それはまた別のお話

観劇とか映画とかの感想文を少しずつ

「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」 8/22前楽・8/23楽

2011-08-24 | 舞台
オフィス3○○「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8/22(月)ソワレ(前楽) 座・高円寺1 C列センター下手通路寄り
8/23(火)マチネ(千穐楽)座・高円寺1 C列上手最端(マキオ隣)

前楽と楽を続けて観ました。
こうなったら、台詞の意味だとか繋がりだとかを深く考えるのは
すっぱり諦めて(笑)軽い気持ちで観賞できた。
何度も観ても、長い上演時間のあいだ一瞬も飽きることがない。

「座・高円寺」はとてもいい劇場でした。
駅近辺の雰囲気から、ベニサンピットみたいのを想像してたんだけど、
思ったより広くて、ロビーもいい雰囲気で。

今回ふと思ったのは、座席の位置で全く違う見方になったということです。

初日のE列。
一番観やすい席だったと思うけど、この日は煙に巻かれたような気持で余裕がなかった。
後から追加したセンター最後列。
この日は全体が俯瞰できて、天井のセットの迫力に改めて気がついた。

舞台横X列の最後列では、見切れで早替えするところが垣間見えて
舞台裏を除いた気分だったし、
反対のY列最前のときは、
目の前を役者が行き来するので、自分が教室の生徒で参加しているような気持がした。

前楽のC列センター。
改めてマキオと時彦ちゃんの関係が極めてエロイことにやっと気が付き(遅)
物語を「この二人の愛憎劇」という面から考え始めたら眠れなくなった。

そして楽は、マキオお立ち台…のすぐ隣でした。
私はマキオと一緒に廊下につまみ出され、黒板消しの粉にむせ、
それからはずっとマキオと一心同体になりました。
首を絞められ机になぎ倒されたときの、その辛さと快楽。
早く終わってほしい、でもこの世界にずっと繋がれていたい。

終わってしまって寂しいけれど、夏の終わりに相応しい千秋楽でした。
映像化してほしい気持ちもあるけれど、でも一期一会であってほしい作品でもありました。
そして、
終演後に素に戻ったあっきーが、鬼太郎の欠片も残さずに実にさっぱりとしたお顔だったことが
私の一番の救いになりました。
「意外に長い公演期間」だったよね。お疲れさま。
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「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」 8/17マチネ

2011-08-18 | 舞台
オフィス3○○「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8/17(水)マチネ 座・高円寺1 XA列


XA列でした。いろんな意味でしんどかった。

もちろん飽きたわけでもないし、演者はますます熱が入っているんだけど、
自分の目の前を大勢の役者さんが走り抜けるから、足元に気を使う。
舞台脇に机をせっせと並べているときは、ちょっと手伝いたくなる

先週は対面のY列に座ったんだけど、X列とY列は向かいあうので
舞台に集中していても、お互いの表情が丸見えなんですね。
最前列で寝ている人は起こしてあげたくなるし、
逆に大声で笑っている人には、つられてこっちも笑ってしまう。
だから「せっかくだから『よい観客』になろう」と力が入ってしまって…
気ぃ使い過ぎだとは思うんですが。

中日を過ぎて、ちょっとしたところに演出の変更があったり
アドリブが解禁されたり、
(この日の来来軒は「松平健」でした。いくつかパターンあるのかな)
(ペンライト振るときは鬼太郎が「せーのっ」とキュー出してました)
源二おじさんのズボンの膝はもう破れる寸前で、
千太くんの逆立ちは見る度に上手になってきています。

本当は。
何が「しんどかった」かというと、予備校の場面でマキオの表情がありありと見えたこと。
彼は「早く、早く、首を絞めてくれ」と切実に思っているのだ。
一刻も早く「退治」されたがっているのだ。
そして私の中のアブナイ危険領域がむくむくと頭を支配して、
そういう方向で見始めたら、下半身が疼いてくる。

真夏の炎天下の中、高円寺の街を歩くのはとてもしんどい。
だから終演後の空気がとても気持ちいいんだけどね。
劇場であんなにしんどい思いをしたのに、終わって駅に向かう頃はとても元気になる。
この街の独特の雰囲気が心地よい。
そして私はいつものように、鬼太郎がおやつにしていたタイ焼きを買って
うきうきと帰路についたのでした。

