いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

ちょっと軽い話を・・・携帯電話のことです。階段を昇降しながらメールするのは本当に危ない。

2011年06月30日 12時15分17秒 | 日記

 硬い話題が続くので、今回は、ちょっと軽い話を。
 携帯電話のことです。

 歩きながら携帯電話を操作する、とりわけ、歩きながらメールを
打つーーという人が非常に増えています。
 あれは、本当に危ないと思います。

 なかでも怖いのは、駅の階段を上り下りしながら、携帯でメール
を打つ人です。
 ラッシュのとき、混み合う階段で、ところどころ、昇降の流れが
遅くなっていることが、よくあります。そういうとき、最近は、決
まって、携帯を打ちながら昇降している人がいるのです。どうして
も上り下りのスピードが遅くなるので、その人が、人の流れをせき
止めるわけです。

 危ないでしょう。
 携帯を打っていて、足を踏み外したら、どうしますか?
 とくに、階段を下りているときに足を踏み外したら、どうなるで
しょう。ラッシュのあの混んだ階段で、足を踏み外した人が落ちて
きたら、悲惨なことになります。けがならいいけれど、場合によっ
ては、死者が出る可能性もあります。
 ヒールの高い女性が、携帯でメールを打ちながら、階段を下りて
いくのを見ると、ぞっとします。
 
 起きそうなことは、必ず起きます。

 いつか、携帯を打ちながら階段を下りる人が転倒し、将棋倒しで
大勢の人がけがをするという事故が、きっと起きると思います。

 最近は、携帯だけではありません。
 ソニーや任天堂の携帯ゲーム器、あるいは、スマートフォンのゲ
ームをしながら、歩いたり、階段を昇降する人が増えました。
増えましたーーというより、なんだか、当たり前になりました。
あれも危ない。

もともと、携帯でメールを打つ姿は、実は、そう美しいものでは
ありません。むしろ、かっこわるい。
そう思いませんか?
小さな機械に、目を近づけて打ちます。
そうすると、どうしても猫背になります。
あれ、実は、ものすごくかっこ悪いですよ。

どんなにきれいな女性でも、猫背になって、画面に目を近づけて、
メールを打つ姿は、
「100年の恋もいっぺんにさめる」
というやつです。

階段、下りてからメール打っても、何秒の差がありますか?
横断歩道を渡り終わってからメールを打っても、何秒の違いがあ
りますか?

携帯で、ぎょっとしたことがあります。
2年ほど前、信州に行くため、八王子のインターから中央自動車
道に乗ったときのことです。
料金所を通りぬけると、進入路が大きなカーブを描いて、本線に
つながります。
その進入路で、前の車がもたもたしているのです。
進入路は、本線に乗るため、それなりの加速をしていくのですが、
全然スピードが上がらない。
それだけならいいのですが、車がふらふらする。
長いカーブですから、しっかりハンドルを握ってないと、カーブ
をはずれます。それを戻そうとするから、よけいふらふらする。
危ないなあと思い、注意して運転していました。

相手は、白いワゴン車でした。
当方の車は背の高い四駆だったので、ふと目をやると、相手の運
転席が見えたのです。

びっくり仰天しました。
その運転手君、携帯でメールを打っているではありませんか。

いや、これは、ハンドルを取られて、ふらふらするわけです。
スピードだって、出せません。

いや、そんな問題ではありません。
本当に危ない。
よく事故を起こさなかったなあという感じです。

高速道路の本線に乗っていく取り付け道路、助走路で、携帯でメ
ールを打ちながら自動車を運転している人間というのは、初めて見
ました。

さすがに、あきれて、後ろから「プップー」とクラクションを鳴
らすと、驚いたように携帯を置き、今度は一転、スピードを上げて
高速の本線に向かいました。

しかし、そこまでして、メール、打ちたいかねえ?
料金所を通ったら、道の両側に広いスペースがあるのですから、
そこに車を停めて、メールを打てばいいでしょう。
それなのに、そこまでして、メールを打ちたいかなあ。

歩きながら、階段を昇降しながら、携帯でメールを打ったり、ゲ
ームしたりするのは、もうやめませんか。
危ないし、だいいち、みっともないですよ。



中国の新幹線・・・中国は、日本の技術供与で開発した新幹線を、特許申請します。これは危ない。

2011年06月29日 00時13分44秒 | 日記

 中国が、新幹線の特許を国際的に申請するということが、
北京から伝えられました。
 アメリカ、欧州、ブラジル、そして、なんと日本でも特
許を申請するそうです。

 中国の新幹線は、去年から、問題点が指摘されていまし
た。
 中国の新幹線は、日本の東北新幹線の「はやて」がベー
スになっているのです。
 「はやて」を開発した川崎重工が、中国国内での使用に
限るという条件で、技術供与しました。
 川重だけではなく、一部は、ドイツのシーメンスも技術
供与したということです。
 それを、中国が「吸収して独自に開発した」と称して、
新幹線をアメリカに売り込んだのです。
 それが去年から今年の春にかけての話でした。

 そして、今度は、新幹線の技術について、特許を申請し
始めたというわけです。
 
 日本国内においてまで、特許を取ろうとするというのは、
太いヤツだというほかありません。

 もし、日本で中国の新幹線の技術が特許として認められ
たら、どうなるでしょうか。
 たぶん、日本で走っている新幹線に対し、中国が「日本
の新幹線は、中国の特許を侵害している」と訴えるのだろ
うと思います。

 日本が技術供与したものを特許申請し、日本の新幹線を
中国の特許に抵触するとして訴えるーーというような事態
が起きかねません。
 ほとんど漫画のような事態ですが、これまでの様子を見
ていると、可能性はかなりあります。

 この話は、中国との関係を考えるうえで、重要なポイン
トをいくつも含んでいます。
 なんといっても、川重は、なぜ、技術供与してしまった
のか。
 JR東日本は、いったい、何をしていたのか。
 中国国内だけで使用するという条件だったというが、実
際のところはどうなのか。
 今後、中国に技術供与するときは、よほど慎重にやる必
要がある。
 中国というのは、こういう国だということを、改めて認
識する必要がある。

