座の主要な店では、いまや、どこでも「銀聯」が使
える。トイパークでも、レジの所に、中国語で、「銀聯
が使えます」と表示してある。
  私は、銀聯は中国のクレジットカードだと思い込んで
いたが、あれは、クレジットカードではなく、デビッ
トカードなのだという。
  つまり、レジで精算すると、自動的に、銀行口座から
代金が引き落とされるのだ。クレジットカードならあ
とで払えませんでしたということが起こりうるが、デ
ビッドならその心配がない。店にとっても安心なのだ。
 
  さて、買い物も食事も終わって、いま、中国人の観光
客が一番よく泊まるホテルはどこだろうか?
  答えは、品川と高輪のプリンスホテルだ。

 プリンスは、大きいし、そう高くない。
 有名だ。
 そして、プリンス自身も、中国に売り込みに熱心だっ
たのだという。
 その結果、中国では、プリンスホテルがブランドに
なったそうだ。

  尖閣列島の衝突の影響はあっただろうか?
統計を取れば話は別かもしれないが、銀座で見ている
限り、尖閣のあと、中国人の旅行者が減ったという印
象はない。

  銀座という街、東京という都市に、中国人が大きな魅
力を感じていることは間違いない。
あるいは、日本という国にも、魅力を感じているとい
っていいのだろう。
  MADE IN JAPAN のブランドの力も依然
として大きい。
 
  なにか教訓的なものを引き出すなどというつもりはな
いが、銀座で中国人観光客のありようを見ていると、日
本という国の魅力、あるいは、「観光」のあり方を考えさ
せられる。
   長くなったので、それはまた明日にでも。
   では。
                (続く)



観光資源としての東京(1)・・・銀座を訪れる中国人観光客はどこで何をするのか、ご存じですか?

2011年01月16日 19時36分01秒 | 日記

 最近の銀座は、中国人の観光客であふれている。銀座
を歩いていると、おおげさではなく、通行人の3分の1
は中国人の観光客ではないか。
 よく知られているように、2009年秋、日本に来る
中国人に出す観光ビザの発行条件が緩和された。
 それをがきっかけに中国人の観光客が急増したのだが、
その多くの人が、銀座に来る。

 銀座で中国人の観光客が訪れる場所を見ていると、東京
という街が、実は、日本にとって大きな観光資源である
ことがよく分かる。同じように、大阪も、横浜も、神戸
も、つまり、私たちが暮らす普通の都市は、日本にとっ
て大きな観光資源になるのではないか。
 観光といえば京都や鎌倉――というパターンにとらわれ
る必要は、もうない。

 そこで、今回は、銀座に来る中国人の観光客は、いっ
たいどこを好んで訪れるのかを、紹介する。これは、普
段、筆者が実際に見て取材した事例を中心に、JTBに
勤務する友人に取材した内容を加えたものである。

 銀座通りの銀座8丁目の端っこ、新橋との境、銀座9
丁目とも呼ばれる部分に首都高の高架が通っていて、そ
の下が大きな高架下になっている。
中国人の観光客を乗せた観光バスは、この高架下に着
く。この高架下には、こうした観光バスが、常時、3、
4台は駐車している。本来は駐車場ではないので、厳
密にいえば駐車違反になるのだろうが、銀座通りの端
っこでけっこう広いで、まあ、交通の邪魔にもならな
い。警察もあえて文句は言わないようだ。

さて、ここにバスが駐まると、大勢の中国人の観光客
がどっと降りてくる。
この人たちがまず目指すのは、すぐそば、銀座8丁目
にある博品館・トイパークだ。
 トイパークは、ニューヨークの5番街にあるおもちゃ
の店FAOシュワルツを手本にして建てられたおもちゃ
のお店で、ビルの1階から4階までがまるまるおもちゃ
屋さんとなっている。
 おもちゃといっても、子供のおもちゃだけというより
は、むしろ、しゃれた生活雑貨のお店といったほうがい
い。
 筆者も好きで、毎日のように行く。
 とくに1階は、楽しくなるような雑貨であふれている。
 中国人の観光客は、この1階に、どっと入ってくる。
ユーモラスな貯金箱や、ちょっと変わった置時計、おも
しろい筆記用具など、手にとって、喜んで見せ合ってい
る。そして、実際に、買っていく。だから、レジは、中
国人の観光客で混雑している。
 博品館のスタッフに聞くと、
 「いやー、売り上げ、増えましたよ」
 という。

