アップルのスティーブ・ジョブズ氏の訃報が伝えられま
した。ガンの手術をした後も、いまひとつ体調がよくない
ようでしたが、それにしても、突然、という思いがします。
56歳でした。
大変残念です。
アップルといえばスティーブ・ジョブズ氏ですが、しか
し、アップルは、1976年、「二人のスティーブ」によ
って設立されたのです。
ひとりは、もちろん、スティーブ・ジョブズ氏です。
そして、もうひとりが、スティーブ・ウオズニアック氏
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/91/23d810dff22ca41311e4d70a66ddf584.jpg)
この写真の左がスティーブ・ジョブズ、右がスティーブ・
ウオズニアックです。
ふたりは、まだ大学生で、家のガレージを工場にしてパ
ソコンを作りました。
このパソコンがAPPLEです。
当時は、日本では、まだパソコンという言葉も広まって
いず、「マイコン」と呼ばれたりしています。もちろん、
いまのような「PC」などという言い方は存在さえしてい
なかったのです。
そのころのパソコンは、基盤のキットのセットを買って
組み立てるもので、まだまだ、一般の人に普及するような
ものではありませんでした。
ところが、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウオズ
ニアックの「二人のスティーブ」が作ったAPPLEⅡは、
すべてが完成した形になっていて、それだけでも、画期的
な製品でした。
訃報を報じるテレビのニュースで、スティーブ・ジョブズ
の功績を、「安価なパソコンを発売し」と報じたものが
ありました。
それは、取材不足もいいところで、大間違いです。
APPLEⅡは、そうではなくて、ほとんど世界で初めて
のパソコンだったのです。
当時、コンピューターというのは、人間の背丈より高い
ような超大型のマシンが何台も並び、オフィスのデスク
の上に、その端末(キーボード)が置いてあるーーという
イメージだったのです。
その雄がIBMだったわけです。
とても、個人のレベルで買ったり使ったりできすものでは
ありません。
それを、個人でつまりパーソナルに使えるようにして
作ったコンピューターを、二人のスティーブが作ったの
です。
それが、パーソナル・コンピュータであり、
その輝く第一号が、APPLEⅡです。
だれでも使えるようなコンピュータ初めて作った。
それこそが、二人のスティーブの大きな大きな功績です。
「安価なパソコンを出した」などと報じるのは、本当に
取材不足もいいところです。取材不足というより、何も
取材せずに書いたーーというしかないでしょう。
そんなことを書くのは、二人のジョブズに対して、失礼
でしょう。
さて、このとき、APPLEⅡ用に開発されて、非常に人気
の出たソフトは、ゲームです。
どんなゲームかというと、
1) 地下迷宮でモンスターと戦う「ウイザードリー」
wizzardry
2) モンスターがうろつく世界を探検する「ウルチマ」
ultima
です。
このふたつが、パソコンの本当に初期のころの、二大ゲーム
ですね。
こういうIT系、もちろん、ITなどという言葉は最近
できた言葉で、その当時にあるはずもないのですが、まあ
いまの言葉でいえばIT系ですね、そのIT系のツールが
広く使われるようになる原動力は、だれがなんといっても
ゲームです。
ウイザードリーをやりたいからAPPLEⅡを買うとい
う人が少なくなかったのです。
ゲームを軽視する人は、IT系の世界では成功しません。
人間は「ホモ・ルーデンス」であって、「遊ぶ人」なの
です。
そもそも、ゲームって、動きが激しく、アイデアも要求
されるので、作るのが難しいのです。ビジネスソフトより、
ゲームソフトを作るほうが、技術的にははるかに高い水準
を求められます。
だから、ゲームを作れるというのは、高い技術を持って
いるということにもなるのです。
さて、二人のスティーブだけではありません。
もうひとりの天才がアメリカで活動を開始します。
それが、ビル・ゲイツ氏です。
二人のスティーブのアップル社が、APPLEというハ
ードウエアそのものを作り、大革新をもたらしたの対し、
ビル・ゲイツは画期的なソフトウエアを作って、同じよう
に大革新をもたらしました。
ビル・ゲイツの作った会社がマイクロソフトで、その画
期的なソフトウエアが「ウインドウズ」だったわけです。
その後、スティーブ・ウオズニアックは静かに身を引き、
表舞台には出てこなくなりました。
そのため、アップル社は、スティーブ・ジョブズ一人の
名前が有名になってしまいましたが、古くからのパソコン
マニアには、スティーブ・ウオズニアックの名前も忘れる
ことができません。ウオズニアック氏にも敬意を表したい
と思います。
このころ、日本でも、同じように、有名になった若い企
業家がいました。
アスキーを作った西和彦氏です。
西氏は、神戸生まれで、二人のスティーブやビル・ゲイ
ツ氏とまったくの同年代です。
西氏はとくにビル・ゲイツ氏と仲がよく、西氏のアスキ
ーと、ビル・ゲイツのマイクロソフトは、蜜月のような
関係にありました。
しかし、その後、西氏は、メインバンクの銀行団と対立
し、アスキーから離れます。
この当時は、ソフトバンクの孫正義氏は、無名の存在で
した。
ソフトバンクは、パソコン雑誌を出しており、どちらか
というと、パソコンの出版社という感じでした。
1977年、二人のスティーブがアップル社を作ったこ
ろは、まさしく、パソコンの黎明期であり、新しい時代が
来るという明るい予感がありました。
そうした黎明期からの立役者であったスティーブ・ジョブズが
思わぬ形で姿を消しました。
初めてパソコンを買ったのが、きのうのことのようです。
ジョブズ氏が姿を消したのは、本当に残念です。
感謝と敬意を表します。
次回以降、もう少し、続きを書きたいと思います。