いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

南シナ海と領土的野望・・・中国は遅れて来た帝国主義国です。社会主義国のメッキははがれました。

2015年05月28日 20時54分55秒 | 日記

 中国の軍事的動き、領土拡大の動きが気になります。
 中国は2015年5月26日、2年ぶりの国防白書を発表しまし
た。それによると、南シナ海でのアメリカとの摩擦を念頭に置き、
今後の軍事戦略として
 「海上での軍事衝突に備える」
 と明記しました。
 白書はまた、
 「予見できる未来において世界大戦は起こらないが、世界は依然
として現実的・潜在的な局地戦争の脅威に面している」としたうえ
で、
 「海上の軍事闘争とその準備を最優先し、領土主権を断固守り抜く」
 としました。

 もし、これを、日本の「防衛白書」の記述だとすれば、中国や韓
国は、いったい、どういう反応を示すでしょう。
 たぶん、「日本は軍国主義化を進めた」とか「右傾化した」と、口
を極めて非難するのではないでしょうか。
 しかし、中国は、外務省の報道官も、王外相も、
 「(南シナ海の南沙諸島は)もともと中国の領土だ」
「中国の主権の問題だ」
 と述べ、平然としています。
 取りつく島もないとは、このことでしょう。

 こうしたものの言い方は、かつての欧州の帝国主義時代を想起さ
せます。
 欧州諸国は、とくに20世紀初頭まで、アジア、アフリカを次々
に植民地化しました。
帝国主義の時代です。
第一次大戦は、そうした欧州諸国の植民地化競争がひとつの引き
金となっています。
 第一次大戦に負けて疲弊したドイツでヒトラーが登場し、第二次
大戦になだれ込みます。

 第二次大戦が終わり、欧州各国も、アメリカも日本も、帝国主義、
領土的な拡張を目指す帝国主義を捨てました。
 4月に安倍首相が招かれて演説したバンドン会議は、そうやって
帝国主義の時代が終わり、アジア諸国が、高らかに、独立を宣言し
た会議だったのです。

 これで、もう、領土の拡張を目指す帝国主義は歴史上から消えた
と思っていたのですが、そこに登場したのが、中国です。
 南シナ海の南沙諸島を埋め立てて、滑走路を建設する。
 王外相でしたか、以前、南シナ海の領有権問題について質問され、
「明の時代には、南シナ海は中国の領海だった。それを回復して
いるだけだ」
と答えていました。
無茶苦茶な論理です。
そんなことを言い始めたら、世界の秩序は覆ります。
モンゴルは中国大陸に「元」という強大な帝国を建設していまし
た。ですから、白鵬や照の富士は、
「いまの中国は、もともとモンゴルのものだ」
 といえばいいことになります。

イタリアは、神聖ローマ帝国の時代には、欧州のほぼ全域を支配
していました。英語の格言にある「すべての道はローマに通じる
」というのが、そのことを示しています。
いまのイタリアは財政赤字を抱え、EU(欧州連合)の問題児で
すが、元首相のベルルスコーニ氏は、
「EUなんてものは、もともと、イタリアのものなんだ」と言えば
いいことになります。

そうなれば、トルコだって、もともとオスマントルコ帝国が一時
は欧州に迫ったわけですから、
「EUの半分ぐらいはトルコものだ」
と言いそうです。

中国がやろうとしているのが、まさに、そういうことです。
「明の時代は中国の領土だった」
「かつて中国の領土だった所を回復しているだけだ」
というのが、中国の言い分です。

そんな言い分が許されてしまえば、世界は、もう収拾のつかない
ことになります。

実際、過去の領土をめぐって、いまも解決策が見いだせないまま
なのが、パレスチナとイスラエルの紛争です。
世界に散らばってしまったユダヤの人々が、それこそ聖書時代の
「父祖の地」として、20世紀になってパレスチナの地に建国し
たのがイスラエルです。
もともと住んでいたパレスチナの人たちは、土地を追われ、現在
に続くパレスチナ問題となります。
パレスチナ問題は、たぶん、解決することはないでしょう。

中国が領土を拡張しようとすれば、もともとの領土が広いだけに、
周辺のあちこちで、領土紛争を引き起こします。

かつて、1950年代、60年代、あるいは、70年代前半ぐら
いまでは、社会主義、共産主義というものは、「弱い者の味方」
「虐げられた者の味方」というイメージが強かったのです。
 そのため、「ソ連や中国も弱い者に味方する国だ」という思い込
みが、日本でも広範にありました。

