イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

試合の日、あるいはアリとキリギリス

2010年01月06日 21時42分59秒 | 翻訳について
翻訳者になってみて、上手く言葉に表せないながらも、漠然と「何かが足りないなあ」と思うことがあったのだけど、それが何であるかに気づいた。

それは「試合」の感覚だ。あるいは「本番」の感覚と言うべきものかもしれない。

プロスポーツの選手だったら、今日は練習、明日は試合、明後日はオフ、明明後日は練習...という風に明確に「今日のテーマ」が決められている。野球だったら年間140試合とか、Jリーグだったら34試合とか、一年のなかで明確にハレの日とケの日が区別されている。

試合の日の、あの緊張感。試合開始の合図がなされた瞬間の、あの脳内からアドレナリンが一気に分泌される感覚、いつもとは時間の流れ方が違う非日常の世界、これまでやってきてすべてが、今の自分の力のすべてが白日のもとにさらされる審判の日、試合終了の笛がなった瞬間の解放感と脱力感、勝利の喜びと敗戦の悔しさ。

翻訳という仕事には、この試合の感覚を見いだすのが難しい。
翻訳者には、立つべき舞台もスタジアムもない。土俵もないしリングもない。

もちろん僕にもオンの日とオフの日がある。だが基本的には毎日仕事をしているようなものなので、あんまりメリハリというものがない。オフといっても、一日がかりの予定が入っている日か、やろうとおもっていたのに結果的にほとんど仕事ができなかった日のどちらかだ(前者はめったにないが、後者はけっこうあったりして)。

だが、けっして僕はもっとオフが欲しいわけではない。時間があったら翻訳に関わること――たとえば読書とか、本屋巡りとか、洋画を見るとか――をしていたい(翻訳作業そのものはしたくない場合は多いが)のだ。

つまり問題は、このように延々と続く翻訳モードの時間のなかでのメリハリがあまりないことなのだ。

翻訳者にとって「試合」とは何だろう? 「本番」とは何だろう?

納品するとき? 仕事の成果が形になるとき? 翻訳料が振り込まれたとき?それとも、やっぱり翻訳しているすべての時間が本番?

このあたりは人それぞれだとは思うが、僕の場合、仕事をしているすべての時間を「試合」と呼ぶにはそれはあまりにも長丁場すぎる。延長18回再試合を毎日やっているような感じで、とても疲れる。一年に300試合以上もあるような超多忙なプロレスラー並の試合数になってしまうから、とてもじゃないけど「さあ今日は試合だ。ついに来たこの日!」という感覚は持てない。せっぱつまってものすごい集中力で仕事をしているとき(それを「追い込み」と同業者は言うが、僕の場合は常に「追い込まれ」あるいは「追い詰められ」なのであった)は、確かに試合の感覚に近い。だが、それは何というか、相撲で言えばもろざしされて土俵際まで追い詰められてなんとかもちこたえている状態、サッカーで言えばロスタイムあと3分しかないのに2点差で負けていてチームは(ちょっと感覚の古い監督の指示に従って)強引に長身フォワードに向けてロングボールでパワープレーを展開中だけどこういうときに限って焦ったボランチのところでボールを奪われて逆襲されて「もう何やっとんねん」と思いながら自陣めがけて相手の俊足フォワードを追いかけていく実は鈍足ディフェンダーといった感じで(長い)、なんというかあまり晴れ晴れとした気持ちではなく、スポーツの試合前に感じるあの独特の静けさの入り交じった緊張感、身が清められるような気持ちが感じられないのである。

翻訳を担当させていただいた本が出版される日も、お金が振り込まれる日も、ハレの日であるし、とてもとても嬉しいのだけど、「試合」をしているというのとはちょっと違う。野球の選手だって、試合中にゴールデングローブ賞をもらったり、お金が振り込まれたりはしない。それは試合の結果のご褒美としてもらえるものなのだ。

