いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

統一球の大罪・・・プロ野球の魅力は非日常的な一瞬にあります。それを統一球は奪いました。

2012年10月28日 01時46分44秒 | 日記

尖閣とシャープの記事に、多くのコメントをいただいて
います。
 ありがとうございます。
 感謝します。
 ただ、いまは、プロ野球と統一球の話を書いている最中
でした。そこで、コメントとはちょっと関係ありませんが、
引き続き、統一球の話を書きます。
 ご了解ください。


 東京ドームに野球を見に行きます。
 7回を終え、好きなチームが0-2で負けているとしま
しょう。

 昨年2011年から導入された統一球だと、試合は、ほ
とんど、0-2のまま終わります。
 統一球は飛ばないので、ヒットが出にくいのです。
 
 きょう、日本シリーズが始まり、巨人が日本ハムを8-
1で下しました。
 一見、巨人が大量点を取ったように見えます。
 しかし、巨人のヒットは、右打者が振り遅れてライト前
にぽとりと落ちたものとか、1、2塁間をゴロできわどく
抜いていったものばかりでした。
 目のさめるような鮮やかなヒットは、ほとんどありませ
んでした。

 野球を見に行って、好きなチームが0-2で負けている。
そして、そのまま負けてしまう。
 これでは、サラリーマンが会社で経験する「日常」と変
わりがありません。

 私たちは、なぜ、野球を見にいくか。
 9回、3点差で負けている。
 しかし、そこからバッターが快音を響かせ、走者をため
て、満塁の絶好機を迎える。。
 たのむぞ。
 球場に駆けつけたファンの思いを背負った次のバッター
が、期待に答えてホームランを打ち、3点差をみごとに逆
転する。あるいは、逆転サヨナラ勝ちをおさめる。
私たちは、その瞬間を見たいのです。

 3点差で負けているゲームを、満塁ホームランで一気に
逆転する。
 それは、日常生活では、なかなか経験することのない特
別な一瞬です。
 満塁ホームランの瞬間に、「日常」は断ち切られ、日常
ではないもの、「非日常」が、私たちの目の前に、鮮やか
に立ち現れるのです。

 そうです。
 私たちが野球、あるいは、プロスポーツを見にいって、
味わいたいのは、日常ならざるもの、すなわち、「非日常」
なのです。

 淡々とした「日常」が、すぱっと断ち切られ、普段は経
験することのない「非日常」が、目の前に出現する。
 そんな瞬間は、なかなか、あるものではない。
 しかし、プロ野球は、その瞬間を、日常が断ち切られて
「非日常」が出現する瞬間を見せてくれる。

 下世話な言い方をすると、それは、「憂さを晴らす」と
いうことになります。

 0-2で負けている試合が、逆転する気配もなく、その
まま淡々と0-2で負けてしまうのであれば、プロ野球は、
ただの「日常」の続きでしかないのです。
東京ドームで「日常」しか見ることが出来ないのであれ
ば、それは、私たちが、日々、会社で経験していることと
変わりがありません。

 私たちは、東京ドームに、あるいは甲子園や、広島市民
球場、名古屋ドームに、会社では起こりえない「非日常」
を見に行くのです。
 淡々と流れる「日常」が、もののみごとに断ち切られる
瞬間を見に行くのです。

 統一球は、その「非日常」の魅力を、プロ野球から奪っ
てしまいました。
 そうして、プロ野球は、本当につまらなくなりました。

 プロ野球から魅力を奪った統一球には、「加藤良三」と
いうサインが入っています。
 統一球を導入したコミッショナーのサインです。
 
 私たちは、コミッショナーのつまらないサインを見に、
球場に足を運ぶわけではないのです。

 




巨人が中日に勝ちましたが・・・統一球はプロ野球を本当につまらなくしてしまいました。

2012年10月24日 01時22分06秒 | 日記

 巨人と中日が3勝3敗で迎えたCS(クライマックス・
シリーズ)の最終戦は、久しぶりに、エキサイトしました。
 「久しぶりに」と書いたのは、わけがあります。
 日本のプロ野球は、本当に、つまらなくなりました。

 ひとつの大きな原因は、去年から導入された「統一球」
です。
 このブログでも統一球の話は何回か書きましたが、それ
でも、また書かざるをえません。

 統一球は、打ったボールが飛びません。
 そして、打ったときの音から、「カーン」という快音が
なくなりました。

 統一球が飛ばないのは、試合を見ていると、すぐに分か
ります。
 バッターが打ったボールが、なかなか、ライナーになら
ないのです。打ったボールの多くが、ゴロになります。
 だから、ヒットの多くが、内野手の間をゴロで抜けて行
くヒットです。圧倒的に、三遊間、あるいは、一二塁間を
ゴロで抜けるヒットが多くなりました。