 博品館のあとは、一番近いデパート、松坂屋に向かう。
 松坂屋は、銀座にある3つのデパート、松屋、三越、
松坂屋の中で店舗が小さく、近年の消費不況の中で苦し
い状況にあった。
 筆者が見ていると、09年の夏ごろは、お客さんも少
なく、なにか、さびしい感じのするデパートだった。
 それが、いまや、中国からの観光客で、すっかり息を
吹き返した。
 中国からの観光客があまりに増えたので、昨年秋には、
デパートでは初めて、店舗の中に電器店ラオックスをオ
ープンした。ラオックスはもともと秋葉原の電器屋さん
だが、数年前、経営不振で中国資本に買い取られた。そ
のことを、中国人はよく知っているので、松坂屋のラオ
ックスには、どこか親近感を持って買い物にくるようだ。
当然のことだが、スタッフには、中国人や中国語を話せ
る人をとりそろえている。
 
 松阪屋で、ラオックス以外のフロアで何を買うかとい
うと、コーヒーカップやスプーン、フォークなどの生活
雑貨だ。
 日本のデパートに並んでいる生活雑貨は、小粋なデザ
インで我々もちょっと買ってみたいなと思うようなもの
が多い。こういうのは、中国ではなかなか手に入らず、
日本のデパートの独壇場になる。
 しかし、よく見ると、「MADE IN CHINA」
と書いてあるものも多く、中国人の観光客同士、あちこ
ちで「あ、これも中国製だ」「ここにも中国製と書いてあ
る」と言い合っている。それも、どこかうれしそうだ。
日本に来て、「MADE IN CHINA」の製品がた
くさんあるのを目にするのは、悪い気分のはずがない。
 日本人がニューヨークやカリフォルニアに旅行に行っ
て、「MADE IN JAPAN」の電気製品や自動車
を見ると、どこか誇らしくなるのと同じだ。

 しかし、そうはいっても、中国に持って帰る日本みや
げに、「MADE IN CHINA」と書いてあるのは、
ちょっと避けたい。
 そこで彼らは、松坂屋の店員さんに
 「MADE IN JAPANの品物はありませんか」
と盛んに聞いている。
 すると、店員さんも、店内を走り回って、MADE I
N JAPANの商品を探すのだが、最近は、これがな
かなかないのだ。
 そこで、店内には、日本製の商品には、初めから「M
ADE IN JAPAN」という表示がなされている。

 デパートでのもうひとつの人気は、化粧品のフロアだ。
ここで、美容部員のスタッフが、実際に化粧をしてくれ
る。日本やアメリカのデパートではよく見るシーンだが、
こうやって実際にお化粧をしてもらうのは、大変うれし
いらしく、中国観光客の女性陣が、きゃっきゃっ騒ぎな
がら、お化粧をした顔を見せ合っている。
 日本人にとって当たり前のサービスが、外から見ると、
非常に魅力的なサービスに見えるという、これは本当に
いい例だ。観光ということの大きなヒントがここにある
ように見える。

しかし、松坂屋は、もう完全に息を吹き返したようだ。

 さて、博品館、松坂屋と来て、次はどこに行くのか。
 そして、お昼はどこで?
 実は、それも、中国人の観光客の間では、しっかりと
決まっていて、定番となったコースがある。
 それは、また、明日に。
                (続く)
 
 

















プロゴルファーはプレー中の音をなぜそれほどまで気にするのか。その常識を疑問に思う。

2011年01月15日 00時22分21秒 | 日記

 ゴルフのメジャー第一戦であるマスターズの招待状が、
石川遼や、藤田寛之に届いたというニュースが話題にな
っている。マスターズは4月だから実際のプレーはまだ
先の話だが、シーズンが始まる前に、気になることを書
いておきたい。
それは、ゴルフは、なぜ、あんなに周囲の音を気にす
るのだろうーーということだ。
 