 そして、なによりも、この問題を、政府はいったいどう
対応するのか、ということです。

 これは、結局のところ、政治的な解決が必要になるでし
ょう。
 日本政府から中国政府に、強いメッセージを送らないと、
どうしようもありません。
 アメリカと欧州で特許を取るというのなら1万歩譲ると
しても、日本でまで特許を取るという事態になれば、これ
はもう、政府が出ていくしかありません。

 そこで、大きな問題です。
 きょう6月28日の火曜日は、民主党で議員総会が開か
れ、菅首相が、いろいろ釈明をしていました。
 議員総会は、荒れました。
 「一定のめど」とは何か。
 自民党の議員を政務官として引き抜いたのはなぜか。
 などなど。怒号が飛び交っていました。

 こんな状態で、内閣は、中国の新幹線の特許という問題
に、対処することが可能ですか?
 無理でしょう。

 菅首相の脳味噌の中には、「一定のめど」しか入ってい
ないので、中国の新幹線のことなど、考える余裕もないで
しょう。

 そうなんです。
 菅首相の居座りで民主党が統治不能になっている間に、
中国が、いろいろと問題のあることばかり、やっているわ
けです。
 政府は、というより、いまの日本は、完全に足下を見ら
れています。
 「政治は3流」といって嘆いている間にも、国際社会は、
動きを止めてくれるわけではありません。
 中国は、3流の政治がなにもできないでいるうちに、日
本に揺さぶりをかけています。

 悲しいことに、政府は、菅内閣は、それに対して、何も
出来ないでいるのです。
 
 ここまできたら、菅首相は、一日も早く退陣し、民主党
が新しい体制を作る以外に、方法はないでしょう。

 猶予はそうありません。


日本の経済と政治・・・日本はかつて「経済は一流、政治は二流」といわれました。ではいまは・・・。

2011年06月28日 02時26分03秒 | 日記

 かつて、といっても、せいぜい10数年前、1990年
代初めまで、日本を言い表すのに、こういう言葉がありま
した。
 「経済は一流、政治は二流」
 というのです。

 日本は高度成長を経て、アメリカにつぐ世界第二位の経
済大国になりました。
 MADE IN JAPAN の製品が世界の市場を席
巻しました。
 エズラ・ボーゲル氏の「ジャパン アズ ナンバー1」
が出版されたのもそのころです。
 
 1970年代から1990年代初めにかけて、
 日本経済は、
      「ぴかぴかの時代」
 にありました。

 当時は、みんな、「経済は一流」といわれて、おもはゆ
いような感じを持ちながら、誇らしい気分でした。

 それに対し、「政治は二流」というのは、これもまた、
我々はみんな、ごく自然に、そうだと思っていました。
 自民党が長い間、ずっと政権の座にあり、人々は、自民
党になんとなく飽きていました。しかし、当時の最大野党
である社会党が政権を取る可能性はほとんんどありません
でした。みんな飽きてはいたけれど、自民党の政権は安泰
でした。だから、自民党は、派閥抗争ばかりやっていました。
 どう考えても、「政治は二流」に見えました。

 しかし、当時、日本は経済が一流であれば、それでなに
もいうことはないという雰囲気があり、政治が二流でも別
に、気にはしなかったのです。

 だから、「経済は一流、政治は二流」というとき、気分
としては、政治が二流であることを嘆くのではなく、経済
が一流であることを誇らしく思うという感じでした。
 政治? 別に二流でもいいんじゃないの。経済が一流な
んだからさ。大事なのは経済だよ。
そんな感じです。

 そうはいっても、経済には景気循環があります。
 何年かに一度は、必ず景気後退があります。
 1980年台、日本経済が不況期を迎えた時、経団連会
長が記者会見で「政府は、早く景気対策を打ち出してほし
い」と要望しました。

 自民党の幹事長だった小沢一郎氏は、その発言を聞いて、
痛烈な皮肉を飛ばしました。
 「ほほう、一流の経済が、二流の政治に助けてくれとお
願いするわけですか」。
 それは、皮肉であると同時に、経済に比べて格下に見ら
れている政治からの、うっぷん晴らしでもあったのでしょ
う。

 私たち日本人は、「経済は一流」すなわち、日本経済が
一流であることが誇りのようなものでした。
 世界中のどこに行っても「MADE IN JAPAN」
があふれている。日本経済なしで、世界は語れない。
 世界の大銀行の上位10行を、ほとんど日本の銀行が占
めていました。銀行は、日本での順位がそのまま世界での
順位だったのです。
 日本は素晴らしいんだ。
 そんな気分でした。

 「経済は一流」といわなくなったのは、バブル崩壊後で
しょう。
 世界の上位を占めていた日本の銀行が次々に経営不安に
陥ります。
 バブルの崩壊で、日本経済は、どんどん後退していきま
す。後退というより、縮小といったほうがいいでしょう。

 90年台後半には、落ちてきた日本経済を、
 「政治は二流、経済も二流」と呼ぶようになりました。

 しかし、日本経済は、バブル崩壊から10年たっても、
なお、回復しません。
 いわゆる「失われた10年」です。

 そのうち銀行がどんどん倒産し、90年台末になると、
 「政治は二流、経済は三流」
 という状況になってしまいました。

 では、いまはどうでしょう。
 政治も落ちるところまで落ちたかもしれません。
 いま、私たちが目の前で見ている政治は三流としかいい
ようがありません。

 そうすると、いまの日本は
 「経済は三流、政治も三流」
 ということになってしまったのかもしれません。

                (続きます)




政治が「政策」を忘れ、「政局」ばかりやっていると、国民が政治を馬鹿にします。それが危ない。

2011年06月25日 18時51分01秒 | 日記

 政治には、政局と政策があります。
 この話は、以前にも一度書きましたが、いまこのとき、
非常に重要な話だと思いますので、再度、同じ話を取り上
げます。
 いまはあまり言わなくなりましたが、かつて、「床屋政
談」という言葉がありました。床屋さん、というか、理髪
店ですね、髪の毛を切ってもらいながら、お客さんと店主
が政治の話をします。