 三遊間をゴロで抜けるヒットというのは、たまたま転が
ったコースがよかったということです。
 一二塁間をゴロで抜けるヒットは、一塁手が差し出した
ファースト・ミットのすぐ下をうまく抜けるヒットです。
もう少しミットが下に出ていれば、ファースト・ゴロでア
ウトという打球です。

 巨人・中日のCSでは、巨人が何度か満塁のチャンスを
作りました。見ていると、最初の打者と次の打者が、内野
の間をしぶくゴロで抜いて、走者が1,2塁となります。
そこで3番目の打者が四球を選んで満塁と、まあ、こうい
うパターンが非常に多いのです。

 巨人が3勝目を挙げた試合は、満塁から代打・石井が左
前にさよならヒットを放ったものです。このヒットは、ど
んづまりでしたが、うまく左翼手の前に落ちたのです。
 打たれたピッチャーの山井が「あれだけ詰まった打球だ
ったから、悪い球ではなかったと思う」と話していたほど
です。

 ことほどさように、統一球になってからは、ゴロで転が
ったコースが良かったとか、詰まった当たりだが飛んだ所
が良かったとか、そういう打球が非常に多くなりました。

 満塁で、左中間、あるいは、右中間を、目のさめるよう
なライナーが割っていくというシーンは、本当に見なくな
ったのです。
 
 こうなると、なかなか点が入りません。

 だから、試合が2-1とか、1-0とか、ロースコアの
試合になります。

 これだけロースコアの試合が続くと、野球がおもしろく
ありません。
 なぜか。
 元来、野球は、点がたくさん入るゲームです。野球は、
なんといっても、ランナーが本塁に生還し、点が入るとこ
ろがおもしろい。
よく野球は8対7の試合が一番おもしろいなどと言いま
すが、そういう言い方があるぐらい、野球というのは、点
数が入るスポーツなのです。
 そこは、サッカーと違います。

 ところが、統一球になってからは、本当に点が入らなく
なりました。
 8対7の試合なんか、もう、望むべくもないでしょう。

 ロースコアのゲームは、また、別の意味でつまらなくな
っています。
 なにか?
 それは、逆転勝ちの試合が非常に少なくなったというこ
とです。

 なにしろ、統一球で点が入らないのですから、中盤で2
-0とか3-0ぐらいの展開になると、リードしているチ
ームが、ほぼそのまま逃げ切ります。
 巨人・中日の最終戦も、巨人が2-0、3-0というふ
うにリードしていきました。もう3-0になった段階で、
巨人が勝ったと思いました。
 
 統一球になる前は、7回裏を終わって3-0というスコ
アになっていたとしても、8回、9回で、十分に逆転は可
能でした。
 統一球では、5回か6回で3-0だと、これを逆転する
のは難しいのです。
 球が飛ばないので、長打やホームランが出なくなり、3
点差をひっくり返すのは、容易ではなくなりました。

 野球の醍醐味は、逆転、大逆転にあります。
 とくに、9回裏の逆転サヨナラホームランなどというの
は、野球の魅力でしょう。
 それは、ひとつには、野球が時間の制約のないスポーツ
だという背景もあります。時間の制約がないから、9回裏
でも、3アウトになるなまでは、攻撃が続けられます。だ
から、何点差があっても、逆転の夢を見ることができるの
です。これが、サッカーのような時間で区切るスポーツと
の違いです。

 ところが、統一球でヒットが出にくくなったため、時間
の制約がないのに、攻撃が淡泊になってしまいました。
 バッターが簡単にアウトになるのです。

 今シーズンの試合を見ていると、先取点を取ったチーム
が、だいたい、そのまま勝ってしまうというイメージです。
 これでは、おもしろくないでしょう。

 そして、もうひとつ。
 統一球は、球場から、快音を奪いました。
 かつて、ピッチャーの投げた球をバッターがはじき返す
と、
 カーンとか、
 キーン
 という鋭い乾いた音が球場に響き渡ったものです。

 野球を見ていると、この音が、耳に実に快く響きました。

 試合前の打撃練習では、バッティング・ピッチャーが軽
く投げた球を、バッターがミーと中心に軽く打ち返します。
すると、軽く打った打球は、
 コーン
 というような軽やかな音を立てて、外野に飛んでいくの
です。