 もう1年以上前になるが、シーズン終盤のトーナメン
トで、石川遼がバンカーショットを打とうとしたとき、
それを、観客の一人が携帯のカメラで撮影した。携帯の
カメラは、盗撮を防ぐため(ということになっている)、
シャッターを押す瞬間、カシャリという音が出るように
なっている。けっこう大きな音だ。
 石川選手は、その音を聞いて、バンカーショットを途
中で中断し、音のした方に向かい、むっとした声で「携
帯の写真、撮らないでくださいね!」と言った。
 いつも穏やかな石川選手がこんな声を出すのかと、び
っくりするぐらい怒った声で、テレビで見ていても、そ
の場が凍りついたのが分かった。
 石川は、この一件で調子を崩し、優勝を逃した。

 これを機に、プロゴルファーたちが「プレー中はお静
かにお願いします」「マナーを守ろう」と訴えるテレビCM
が作られた。このCMは最近までテレビでよく見た。こ
のブログの第一回目「感動は与えるものか?」で取り上
げたゴルフのCMがそれだ。「私たちは感動を与えるプレ
ーをしますので、観客のみなさんはマナーをお守りくだ
さい」というCMだ。

 しかし、なんで、そこまで音を気にするのだろう。
 率直にいって、過剰反応ではないかという気がする。

 プロゴルファーは、一度、東京ドームや甲子園に、プ
ロ野球を見に行ったらどうだろう。
 外野席では、大応援団が陣取り、トランペットを吹き、
太鼓をたたき、打席に入る選手ごとに違う歌を歌う。
 内野席からは、「オガサワラー、打てー」「ラミレスー!」
と大きな声援が飛ぶ。
 プロだけではない。甲子園の高校野球は、アルプスス
タンドを大応援団が埋め尽くして母校を応援し、ブラス
バンドがコンバットマーチやヒット曲をずっと演奏して
いる。ブラバンと応援団にとっては、甲子園は、パフォ
ーマンスの発表の場でもある。
 
 プロ野球でも、高校野球でも、打席に入ったバッター
が、打席をはずし、「ちょっと静かにしてください!」と
怒ったというのは、見たことがない。
 
 ゴルフは球が小さいから、精神集中が必要? いや、
野球なんか、時速150キロで飛んでくる球を、あの細
いバットで打ち返すわけだから、打者はもっとすごい精
神集中が必要なのではないだろうか。

 バレーボールはどうかというと、観客席からは、しょ
っちゅう、「ニッポン!」という掛け声のあと、バレー特
有の「チャチャチャ」という手拍子が出る。
 サーブを打つときなど、会場から大きな声で「そーれ」
という声が起き、選手はその声にあわせてサーブを打っ
ている。サーブを打つ手を止めて「ちょっと静かにして
ください」と大声を出したことは、たぶん、ないだろう。

 サッカーも大声援が沸き起こる。ワールドカップの南
アフリカ大会では、ブブセラという南アの応援道具がう
るさすぎるというので、初めは禁止したらどうかという
声も出たが、そのうち、みんな慣れてしまった。

 陸上競技の走り高跳びは、選手が、わざわざ会場に手
拍子を求めている。大きな手拍子を要求しておいて、跳
躍に失敗したら、選手はちょっとバツの悪そうな顔をし
ている。それがまたいい。

 ゴルフは静かに応援するものということになっている
が、そうやって他のスポーツを見てみると、実はゴルフ
のほうが少数派である。むしろ、ゴルフのほうがおかし
いのではないかという気さえする。
 
 あれだけ大勢の観客を入れておいて、音を立てるなと
いうのは、視線が観客の方を向いていないのではないだ
ろうか。そう。プレーヤーのほうしか向いていない。観
客よりも、プロゴルファーのほうを大切にしているよう
に思える。

 もちろん、プレーを大事にしたいというのは分かる。
しかし、おカネを払って見に来ている観客よりプロゴル
ファーほうを大切にしているように見えるのは、どうし
たって、おかしい。
 選手のほうが観客よりえらそうに見える。
 そんなプロスポーツって、あるだろうか。
 そういうのをプロというのだろうか。







菅直人氏のスピーチ・・・言葉の耐えられない軽さと、たたずまいの悪さは、いったいなんだろう。

2011年01月14日 00時40分55秒 | 日記


  足利事件の再審で無罪となった菅家さんに刑事補
償金として8000万円が支払われることになった。
 無実なのに、17年間も服役していたのだ。
 8000万円は規定の最高額だというが、とても、そ
んな金額では足りないだろう。金額で償えるものではな
いが、国は、8億でも10億でも出すべきだろう。
 気の毒でしようがない。
 せめてこれから良い人生をと願います。