 「お客さん、最近、菅さんはなんだかすごいですねえ」
 「ねえ、いったい、どうしちゃったんだろうね」
 「このまま居座るつもりでしょうか」
 「うーん、そうでしょうねえ。辞める気配がないものね」
 「そうですねえ、全然辞める感じがないですものね」
「ねえ」
「でも、自民党もそうだろうけど、与党の民主党だって
困っているのでしょうね」
 「いやあ、それはそうでしょう。こんなことになるなん
て、だれも思ってなかったんじゃないのかなあ」
 「でも、こんなことで、日本はどうなるんでしょうね」
 「ほんと、困るよなあ」
 
 とまあ、こんな調子です。
 政治の話は、なんとなく、話題にしやすい。
 最後は「こんなことで、日本はどうなるんでしょうねえ」
という感じで終わることが多いと思います。

 怖いのは、こうやって政治を話題にしているうちに、我
々が政治を馬鹿にしてしまうことです。
 それが一番怖い。

 実は、この床屋政談で取り上げたような政治は、「政局」
と呼びます。
 政治部の記者が、「政局」という場合は、首相交代とか、
派閥抗争とか、総選挙とか、狭い意味の動きを指します。
 しかし、ここでは、「政局」という言葉を、もっと広い
意味で使います。

 では、「政局」以外の政治とはなんでしょうか。
 それが、「政策」です。
 たとえば、大震災で被害を受けた地域のがれきを撤去す
る、あるいは、仮設住宅を建設する。あるいは、消費税率
を上げる。
 もっと広く、景気と財政再建のどちらを重視するのかと
か、デフレにどう対応するのかというのも、当然、政策で
す。
 高速道路の無料化をどうするかというもの、政策です。
 中国との関係をどうしていくのか、というのも、もちろ
ん、政策です。

 「政局」と「政策」はどう違うのでしょうか。
 「政局」は、人と人の話です。首相が辞めるとか辞めな
いとか、鳩山由紀夫氏が「だまされた」とぼやいたとか、
亀井静香氏がだれと会ったとか、そういうのは、「政局」
です。いずれも、人間が出てきています。
 だれか人間が主語になるのが、「政局」です。
 だれか具体的な政治家の名前が主語になるのです。
 具体的な政治家の名前が前面に出るから、わかりやすい
し、おもしろい。

 「政策」は、文字通り、政策です。
 税金をどうするとか、景気をどうするとか、主語は人間
ではありません。どちらかというと、無機質な話になりま
す。
 デフレにどう対応するのかというのは、ものすごく大切
な話ですが、主語は、日本経済であったり、経済成長率G
DPであったりします。数字と%が出てきます。
 
 そして、「政局」の話のほうが、「政策」の話より確実に
おもしろいのです。
 GDPがマイナス0.5%になったが、その原因は何か
という話より、岡田幹事長が菅首相を説得しに行ったけれ
ど失敗したという話のほうが、おもしろいに決まっていま
す。
 
 だから、我々は、どうしても、「政局」に目が行く。
 政治といえば、「政局」になってしまうのです。
 新聞もテレビも、実は、インターネットでも、政治とい
えば政局の話が大きく取り上げられてしまうのです。

 菅首相の批判は、おもしろいし、簡単です。
 しかし、デフレ対策の批判は、デフレの意味が分かって
いないと出来ないし、ちっともおもしろくない。

 だから、政治は、ほうっておくと、政治家も我々国民も、
みな「政局」の話ばかりになってしまうのです。

 しかし、実は、日本にとって、あるいは、我々にとって、
「政策」のほうが、「政局」なんかより、はるかに重要な
のです。

 菅首相と岡田幹事長が対立しても、我々の生活にはあま
り影響はありませんが、しかし、デフレがひどくなると、
我々の生活はさらにダメージを受けます。
 本当は、政策のほうが、政局よりも、はるかに大事なの
です。

 ところが、政局のほうがわかりやすいし、おもしろい。
 そして、いまの菅政権は、「政局」のネタばかり提供し
ています。
だから、日本中、どこに行っても「床屋政談」が展開さ
れる。
 理髪店では店主と、タクシーに乗ると運転手さんと、居
酒屋では隣り合わせたお客さんと、職場では同僚と、家で
は奥さんと、「床屋政談」をやる。
 「まったく、菅というのはどうしようもないなあ」
 「鳩山由起夫だってそうよ」
 「岡田幹事長は何やってんだろうね」
 「亀井静香は不思議なことをするなあ」
 「自民党の谷垣だって、なにもできないし」
 などなど、政治家と政治に対する批判のオンパレードで
す。政治家を批判し、そして、馬鹿にする。
 
 そして、政治家を馬鹿にし、批判しているうちに、我々
は、「政治」を馬鹿にするようになってしまうのです。
 そう。
 「政治」を馬鹿にし始めるのです。
 「政局」を馬鹿にするのなら、それはかまいません。
 しかし、国民が、「政治」そのものを馬鹿にし始めると、
それは危ないです。

 政治を馬鹿にし始めると、「政策」に批判の目が行かな
くなります。
 日本の国の行く方向を決めるのは、政策です。
 政策に批判の目が行かなくなると、政策がいい加減なも
のになります。
 だれが政策を考え、作っているのか、分からなくなりま
す。
 だれかが勝手に政策を決め、勝手に実行しても、全然分
からなくなります。
 国民が政治を馬鹿にし始めると、国民は政策にも知らん
顔をし始めます。そうすると、国民は政策にも無関心になります。
 それが最も危険なのです。

 そうやって見ると、いまは、かなり危険な状態になって
います。
 民主党も自民党も、こんなことをやっている場合ではあ
りません。
 政治家は覚醒しないといけません。