 野球の魅力は、この快音にもあったのです。

 統一球は、この快感を奪ってしまいました。
 統一球を打つと、打球は
 ゴンとか
 ゴツ
 という鈍い音しかしません。

 なんというか、爽快な感じがしないのです。

統一球は、野球から、爽快感を奪ってしまいました。

 プロ野球は、統一球のおかでげ、実に詰まらなくなり
ました。
 統一球などというものは、来シーズンから、廃止する
べきだと思います。

 (この問題は、次回に続きます)



「外国人」からの献金・・・在日の方からの献金をあげつらうのは無理があります。ほかにやることが。

2012年10月19日 03時00分55秒 | 日記

 自民党の石破幹事長に外国人が献金していたというの
で、ニュースになっています。
 しかし、外国人というのは、在日韓国人のことです。
パチンコ店を経営している在日韓国人が、6年間にわた
って、合計75万円を石破氏に献金していたというのです。
 石破事務所は、去年、そのことに気がついて、返金した
としています。

 もう、この手の話は、やめましょう。

 先には、民主党の前原外相(当時)も、在日韓国人から
献金を受けていたということを、京都選出の自民党議員か
ら問われ、外相を辞任しています。
 
 在日韓国人からの献金を外国人からの献金だとして「違
法」扱いすると、かなり多くの国会議員が、気づかないう
ちに、違法行為を犯していることになると思います。

 そう。
 与野党を問いません。
 前原外相を追及した京都の議員だって、調べてみたら、
在日の方から、知らないうちに献金を受けているというこ
とは、可能性としては、十分にありそうなことです。 

 私自身は、関西の生まれです。
 関西にいると、在日の方は、身のまわりに、ごく普通に
います。
 「となりのおばちゃん」が、実は在日韓国人だったとい
うことは、全然珍しくありません。
 私の場合も、子供のころ、自宅のそばの食堂によく食事
に行きましたが、そこの「おっちゃん」が在日の方だった
ということを、大人になってから聞きました。
 しかし、だからといって、どう思うということもありま
せん。「へえ、そうなのか」という程度のことです。その
ぐらいのことなのです。

 在日の方は、いまでは、韓国姓を名乗ることが珍しくな
くなってきたので、それで分かります。
 しかし、韓国姓ではなく日本姓を名乗る方も大勢います
し、なにより、ある時期までは、みなさん、公には日本姓
を名乗っていました。

 在日の方といっても、日本で生まれ、日本で育ったわけ
ですから、普通にしていると、日本人と同じです。
私の友人にも何人か在日の方がいます。彼らは、一応、
ハングルは勉強しているようですが、普段は日本語をしゃ
べっていますし、日本語のほうがらくなようです。という
より、日本語で生活しているわけです。
 苗字が日本姓だったら、ちょっと分からないでしょう。

 芸能人やプロ野球の選手にも、在日の方は、大勢います。
 いまどき、そんなことは、だれもが知っています。
 かつて、関西の高校で、野球部の選手で在日の選手が
日本姓をやめて、韓国姓を名乗ろうということになりま
した。そうすると、レギュラーの半数が韓国姓だったと
いうことがありました。

 たぶん、彼らも、意識としては、もうほとんど日本人に
近いのではないでしょうか。
 「隣りのおばちゃん」は、普段、気分は日本人だと思い
ます。

 そんな在日の方が、政治家に献金をしたとして、それを
「外国人からの献金だから違法だ」というのは、正直、ち
ょっと無茶な感じがします。

 選挙に立候補したとき、「隣りのおばちゃん」が「がん
ばりや」といって、なにがしか献金してくれた。献金の名
簿は法的に公開されます。そこで、敵対する政党の議員が
献金の名簿を調べたら、その「隣りのおばちゃん」は、日
本人ではなく在日韓国人だった。
 それ、外国人からの献金だ。
 ほら、違法だ。
 ーーこれは、どこか、おかしいでしょう。

献金の額が何千万円というのなら、話は別かもしれま
せん。しかし、石破氏や前原氏への献金など、1年に
換算すると、たかだか、数万円から10万円という額です。
あっと驚くような額ではありません。

 在日の方でも、途中で、日本国籍を取る方がいます。
 サッカーの日本代表の李忠成選手は、そうです。
 
 では、2年前に日本国籍を取った人が、過去5年間、献
金をしていたとしましょう。
 この場合、5年のうち、2年間の献金は日本人になって
からの献金だからセーフで、その前の3年間は「違法だ」
とでもいうのでしょうか。
 そんなばかばかしい話はないでしょう。
 もう、重箱の隅を突くような話です。

 関西で議員になった人は、在日の方から献金を受ける可
能性が、はるかに高いと思います。
 関西ではそのぐらい、在日の方は、すぐ隣りに当たり前
に住んでいるのです。
 東京、首都圏は、少しパーセンテージは下がるかもしれ
ませんが、同じようなことはあると思います。