 しかし、そうした思い込みやイメージは、もう、確実にはげて
しまいました。
 メッキがはげたようなものです。
 5月27日の水曜日には、中国の外務省の報道官が、南シナ海の
埋め立てにフィリピンが強く抗議していることについて、こう言い
放ちました。
 「中国は、小国をいじめようとは思わない。しかし、好意的な忠
告をしておくと、小国もあまりうるさくいわないほうがいい」
 と。

 これはいったい、なんという言いぐさでしょう。
 会見で、他国のことを「小国」よばわりする報道官など、見たこ
とがありません。
 そのうえで、「小国は黙っていろ」というわけでしょう。
 このどこが、「弱い者の味方」でしょうか。

 改めて書きますが、これを、日本政府の、たとえば菅官房長官が
定例会見で話したとしたら、いったい、どうなるでしょう。
 中国や韓国は、「日本の軍国主義的な体質がまた明らかになった」
などと、大騒ぎするのは間違いありません。

いまの中国は、
 「遅れてやってきた帝国主義国」 
と呼ぶほか、ありません。
 これでよく中国は、日本を「軍国主義的」だなどと決めつけるもの
だと思います。

私は、安倍首相を、決してそのまま支持するものではありません。
 国会で議論している新しい安保法制も、あやういものを感じます。
 しかし、すぐ隣りに、「遅れてやってきた帝国主義」の国がいた
ら、考え込まざるをえません。
 
 新しい安保法制に対し、国民的な反対運動が巻き起こらず、それ
どころか、なんとなく支持しようという空気があるのは、間違いな
く、遅れてきた帝国主義国が、そばにあるからだと思います。

 (続きます)






新しい安保法制(その2)・・・60年安保、70年安保には中国の拡張主義というものがなかったのです。

2015年05月22日 01時10分17秒 | 日記

 安倍政権が新しい安保法案を国会に提出し
たのに、なぜ、こんなに静かなのか。
 この静かさは、60年安保、70年安保のころ
なら、とても考えられないと、前回、書きました。
 原因は、何なのでしょうか。
 
 ひとつは、大学、学生が声を上げなくなった
のが大きいと思います。
 あのころ、「大学の自治」や「学問の自由」を
求め、学生が活発に活動したのは、いったい何
だったのかと思うほど、いまの大学は静かです。
 大学は、休講が当たり前で、学生は自分で勉
強するようにというのが、当時の流れでした。し
かし、いまの大学は、休講など、ありえません。
休講をしようものなら、必ず、代講をして、埋め
合わせをしなければなりません。それに、どの
講義も、出欠をとります。
 一言で言えば、大学が高校のようになってし
まっているのです。
 それに対して、学生も、疑問を持つわけでも
なく、そのまま受け入れています。
 そんな大学で、安保法制に対する動きが盛り
上がるはずもありません。

 いや、今回、書きたいのは、そのことではあり
ません。現在の大学の低調さは、稿を改めて、
また書きたいと思います。

 今回、書きたいのは、中国のことです。
 新しい安保法案に対し、正面切って、大きな
反対運動が起きてこないのは、まず間違いな
く、中国の存在があります。
 中国の拡張主義は、遅れてやってきた帝国
主義といっていいと思いますが、私たち日本人
は、すぐそばで見ていて、脅威を感じるのです。
 この中国の拡張主義を放っておいていいの
か。どうすれば、この拡張主義に対抗できるの
だろうか。
 直感的にそう感じてしまうから、新しい安保
法案を受け入れる素地が生まれるのだと思いま
す。
 
 安倍内閣が、安保法案を閣議決定したのは5
月14日の木曜日です。
 新聞各紙は、その日の夕刊で、
 「安保法案 今夕閣議決定」
 という記事を、一面トップで大扱いしていま
す。

 では、その記事の左側、つまり、一面準トッ
プは何だったでしょう。
 実は、読売も朝日も、その日の夕刊の一面準
トップは、同じ出来事を報じた記事です。

もちろん、朝日は安保法制に反対する一番手です。
 その朝日の準トップの記事を見てみましょう。
 見出しは、
 「南シナ海 中国、数年後に滑走路」
 「昨年、岩礁 いま、人工島」
 です。
 
