いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

日本には海彦と山彦が暮らしています・・・TPPでは、海彦と山彦の対話が必要です。

2013年08月29日 12時15分39秒 | 日記

このブログで前に書いた話ですが、もう一度、書いておきます。
海彦、山彦の話です。

日本の神話には、海彦、山彦という兄弟が登場します。
 天孫降臨の神様の一族で、うみひこ、やまひこ と読みます。


 子供のころに童話として読んだという方も少なくないと思います。

 海彦は、海岸の家に住んでいます。
非常によく釣れる釣り針を持っていて、毎日、海で漁をし、たくさんの魚
を獲って、豊かに暮らしています。
 山彦は、山に住んでいます。よく土を耕せるクワや、上手に草を刈るこ
とのできる鎌を持っていて、農業をして穏やかに暮らしています。
 
 海彦と山彦は、もともと兄弟ですから仲が良く、互いに、海のものと、山
のものを、交換していました。

 ところが、問題が起きます。
 海彦と山彦は、ある日、釣り針とクワ・鎌を交換し、海彦が山で、山彦
が海で生活してみようということになったのです。
 山彦は、海に漁に出て、毎日、たくさんの魚を獲っていたのですが、あ
るとき、釣り針をなくしてしまいました。
 海に落としてしまったのです。

 それを知った海彦は、ものすごく怒り、釣り針を返すよう要求します。
山彦がどんなに謝っても、海彦は許しません。
山彦が、自分の鎌をつぶして100本の釣り針を作って渡し、
「これでもう許してください」
といっても、海彦は、自分の釣り針じゃないとだめだと言い張ります。
  山彦は困り果てます。
 
 ――というのが、神話のストーリーです。

日本は、豊かな土壌を持つ山の国である一方で、四方を海に囲まれ
た海の国でもあります。
 「山」、というより、「陸地」、「農地」ですね。
陸地の人々は、はるかな昔から農業で暮らしてきました。
この人たちが山彦です。
 
一方、海で暮らしてきた人々は、魚を獲る漁業で暮らしてきました。
漁業だけにはとどまりません。
毎日、船で外に出るので、当然、海外との貿易もするようになります。
魚を獲っていたはずが、いつの間にか、貿易まで始めるようになってし
まいます。
この人たちが海彦です。

日本という国には、
農業で暮らす山彦と、
漁業や貿易で暮らす海彦
がいるのです。

山彦と海彦の仕事や暮らしは、もちろん、かなり違います。
同じ国に住んでいるのに、まるで違う仕事や暮らしです。

ただし、というか、もちろん、山彦と海彦は、お互い、収穫したものを交
換して、豊かに暮らしているわけです。

 さて、そこで、TPP(環太平洋経済協力)です。
 TPPは、自由化を進める交渉です。
 TPPに賛成する人たちは、電機や自動車のように、海外との貿易で暮
らす人たちです。
 そうです。 海彦です。


 TPPに反対するのは、海外から安い農産物が入ってきたら、とても
暮らしていけないという人たち、農業の人たちです。
 そうです。山彦です。


 TPPは、日本においては、海彦と山彦の対立です。
日本でのTPPの議論は、まったくかみ合いません。テレビの討論番組
でも、お互い、言いたいことを言って、ケンカ腰になって、それでおし
まいという感じです。
それは、海彦が海彦の主張をし、山彦が山彦の主張をするからです。
お互いが、それぞれの主張をするだけでは、議論がかみあうはずもあり
ません。

貿易で生きる海彦にとって、TPPは非常に重要な交渉です。
自由化されたほうが、自分たちの生産したものは海外で売りやすく
なります。

それに対し、日本の土地に生きる山彦にとっては、もっと広い土地
で作る農産物が自由化によって安く入ってきたら困ります。

 政府がTPPに積極的――と伝えられれば、海彦は喜びますが、山
彦は困ったと思います。

日本は、海彦と山彦の両方が住む国です。
そのことを忘れてしまっては、TPPの議論は進みま
せん。

海彦は、TPPが自分たちに有利だと思うから賛成します。
山彦は、TPPが自分たちに不利だと思うから反対します。
海彦と山彦の対立の構図をそのままに残していては、TPPは
前には進みません。