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「妄想とドラマは違うぜ」

2011-08-14 | 舞台
(この日記は、現在座・高円寺1で上演中の「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」に関するネタバレを含みます)


もうずっと前のこと。
私は、友達とその知り合いのご夫婦と一緒に、舞台を観に行った。
見たのは確か野田秀樹の『キル』(2回目の再演で堤真一主演)だったと思う。

見終わったあと、私はそのご夫妻の旦那さんのほうに、どうでした?と聞いてみた。
演劇というものを見るのがほぼ初めてという彼は、
「なんか、全然面白くなかったです」と呟いた。
というか、むしろ怒っていた。
「だって、これって演出家とかの妄想でしょう?
演出家が勝手に考えてることでしょう?
なんで人の妄想をわざわざ見せられなきゃならないんですか、しかも金払ってまで!」

…いや、もうガックリと腰が抜けましたね。
だって私は、演劇って結局「演出家の妄想」だと思っていたから。
演出家の頭の中にある妄想を、役者や装置や音楽やらで具現化して、
私たちにも見える形にしてくれたものが「演劇」なんじゃないの?

まぁ初めての観劇に野田秀樹を選んだのがよくなかった…と思うけど、
よく考えれば、彼の見解は正論かもしれない。
私も苦手な演出家の作品を見ると、「妄想だらけだ」って文句言うものね。

鬼太郎がマキオに対して「君、妄想で生きてるんだな」と言う台詞があるんだけど、
ここでも私はちょっとガックリする。
この芝居は、冒頭のベットに横たわる老女の場面から
「ああ、こっから先はきっとこの老女の妄想なんだろうな」と予想させ、
なおかつあの壮絶なイジメの場面は「これもマキオの妄想に違いない」と思わせる。
でもマキオはそのとき「痛くても妄想かよ!」と思いっきり反論するから、
きっと鬼太郎が現れた時点からが妄想なのかもしれない。
入れ子状態になっている、つまり妄想の中の妄想の中の妄想の存在である鬼太郎に
「妄想とドラマは違うぜ」なんて、きっぱり言われると少し戸惑ってしまう。

この芝居の登場人物の中で、一番感情移入できるのは源二おじさんだ。
戦争中に東北へ疎開している間に身寄りを亡くし、
その埋め合わせに家族を作るものの、結局妻子を捨て家を出てしまう。
酸っぱい枇杷の実を吐き出せないまま。
彼がその果てを知りながら「地獄行きのバス」に乗るときは、安堵さえ覚える。
傍から見て感じるのは、彼の一生が実に切ない「ドラマ」であることだ。

だからその後、入れ子状態が逆に解かれていくと見せかけて、
鬼太郎は実は存在しなかったけれど、転校生の千太という友達が現れた…というところまでは
私たちを終着点に向かわせる方向なのに、
そこから先が整合性が合わなくなる。
逆に解かれていくはずの入れ子がバラバラになる。
ああ、この作品はやっぱり「よく出来たドラマ」じゃないんだ…

困ったことに、私はなぜかそこで先に書いた
「なんで妄想を見せつけられなきゃならんのか」と語った彼を思い出す。
そこから先を見ているのかが、少し苦しいからだ。
最後に、一葉がマキオの姿でベッドに横たわるまで、
あの『レントより遅く』の音楽が奏でられるまで、
見ている方は一時も解放されないからだ。

初演のときには「号泣する観客が続出した」らしいけれど、
私は未だにその訳が未だにわからない。
といっても、私もラストで必ず涙を頬につたわせるけれども、
それはこの「妄想の塊の世界」から解放された安心感に他ならない。

それでも、何度でも足を踏み入れたくなる、この魔境の世界。
だから私はもう一度高円寺に足を運びます。
それにしても、あの「演出家の妄想」を否定した彼は今どうしていることだろう。
どうか、嫌悪感を持たず、今もどこか劇場に足を運ぶ演劇好きになっていますように。
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「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」 8/10マチネ(雑事編)

2011-08-11 | 舞台
オフィス3○○「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8/10(水)マチネ 座・高円寺1 YD列舞台寄

(以下ネタバレしております)



初日を見てから、急遽チケを増やしたことを友達に話したら、
「チケを増やす人の気持ちがわからない」と言われた。
そうだよね。なぜ何度も観たくなるのか、私もよくわかんない。

