世界各国の大都市で、社会の現状に不満を持つ人たちがデモ行進
をしました。
経済格差の是正を求めて、ウオール街で始まったデモが、世界中
に広がったものです。
デモの参加者たちが訴えたのは、貧富の差の是正、経済格差の是
正、そして、仕事ーーです。
仕事がほしい、働く場がほしいということです。
これをどう考えればいいのでしょう。
世界的に、失業が大きな問題になっています。
それが、このデモの根っこにあります。
働きたいのに、働く場がない。
大学を出たのに、就職先がない。
若い人々の失業がひどい。
それなのに、銀行や証券の金融関係者は大金を手にしているーー
という不満が、ウオール街のデモの背景にありました。
しかし、今回、そこから世界各国に波及したデモは、もっと素朴
な広がりがあって、仕事がほしい、働く場がほしいーーという訴え
になっています。
世界中で、こんなにも、私たちは、働く場がないのでしょうか。
どうして、こんなにも、失業者が増えたのでしょうか。
かつてーーというのは、1960年代末から1970年代にかけ
てですが、世界的に、大きな学生運動のうねりがありました。
当時は、世界の各地で、今回と同じようにデモがありました。
いや、もっと大規模なデモでした。
今回とは比較にならないぐらい大きなデモが、毎日のように、各
地でありました。
今回と同じようにーーと書きましたが、デモが訴えたものは、か
なり違っています。
当時は、政治体制の変化を求めるのが狙いであって、失業をなん
とかしてほしいとか、仕事がほしいというものではありませんでし
た。
いまより、もっと政治的、もっと思想的なデモでした。
ひとつには、社会主義的な理想を背景にした側面がありました。
日本の場合を見ると、1970年代は、やはり学生運動の嵐が吹
き荒れたのですが、このころ、大学生は就職に困るということはま
ずなかったのです。大学を卒業すると、そんなに苦労せず、どこか
に就職できました。
若い人の失業は、問題にはなっていなかったのです。
ですから、デモも、「仕事がほしい」というものではなかったの
です。
その点が、今回のデモと、決定的に違うところです。
では、どうして、いまは、違ってしまったのか。
このブログで、先月、「時代閉塞の現状」というシリーズは3回、
書きました。
そこで、地球の人口に触れています。
1970年代の地球の人口は35億人ほどです。
2011年のいま、それが70億人に達しようとしています。
もちろん、人口論だけで論じてしまうのは危険でしょう。
しかし、人口が倍に増えたのは事実です。
では、仕事の機会、働き口は、同じように2倍に増えているので
しょうか?
答えは、NO でしょう。
失業が増えるのは当然です。
このデモに対し、では、世界のすべての国で政権が交代すれば、
解答はあるのかというと、それも NO でしょう。
失業者が増え、仕事がない。
それに対し、どのような政権が登場したとしても、答えを出すの
は容易なことではありません。
70年代の学生運動は、我々が新しい国を作れば、新しい未来が
拓けるという、明るい理想がありました。
今回は、そうではありません。
今回のデモは、その背景に、
「我々の地球は、70億人という人口を養えるのか」
という、究極の問題を突きつけているように思います。
それが、時代閉塞の現状です。
私たちは、この問いになんとかして答えられなければなりません。
それが、いまこのときを生きる私たちが解くべき課題です。
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