 さて、きょうは、民主党大会があった。
 きのうは、「首相」というポストに敬意を払う必要があ
ることを書いた。
 そのことを念頭に置いたうえで、きょうは、菅直人と
いう人物の「存在の耐えられない軽さ」を書きたい。

 菅直人という人の演説やスピーチ、答弁を聞いていて
感じるのは、言葉の軽さだ。
 政治家は言葉で仕事をする。
 政治家にとっては言葉が武器だ。
 国民を奮い立たせるのも、言葉だ。

 1990年代半ばにイギリスに登場したブレア首相は、
就任演説で国民を感動させた。
 彼は、就任演説で、国民に
 「かつてイギリスは、世界に領土を持ち、日の沈むこ
とのない国と言われる大国だった。
  しかし、いま、イギリスが、再度そんな大国になれ
るかというと、それは不可能だ。
そんな国を目指すべきでもない」
と語り、そして、こう続けた。
「我々は、もう、かつての大英帝国のような国には
なれないが、しかし、世界の人々が、イギリスはい
い国だ、イギリスに行ってみたいと思うような国に
なることはできる。
 我々は、そういう国を目指したい」

  この演説は、イギリスの人々の胸にしみわたり、イ
ギリスの人々はブレア首相の言葉に、明るい希望を感じ
た。
 日本の首相にも、このぐらいの演説をしてもらいたい。
 首相の言葉を聞いて、国民が明るい希望を持つような、
首相にはそんな話をしてもらいたい。

 そこで、菅首相だ。
 きょうの民主党大会で、彼は民主党の党首として、ま
ず、こんなことを言った。
 「自信を持とうじゃありませんか、みなさん」
 この言葉を菅党首は、大きな声で叫んだ。
 しかし、「自信を持とうじゃありませんか」というよう
な言葉は、大声で言われれば言われるほど、不安になる。

 さらに菅党首は、消費税の引き上げを含む税制改革の
議論を与野党の超党派で議論しようと呼びかけ、
 「野党がこの議論に応じないとすれば、それは歴史へ
の裏切り行為だ」
 と決めつけた。
 しかし、ちょっと待て。
 税制をどうするかというのは、政権党つまり民主党が
出すべき最重要な政策だ。まず、民主党が、民主党とし
ての政策を決めて提示しない限りは、何も始まらない。
 
 仮にもし野党が、初めから税制の協議に加わり、税制
改革、具体的には消費税率の引き上げが決まったとしよ
う。
 そして、その時点で、衆院の解散、総選挙があったと
しよう。
 そうしたら、国民は、与党の民主党と、野党の自民党
の、どっちに投票すればいいのだ。

 税金の引き上げを掲げて選挙に勝ったためしはない。
民主党が単独で消費税率の引き上げを決めたとすれば、
民主党は選挙で負けるだろう。
 その税金の引き上げに、民主党も自民党も両方とも
加わっていたら、国民はどっちに投票すればいいのだ
ろう。

 菅首相が、税制の議論に自民党を加えようとするのは、
選挙で民主党が負けたくないからだ。
 実際、菅首相は、昨年の参議院選挙で、消費税のアッ
プを打ち出し、それで大敗した。 

 あるいは、選挙のことまでは考えていないというかも
しれない。
 しかし、増税という難しい案件は、国会審議の紛糾が
必至だ。野党としては攻めやすい案件だ。そうなる前に
野党・自民党を取り込んでおきたいということなのだろ
う。