 そうです。中国が、南シナ海の南沙諸島(ス
プラトリー諸島)で埋め立てを進めている様子
を報じたものです。
 アメリカが、その日、上院の外交委員会で南
シナ海についての公聴会を開き、米国防省の
シアー次官補が、「2017年から18年には滑
走路が出来てしまう」と証言し、「挑発的な行為
だ」と批判しました。
 それを報じた記事です。
 
 読売も全く同じ記事を準トップで扱っていま
す。参考に、読売の見出しを拾っておきます。
 「南シナ海 中国滑走路17-18年完成」
 「米国防次官補 艦載機利用可能」

 安保法案に反対する朝日の紙面で、一面トッ
プに安保法案の記事があり、そのすぐ横、準ト
ップに中国が南シナ海で埋め立てをして滑走
路を作っている記事がある。
 なんと、皮肉な紙面でしょう。

 安保法案に反対する記事を書こうにも、
 すぐ横に、中国の拡張主義を象徴するような
記事が出る。

 これでは、安保法案に反対しようにも、反対
仕切れないでしょう。

 今回の安保法案は、はっきり、中国を念頭に
置いています。
 中国が尖閣諸島の領有権を主張する。
 南シナ海の珊瑚礁(南沙諸島、東沙諸島)は
明の時代から中国のものだったといい、埋め立
てをする。
 
 今週、アメリカのケリー国務長官が中国を訪
問し、習近平主席と会談しました。その席で、
習主席は、また、
 「太平洋は、中国とアメリカで分けられるほど
大きい」
 と話したと報じられています。

 安保法案を閣議決定する日の夕刊に、安保
法案の記事と、中国の南シナ海の埋め立ての
記事が同時に載ったのは、まことに皮肉です。
 しかし、そのことが、今回の安保法案の位置
づけをよく示してしまいました。

 日本人は、いまの中国のありように、名状し
がたい不安を感じていると思います。
 安保体制の強化など、出来れば避けたい。し
かし、中国の動きを見ていると、安保体制の強
化も、やむをえないのではないか。
 多くの人が、心のどこかで、そう感じているの
ではないでしょうか。
 中国の動きに対抗するには、安保体制の強
化と、アメリカとの連携の強化が必要なのでは
ないか。
 そう感じているから、安倍内閣の新しい安保
法案への強い反対が出てこないのではないか
と思います。

 翻って、60年安保、70年安保のころの国際
情勢を見てみましょう。
 日本は、自民党対社会党、保守対革新という
構図になっていました。
 資本主義は大企業の味方、社会主義は労働
者の味方とされ、資本主義=悪、社会主義=
善という図式が、広く信じられていました。
 アメリカに対する反米感情というものがあ
り、他方で、社会主義のソ連に対する思い入れ
のようなものがありました。毛沢東主席率いる中
国は社会主義陣営の国であり、当然、労働者
の味方、弱者の味方だと、単純に信じられてい
ました。
 だから、60年安保、70年安保で、「反米」を
叫んだ運動は、社会主義国、すなわち、ソ連や
中国こそ味方であり、ソ連や中国とこそ連帯し
なけばならないと、素朴に信じていました。

 60年安保、70年安保は、ただ、アメリカだ
けをたたいていればよかったのです。

 そのころ中国を信じていた人たちが、タイム
マシンに乗って現在に来て、中国が南シナ海の
珊瑚礁を埋め立て、露骨に領土拡張をしている
様子を見たとしたら、にわかには、信じられな
いでしょう。たぶん、頭が混乱するのではない
でしょうか。
 なんとなれば、社会主義の中国は弱者の味
方のはずなのに、21世紀のいまやっているの
は、弱者の味方どころか、ただの拡張主義だ。
社会主義どころか、最悪の帝国主義ではない
か。
 60年安保、70年安保のころの常識から見れ
ば、これはもう、混乱もいいところです。

 5月14日の閣議で安保法案を決めた日、そ
れを一面トップで報じる新聞に、中国の南シナ
海埋め立てが一面準トップで載る。
 しかも、朝日も読売も、同じような紙面構成に
なる。朝日も中国の拡張主義を報じざるをえな
い。
 
