それはまた別のお話

観劇とか映画とかの感想文を少しずつ

「未来のミライ」

2018-07-25 | 映画
とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、甘えん坊のくんちゃんに、生まれたばかりの妹がやってきます。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんはその庭で自分のことを“お兄ちゃん”と呼ぶ、未来からやってきた妹・ミライちゃんと出会います。ミライちゃんに導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つくんちゃん。それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした。 待ち受ける見たこともない世界。むかし王子だったと名乗る謎の男や幼い頃の母、そして青年時代の曾祖父との不思議な出会い。そこで初めて知る様々な「家族の愛」の形。果たして、くんちゃんが最後にたどり着いた場所とは?ミライちゃんがやってきた本当の理由とは――


あまりの酷評におののきながら鑑賞。
でも私には十分刺さった映画でした。
息子を育てている経験と、横浜育ちで地元の距離感が理解できたおかげかな。

主人公のくんちゃんは4歳児。
この設定が絶妙だった。
プラレールのレールをあれほど複雑に組めたり、大人の言葉を理解できる読解力があったりするのに、
わがままっぷりが度を越している。
泣き叫び方も、映画なのに見ててイライラするし、おかあさんがキレるのもやむを得ないと思う。

でも子供ってあんな感じ。
「出来なかったことが出来るようになる」のも、徐々に変化していくわけではなく、ある日突然できるようになる。
自転車に乗れるようになるのも、着せられたズボンの色に妥協するのも。
今までは丸まってオシリ出しながら寝ていたのに、仰向けで寝るようになったのも。
それはさながら、階段を一段「すとん」と上がるような。

このことは親として不思議だった。
そこに至るまでに少しずつ身体の中にエネルギーを溜めていって、それがある日露呈するのかな…となんとなく思ってたけど、ひいじいじのバイクみたいに、過去の血のつながりが影響していると思わせてくれて嬉しくなる。
親の欲目かもしれないけど。

最初、くんちゃんは家から一歩も出ていない。(幼稚園に通ってはいるけれど彼の世界ではない)
中庭から冒険を始めるけれど、最初はそれでもごくごく狭い世界。
イマジネーションに満ちている世界に見えて、これは4歳児の想像を大人が具現化したものなのかな。
しかもその世界観がバラバラで話の筋もつながらないし、監督が何人もいるの?と錯覚するレベル。
(でも「志村うしろうしろ!」的なギャグとポニョのような怒涛の水流は楽しかった)

それでも彼は少しずつ行動範囲を広げ、中庭を飛び出して京浜東北線に乗り、東京駅の遺失物センターで自分の存在価値を知る。
親の名前さえ言えないのに。(このへんすごくリアル)
ここからの落としどころが少し説教くさかったけれど、わたくし号泣いたしました。

要するに、ワタシくんちゃんが大好きです。
きっと将来は父親の影響で建築家になり、東京駅のプロダクトデザインに関わることでしょう。

唯一の違和感はくんちゃんの声優さんかな…
くんちゃんを最初に異次元に連れて行く吉原さん演じる「謎の男」のハマリっぷりが笑えました。
あと福山雅治はやはり一言呟いただけで全女性のハートをズッキュンさせる。
ひいじいじのエピソードだけでもう一本撮ってもらいたい。
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「猫は抱くもの」

2018-07-04 | 映画
メガホンをとったのは『メゾン・ド・ヒミコ』や『ジョゼと虎と魚たち』など繊細な恋愛ドラマから、『のぼうの城』まで幅広いジャンルを手掛けてきた犬童一心監督。脚本は『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』の高田亮。ドラマ「グーグーだって猫である」でタッグを組んだ2人が、主演に、『ヘルタースケルター』以来6年ぶりの主演となる沢尻エリカを迎え、「人間の内面」と「猫の視点」を魅力的に描いた、猫映画の決定版を完成させた。擬人化の猫・良男役を吉沢亮が演じ、主人公に影響を与える画家・ゴッホ役に峯田和伸、迷い猫のキイロ役には「水曜日のカンパネラ」のボーカル、コムアイが抜擢される等、個性豊かなキャスティングにも注目して欲しい。


まずお断りしておきますが、ホンモノの猫は殆ど出てきません。
久々にポスターに悪態つきました。

一言で言えば「落ちぶれた元アイドルの自分探し」裏側から見れば「自分を人間だと思っていたロシアンブルーの猫が猫であることを受け入れる(『綿の国星』のチビ猫を思い出す)」という真っ当な物語なんですが、少し演出が変わっています。
冒頭から小劇場のお芝居で始まり、それも妙にデフォルメされた大道具、敢えてガラガラと大きな音を立てて行われる場面転換、客席まで使って行われる如何にも演劇チックなお芝居と演劇要素がテンコ盛り。
そっか、劇場=擬人化された猫の視点ってことなのね…と思っていると、野外ロケやアニメーションも出てきて、明確な区別はない。
ぶっ飛んでいるほどではないが、終始「なんかヘンな感じ」というモヤモヤが付きまといました。

でも個人的には後半がすっごくワクワクしました。
峯田和伸演じる画家が、沙織(沢尻エリカ)をモデルにして絵を書き続けるシーンのエネルギッシュなこと。
「良男」と名付けられた猫の横顔、キイロ猫の不可思議なヴォーカル、とってもセンスが良くて綺麗だった。
だから結末にも納得がいったし、スッキリとした気持ちでエンドロールを見ることができました。
こういう畳み掛けるようなカットバックは、演劇では表現できないスピード感を出すことができるものね。
そんな意味で映像作品ならではの魅力を感じました。

で。
実はお目当ては「柿澤勇人」くんでした。
「ヒロインを翻弄するキーマン」という名目、しかも二役ということだったので。
まあ確かにヒロインを翻弄するけれど、…記号みたいな扱いだったのが残念。
(暴言は承知ですが)この二役は岩松了のほうがよかったんじゃないの?
カッキーが猫になって歌ったほうがよかったんじゃないの?
まあカッキーが出演していなければ観に行かなかっただろうけどね…
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