日本が戦後、ここまで成長し、経済大国になったのは、海外に打っ
て出た海彦の活躍が大きい。海彦がいなければ、日本経済は、ここま
で大きくはならなかったでしょう。
このまま日本が豊かな国であるためには、海彦が働きやすいように
する必要がある。
 しかし、その海彦の食卓を支えてきたのは、まぎれもなく山彦です。
山彦がいたからこそ、海彦は家に帰って、安全でおいしい農産物を
食べることができ、また次の日、仕事に戻ることができた。

海彦がさらにしっかり働くには、山彦の支えが絶対に必要なのです。
山彦も、海彦が作った電機製品や自動車で、陸での生活が豊かになっ
ている。山彦にも、海彦の活動が不可欠なのです。

 海彦と山彦が、けんかをしていては、日本という国は立ち行かなく
なります。

 TPPに参加すると有利だというのは、海彦はよくわかっている。
日本としては、海彦を支援する必要がある。
しかし、それで山彦が不利になるというのであれば、山彦をしっ
かりサポートしてやる必要がある。
あるいは、もし、山彦の心配が、根拠のないもの、ただの杞憂に
すぎないのであれば、それをちゃんと山彦に説明しないといけない。

日本経済のことを考えると、TPPには参加する必要がある。
しかし、それが海彦だけのことを考えたものであってはいけない。
TPPでどうなるかを、山彦にちゃんと説明しないといけない。

日本には、海彦と山彦の両方が暮らしていて、それぞれが
お互いにとって大事な存在ですし、なによりも、海彦と山
彦があってこその日本です。
すべては、そこをはっきり認識することから始まります。
しかし、いまは、海彦と山彦の対話があまりに少ないよう
に思えます。
海彦と山彦が対立しているとき、その対話を促すのは、政
府をおいて、ほかにないでしょう。
政府は、知らん顔をしたり、ほおっかむりをしたりせず、
海彦と山彦の対話を本気になって進めなければなりません。



藤圭子さんが亡くなりました・・・日本が騒然として時代に登場したのです。

2013年08月23日 11時03分37秒 | 日記

 藤圭子さんが亡くなりました。
 マンションの13階から飛び降りたということで、自殺とみら
れています。

 藤圭子さんが「新宿の女」で彗星のように登場したのは、19
69年のことです。
 彗星のようにと書きましたが、当時としては、むしろ「いった
い、こんな歌手、どこから出てきたの」という感じでした。
 まだ10代というのに、暗い影を持ち、低い声で歌う。しかも、
はっとするような美人です。人を寄せ付けないような雰囲気があ
りました。
 翌1970年には、「圭子の夢は夜開く」が、空前のヒットとな
ります。

 15、16、17と
 私の人生暗かった
 どうすりゃいいのさ この私
 夢は夜開く

 当時の日本は、どこか騒然としていました。
 1960年代半ばから始まった大学紛争は、70年安保と結び
ついて、最後の高揚期を迎えていました。
 日本は政治の季節でした。
 では経済はどうかというと、日本経済は、まだ高度成長が続い
ており、エネルギーにあふれていました。
 生活は毎年よくなるという実感がありましたが、しかし、一方
で、出稼ぎがまだ当たり前の時期で、日本全体が豊かさに向かう
なかで、貧しさもはっきりと目に見えいました。

 日本全体が、正と負の両方のエネルギーにあふれており、政治
も経済も、もちろん、社会も、騒然としていた時代です。

 そんな中で、ある日突然、
 人を寄せ付けないような雰囲気を持った美少女が、低く、暗い
声で、しかし、圧倒的な歌唱力をもって、
 
15、16、17と
 私の人生 暗かった
 
 と歌い始めたのです。
 日本人は、
 「15、16、17と、私の人生暗かった」
 と歌いかけてくる美少女と、その美少女を送り出してきた社会、
 15、16、17と私の人生暗かったと訴えてくる日本の社会
そのものに、
 なにかあまり聞きたくないような問いかけをされたような気が
したように思います。
 
 日本が、政治、経済、社会のすべてにおいて騒然としたエネル
ギーにあふていた時代、この歌は、日本人の心に、むき出しのま
ま、飛び込んできたようなものでした。

 逆説的になりますが、日本が豊かさに向かおうとしていた時代
だったからこそ、この人の歌は、人々の心に響いたように思いま
す。 


東京五輪と猛暑・・・熱中症に注意という猛暑の時期に五輪を開くのは、どこかおかしのですが、しかし。

2013年08月05日 01時54分28秒 | 日記

 日本は今週、8月5日の週から、また猛暑になるとの天
気予報が出ています。

 今年7月初めは、気温35度を超す日が何日も続き、そ
の暑さに閉口しましたが、その猛暑がまた来るというので
す。
 最近の日本は、7月、8月の猛暑が当たり前になってし
まいました。