管首相のバカの壁・・いまここで再生エネルギー法案ではないでしょう。必要なのは生活の再建です。

2011年06月22日 00時10分47秒 | 日記
管首相は、私を辞めさせたいなら再生可能エネル
ギー法案を早く通したほうがいいーーと公言しています。
再生可能エネルギーは間違いなく大事です。しかし、いまこのと
きに必要なものではありません。いま必要なのは、被災した人々の
生活の再建です。
管直人という人は、なにか完全に勘違いしています。
被災して避難所で暮らしている人は10万人を超えます。被災地
ではがれきの撤去も済んでいません。被害を受けたままのところも
多いのです。いま必要なのはがれきの撤去であり、家の建設であり、
街の復興であるわけです。生活の再建です。
そういう人々に、いまここで、再生可能エネルギーを訴えて、な
んの意味がありますか。
再生エネルギー法案に注ぐ力があるなら、がれきの撤去や、街の
復興に力を使ってほしい。いま必要なのは、そういうことです。
それなのに、首相は、再生エネルギー法案を通せという。それは
インフルエンザで高熱を出し、苦しんでいる患者に、これから防疫
体制を強化しますから、とか、もっとうがいを、と力説するような
ものです。これをバカの壁というのでしょう。この人は首相になる
べきではなかったと思います。
(この原稿は携帯電話で打ちました)

文学は、はたして人生に必要なものであろうか?・・・そう聞かれたら、どう答えますか?

2011年06月15日 01時46分50秒 | 日記

 もう亡くなられて何年にもなりますが、京都大学の文学
部に桑原武夫さんという教授がいました。
 もともとはフランス文学の専攻で、その分野で数多くの
足跡を残しています。
 しかし、むしろ、登山や冒険の分野の活躍のほうが有名
かもしれません。南極で日本の遠征チームが初めて越冬した
とき、やはり京大の教授の西堀栄三郎さんが越冬隊長だった
のですが、桑原さんは、その西堀栄三郎さんの流れをくみます。
 探検と冒険の時代の京都大学ーーです。


 その桑原武夫さんに、『文学入門』という本があります。
岩波新書に入っています。

 『文学入門』の書き出しは、こう始まります。

 「文学は、はたして人生に必要なものであろうか?」
 
 『文学入門』という本の書き出しですから、インパクト
があります。
どう答えますか?
 こう質問されたら、つい
 「必ずしも必要ではない」とか
 「文学は人生に潤いを与えてくれるが、必要かどうかと
いわれたら、なくても生きていけるように思う」とか
 答えてしまいそうです。
 インテリほど、「必ずしも必要ではない」と言いそうで
すね。
 
 実際、桑原先生は、京大の文学部の試験に、この問題を
出したのです。1950年のことです。
 そのとき、京大の学生に、後に作家となる高橋和巳さん
がいました。
 高橋さんは、予想もしなかった試験問題に、うんうん言
いながら、「文学は必ずしも必要ではない」に近い答えを
書いたそうです。

 そして、試験が終わってしばらくして、「文学入門」が
出版されました。

 その冒頭に、
 「文学は、はたして人生に必要なものであろうか」
 と書いてあったのです。

 『文学入門』は、そのあと、こう続きます。

 「文学は、はたして人生に必要なものであろうか? こ
の問いはいまの私には、なにか無意味なように思われる。
私はいま、二日前からトルストイの『アンナ・カレーニナ』
を読んでいるからだ。私がこの傑作に接するのは、おそら
く四度目であろう。家庭教師のフランス女を誘惑したオプ
ロンスキイが、怒る妻にわびる言葉ーー”あやまるだけだ。
これまでの九年間の忠実が、数分間の不貞をあがな
うことは出来ないだろうか?”
 この”数分間”という言葉の持つ愚かしい露骨さ、した
がって、それを聞いたときの妻ドリーの怒り、そうしたこ
との意味さえとらえられなかった少年時代から、多少の人
生経験を経て、たとえば・・(略)・・
 『アンナ・カレーニナ』は読み返すたびにいつも新しい
喜びを与えてくれたのだ。
 レーヴィンはキティと結婚し、アンナは鉄道自殺をする
に決まっているのだが、いちいちの描写のあとをたどるの
が楽しく、読み上げるまではこの原稿も書き渋る。
 文学は人生に必要か、などということは問題にならない。
 もしこのようなおもしろい作品が人生に必要でないとし
たら、その人生とは、いったい、どういう人生だろう!
 この傑作を読んだことのある人なら、おそらく私ととも
に、そう言いたくなるだろう。
 そして、文学の傑作は『アンナ・カレーニナ』だけでは
ないのだ」

 というのが、問題を出した本人、桑原武夫さんの答えで
す。


 「もしこのようなおもしろい作品が人生に必要でないと
したら、その人生とは、いったい、どういう人生だろう」
 これが答えです。

 いいでしょう。
 桑原先生は
「文学は人生に必要か、などということは問題にならない」
 とまで、言うわけです。


 桑原さんの文章は、大きな特徴があります。
 なによりもまず、堂々と人生を肯定する姿勢です。
 そして、明るく陽気で、楽天的ななたたずまいで
す。おもしろいものはおもしろいと言おう。
 なにか、力づけられるような文章です。

 学生時代に、東京・巣鴨のとげ抜き地蔵の古本屋さんで
この本を買い、読んで、衝撃を受けました。
それからずっと、この本は、私にとって大きな支えとな
っています。
 もっといえば、この本ですっかり桑原武夫ファンになり
ました。新聞記者になって何年かして、岩波書店から桑原
武夫集・全10巻が出たのを知って、すぐに買いました。
まったく、予想通りの全集でした。

 電子書籍が出て、活字の本はどうなるかという議論があ
ります。
 『文学入門』で、すでに答えは出ています。

 「電子書籍か活字の書籍か、などということは問題にな
らない。もし、アンナ・カレーニナのようなおもしろい本
が人生に必要でないとしたら、その人生とはいったい、ど
ういう人生だろう。アンナ・カレーニナが読めるのであれ
ば、電子書籍であろうが活字の書籍であろうが、関係ない
のである。
  そして、そういう傑作は、アンナ・カレーニナだけで
はない。そういう傑作は、無数に存在する。赤と黒、坊っ
ちゃん、ジャン・クリストフ、茨木のり子詩集、用心棒・
日月抄、GANTZ、蒲生邸事件、鉄道員・・・などなど
無数に存在する。
 そういう傑作が読めるのであれば、電子書籍でも、活字
の書籍でも、その人が読みやすいもので読めばいいのだ。
 電子書籍か活字の書籍かという問いは、私には、無意味
なものに思える」