 私たちが置かれている状況は、60年安保、
70年安保のころよりも、はるかに複雑になって
います。
 新しい安保法案は、そういう状況を背景に出
来てきました。
 安保法案に反対するならば、中国の拡張主
義にどう対応するのか、それに対する答えも提
示しなければならないように思います。



新しい安保法制・・・かつての「安保反対」のころとは隔世の感があります。

2015年05月19日 17時23分13秒 | 日記

 安倍首相は、新しい安全保障の法案を国会に提出しました。
この法案は、

1)集団的自衛権の行使を可能にする「武力攻撃事態法案」を
軸とする一括法案
2)戦争中の他国軍を後方支援する「国際平和支援法案」

 ――の二系統からなります。

 簡単にいえば、まず第一は、「集団的自衛権」を法的に確立させ
ようというものです。
 第二は、他国軍、というのは専ら米軍ですが、これまで、米軍
を後方支援する場合は、その都度、特別法を作っていました。今
後は、もうその都度対応するというのではなく、いつでも対応で
きるように法律を定めたいということです。

 政府は14日の木曜日の午後、この法案群を閣議決定しました。
 14日の夕刊で、新聞各紙は、
「安保法案 今夕閣議決定」
と、一面トップで大扱いしました。

しかし、かつて、というのは、1960年の日米安保、197
0年の日米安保改定のころと比べると、様変わりしたなあと思
わざるをえません。

60年の安保は、安保に反対する運動が「安保闘争」として大
きく盛り上がり、デモ隊も国会を取り囲むほどの人数となりま
した。このころ、すでにテレビ放送が始まっていたので、いま
も、当時のニュースフィルムで、その時の様子を見ることがで
きます。
70年安保は、大学の学生運動の真っ最中に当たったため、学
生運動と重なって、大きな反対運動となりました。

60年安保も、70年安保も、アメリカと安全保障を協定した
だけであり、そもそも、集団的自衛権などという言葉など、ま
だ、どこにもありませんでした。もし当時、政府が集団的自衛
権などということを言おうものなら、それこそ、政権が維持で
きないほどの大騒ぎになっていたでしょう。

そのころと比べると、あっけないほど、静かです。
まさに、隔世の感があります。


             (続く)





大阪都構想が否決されました・・・大阪の起爆剤になったと思いますが、大変残念です。

2015年05月18日 00時45分19秒 | 日記

 連休をはさみ、しばらく休んでおりました。
 本日から再開しますので、また、ご愛読をよ
ろしくお願いします。

 さて、橋下徹・大阪市長が提案した大阪都構
想は、きょう17日(日)、大阪で投票があり、賛
成69万票、反対70万票で、実現されませんで
した。
私は、大阪都構想には賛成の立場ですから、
この結果は、大変残念です。
 140万票の投票があって、わずか1万票の
差です。
 
 結論的にいうと、橋下市長は、「大阪都構想」
という方向性はよかったけれど、いろいろ強引
すぎて、方法がまずかったということになるので
はないでしょうか。
 1万票の差ですから、やりようによっては、勝
てたのではないかと思います。

 テレビでは、大阪都構想に反対していた自民
党、民主党など各党の代表が、構想が否決され
たのを受けて、会見していました。
 これが、まことに不思議な会見でした。

 というのも、構想に反対していた政党は、こ
れで「勝った」わけです。
 普通、選挙というのは、勝った陣営は、大喜
びしていて、テレビの画面からも、その喜びが
にじみ出てきます。
 ところが、今回は、勝った側に、喜びがない。
「勝った」政党の会見がテレビに出たとき、「負
けた」側の会見かと勘違いしそうになったほど
です。



 勝った自民党、公明党、民主党の代表の人
たちの会見を見ていると、みんな、暗い表情を
している。
 勝ったうれしさなど、どこにもない。
 勝った側が、「これでよかったんだろうか」と
疑問を持っているような感じさえ、にじませてい
ます。

 NHKは、東京の自民党幹部の発言として、
 「意外な結果だ。大阪都構想が実現していれば、
いろいろと政策を協議できたのに」
 という話を伝えました。

 これが、本音でしょう。
 大阪都構想が賛成多数を占めていたら、い
ま安倍内閣がやろうとしている「地方創生」構
想の目玉として、なにかできるかもしれません。
もちろん、大阪を地方と呼んでいいかどうかと
いう問題はありますが、ともあれ、なにかできそ
うです。
 そういうことが、何もできなくなった。