 そこで気になるのが、東京オリンピックの誘致計画です。
私はスポーツが好きで、東京五輪も、実現すれば良いと
思っています。
問題は、その日程です。

 計画によれば、東京五輪は、
 2020年
 7月24日の金曜日から
 8月9日の日曜日まで
 という日程になっています。
 
 ということは。
 そうです。猛暑の真っ最中です。

 猛暑で、我々が外に出るのも控えようかというとき、ス
ポーツをしようというのです。

 1990年代に、福岡で、世界水泳が開かれました。
 8月後半のことです。
 このときも猛暑となり、各国の代表団は、あまりの暑さ
にびっくりしていました。
 欧州のどこかだったかの国のコーチは、日本のテレビの
インタビューに答え、
 「あまりに暑さがひどいので、競技のとき以外は、外に
出るなと、選手たちに指示を出している」
 と話していました。

 いまの猛暑も、わが日本の気象庁が、熱中症に気をつけ
てくださいと呼びかけています。

 2020年の7月、8月も、冷夏にならない限り、同じ
ように、猛暑が予想されます。
「予想」どころか、ほぼ確実でしょう。

 そんなときに、五輪をやって大丈夫なのでしょうか。
それが、非常に気になります。

 ご承知のように、東京では、一度、五輪が開かれていま
す。
 1964年のことです。
 このときは、開会式が10月10日で、そこから2週間、
東京の各会場で、競技が行われました。
 いま、東京にある体育施設は、その多くが、64年の東
京五輪に際して建設されたものです。
 国立競技場がそうです。ここで五輪の火が燃え、陸上競
技の会場となっただけではなく、開会式、閉会式も開かれ
ました。
 武道館もそうです。
 代々木の東京体育館もそうです。
 戸田のボートコースもそうです。

 64年の東京五輪は、豊かな財産を残してくれました。

 なによりも、64年の東京五輪は、日本のベストシーズ
ンである10月に開かれています。
 開会式の10月10日が、体育の日となり、記念の祝日
となりました。10月10日の体育の日は、そういう意味
のある日なので、現在のように、連休にするために祝日を
ずらすというのは、私は、賛成できません。

 スポーツをする人間にとって最大の目標である五輪を開
くなら、スポーツにとってベストのシーズンに開くのが当
然でしょう。
 日本の場合は、10月です。

 ところが、最近、というのは、1970年代、80年代
以降ということですが、五輪は、真夏に開かれるようにな
りました。
 なぜか。
 テレビ、とくにアメリカのテレビが、真夏に放映するこ
とを求めるからです。
 なぜ真夏かといえば、それは、簡単な話で、真夏は夏休
みの季節だから、五輪中継が、視聴率を稼げるからです。
五輪の競技は当然のことですが、昼間に行う競技が多い。
陸上はみなそうですし、水泳も基本は昼間です。屋内の競
技は夜にやることも少なくないのですが、屋外の競技は、
だいたい、昼間です。
 昼間のテレビ中継だと、昼間に働いている人は、さすが
に見にくいものです。
 だから、働く人、とくにサラリーマン、アメリカの言い方
だとビジネスマンが夏休みを取る7月、8月に中継したい
のです。

 そして、いまの五輪は、テレビ各局が支払う放映権料が、
非常に重要な収入源となっています。

 だから、五輪委員会も、テレビの要求をのむのです。
 先月、国際五輪委員会のロゲ会長が新聞のインタビュー
に答えていました。記者が「五輪を暑い夏ではなく、スポ
ーツに適した秋に開くという考えはないのか」と聞いたの
に対し、ロゲ会長は「そんなことは、ありえない」と、に
べもなく、答えていました。

 五輪は、いま、そういう状況になっているのです。
 各競技に出るアスリートのコンディションよりも、収入
を確保するほうが大事なのです。
 商業五輪といわれるゆえんです。