東北の現地報告・・・仙台空港を訪ねました。津波に襲われた跡がまざまざと残っています。

2011年06月13日 23時51分03秒 | 日記

 2011年3月11日から、3か月立ちました。
 あの日、地震直後、テレビですぐに生中継で流れた映像が、
津波に襲われる仙台空港でした。
 滑走路が津波にひたされていく光景は、はたしてこれが
現実なのかと思ってしまうものでした。
 
 東北の被災地報告は、仙台空港の様子をお伝えします。

 仙台空港は、現在、仮営業です。

 ターミナルビルに入ると、見るからに仮営業という雰囲気です。

 ターミナルビルの壁は、各地の空港から寄せられた応援
メッセージで埋め尽くされています。

 このひまわりは、そのひとつひとつに、たくさんのメッセージ
が書き込まれているんですよ。



 千羽鶴です。

 
 被災地を支援するためにも重要な空港だったので、米軍が強力
な復旧活動をし、ひとまず仮営業にこぎつけて、飛行機が離発着
するようになりました。
 しかし、一歩外に出ると、津波の跡が、なまなましく残って
います。
 津波で破壊され、動けなくなった自動車を、とにかく、滑走路の
邪魔にならないよう米軍と自衛隊が、空港内の空き地に積み上げ
ました。
 それが、そのまま、残っています。

 遠くから見ると、ちょうどもやがかかっていたこともあって、
自動車の墓場のように見えます。


 仙台の中心部から空港まで、専用の鉄道が走っています。
 その空港駅が、ターミナルビルの真ん前にあります。
 聞けば、高架になった空港駅の床まで津波が押し寄せた
のだそうです。ごらんになってください。

 高架下に車が見えますが、それと対比すると、津波が
いかにものすごい高さまで押し寄せたのか、よくわかります。

 空港のすぐ外に、和風レストランがあります。
 遠くからでも、ひと目、津波に襲われたことがわかります。

 
 中に入ると、この惨状です。

 だれもいません。
 営業再開は、かなり先になるのでしょう。
 むしろ、無事、営業再開にこぎつけられたらいいのですが。


 空港のターミナルビルに掲げられていたものです。
 私たちが言うのは、はばかられます。
 しかし、被災した方がこの言葉を掲げられるのであれば
もう、全面支援したいと思います。

 一日も早い復旧をお祈りします。

     *********
 今回の東北の現地報告は、ひとまず、ここまでとします。
 次回は、折りを見て、岩手県を取材できたらと思っています。







塩釜もひどい状況です・・・被災地の取材の続きです。避難所の小学校を訪ねました。

2011年06月10日 02時03分05秒 | 日記

 東北の被災地の取材報告の続きです。
 石巻に入る前に、塩釜を取材しました。
 塩釜は、仙台から車で30分程度の距離で、いまや、仙台に通勤する
サラリーマンの街にもなっているようです。
 ここも被害がすごいのです。
 
 幹線道路沿いで、こんな状況です。
 津波で運ばれた車が、家に飛び込んだままです。


 一見、無事に見える民家も、家ごと傾いています。


 軒先に、車がごろごろ横転しています。
 津波のすごさを、まざまざと見る思いです。 


 お墓がありました。
 墓石が倒れています。


 近づいてみて、驚きました。
 車が何台も、お墓の上に乗っかっています。


 津波で運ばれた車が、お墓にひっかかって止まったの
でしょう。これを復旧するのは大変です。しかし、お墓
ですから、一日も早く元に戻るようにと思います。


 幹線道路の脇に、こんな車がありました。
 破壊の限りです。


 避難所になっている小学校に行きました。
 ここでも自衛隊が活動しています。


 校庭に、「希望の湯」というお風呂がありました。
 自衛隊が設置したものです。

 こういうのを見ると、ほっとします。

 全景です。ちゃんと、男湯と女湯に分かれています。


 校舎の中は、ひっそりとしていました。

 フランスからの留学生が、ボランティアに来ていました。


 携帯電話の充電コーナーがあります。

 ドコモ以外にも、AU、ソフトバンクの充電器もちゃんとおいて
あります。

 コンサートのお知らせです。


 全国各地から励ましが送られてきていて、こうやって、壁に
張り出してあります。


 小学校の全景です。塩釜の湊小学校です。

 みなさん、元気でいてください。



菅首相の進退・・・「めどがつけば」と格闘技の「3年殺し」の関係を話しましょう。

2011年06月07日 18時23分03秒 | 日記

 「北斗の拳」というコミックは、もう20年以上も前の作品です
が、いまでも、非常に人気があります。
 主人公のケンシロウは、人間の体の構造を熟知していて、生死を
分けるツボを攻撃するのです。
 彼は、荒廃した街にのさばる悪漢たちを、
 「アタタタタタッ」
 という気合いとともに攻撃します。
 悪漢の体のツボを攻撃するのです。

 相手は、何をされたか分からないので、
 「なんだお前は。全然効かないぞ」
 などと言って、戸惑った顔をします。

 そこで、ケンシロウは、こう言います。
 「お前はもう死んでいる」。

 悪漢が、「へ?」と言った瞬間、
 ケンシロウの突いたツボから、悪漢の体が爆発し始め、悪漢は死
ぬわけです。

 「お前はもう死んでいる」
 というのは、攻撃してから、10秒とか、そのぐらいの時間でしょう。

 ケンシロウの「北斗の拳」が登場するまでは、こうした格闘技系
のコミックに、よく、「三年殺し」という技がありました。
 
 格闘技の謎の達人が、相手と組み合い、さっと技をかけて、ぱっ
と離れる。
 相手が「?」と思ったところに、謎の達人はこういいます。
 「お前は3年後に死ぬ」。
 
 実際、相手は、攻撃から3年後に死ぬわけです。

 これを「3年殺し」と名付けます。
 初めは、真剣な技のはずだったのですが、だんだん、ギャグにな
ってきました。実際、少年雑誌で、ギャグとしてはやりました。

 そこで、こんな技が出来ます。
 オフィスや学校で、親しい友人の肩や胸をこつんと軽く突きます。
 そこでこう言うのです。
 「いま、技が決まった」
 「え?」
 「お前は、70年後に死ぬ」