 それを、相手の政党の議員のことを、いちいち調べだし、
在日の方からの献金を発見して、鬼の首を取ったように「外
国人からの献金だ」「違法だ」とやっていては、関西から
議員がいなくなるかもしれません。

 それで、議員に辞職を迫る。
 辞職しないからといって、国会で、追及する。
 国会が空転する。

 これは、ただの足の引っ張り合いです。
 そんなことよりも、政策を議論してほしいと思います。

 政治資金法を改正して、手立てを講じるのが一番いいの
でしょうが、それには時間がかかります。
 それよりも、民主党も自民党も、議員は、節度を持って
行動するのが一番でしょう。
 鬼の首を取ったように
 「外国人からの献金だ」
 「責任を取って辞職せよ」
 と主張するのは、もう、やめましょう。

 私たち国民は、国会議員にそんなことをしてもらうため
に、投票したのではありません。

 そんな詰まらないことをしている時間があれば、尖閣を
どうするとか、震災からの復興の速度を上げようとか、原
発をどうするんだとか、そういうことを議論してもらいた
いと思います。

 民主党と自民党で、お互い、
 「つまらないことはやめましょう」
 と紳士協定を、どうして、結べないのでしょう。

 あなたたちは、そんなにヒマですか?
 国会議員は奮起しなければなりません。




尖閣に領土問題はない?・・・この言い方を、何もしないことのエクスキューズにしてはいけません。

2012年10月16日 02時43分02秒 | 日記

 またか、という思いがします。
 玄葉外相は、来日中のウィリアム・バーンズ米国務副長
官と15日に会談し、
「尖閣諸島をめぐる領土問題は存在しない」
 という「日本の立場」を説明しました。

 本当に「またか」です。
 
 日本政府が、あくまで領土問題は存在しないと言い張る
姿勢でやっていくなら、2点、注文があります。

 注文の第一は、領土問題は存在しないと言うのであれば、
その姿勢を、もっと世界に向かって発信しなければならな
いということです。
 すでに、中国は、アメリカの主要紙に、尖閣は中国の領
土だという大きな広告を出しています。
 欧州では、中国の駐英大使が、英紙に論文を投稿し、第
二次大戦の戦勝国である中国とイギリスは、敗戦国である
日本に対し、肩を並べて当たっていこうと訴えました。
また、台湾は台湾で、同じように、アメリカの主要紙に
尖閣は台湾の領土だという広告を出しています。

 では、日本政府は、そういう広告を出しましたか?
 残念ながら、出していません。

 尖閣をめぐる領土問題は存在しないというのなら、中国
や台湾が「尖閣は我が国のものだ」という広告を出したの
に対し、「いや、領土問題は存在しません。なぜなら、そ
もそも、尖閣は日本の領土だからです」という広告を出し
返さないのでしょう。

 日本国内で、「領土問題は存在しない」と訴えても、ま
ったくなんの意味もありません。

 注文の第二は、領土問題は存在しないという言い方を、
政府というより、はっきりいえば、役人・官僚が、何もし
ないことの言い訳に使わないでほしいーーということで
す。

 尖閣をめぐる領土問題は存在しないと言い続けていれ
ば、何もせず、黙っていればいい。政府には、いや、
役人・官僚には、そういうところが、はっきりと見られま
す。
 中国や台湾がアメリカの主要紙に広告を出したのに対
し、外務省は、広告を掲載した新聞に抗議したということ
ですが、そんな抗議は、「しないよりまし」という程度の
ことでしょう。
 広告は、お金を払えば出せるのですから、広告を掲載し
た新聞に「なぜそんな広告を掲載したのか」と言ってみた
ところで、意味のないことです。
 それよりも、なぜ、同じように日本政府が「尖閣は日本
の領土です」という広告を出さないのでしょう。

 それは「尖閣に領土問題はない」と言うからです。
 尖閣に領土問題はない、そもそも日本の領土なんだから
と言ってしまうと、「だから、尖閣は日本の領土だという
広告なんて、ださなくていいんだ」ということになってし
まいます。結局、何もしないということになってしまいま
す。
 ここにあるのは、「領土問題はない」という言い方を、
政府、役人・官僚が、何もしないことの言い訳に使ってい
るという構図です。