 では64年の東京五輪が、なぜ10月に開けたかという
と、それは、当時の五輪は、いまと違い、商業主義に染ま
っていなかったからです。
 とくに当時、国際五輪委員会にはブランデージ会長とい
う名物会長がおり、この人は、アマチュアリズムの権化だ
ったのです。ブランデージ会長は、
 「五輪はアマチュアでなければ出場資格がない」
 という信念を持った人で、当時は、選手のウエアに広告
を入れたりするのも禁止されていました。
 だから、64年当時の五輪は、テレビ局の思惑に左右さ
れることなどありえず、選手がいちばんやりやすい季節に
開かれたのです。

 今は昔です。

 いまは、五輪は夏休みの最中、7月、8月に開かれるこ
とになってしまいました。
 だから、東京であろうが、イスタンブールであろうが、
マドリッドであろうが、みな、7月、8月の五輪になりま
す。

 東京だけの問題ではないのですが、しかし、最近の東京
の暑さは、半端ではありません。

 気象庁が「熱中症に注意してください」と呼びかける時
期にスポーツをさせるなんて、いまの五輪は、本当に、ど
こかおかしくなってしまったと思います。





麻生財務相の失言・・・「日本批判」に政治利用されます。本当に残念です。

2013年08月02日 02時06分54秒 | 日記

 麻生財務相・副首相は、スピーチが上手です。とくに
得意の経済分野を語ると、ユーモアを交え、政策を実に
分かりやすく説明します。
 ひと月ほど前、ある講演会で、アベノミクスの解説をし、
その政策効果はどうしても大都市から出てきて、地方に行
くのには少し時間がかかるということを、うまく説明して
いました。
 そして、
 「そんなわけですから、地方のみなさんが効果をお感じ
になるには、もう少し時間がかかる。大変恐縮なんだが、
地方のみなさん、もう少しだけ、待っていただけるとあり
がたい」
 と話していました。
 大変率直で、納得のいく説明でした。

 ところが、政治の話になると、どうしてこうも失言をし
てしまうのでしょうか。
今週の月曜日、さっきのとは違うシンポジウムで、麻生
財務相は、ナチスがワイマール憲法をいつの間にか変えて
しまったことを指摘し、そこまではよかったのですが、
そのあと、その手口を見習えないものかという趣旨の発言
をしてしまったのです。

 麻生財務相の言わんとしたことを「翻訳」すると、政策
として何かするときは、もっとうまく実行する方法がある
はずだーーということなのでしょう。
 それであれば、麻生財務相は、ナチスのことなど引き合
いに出さず、たとえば、
 「憲法改正をやるなら、いまのように議論を混乱させて
しまってはいけない。きちんと議論の出来る、もっとうま
い方法があるのではないか」
 といえばよかったのです。

 なんでまた、わざわざナチスを引き合いに出す必要があ
ったのか。
 
 アメリカのユダヤ人団体が、いち早く、抗議声明を出し
ました。

 さらにまたというか、案の定、中国が「このような発言
は、日本が軍国主義に傾いているのではないかとの懸念を、
アジア諸国に抱かせる」
 との談話を出しました。

 そして、これも案の定、韓国政府は、報道官が
 「このような発言は、日本が歴史に向かい合っておらず、
歴史認識が間違っていることを示している」と話しました。
 
先日のサッカーの試合で、日本と試合をした韓国は、ス
タジアムに「歴史を直視しない民族に未来はない」と書い
た大きな垂れ幕を掲げました。
 日本サッカー協会はこれに抗議し、韓国の国内でもスポ
ーツと政治を混同するのはやめたほうがいいという声が出
始めていました。
 明らかに、韓国に非があるという方向で、話が進み始め
ていたのです。

 ところが、麻生財務相の失言で、韓国には間違いなく、
「それ見たことか」という空気が生まれるます。そして、
あの垂れ幕を正当化する声が、やはり間違いなく、強まる
でしょう。
せっかく、ああいう垂れ幕はやめたほうがいいという空
気が生まれかけていたのに、「それ見たことか」という声
の前に、いっぺんにしぼんでしまうでしょう。

 いまの韓国は、日本を非難するための材料を、目を皿の
ようにして探しています。
 そこに、麻生財務相の失言が、すっぽりと入ってしまい
ました。
 韓国は、喜んで、これを政治利用するでしょう。

 麻生財務相は、現職の閣僚だけに、この失言の影響は大
きすぎました。経済に明るく、経済政策を語れる政治家で
あるだけに、本当に惜しい。
 このままでは、辞任せざるをえなくなるのではないかと
懸念します。
 あまりにも軽い言葉遣いが、結局のところ、命取りにな
ってしまいそうな雰囲気です。
 本当に残念です。