 これを「3年殺し」ならぬ「70年殺し」
 と呼びます。

 いま30歳だとすれば、70年後は100歳です。
 100歳まで長生き出来るわけですね。

 けっこう、うけるジョークです。

 「お前はもう死んでいる」は迫力がある。
 「お前は3年後に死ぬ」は、ちょっと、くすっとする。
 そして、
 「お前は70年後に死ぬ」だと、完全なギャグであり、完全なジ
ョークです。

 菅直人首相の「めどがつけば」の「めど」は、これと同じです。  
 いますぐなら、かなりインパクトがある。
 しかし、「第二次補正予算もやり、震災の片付けもすみ、原発の冷
温停止も見届けて」ということになれば、
 「お前は70年後に死ぬ」
 というのと、同じです。

 ほとんど、ギャグです。
 菅首相は、ギャグを飛ばしたのでしょうか。



大阪の君が代起立条例・・・こんな条例を成立させてはいけません。これは本当に危険です。

2011年06月07日 01時34分32秒 | 日記

 大阪の公立の小中高校で、君が代を歌うときは起立する
ことを義務づけた「君が代起立条例」が、大阪府議会で可
決・成立しました。
 橋下知事が発足させた大阪維新の会が、府議会で過半数
の議席を持っており、反対した民主、自民、公明を抑えて、
成立させたものです。

 国会と民主党が、不信任案でおおもめにもめている間隙
を縫い、大騒ぎにならず、すいっと成立してしまいました。
 これは、本当に危険だと思います。

 この問題は、ふたつ、大きなポイントがあります。
 ひとつは、言うまでもなく、君が代を歌うときに起立を
義務づけることの馬鹿馬鹿しさです。
 二つ目は、そんなことを、自治体、この場合は大阪府で
すが、自治体が条例で一方的に決めることが出来るのだろ
うか、ということです。

 まず、二つ目の話からです。
 この条例には、民主党はもちろん、自民党も反対してい
ました。自民党は、国会で与党だったころ、「国歌・国旗
法」を成立させています。その自民党でさえ、大阪の君が
代起立条例には、反対しているのです。

 これはなにかというと、既存政党、いまは民主と自民で
すが、既存政党が支持を失ってしまい、「大阪維新の会」
という新しい政党が、あれよあれよという間に、大阪府議
会の与党第一党になってしまいました。しかも、単独過半
数を占めてしまう大勢力です。
 既存政党に対する不満を、吸収したのです。

 第一党になった大阪維新の会は、選挙で焦点にさえなら
なかった君が代起立条例案を、突然、議会に出してきた。
 
 みんな、「えっ?それ、なに?」と思いました。
だって、維新の会は、地方分権や、関西連合など、国煮
対抗する勢力の結集を目的にしていたはずです。
 突然、君が代とは、当の維新の会のメンバーもびっくり
したのではないでしょうか。

 さて、何が問題かというと、こんなことで、君が代を歌
うときに起立することが義務づけられてしまうとすれば、
同じように、大阪維新の会は、どんどん、自分たちの求め
ることを条例案として出し、可決・成立させていけばいい
ということになります。

 これ、こわいですよ。

 たとえば、大阪府の大学生は、1年間、自衛隊で訓練を
受けることという条例を作ることも可能です。
 大阪府では、消費税を15%にしますという条例も作れ
ます。
 大阪府の学校では、入学式のときに、皇居を向いて遙拝
すること、という条例を作るコトも出来ます。

 もちろん、そんな条例は、憲法違反でしょう。
 君が代起立条例も、憲法違反でしょう。
 しかし、成立した条例を、憲法違反だとして提訴しても、
判決が出るまでにいったい何年かかるか分かりません。ま
して、勝訴を勝ち取れると言う保証もありません。
 
 大阪の例を見て、東京や愛知、兵庫と、全国の都道府県
が、同じように、君が代起立条例を出し、成立させたとす
れば、それは、もう、国レベルの法律と実体的には同じ効
力を持ちます。

 既存政党が良い政治をできず、そのすきまをついて、新
しい政党が出来る。そして、その新しい政党が、有権者の
不満を吸収し、ふと気がついたら、圧倒的多数の議席を獲
得し、すべてを支配していた。
それは、戦前のドイツでヒトラーがやったことです。

 あれよあれよという間に、議会の過半数を握った。
 議会を支配したと見るや、選挙のときには話題にさえし
なかったことを、採決して成立させてしまう。

 いま、国のレベルでは、民主党も自民党も支持を失って
います。
 そのすきまを縫い、どこか新しい政党、たとえば、維新
の会が、一気に過半数を握れば、維新の会は、同じように、
国会でも君が代起立法案を提出し、可決・成立させるとい
うのでしょうか。

 理論的には、可能です。
 そして、それは、ヒトラーという前例があるのです。

 これは、本当に危ないと思います。



菅直人氏の罪・・・市民運動の出身で、新鮮な期待もありました。失望は大きい。

2011年06月06日 18時26分31秒 | 日記

 菅直人という人に対する失望が大きいのは、ひとつ、大きな理由
があります。

 菅直人氏は、市民運動の出身です。
 このところ、日本の首相は、ずっと二世議員が続いていました。
 麻生首相、安倍首相、福田首相、小泉首相・・・と、どこまでさ
かのぼればいいのでしょう。
 鳩山首相もそうでした。

 そこへ、久しぶりに二世ではない首相が登場した。
 しかも、市民運動の出身という、非常に新鮮な人物である。
 クリーンなイメージのある市川房枝さんの流れも組んでいる。