 これは、このブログでも書いた役人の習性
  「備えなければ憂いなし」
 そのものです。

 あろうことか、政治家である玄葉外相まで、アメリカの
国務省の副長官に
 「領土問題はないんです」
 と話している。

 仮にも、アメリカは、日本の数少ない同盟国ですよ。
 その国務省の副長官に、「尖閣に領土問題はありません」
は、ないでしょう。
 言うのであれば、
 「ご承知のように、尖閣で、中国との間でやっかいなこ
とになっています。中国を沈黙させるには、どうしても、
同盟国であるアメリカの力が必要です。
  尖閣が中国の領土になれば、西太平洋で、 中国の影
響力が増してしまい、アメリカの太平洋政策にも支障を来
すでしょう。
  尖閣では、どうか、日本をバックアップしていただけ
るよう、お力添えをお願いしたい」
 と言って、アメリカの積極的な助力を要請しないといけ
ません。

 それなのに、「領土問題はない」と言えば、
 アメリカ政府は、「ああ、そうなんですか。じゃあ、ア
メリカは、とくに何もしなくてもいいんですね。それなら、
あとは、日本政府でよろしく頼みますよ」
 ということになってしまいます。

 「領土問題はない」という言い方が、結局のところ、何
もしないことのエクスキューズになっているとしか思えま
せん。 
 このままでは、日本は、尖閣をめぐる情報戦争に負けて
しまいます。
 


IMF・世銀総会と中国・・・いつまでたっても中国は、自国のルールで行動します。

2012年10月10日 16時45分44秒 | 日記

 IMF・世銀総会が10月10日から、東京で始まりま
した。そして、この総会を、中国の財政相と人民銀行総裁
が欠席することになりました。
 それに先立ち、中国の4つの銀行(中国商工銀行、中国
銀行、中国建設銀行、中国農業銀行)が、やはり、IMF・
世銀総会を欠席することを決めています。

 尖閣をめぐる対立を踏まえたものですが、しかし、これ
は本当に理解に苦しみます。
 率直にいって、中国は何をしているのかという思いがし
ます。

 まず、なによりも、今回のIFM・世銀総会は、たまた
ま東京で開かれただけであって、会議は、あくまでも、I
MF・世銀の会議です。日本は、場所を提供しただけであ
って、会議そのものには、直接の関係はありません。

 たまたま日本で開かれるからといって、中国は、IM
F・世銀の総会を欠席しているわけです。
これほどの筋違いはないでしょう。
筋違いというより、囲碁や将棋でいうところの
「筋が悪い」
という一手ですね。

中国にしてみれば、IMF・世銀を欠席することで、日
本批判を世界にアピールしたいのでしょうが、しかし、各
国は、なぜ中国が欠席したのか、よくわからないというの
が正直なところでしょう。

たとえば仮にサッカーのワールドカップが日本で開か
れるとして、さらにたとえば仮に中国が出場権を持ってい
るとして、中国が日本で開かれるワールドカップへの出場
をやめたら、世界の国は、首をかしげるだけでしょう。
IMF・世銀を欠席するのは、それと同じことです。

次に、中国はなにかひどい勘違いをしています。という
のも、財政・金融の世界で、中国は、自分が思っているほ
どには、重要なポジションを占めてはいないのです。
中国はギリシャの国債を大量に買ったりしているので、
大きな地位を占めていると考えているのでしょうけれど
も、世界の金融・財政政策で主導権を握るのは、いわゆる
G7です。

G7は、日本、アメリカ、カナダ、ドイツ、イギリス、
フランス、イタリアの7か国を指します。1980年代か
ら、金融・財政でなにかあったら、この7か国が集まって
会議を開き、対応を決めてきました。

今回のIMF・世銀の総会でも、G7は、別途、会議を
開きます。
経済記者にとっては、IMF・世銀の総会より、このG
7のほうが、はるかに重要なニュースになります。経済記
者のイメージでは、IMF・世銀の総会といえば、G7の
取材――ということになります。そのぐらい、G7のウエ
イトは大きいのです。

そして、決定的なのは、中国は、このG7に入っていな
いのです。もし中国がG7のメンバーで、G7の会議を欠
席するということになれば、インパクトはあります。
 しかし、G7のメンバーでもない中国が、IMF・世
銀の総会を欠席しても、ほとんどインパクトはありません。
 各国は「え? 中国、出ないの?」
 という程度の反応でしょう。

金融・財政の世界における自国の位置を、中国は完全に
見誤っています。
中国はまだ、自分で思うほどには、重要なポジションを
占めてはいないのです。
いまのG7には、ロシアでさえ、入っていません。

 G7のメンバーは、先進国サミットのメンバーでもあり
ます。
 先進国サミットには、ロシアも参加しています。
 しかし、ロシアが参加するのは、サミットで政治問題を
討議する会議だけです。サミットで政治問題を討議すると
きはロシアも入って G8 となります。でも、経済問題
を討議する場合は、いまでもロシア抜きのG7で討議する
のです。