 どう考えても、そんなものに、自民党が乗るはずがな
かろう。そんなことをしたら、自民党自身が支持を失っ
て窮地に追い込まれる。

 それを、「議論に加わらなければ、歴史に反逆するも
のだ」とは、なんという言い草だろう。
 おおげさな言葉なのだが、実に軽い言葉になってしま
っている。

 この人は責任転嫁をする人だが、歴史にまで責任転嫁
をするとは、さすがに思わなかった。

 菅氏は、首相になったとき、就任演説をした。
 そこで使ったキャッチフレーズが、
「私は、日本を、最少不幸社会にしたい」
 だった。

「最少不幸社会」には、耳を疑った。
 
 不幸を最少にする社会ということなのだろうが、この
言葉に、「希望」を感じられるだろうか。
 
 ブレア首相の「世界の人が、イギリスに行ってみたい
と思うような国にしよう」という演説は、間違いなく、
明るい希望を感じさせてくれる。

 それに対して、「最少不幸社会」「不幸を最少にする社
会にしよう」とは、比べるのもブレア首相に申し訳な
いほど、恥ずかしい演説だ。
 
 こんな言葉を就任演説で口にする首相を持ったのは、
日本にとって、最小ではない不幸だった。

 菅首相は、選挙で消費税率のアップを持ち出したとき、
こんなことも言った。
 「強い財政にしようじゃありませんか、みなさん」。
このセンスのなさにはあきれる。
 「強い財政」を作るのは政府の役割である。強い財政
にしようじゃないですか「みなさん」と、呼びかけら
れても、国民は困る。
 そう訴えられても、国民としては
 「はあ、まあ、しっかりやってくださいよ。
  でも、強い財政って、私たちは、いったい、何をす
ればいいの?」
 と答えるしかないだろう。

 菅首相は、また、スローガンとして、
「1に雇用、2に雇用、3に雇用」
 と叫んだこともある。
 しかし、有力な雇用対策を打ち出さないまま、このセ
リフは、すぐに、つかわなくなった。

 この人は、
「強い財政を作りましょう、みなさん」
「そうじゃありませんか、みなさん」
「自信を持とうじゃないですか、みなさん」
というパターンで話すのが、定番となっている。
 これは、みずからの自信のなさの裏返しだろう。 
 自信がないから、「みなさん」を巻き込んで、責任を拡
散したいのだ。

 ここにあるのは、「言葉の軽さ」だ。
 言葉の耐えられない軽さだ。
 言葉の耐えられない軽さは、存在自体を、また、耐え
られない軽さにしている。

 別の言い方をすれば、たたずまいが悪すぎる。
 首相としてのたたずまいが、あまりにも悪いのだ。

 私たちの日本の首相には、たとえば、
 「日本は、経済大国と呼ばれたころの経済力はなくな
ったかもしれません。しかし、もう、そんな経済大国を
目指すだけが日本の針路ではない。
 世界の人が、日本はいい国だなあ、日本に行ってみた
いなあと、そう思ってくれるような国にしたいと思いま
す」
 というぐらいのスピーチをしてもらいたい。
 


国会の野次・・・首相というポストと職責には敬意を払う必要がある。

2011年01月13日 00時52分55秒 | 日記


 菅首相や鳩山前首相が国会で答弁に立つと、自民党
からひどい野次が飛ぶ。とくにひどいのは丸川珠代議員だ。
 彼女は、首相が話しているとき、大きな声で、「愚か者」
「ルーピー(ばかもの)」などと野次る。もともと、民放
キー局のアナウンサーだっただけに、声がよく通り、国
会中に響き渡る。テレビの画面からでもよく聞き取れる。
 
 国会に野次はつきものだが、この野次はひどい。
 なぜか。
 一国の首相が答弁しているとき、その首相に向かって
「愚か者」などとののしるのは、「首相」というポスト、
首相という職責をおとしめることになるからだ。
 
 菅直人、あるいは鳩山由紀夫という議員が嫌いなら、
それはそれでいい。しかし、菅直人という人間が嫌い
であっても、菅直人氏が就いている「首相」というポ
スト、職責には、敬意を払わなければならない。

 「首相」というポストは、私たち日本人と日本という
国を代表する最高のポストだ。
 その「首相」というポストをおとしめることは、私た
ち自身が、日本という国の最高のポストをおとしめる
ことになる。
 それは、結局のところ、私たちが自分自身をおとしめ
ることになるのだ。

 それに丸川さん、あなた、菅さんや鳩山さんと
二人だけで会っているとき、面と向かって「愚か者」
とののしれますか?

