いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

小惑星探査機はやぶさ・・・素晴らしい栄光ですが、実は、その栄光は過去のものです。

2011年10月03日 16時13分20秒 | 日記

 小惑星探査機「はやぶさ」は、小惑星「イトカワ」まで
長い長い往復の旅をし、地球の外から、微粒子を持ち帰り
ました。

 日本の科学技術の素晴らしさが、改めて世界の注目を集
め、私たち日本人も誇らしい気持ちになりました。
 はやぶさをドキュメント風に扱った映画もできて、いま、
上映が始まりました。

 しかし、はやぶさの成功を、手ばなしで喜ぶわけにはい
かないのです。
 輝かしいはやぶさを作った生産設備、工場が、もう、な
いのです。

 はやぶさは、そのかなりの部分を、NECが担当しまし
た。開発・生産の舞台になったのは、横浜市都筑区にある
NECの工場でした。
 この工場は、新幹線の新横浜駅からそう遠くない場所、
地元では、緑産業道路と呼ばれる道に沿って展開する工業
地帯の一角にありました。
 宇宙関係の開発・生産をしており、パラボラ・アンテナ
もありました。

 ところが、1990年代、バブルが崩壊するとともに、
NECは、大規模なリストラを実行し、この工場は、閉鎖
されてしまいました。宇宙関係の拠点工場は、まさに重厚
長大の工場です。リストラにあたって、重厚長大な部分は、
まっさきに対象にされてしまったのです。
 残したのは、携帯電話を中心とするきわめて軽い部門で
す。

 この工場は、宇宙関係の工場だけに、広大な敷地をもっ
ていました。
 すべての生産設備を撤収したあと、この広い敷地は売り
に出され、2007年、ららぽーと横浜として、生まれ変
わりました。
 ららぽーとは、大きなショッピングモールです。大きな
駐車場は常に満車で、いつも買い物客でにぎわっています。
 そうした買い物客は、ここで「はやぶさ」が開発・生産
されたことなど、知る由もありません。

 NECの大リストラは、社内でも大きな批判がありまし
た。NECは、もともと、通信機を主力とするメーカーで、
パラボラアンテナが会社のシンボルのようになっていま
した。電話交換機でもトップメーカーでした。コンピュー
ターでも日本を代表するメーカーで、1980年代ごろに
は、ライバルの富士通とともに、世界のトップ企業のひと
つになっていました。
 テレビやオーディオ、洗濯機などの家電の分野でも有力
なメーカーでした。

 しかし、バブル崩壊の影響は大きく、まず、東京・三田
の本社ビルを売却し、続いて、利益率の低い部門、すなわ
ち、重厚長大な分野を切り捨てていきました。
 そのひとつが、宇宙開発だったのです。
 新横浜の工場を閉鎖、売却したのは、そのひとつです。

リストラという名の下に、企業の母体、企業としての
中核部門を切り捨てていったのです。

 はやぶさは、見事な成果を日本に、そして、地球にもた
らしました。
 しかし、そのはやぶさを作った工場は、リストラととも
に、消えてしまいました。もう、ないのです。
 ですから、いまこれから、はやぶさを作れるかというと、
いったい、どこで作ればいいのか、ということになります。

 はやぶさは、日本がもの作りを一生懸命にやっていたこ
ろの成果です。
 長い長い年月をかかって、はやぶさが、地球を飛び立ち、
イトカワにたどり着き、地球に戻ってくる間に、はやぶさ
を作った工場が、消えてしまったのです。

 旅を終えて戻ってきたら、故郷がなくなっていたという
ことです。

 はやぶさは、輝かしい成果です。
 しかし、それは、実は、過去に作られた成果です。
 私たちの日本が、いま、作り出したものではないのです。
 
 はやぶさは、どんなに賞賛しても賞賛しきれるものでは
ありません。日本人として、本当に誇らしい。
しかし、それは、過去に対する賞賛なのです。
はやぶさを作った工場がなくなってしまったというこ
とを、私たちは、しっかり認識しなければなりません。

 はやぶさは、いまの日本の実力ではないのです。

 はやぶさの栄光をほめたたえ、ただよろこんでいては、
完全に間違ってしまいます。
 はやぶさの栄光の裏で、私たちは、大事なものをなくして
しまったように思います。

 はやぶさを作った工場の跡地にできた「ららぽーと横浜」
には、大きなシネコンが入っています。
はやぶさの軌跡をたどった映画「はやぶさ」は、このシ
ネコンでも、上映されています。
 みずからを作った工場が消えてなくなり、そこにできた
映画館で、みずからの映画が上映されているわけです。
これほど皮肉なことはあるでしょうか。

 本当に、このままでは危ないと思います。