ロシアでも、それが実情です。
それなのに中国は、中国がIMF・世銀の総会を欠席す
れば世界が驚くーーと思っている。
ここに見られるのは、中国の国際感覚のなさ、国際感覚
の欠如です。
そこに、中国が抱える決定的な問題があるのです。
これだけ国際感覚がないと、中国は、なかなか、世界で
相手にしてもらえないでしょう。

ただし、では、我らが日本、というより、日本政府に、
国際感覚があるかというと、それもまた、かなり疑問があ
ります。いまの日本政府もまた、おおいに、国際感覚に欠
けます。その点では、中国を非難できないところではある
のですが、まあ、中国よりはましということにしておきま
しょう。

ともかく、中国には、国際感覚が欠如しています。
国際感覚が欠如しているとどうなるかというと、その裏
返しとして、どこへ行っても、自分のルール、自国のルー
ルで行動しようとするのです。それが、各国と摩擦を起こ
してしまうわけです。
簡単にいえば、自己中 ですね。

きのう、中国の大手の通信企業である華為のことを書き
ました。
華為は、先週、幕張メッセで開かれた国際展示会シーテ
ックで、非常に大規模な展示をし、自社製品を売り込んで
いました。近く、日本で、自社製のスマートホンを売り出
すそうです。

おかしいでしょう。
尖閣を理由にIMF・世銀は欠席するのに、華為はシー
テックで大規模な展示をし、スマホを売り込もうとしてい
る。
これはどうみても、理屈にあいません。

IMF・世銀を欠席するなら、シーテックも欠席しなけ
ればなりません。
ところが、シーテックには力を入れて出展する。
それは、華為のスマートフォンを、日本で売りたいから
です。
ここにあるのは、中国は、自分のルールで動くというこ
とです。IMF・世銀は欠席するが、スマホを売りたいか
らシーテックには出る。
これは
「中国だけのルール」
「自分のルール」
です。
これを、自己中といわずして、なんといいますか。

華為は、きのうも触れたように、アメリカ議会から産業
スパイの疑いがあると認定されました。経済のルール、国
際社会でのルールを無視していると認定されたわけです。

中国は、大きな国です。
世界への影響も大きい。
中国は、それを自覚しないといけません。
大きな国が、国際的なルールや国際的なエチケットを無
視して、自国のルール、自分のルールで活動してしまえば、
国際社会で受け入れられないでしょう。
 大きな国は、国際的な責任も大きいのです。
 中国のことわざに
 「百年 河清を待つ」
 というのがあります。
 いつも濁っている黄河は、何年待っても、清く澄むこと
はないーーです。待っても無駄という意味です。
中国が、自分のルールで動くのをやめ、国際社会のルー
ルを守るようになるのは、
「百年 河清を待つ」
なのでしょうか。








シーテックと中国企業・・・華為が日本に進出します。ところがアメリカでは。

2012年10月09日 14時09分38秒 | 日記

 ネットやIT、映像系の国際的な展示会「シーテック」
が、先週、千葉・幕張メッセで開かれました。
 東芝やソニー、トヨタ、日産など、多くの大企業が出展
していましたが、目を引いたのは、中国の通信系の企業で
ある華為です。
 華為は、フーウエイと読み、実態としては、中国の政府
系企業といえます。

 この華為が、幕張メッセの広い敷地に、圧倒的な広さの
展示ブースを出していたのです。東芝やトヨタといった日
本の企業の軽く3-4倍の広さがあったのではないでし
ょうか。


 英語では HUAWEI と書くようです。

 それだけではありません。最寄の駅、JRの海浜幕張駅
のホームでも、大量のCMを打っていました。ホームから
改札に降りる階段の壁の両側は、華為の広告で埋め尽くさ
れていました。


 尖閣でこれだけ対立し、日本製品を買うななどという動
きまで起きているのに、これはいったい、何なのでしょう
か。
 展示場で、華為のスタッフを捕まえてきいてみました。
といっても、日本人です。

 そうすると、近く、華為は、日本でスマホを発売するの
だそうです。
 スマホは、
アセンド ASCEND
 というブランドです。
  登る 上がる
 という意味です。
 
 日本市場への参入、参戦ということです。
 
 スマホで日本市場に参戦する。
 だから、この国際展示会で、大々的な展示とCMに打っ
て出たというわけです。

 しかし、尖閣をめぐる対立で、厳しい対日批判を繰り広
げ、反日ムードをあおる国としては、少々、イージーなの
ではないかと思わざるをえません。
 中国の企業が日本に参入するのはOKということなの
でしょうか?
 誤解されないように書いておきますが、日本に来るなと
いうのではありません。そうではなく、いまこの時期に、
中国の企業がこれだけ堂々と日本に来るのであれば、中国
も日本に対して、もう少し、理性的な対応をするべきでし
ょうーーということです。