 「市民運動の出身」
 「市民運動家だった首相」
 この言葉は、非常にフレッシュな響きがあります。

 なにか新しいことをしてくれるのではないか。
 市民の立場で、市民のための政治をしてくれるのではないか。
 既存の政治ではない、新鮮な政治をしてほしい。

 もう、自民党時代の古い政治はあきあきした。
 私たちが感じているこの閉塞感を、なにか、打破してくれるので
はないか。

 そういう期待がありました。
 「市民運動」出身の首相には、そういう、なにかいいことがある
に違いないという、期待があったのです。

 「市民運動」というのは、もともと、既成の行政や官僚組織、制
度のしがらみにとらわれず、市民の考えを実現していこうという運
動です。
 そこには、なにか新鮮な期待があるのです。
 
あるいは、市民運動には、よい意味のアマチュアリズムがありま
す。

 菅直人首相には、そういう期待がありました。

 ところが、菅氏は、首相になってみると、既存の政治家となにも
変わらない政治家だったのです。

 消費税を上げる。
 ちょっと待ってください。消費税を上げる前に、ムダな支出をカ
ットするというのが、市民運動の立場ではないのでしょうか。
 行政のムダ、官僚のムダ、いろんなムダに、市民の立場から切り
込み、カットする。そうすれば増税しなくても済むのではないか。
 市民運動であれば、本来、そう考えるはずです。

 原発で事故が起きました。
 市民運動の立場なら、原発そのものに疑問を提示するのが自然だ
ったのではないでしょうか。
 原発は、自民党政権が推進してきた。
 民主党、そして、市民運動出身の首相なら、原発推進の自民党と
は何か違うことをしてくれるはずだ。そう思っていたのですが、や
ったのは、自民党と同じです。
 
 プロではないだけに、事故が起きてみると、かえって、アマチュ
アの弱さだけが目だってしまいました。
 菅直人氏は、事故のあと、右往左往するだけでした。
 
 そして、今回の、居座り劇です。
 「退陣とは言ってない」と言葉をもてあそぶのは、古い古い自民
党の政治家と、どこが違うのでしょう。
 いや、むしろ、古い古い自民党の政治家は、「退陣という言葉は使
ってない」というような、古い古い詭弁は、もう、使わないでしょ
う。自民党の人たちは、過去に、もう何度もそんなことをやって、
さすがに学習しています。学習しているから、いまでは、もう、そ
こまで恥ずかしいことはしません。
 
 菅直人氏は、自らが市民運動の出身であることをすっかり捨て去
り、既存の政治家となんら変わらぬ政治家になってしまいました。

 だから、菅首相の罪は、大きいのです。
 自民党の政治家が、同じことをやっても、まあしようがないか、
と思います。
 それを菅首相がやると、失望ははるかに大きいのです。
 菅首相は、この国の政治のあり方に、大きな傷を傷をつけました。
 政治に対する国民の信頼、信用を、裏切りました。
 政治に対する国民の失望は、本当に大きくなってしまいました。
それを、菅首相は、認識しなければなりません。
 菅直人氏の罪は本当に大きいと思います。
  



菅直人という厄災・・・人柄のいやしさが、顔つきに出てしまいました。こんな人が日本の首相とは。

2011年06月06日 01時37分30秒 | 日記

 菅直人という人は、顔つきが、本当に悪くなりました。
 ここまで小ずるい人だとは思いませんでした。
 顔つきに、小ずるさが現れてしまいました。
 「ずるさ」なら、まだしも政治家の資質のひとつといえる
のでしょうが、彼の場合、
 「小ずるさ」といわざるをえないのが、悲しいことです。

 6月2日、不信任案の可決が濃厚という日、彼は鳩山前
首相と会って、確認書を交わしました。
 たしかに、文言は、玉虫色です。
 「退陣する」という言葉は入っていません。

 しかし、確認書を交わしたあとの民主党の代議士会で、
彼は「めどがついたら若い人に責任を譲りたい」と話しま
した。

 この確認書と、代議士会での発言を受け、だれもが、菅
直人は、近いうちに退陣すると思いました。

 それゆえ、その直後の衆議院で、不信任案は否決された
のです。

 ところが、その直後から、菅直人氏は、ときに満面の笑
顔になり、ときにニターッと気持ちの悪い笑い方をするよ
うになりました。
だらしのない笑い方です。

 不信任案が否決された後の閣議では、にたーっとして、
閣僚の手を一人ひとり握りしめました。
 記者会見では、にたにた、にたにたしながら、「原発が
めどがつくのは来年1月ごろと思われます」といい、「め
ど」がつくまで辞めないという考えを示しました。
 
 してやったりーーという感じです。
 「確認書」を交わして、不信任案を否決した。そして、
その「確認書」には「退陣」という言葉は入っていない。
 だから、俺は、退陣する必要はないんだ。
 どうだ。
 そういう気分が、充ち満ちていました。
 いまはやりの言葉でいえば、「どや顔」です。
 「どや、俺はえらいやろ」
 「どや、ええ考えやったやろ」
と、鼻高々な様子が、そのにたーっとした顔に出るので
す。
 「どやらー」ですね。

 岡田幹事長もなさけない。
 この人は、「確認書には退陣という言葉は入っていない」といいはりました。
 たしかに、退陣という言葉は入っていません。

しかし、仮にも一国の首相の進退を、そんな言葉の遊び
で説明するというのでしょうか。

 もし、この菅直人という人が、自分の家の隣りに住んで
いたらと、想像してみてください。
 たとえば、今度の日曜日、町内会で大掃除をしましょう
ということになりました。参加者を募ります。
 で、隣家の菅直人氏と、こんな会話をしました。

 あなた「菅さん、今度の日曜日、町内会で公園を大掃除する
     ことになっているのですが・・・」
 菅  「あ、そうでしたね。はいはい、分かってますよ」
 あなた「では、ご参加ということで」
 菅  「日曜日、雨が降らなければいいですね」
 あなた「ほんと、そうですね」
 菅  「ねえ」
あなた「じゃあ、よろしく」
 菅  「よろしく」

