このブログは、政党・政治家が、官庁・官僚とつきあう
にはどうすればいいのかを書いているところですが、その
前に、橋下・維新の会と石原・太陽の党との合併について、
書いておきたいと思います。
結論からいえば、これは、大失敗だったと思います。
橋下徹氏は、どうして太陽の党との合併などいうものに
踏み切ったのでしょう。
実に不思議です。
大阪から始まった維新の会の特徴は、政策論というより
も、まずなによりも、清新さ、フレッシュで新しいイメー
ジにありました。
なにか新しいことをしてくれるのではないか。
そういう期待こそが、維新の会の最大の特徴で、それが、
そのまま最大の長所となっていたのです。
ところが、その清新さ、フレッシュなイメージが、石原
慎太郎氏率いる太陽の党との合併で、もののみごとに消え
去ってしまいました。
石原慎太郎氏というのは、既存政界、既存勢力を代表す
る大物です。石原氏は、清新でフレッシュなイメージとは
ほど遠いところにいます。
清新さこそが最大の武器である維新の会は、太陽の党と
合併したことによって、最大の武器を、自ら、放棄したことに
なるのです。
「初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく」
という句があります。
新年のカレンダーを開くとき、まだ来ていない日々は、
希望と期待にあふれている。
心弾むものがある。
そういう意味です。
しかし、新しいカレンダーを壁にかけ、新しい1月が始
まってみると、いつもと変わらない平凡な日々、苦しい日
々が続く。
弾む心も、いつしか、しおれていく。
実際には、そういう意味も含まれています。
それでも、なお、「明日」はいい日になってほしいという
思いが、この句には、こもっています。
橋下徹氏の「大阪維新の会」「日本維新の会」は、初め、
それに似た希望と期待を、見せてくれたのです。
維新の会は、「初ごよみ」だったのです。
初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく
この「初ごよみ」を、「維新の会」に変えてみましょう。
維新の会 まだ見ぬ日々は 美しく
そう。
国民は、まさに、こういう希望と期待を、維新の会に抱
いたのです。
だからこそ、あれだけの熱狂で迎えられ、大きな動きと
なっていたのです。
ところが、石原慎太郎氏という既存勢力の代表と手を組
んだことで、せっかくの真新しいカレンダーに、これまで
と少しも変わらないイベントや日程が、書き込まれてしま
ったのです。
初ごよみが、いつもの壁にかかっているいつものカレン
ダーになってしまったのです。
そもそも、太陽の党という名前は、石原慎太郎氏の小説
「太陽の季節」から取ったのでしょう。
そのネーミングのどこに新しさがありますか。
自分の小説を政党の名前にするのは、気恥ずかしくない
のでしょうか。
そのセンスを、疑います。
維新の会が太陽の党との合併を発表したとき、気にな
ることがありました。
メディアの反応が大変少なかったのです。
合併に対し、猛烈な批判が起きるとか、なんだあれはと
いう声が上がるとか、そういうこともなく、反応そのもの
が少なかった。
まだしも、激しい批判があるほうがよかったでしょう。
反応がないというのは、それは、みんな、あの合併に、
どこかしらけてしまったということです。
どこかしら期待のあった人たちも、あれで、がっかりし
たというか、むしろ、「なーんだ」と思ってしまったので
はないでしょうか。
あの合併のあと、新聞もテレビも雑誌も、維新の会のこ
とを、あまり取り上げなくなりました。
みんなして、「なーんだ」と思ってしまったのではない
でしょうか。
週刊朝日が、橋下徹氏についての連載で、大失敗をしま
した。あれは、ひどい記事でした。
しかし、維新の会が太陽の党と合併したあと、そう、い
まだったら、週刊朝日も、そもそも、橋下氏のことを連載
で取り上げようなどとは考えなかったのではないでしょう
か。
維新の会の新しいムーブメントは、もう終わりました。
選挙では、そこそこの議席を取るでしょうが、そこまで
でしょう。
初ごよみ まだ見ぬ日々は 美しく
橋下氏の「初ごよみ」は、あっという間に、色あせてし
まいました。
本当のことをいえば、橋下氏には、もう少し長い間、
「初ごよみ」
を見させていてほしかったですね。