 アメリカの大統領選挙は、1980年代からネガティ
ブキャンペーンと呼ばれる手法が目立つようになった。
ネガティブキャンペーンというのは、対立候補の政策
を批判するのではなく、対立候補のプライベートなミ
スやスキャンダルや探しだし、それを攻撃する手法を
いう。

 たとえば、対立候補の奥さんがキッチン・ドランカー
(台所ででもお酒を飲むようなアルコール中毒)である
ことを暴露して、攻撃した候補がいる。

 女性関係の暴露は、そう珍しいことではなくなった。
ケネディ大統領は女性関係がかなり甘いことで有名だっ
たが、当時は、対立候補もそういうことを攻撃しないの
が暗黙のルールだった。もしいまこの時代にケネディが
立候補したら、女性関係を攻撃されて、とても当選でき
ないのではないかと言われている。

 もちろん、ネガティブ・キャンペーンという手法に対
する批判はある。政治家たるもの、ネガティブ・キャン
ペーンというような卑怯な手は使うものではない、とい
うわけだ。
 そうした批判もあって、一時よりもネガティブ・キャ
ンペーンは減った。
 だが、選挙になると、どうしても、ネガティブ・キャ
ンペーンふうの動きが出る。いまのオバマ大統領とクリ
ントン国務長官が大統領選挙で争ったときも、政策以外
の個人的な批判を、お互いにしたことがある。

 しかし、アメリカの場合、忘れてはならないことがあ
る。選挙期間中、どんなにひどいネガティブ・キャンペ
ーンが繰り広げられても、選挙で大統領が決まった瞬間
から、対立政党から個人攻撃のような批判がぴたりとや
むことだ。
 新しい大統領が、議会に登場すると、政党の枠を超え
て、すべての議員が拍手で迎える。大統領が演説すると
きも、良い演説にはすべての議員が拍手する。

 そう。
 どんな人物が大統領になろうとも、「大統領」というポ
スト、「大統領」という職責には、与党の議員も野党の議
員も、ひとしく敬意を払うのだ。

 大統領が議会に入ってくると、
「ジェントルマン! ザ・プレジデント・オブ・ザ・ユナ
イテッド・ステイツ・オブ・アメリカ!」
 と紹介する声がかかり、議会の全議員が万雷の拍手を
送る。
 日本語でいえば
 「諸君! アメリカ大統領です!」
 ということになる。
 オバマだとかブッシュだとか、名前は呼んでいない。
「アメリカの大統領」が議会に入りますーーと紹介し
ている。
 そして、議員は「アメリカの大統領」に万雷の拍手
を送っている。
 だれが大統領であっても関係ない。「我々の大統領
を迎えよう」という空気が流れる。
「アメリカの大統領」というポストに大きな敬意を
払うのだ。
 それは、アメリカという国の良さだ。

 翻って、わが日本だ。
 鳩山首相、菅首相が演説するとき、あるいは答弁する
とき、同じように、「日本の首相」というポストと職責に、
なぜ、敬意を払えないのか。
 
 鳩山氏と菅氏を嫌いでもいい。筆者も、菅氏にはがっ
かりしている。
 しかし、彼らが就いているのは、私たちの日本という
国の最高のポストであり職責である。
 外に向かっては、日本を代表する立場である。
 そのポストに敬意を払うのは当然ではないか。
 
 最近、自民党の会合で、ベテランの伊吹文明議員が
「首相への野次がひどい。ひどい野次は、我々の品位を
落とすことになる」と警告した。
 筆者は、伊吹議員を別に好きではないが、しかし、こ
の発言を聞いて、自民党も捨てたものではないと思った。

 もっとも、民主党も、野党時代にひどいことをさんざ
んやった。
 自民党の麻生首相は、よく漢字を読み間違えるという
ので、有名になった。
 そうしたら、国会で、質問に立った民主党議員が、漢
字の熟語をいくつも並べたボードを手にして質問に立ち、
麻生首相に、その漢字の読み方を聞いたのだ。
 質問した議員は、仲間から「やったやった」と喝采を
浴びたかもしれない。
 しかし、たとえ、麻生氏が漢字をよく間違えていたに
せよ、一国の首相に、漢字の読み方を質問して、いった
いどうするというのだ。
 それは、私たちの日本という国の首相という職責をお
としめているにすぎないのである。

 民主党もひどいことをやった。
 民主党も、あまり丸川珠代氏のことを悪くいう権利は
ない。

 しかし、こんなことを続けていていいはずがない。
 国会議員は、国民から「頼むぞ」と負託を受けて国会
の場に立っている。
 首相は、その中から選ばれて、日本を代表するものと
して国会にいる。
 
 民主党であろうと自民党であろうと、国会議員は、な
ぜ、そんなことが分からないのか。