 この秋には、華為のスマホ アセンドが、携帯ショップ
に並ぶはずです。

 さて、そんなことを思いながら、シーテックから帰り、
週末、ニュースを見ていると、まあこのタイミングでとい
う感じで、華為が出てきました。
 
ニュースはこうです。
 アメリカ議会が、華為に対して、産業スパイの疑いを持
ち、華為から事情を聞こうとしました。
 ところが、華為は、協力を拒みます。
 そのため、アメリカ議会は、華為を、好ましからざる企
業として認定しました。
 好ましからざる企業に認定されたため、アメリカ政府は、
今後、華為の製品を買いません。
 ニュースの概要は以上のようなものです。
 
 華為が、アメリカ議会から産業スパイの疑いをかけられ
たとは、驚きました。
 アメリカ政府は、今後、華為の製品を買いません。
 そういうタイミングで、華為は、日本でスマホの販売を
開始し、シーテックで大量展示をしたのです。

 尖閣をめぐる反日デモが盛んなころ、中国政府の商務省
高官が、記者会見で、「日本製品の不買運動をしよう」と
呼びかけていました。
 政府高官が、不買運動を呼びかけるという国は、自由貿
易の国とは呼べません。
 
 その一方で、中国企業は、日本市場に正面から参入しよ
うとする。

 これは、中国という国が、国際的なルール、あるいは、
国際的なエチケットをまったく知らないという話になり
ます。
 
 国際的な舞台でも、自分の国のルールで動こうとするの
です。
 
 華為がアメリカ議会で好ましからざる企業と認定され
たのを受け、中国外務省のいつもの報道官が、反論してい
ました。
 反論は、
 中国は自由貿易のルールにのっとって活動している。ア
メリカには、両国の自由貿易のためにならないようなこと
をしないよう望みたい。
 というものです。

 自由貿易のルールにのっとって活動する国の政府が、日
本製品の不買運動を言い立てるのは、どうしたって、おか
しいでしょう。
 政府みずから不買運動を呼びかけるような国が、自由貿
易を語ること自体、おかしいのです。

 中国外務省の報道官も
「中国は自由貿易のルールにのっとってやっている」
とは、よく言ったものです。
もしかすると、彼も、心の中では、
「仕事だからしようがないけれど、俺もよく言うよ」
と思っているかもしれませんね。



尖閣と領土問題・・・領土問題は存在しないという言い方を、何もしないことの言い訳にしてはいけません。

2012年10月03日 00時38分12秒 | 日記


 1990年代なかば、当時のウルグアイ・ラウンドの貿
易自由化交渉で、日本のコメ市場の開放が始まりました。
 開放といっても、海外から輸入するコメには非常に高い
関税がかけられていますので、制限付きの開放ではありま
す。

 当時のことを思い起こしていただきたいのですが、あの
ころ、ウルグアイ・ラウンドによるコメ市場の開放には、
ものすごい反対がありました。

 コメ市場が開放されると、日本のコメ農家はやっていけ
ない。
 日本の農業を破壊するのか。

 そういう反対論でした。

 きょう、書こうとするのは、そういうときの農水省、
ひいては、霞が関の官庁、官僚の反応です。

 当時は、新聞もテレビも、ウルグアイ・ラウンドの話ば
かりです。日本のコメは、どうなるのかーーと。
 農水省は、もちろん、コメ市場の開放には反対です。
 ところが、その農水省を見ていて、どうにも腑に落ちな
いことがありました。
 農水省は、コメ市場の開放には反対するのですが、では、
コメ市場が実際に開放されて、海外のコメが入ってきたら、
どう対応するのか。
 そのことを、ほとんど何も考えていないようなのです。
 コメ市場を開放せざるをえなくなった場合、日本の農業
は、どう対応するのか。農水省は、どう対応するのか。
 その対応策を、ほとんど何も考えていないように見えま
す。

 そこで、農水省の幹部に聞いてみました。
 「ウルグアイ・ラウンドが合意して、日本のコメ市場が
開放された場合、どう対応するのでしょう。どうも、農水
省は、対応策を検討しているようには見えないのですが」