そんなわけで、今日は当日券で見てきました。
当日券は各日開演の1時間前から販売しているそうですが、
13:15に私がもらった席が最後の1枚でした。
確かにこの回はほぼ満席で、わりと年齢偏差値が高かった。

座ったのはYD列、つまり上手サイド席の最後列です。
基本、芝居というのは正面に向けて作られているのは百も承知だけど、
当然ながら「ろくろっ首になった多田さん」は全く見えず(汗)
ミュージカルシーンの歌詞もますます聞こえず(汗)
反対に、教室シーンの直前は背後の出入り口から
なんとなく「わさわさ」した雰囲気が伝わってきちゃったり。

でも、一番見てはいけないモノを見てしまいました。
…上手側の客席入口から伸びる通路に座っている渡辺えりさん。
自分の出番以外はずっと、パイプ椅子座ってメモ片手に舞台を凝視してらっしゃいました。
毎日のダメ出しに繋がるんだろうなぁ。

そしてサイド席は、台詞や歌詞は聞き取りにくくなるのに、
楽器の音や靴音はダイレクトに響いてくる。
特にミュージカル部分のタップシューズ音がうるさかった。
多人数タップ音って、プロダンサーだとキチッと揃って見事なんだろうけど…
(今パンフ見て気がついたけど、本間憲一さんが振り付けなんだ!)
鼓笛隊の音楽が「みどりのそよ風」なのが初めてわかりました。

でも楽しかった。
今日の客席は笑いが多めで、砂かけ婆登場のところは拍手喝采。
チョロQ@目玉オヤジも今日は快調に走って、ここも拍手喝采。
可否のカップがお盆から落ちて転がってしまうとか、
チャンチャンコを投げたら手前で落ちちゃったとか(マキオがナイスアシスト)
ま、これぐらいの想定内事故はかえって笑いを誘います。
ミュージカルシーンは、ペンライト持ち込みのお陰だと思うけど、
鬼太郎チームはとっても楽しそうだった。

あっきー。
今日も元気いっぱいで汗っかきでした!
今日のお菓子はタイヤキ?(よく見えず)だったけど、
箪笥の抽斗をあちこち開けて探すのはデフォだったっけ?
あと、ラストの予備校シーンはなぎ倒す机の数が多くなってきた。
真後ろからナマアシ(特に足首)が見られたのはこの席の醍醐味だったかも。
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「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」 8/1初日(あっきー編)

2011-08-02 | 舞台
オフィス3○○「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8/1(月)ソワレ 座・高円寺1 E列センター

(以下ネタバレあり。あっきーこと中川晃教のことのみ語ってます)



私の中の「鬼太郎」は、もちろんアニメ版の鬼太郎で三頭身の子供。
だから最近の映画版のウエンツなんて「邪道!」と切り捨てたにも関わらず…

あっきー@鬼太郎は、ウエンツの100倍ぐらいカッコよかった。
原作の戯曲を読了済みで初登場シーンがどこなのかも知っていたので、
「来るぞ来るぞ来るぞ… キタ―ーーーー━(゜∀゜)━!」ってそれはもう!
赤い鼻緒の下駄のままに、バッタバッタと妖怪をなぎ倒す!
…こういうアクションは、なぎ倒される側の俳優さんの力量が100%なのだろうけど、
側転もキレイに決めてその身軽なこと。

「楽しくて仕方がない」という本人の言葉通り、
とても楽しんでいる様子がよくわかります。
戯曲の中で「鬼太郎、とんでもないところから現れる」とト書きされた箇所は
(初演ではTVの中から現れたらしいが)
変装して現れたから「あらっ」と思ったけど、声でわかっちゃいました。
鬼太郎に変身してから、岡持の中に隠した下駄を出してたのがツボ。
そのほか、発火装置だとか蛇だとかチョロQだとか、
楽しそうな小道具も一杯。(本人は取扱に気を使うでしょうが)

問題の、ラス前マキオとの絡みシーン。
原作本にも勿論その場面は書かれていたのに、私の脳内で消去されてたみたいです。
(一部の方に「あの場面は原作にはない」とテマ飛ばしました。ごめん!)
「あのシーンはエロス」「別の意味でヤバイ」との感想も飛び交ってますが、
うーん、私も実はそう思います(汗)
その解釈がいいのか悪いのかは置いといて(いいのか?)
前の場面の経緯もあるけど、その場面の衣装が必要以上にカッコ良すぎなんだよね。