と、そんなことを漠然と考えていたのだが、そんな僕のようなキリギリス翻訳者にも、きちんと意識すれば「試合の日」を作れるということを、つい最近、実感として味わえた。

翻訳者の僕にも、試合日は作れる。「アリになる日」つまり、一日翻訳だけに集中する日を作り、それを自分にとっての試合の日と位置付けるのだ。試合日は、こうやって設定できる。

まず、納期に追われてせっぱ詰まっていてはいけない。つまり、納品日当日または直前の日はできるだけ避ける。ある程度の余裕があるスケジュールながらも、やるべきボリュームはたくさん残っており、できるだけ仕事を進めたい、という状況が望ましい。逆にあまりにも分量が少ないと、なんとなく気合いも入りにくい。

その日は、「今日は試合だ」と思い込む。目標は、どれだけ多くの時間、集中して仕事に取り組めるか、どれだけ作業を進められるか、だ。

前の日は早く寝る(「明日は試合だ」と意識して、頑張る自分をイメージし、胸の高鳴りを押さえながら床につくのがポイントである)。

朝起きたら手短にお茶を入れたりシャワーを浴びたりと朝の準備をして、「さあ、試合開始だ」と気合いを入れてコンピューターに向かう(このとき、甲子園で高校野球の試合をするときに鳴るサイレン音を使うと効果的である)。

できれば朝5時、遅くとも7時くらいまでには開始したい。

午前中に一回休憩をとり、お昼休みをとり、夕方になって力尽きるまで作業を続ける。その間、1時間毎に成果を計る(ワード数)。こんなに進んだ! これしかできんかった! などなど、過去1時間の自分、これから1時間の自分との闘いだ(この感覚がとてもスポーツの試合のそれに近い)。

朝早いので、夕方6時とか7時くらいになると、もうエネルギーが尽きる。ようやった! と自分で十分納得したところで試合終了だ(このとき、朝と同じように甲子園で高校野球の試合をするときに鳴るサイレン音を使うとさらに効果的である)。それでも12時間前後は集中して作業したことになる。そうすると、普段のYoutube動物動画をみながら仕事をしているのか、仕事をしながら動物動画をみているのかわからないような自分とは比較にならないほどの作業量がこなせている。

今日は××ワードできた。今度の試合では××ワードを目指そう。そういう風にモチベーションも高まる。

だが、これを毎日続けていてはいけない。仕事は毎日やらなくてはならないが、毎日「試合の日」にするととてもつらい。Jリーグ並に週2試合くらいがちょうどいいのかも知れない。残りの日は、試合の日ほど集中したり長時間作業したりはせずに、仕事を続けるのである。ちょっと頑張る日は「紅白戦」あまり頑張らない日は「練習」だと位置付けたりしてもいいかもしれない。

ともかく、この「試合の感覚」というのはなかなかいいものなので、同業者のみなさんもよかったらお試しあれ。この仕事をしている人たちは、基本的に「好きだから」やっているという方が多いと思う。だからなおさら、一歩間違えば単なる仕事漬けの、この「自分ベンチマーキング」がおすすめなのである。

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年末から「試合日」をいくつか入れながら作業していた案件がようやく終わり、今更ながら正月がやってきたという感覚です。アリさんの日々が終わり、つかのまのキリギリス状態です。まだまだ仕事はたくさん残っていますが、あらためまして、みなさま明けましておめでとうございます。年賀状は、もうすぐ投函いたします。すみません m(__)m

※告知

翻訳者そぞろ歩きの会、2010年も引き続き開催させていただきます。年明け第1回目は1/16(土)に築地、月島を散策することにいたしました。まずは「東京の台所」築地界隈をそぞろ歩いた後、月島に移動し西仲通商店街を中心にぶらぶらして、最後はお約束ということでもんじゃの昼食をとりたいと思います。移動範囲もそれほど大きくないので、どちらに行くかは誰かの思いつきで決める(これぞまさにそぞろ歩き)で散策の醍醐味を楽しめるのではないかと期待しております。寒い季節ですが、みんなで歩けば身も心も温かくなります! 歩くことで新年の明るい希望もきっと見えてきます(^^)
みなさまぜひぜひご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに詳細を記載しております。ご参照ください。




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