 すると、こんな答えが返ってきました。
 「それはですね、備えなければ憂いなし なんですよ」

 「は?」
 「備えなければ憂いなし です」

 「普通は、備えあれば憂いなし でしょう?」
 「普通はそうです。でも、役所はね、
   備えなければ憂いなし
  なんですよ」

 私は、
 「うーむ。大変よく分かるなあ」
 と思ってしまいました。

 こういうことです。
 「備え」というのは、コメ市場が開放された場合を想定
して対応策を考えることです。
 それが「備えあり」です。

 普通は、そうです。

 しかし、「備え」をするというのは、実は、コメ市場の
開放を前提としたものです。
 「備えをする」のは、コメ市場が開放されることを念頭
に置くわけです。

農水省の官僚にとって、コメ市場の開放というのは、悪
夢です。
 開放を想定すること自体が悪夢です。
「備える」のは、悪夢を前提にすることです。
 
逆に、「備えをしない」というのは、コメ市場は開放さ
れないという前提に立つわけです。
 「備えをしない」のは、コメ市場が開放されないという
前提に立つのですから、そもそも、「憂う」必要はないわ
けです。

 だから、
「備えなければ、憂いなし」 
 になります。

 「何も準備をしてないじゃないか」
 と責められても、
 「いや、何もないから準備をしないだけのことです」
 「準備をしないということは、何も起きないということ
です」
 と答えていればいいのです。

 実は、これは、コメに限らず、霞が関の官庁、官僚に共
通する習性です。
備えなければ憂いなし。
 「何もしてないじゃないか」と批判されたら、
 「だって、何か問題が起きるはずなど、ありません」
 と答えればいいのです。

 そう言っていれば、仕事をせずにすむのです。
 そうやって、対応が遅れます。
 
 この構図は、原発の事故でも、はっきりと出ました。
 福島の事故では、いろいろなことが明らかになり
ました。そのなかで、原発が立地する自治体に共通の
問題として指摘されたのは、原発が立地する自治体は、
どこも、事故を想定した住民の避難訓練をしていなかっ
たということです。
 県も市も、町も村も、原発で事故が起きたときに
住民をどう避難させるか、その訓練をまったくして
いなかったのです。
 
 自治体の担当者は、避難訓練しなかったことについて
いろいろとエクスキューズしていましたが、簡単に
いえば、こういうことです。
 「避難訓練をすれば、原発で事故が起きるのを前提
にすることになる」

 そうなんです。
 日本では長い間、
 「原発では事故が起きない」
 ということが、大前提でした。

 それなのに、避難訓練をすれば、その大前提が
崩れてしまうのです。

 避難訓練は「備え」です。
 「備え」をすれば、事故という「憂い」を前提に
することになる。
 「備えをすれば、憂いあり」
 ということになります。

 だから、行政にとってい一番いいのは、
 「備えなければ、憂いなし」
 なのです。

 これは、ウルグアイラウンドでコメ市場の開放
を求められ、
 「備えなければ、憂いなし」
 と言うのと、まったく同じ構図です。


 そして、実は、尖閣諸島も、長い間、
 「備えなければ憂いなし」
 の状態だったのではないでしょうか。

 日本政府は、尖閣に対し、長い間、ずっと、
 「尖閣には、領土問題は存在しない」
 と言い続けてきました。
 
 尖閣は日本の領土だから、そもそも領土問題というもの
はないんだーーというのです。

 これは、やはり、
 「備えなければ憂いなし」
 でしょう。

 尖閣で備えが必要だと言えば、それは、尖閣に領土問題
があることを認めることになります。
 だから、何もしてこなかった。
 せめて、初期のうちに、尖閣に灯台を作るとか、船着き
場を作るとか、実行支配を強化するための「備え」をして
おけば、様子は、ずいぶん違ったでしょう。

 しかし、日本政府は、あるいは外務省の官僚は、尖閣に
領土問題はないと言い続けてきました。
 領土問題が存在しないのだから、備える必要もない。
 だから、本当に、何もしなかったのです。

 灯台を作るとか、船着き場を作るとか、そのぐらいして
おけばよかったと思うのに、政府・外務省は、本当に何も
してこなかったのです。

 領土問題はないと主張する。
 それなら、なおのこと、日本の領土である尖閣に、日本の
施設を建設しておけばよかったのです。
 尖閣に、日本人が住んでいて、日本政府の施設でもあ
れば、いまごろ、状況はまるで違っていたでしょう。

 ここにあるのは、
 原発で事故は起きないから避難訓練はしない
 というのと同じ構図です。

 備えなければ憂いなし。
 これは、霞が関を覆う抜きがたい悪弊です。

 領土問題はないーーという言い方を、長い間、日本政府
は、何の仕事もしない言い訳として、利用してきたわけ
です。
 尖閣には領土問題はないと言い方を、政府・外務省は、
もう、エクスキューズに使ってはいけないでしょう。