歌は数曲で、あっきー節全開ではなかったものの
主題の曲を、全く趣きを変えて歌うのが真骨頂でした。
他キャストも歌がありそこに言及はしませんが、
河童のミュージカルシーンは、歌詞が聞こえなかった…
明瞭に歌詞を伝えるって、誰にでもできることじゃない。

舞台の上ではあれだけカリスマ性出しているのに、
カテコになると、夥しい数の生徒役キャストに埋もれてしまって
「どこ?」って探さねばならないのもご愛嬌。
手を振りながら退場するとき、上手の壁に激突してたのも
ご愛嬌でしょうか(計算だったりして(汗))

これからどう変化していくのかは全く魑魅魍魎ですが(意味なし)
ワタシ的な当初の目論見とは全く反して、この役、大好きです。
あぁそれにしても高円寺は遠すぎる…
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「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」 8/1初日(作品編) 

2011-08-02 | 舞台


オフィス3○○「ゲゲゲのげ~逢魔が時に揺れるブランコ~」
8/1(月)ソワレ 座・高円寺1 E列センター

作・演出・出演 : 渡辺えり 
出演:中川晃教 / 馬渕英俚可 / 松村武 / 若松力 / 土屋良太 / 広岡由里子 ほか

いじめられっ子マキオと鬼太郎が、学園に巣食う妖怪退治に挑む。
だがその正体は……。

(以下ネタバレしております)




猥雑。混沌。
膨大なエネルギーを孕むと思えば、ぽっかりと空いた空洞も連想させて。
なんとも不思議な、なんと言ってよいかわからない、不可思議な作品でした。
どこがどこに繋がっているのか、誰が誰になり変っているのか、
論理的な構造はどうなっているのか、
そもそも「枇杷の実」とは何のことなのか…
正直さっぱり解りません。
というか、自分が解ったのか解ってないのかも、よく解らない。

予習として、原作戯曲本を2回ほどサラッと読みましたが、
「戯曲とは上演されて初めて意味を持つ」ものだとつくづく感じました。
台詞を放つ役者の他に、周りの風景や他の登場人物が配されて
「あぁ~そういうことなのか!」と感激した場面が多数。
初演から28年ぶりの上演にあたり、多少アレンジしたとは思うけれど、
手元の原作本と殆ど同じ台詞で同じ設定。
フレッド・アステアはまだしも、福井謙一とかジュリーをそのまま持ってくるなんて!
鬼太郎父が潰される場面なんて、まさかああ来るとは思わなかったよ~

(初日反省会の飲み会で「ラストシーン追加したかも?」とデマ飛ばしました。
ラストもちゃんと原作本通りでした。
私が脳内フィルターかけたのだと思います。申し訳ありません(汗))

当初、上映時間が「3時間休憩なし」と聞き及び腰になりましたが、
ただの一瞬も目が離せず、非常に集中して没頭できました。
初日直前まで、ついったで「ゲネできなかった」「間に合わない」と
出演者の嘆きが飛び交っていたので
その面でも不安になりましたが、少なくとも破綻することはなく。
初日に間に合ったことが奇跡的なのか、それともこの形は未だ未完成なのか、
それもさっぱり解りません。

自分が(少ないながら)今まで演劇を見てきて
「芝居ってこういうものだ」と思っていること。
物語は、ある一点の結論に向かって収束するべきだ、とか。
ラストは、ハッピーにせよアンハッピーにせよ、
なにかしらの解決と救いがあるべきだ、とか。
伏線や繋がりや暗喩は、観客だれもが理解できる形であるべきだ、とか。
一幕の長さは2時間以内にするべきだ、とか(笑)

そういう固定観念が、ことごとく覆された作品でした。
居心地が悪いけれど、でももう一度その「変な感じ」を味わいたい。
「何度も観たけど、やっぱり解らない」って楽の日に叫びたい。
初演のときは大絶賛だったらしいけれど、どうして大絶賛だったのか
その欠片だけでも知りたい。
そんな魅力が詰まった、でも「見ておくべき」作品なのだと思います。

追)
チケ手配時はコワくて「最低限」しか見るつもりはなかったけど、
そんな訳で増やしております。

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