 日曜になりました。
 みんな集まりましたが、菅氏は来ません。
 あれ? 
 忘れているのかなと思って、携帯で連絡しました。

 「あ、菅さん?」
 「はい。菅です」
 「あの、きょう、大掃除なんですが」
 「はい」
 「参加されるんですよね」
 「え? いいえ」
 「あれ? この前、話したとき、参加されるとおっしゃ
  ってましたよね」
 「いいえ」
 「いや、参加されると言ってましたよ」
 「私、あなたと確かにお話をしましたが、参加するとは、ひとこと
  も言ってませんよ」
 「え?そんなばかな」
 「いや、言ってません」

 とまあ、こういう会話になります。
 たしかに、「参加する」とは言ってません。
 しかし、だれがどう聞いても、参加するという会話です。
 
 今回のは、それと同じです。
 
 そして、その場にいた岡田幹事長まで、姑息にも、「退
陣」という言葉は使ってないーーと言うのです。

 こんな人たちが、もし、隣りに住んでいたら、うっとお
しいですよ。
 ご近所でも嫌われてしまうでしょう。

 そういうことを、我が日本の首相が、平気でやったので
す。
こんななさけないことはない。
 しかも、本人は、にたーっとして、うれしそうにしてい
る。

 昔、とんち一休さんが、橋を渡ろうとしたら、
 「このはし わたるべからず」と書いた立て札がありました。
 一休さんは平気な顔で橋を渡りました。
 和尚さんが 
 「こら一休! はしをわたるなーーと書いてあったじゃろう」
 と叱ると、一休さんは
 「はい、ですから、真ん中を渡りました」
 と答えたという、有名な話があります。
 答えた一休さんは、にこにこし、和尚さんも、思わず
大笑いしてしまったというのです。
 
 これは、幼いとんち一休さんだから許される話です。
 菅直人氏のやったことは、これと何も変わりません。
 一休さんなら許されますが、
 一国の首相がやれば、とうてい、許される話ではないのです。

 どうして、そんなことが分からないのでしょう。
 どうして、こんな人を首相にしてしまったのでしょう。

 能力がない。
 責任感もない。
 知識もない。
 見識もない。
 人柄はいやしい。
 卑である。

 そして、それが、顔つきに出てしまいました。
 卑しい顔です。
 
 かつて城山三郎さんが書いた小説に
 「粗にして野だが、卑ではない」
 があります。
 そう。
 粗にして野だが、卑ではないーーというリーダーなら、
尊敬されるのです。
 ほかのことはどうあれ「卑」であるーーという人は、
リーダーには無理でしょう。

 困りました。 



石巻のいま(2)・・・海岸沿いの市街地は、さらに大きな被害を受けていました。

2011年06月02日 00時42分27秒 | 日記

 石巻の報告の2回目です。

 5月28日の土曜日、石巻港を取材したあと、海岸沿いに
展開する石巻の市街地に向かいました。
 ここの市街地の被害の大きさ、被害の深刻さは、まるで
規模が違います。

 津波が家という家をさらっていき、がれきだらけです。

 あの日からもう2か月半たつので、がれきは、かなり撤
去したのでしょう。震災直後に報道された写真と比べる限
り、確かに、がれきの撤去は進んできたようです。
 しかし、それはあくまでも、震災直後との比較です。
 いま現在の状況を、比較などせずに、「いま」として見
ると、ひと目、それはもう、とんでもない状況です。

 道路以外は、すべて、がれきで覆われています。
 がれきで覆われた写真を、何枚か、見てください。


 ここには、3月11日まで、人々の暮らしがあったので
す。






 この写真に見えるのは、オーディオのアンプの残骸です。

 オーディオマニアの方が愛用していたのでしょう。
 しかし、このアンプだって、津波によって、どこか別の
家のあった場所から、ここに運ばれたものなのでしょう。

 自衛隊の車だけが目立ちます。


 
 たまに、家が残っています。
 しかし、近寄ってみると、残った家は、すべて、一階、
二階が、津波にごそっと持っていかれています。残ってい
るのは、家の骨組みだけです。

 その骨組みも傾いています。

残った家の写真を、何枚か、掲載します。






 これはガソリンスタンドです。
 というより、ガソリンスタンドの残骸です。


 写真を撮ったあと、ひとりで、黙祷を捧げました。
 せめて黙祷を捧げなければーーそう思わせるなにものか
があります。

 市街地を離れ、日本製紙の工場に向かうと、道路に
大きな赤いものがありました。

 寄ってみると、どうやら、大きな赤い缶です。

 東京に帰るときに、石巻の地元紙「石巻日々新聞」を買
って読んでみると、やはり、缶です。地元の製缶工場が、
シンボルとして飾っていた巨大な缶ですが、津波によって、
1キロほど運ばれてしまったそうです。ちょうど、幹線道
路の中央分離帯に横たわっています。
 津波の被害のすごさを示すものとして、残したらどうか
という声も出ているそうです。

 日本製紙の工場に着きました。
 紙の最新鋭の工場で、この工場が被災したため、出版業界
にも大きな影響が出たのです。

 少し遠くから見ると大丈夫なように見えましたが、近寄
ってみると、やはり、あちこちに破壊のあとがあります。


 

 市内を車で走っていて、気がついたことがあります。
 同じ市街地でも、ちょっと高台にある住宅は、どうやら、
津波の被害をまぬがれたようなのです。
 この写真をみてください。

 手前は、津波に襲われたあとです。がれきの山です。
 しかし、その奥に、数軒の住宅が見えます。この数軒は、
ちょっと高くなったところに建っていたのです。もちろん、
地震の被害は受けたでしょう。しかし、どうやら、津波に
は、さらわれずに済んだようです。
 ちょっとしたことが、明暗を分けたようです。
 
     ********

 石巻の報告は、ここまでです。
改めて黙祷を捧げます。

 次回は、塩釜の被災地と、避難所になっている小学校、
それに、仙台空港の状況を報告します。