 大阪で会見していた自民党や公明党の人た
ちも、心のどこかでは、大阪都構想が実現した
ほうがいいと思っていたのではないでしょうか。

 橋下徹氏が、大阪都構想を打ち出したのは、
大阪において、大阪府と大阪市が、多くの点で
二重行政になっているというのが、最大の理由
です。
 この二重行政をなくせば、行政は効率的にな
る。そのためには、大阪市と大阪府を一緒にし
た「大阪都」を作るのが一番いい。
 そうなれば、大阪という地域のパワーも、もっ
と大きくなる。



 私は、これに賛成です。
 私は、生まれたのは神戸市で、大学は東京、
そして、いまは、横浜市に住んでいます。
 神戸では、神戸市と兵庫県の二重行政を実
感しました。
 東京では、そこがすっきりしていると思って
いました。
 そして、横浜では、やはりまた、二重行政を
感じます。

 私は登山が好きで、よく箱根方面にも出かけ
ます。箱根は、神奈川県と静岡県の境界です
が、箱根町は神奈川県です。
 登山道はよく整備されていて、いろいろ、標
識が設置されています。頂上まで何キロという
ような標識は、登山者にとって、便利なもので
す。ところが、その「頂上まで何キロ」という標
識が、2通りあったりします。ひとつは、その山
の地元の町が設置した標識です。そして、もう
ひとつは、神奈川県が設置した標識です。それ
が、同じ登山道に、てんでばらばらに設置され
ているのです。
 これを無駄といわずして、何を無駄といいま
しょう。

 橋下徹市長が、大阪でよく例に出していたの
が、浄水場です。大阪市の浄水場と大阪府の
浄水場が、ほとんど隣り合った場所に作られて
いて、両方とも、それぞれに水道水を供給して
いる。こんな無駄はないだろうというわけです。

 そうかと思えば、各県とも、政令指定都市の
問題を抱えています。
 横浜市のような大きな市は、政令指定都市と
なっており、県なみの権限を持っています。簡
単にいえば、神奈川県は、横浜市のやることに
口を出せません。神奈川県には、横浜市のほ
かに、川崎市、相模原市が政令指定都市にな
っています。ですから、黒岩・神奈川県知事は、
横浜、川崎、相模原には口出しできません。横
浜、川崎、相模原といえば、だれがなんといっ
ても、神奈川県を代表する街です。神奈川の弁
護士会は「神奈川弁護士会」ではなく、「横浜
弁護士会」を名乗っているというのは有名な話
で、それほど、横浜は、神奈川を代表する都市
だということです。
 神奈川県知事が、その横浜、川崎、相模原
に口出しできないというのであれば、県知事と
いうのは、いったい何なのでしょう。これも、一
種の無駄でしょう。
 もし、神奈川が「神奈川都」あるいは、「横浜
都」となれば、「神奈川都」の知事が、神奈川と
横浜を統一的に見ることができるので、そういう
無駄なことはなくなります。

 どこの県でも、県庁所在地は、政令指定都市
となっていることが多いのです。
 宮城県は、仙台市が政令指定都市です。宮
城県知事は、仙台のことには口出しできませ
ん。
 全国で、同じような問題が起きます。

 逆に、都となっている東京都のことを考えて
みましょう。
 東京都は、23区を、直接、都が見ています。
 もし、この23区が、大阪のように、「東京市」
となっていたら、どうなっていたでしょう。その
場合、東京都は、東京市に口出しは出来ませ
ん。東京都知事は、いまの東京都から23区を
除いた地域だけを見るわけです。そんな東京都
知事って、存在意義があるのでしょうか。
 しかし、いまの東京都は、知事が23区を直
接見るシステムになっているので、知事に存在
意義があります。

 大阪は、今回、「大阪都」として、行政を効率
化する機会を失いました。
 「大阪都」になれば、それよりなにより、「東
京都」に対抗する存在として、また、活力を取り
戻すきっかけになったと思います。
 大阪の起爆剤になれたのではないかと思います。

 そういうあれこれを、今回の選挙で、大阪は、
すべて、なくしてしまいました。

 1万票。
 わずか1万票の差ですが、これは、大きな差
となってしまいました。