イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その8

2009年08月26日 17時47分16秒 | 旅行記
4月にネットを通じて28年ぶりに再会を果たした僕たちは、5月にはお盆の浜田で会うことを約束した。それはちょっとした興奮の日々だった。

6月に入ると、メールのやりとりはほとんどなくなった。だが、再会の日である「8月14日」は心にはっきりと刻まれている。その日のことを思うと、待ち遠しくもあり、そわそわとした落ち着かない気持ちにもなった。あと2ヶ月。長いようで短く、短いようで長い。浜っ子も同じ気持ちなのだろうか。

ふと我に返ると、お盆に浜田を訪れ、みんなと会う約束をしていることが、嘘のように思えてくるときもあった。浜田駅に到着した電車から降り、プラットフォームをこの足で踏みしめた瞬間、どんな気持ちになるのか。懐かしい友の顔を見た瞬間、お互いに何を感じ合えるのか。先生の心のなかに、僕はどんな風に映るのだろう。小学校の校舎は、僕をあのころの自分に戻してくれるのだろうか。家族と過ごしたあの家は、まだ残っているのか。港町の民家の間の路地を縫うように進んだ、あの通学路の長い道のりを、僕は覚えているのだろうか。それらのすべては、あまりにも今の僕からは遠すぎて、現実のものとして想像することができなかった。

僕は8.14を心の片隅に置いたまま、日々の仕事や、やるべきことに集中しようとした。ブログには浜っ子から、しょっちゅうコメントを書いてもらうようになっていた。まだ少し先の再会のことはひとまず脇に置いて、コメントという数行の短いやりとりを通じて、お互いがお互いの日常のなかにゆっくりと、少しずつ入り込んでいった。短い文字のなかにも、当時子どもだった友達が、今ではすっかり大人になっていることがはっきりと感じられた。これだけの年月が経てば大人になっているのは当然なのだけど、僕はその経緯を知らないから、友達が突然、大人になったみたいな印象を受ける。おそらく相手も同じことを感じていただろう。そのギャップを、僕たちはゆっくりと埋めていった。

ブログには僕の七転八倒の日々が綴られている。昔の友達に恥ずかしい暮らしぶりを知られるのはなんだか照れくさかったけど、僕の等身大の日常を知ってもらえれば、僕に対する過度な期待や妄想も低減するだろう。というか、あまりの変人ぶりに、単に戸惑いを感じているだけかもしれない。当時から破天荒なところはあったが、ここまで変人になっているとは想像していなかっただろう。ドン引きされていないだろうか。

ともかく、熱に浮かされたようなネット上での再会から、しばらく冷却期間を経ることで、夏に向けてよい心の準備ができるような気がした。たとえばもし、4月のあのメールから数日後に現実世界で再会することになっていたら、あまりにも突然過ぎてどう振る舞ってよいのかわからなかったかもしれない。逆に数年後に再会が引き延ばされていたら、気が抜けてしまって感動も薄れてしまっていたかもしれない。初球、二球目には手を出さず、じっくり、いいカウントでいいボールが来るのを待つ。金属バットの快音が響いて、快心のセンター前ヒット。そんないい流れでここまで来ている。

僕にとって、6月と、それに続く7月は楽な月ではなかった。仕事は1年前に会社をやめて翻訳者になって以来、もっともと言っていいほど忙しく、生活も不規則になり、気持ちの余裕もなくなった。天気はいつまでたってもはっきりしなかった。夏が好きな僕にとっては、晴れそうで晴れてくれない今年の天気は本当に辛かった。朝起きて、夜寝るまで、公園を数時間歩いたり走ったりする以外は、ずっと仕事を続ける日々が続いた。指、腕、肩、今まで痛みを感じたことがない身体の部分が、不気味な違和感と共にズキズキした。眼も相当疲れている。散髪もずっとしておらず、髭も伸び、中途半端に日焼けした、鏡に映る自分が、無人島でただ一人暮らす男のように見えた。

文字通り、ここは無人島だった。僕は1年前に離婚をし、同時に会社をやめて在宅で翻訳の仕事を始めた。それ以来、誰とも会わず、孤独にコンピューターの画面を見つめ続ける日々が続いた。急激な生活環境の変化もあって、精神と身体のバランスを崩し、抑鬱した気分に悩まされ、急速に自信と体力、そして人間らしい表情を失っていく自分に気づいた。人と会うことがおっくうでしかたなかった。落ち込んだ自分の姿を人に見られたくなかった。悪夢にうなされるようにして目覚めることも多かった。何かをきっかけに、少しだけ元気になったように感じるときがあり、そんなときは自分は元気を取り戻したのだと、自らに言い聞かせるように、あるいは他人にそれを伝えることでそれを自分に信じ込ませるようにして、語ることもあった。だがそうしたつかの間の元気はすぐに消え失せ、その反動としての落ち込んだ気分にさらに苦しめられることになった。

しかし、そんな荒波に揉まれ続けるような浮き沈みの季節も、ようやく、少しずつ収まりつつようにあるとは感じていた。あまり認めたくはないけれど、時間が薬になったということなのだろう。相変わらず波に洗われ続けていたとはいえ、年始めには大波に飲み込まれるように感じていたものが、春になり、夏が近づくにつれて、中波、小波に揺られているような感覚になってきた。

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7月も中盤から後半になると、いよいよ近づいてきたお盆を前に、ふたたび浜っ子たちとのメールのやりとりが始まった。

少し、驚いたことがあった。その間、エイコちゃん、マキちゃんのふたりも、それぞれに大変な日々を送っていたようだったのだ。原因は仕事のストレスだったり、身内のご不幸だったり、文面だけではそれがどれだけ辛かったのかはわからないけれど、おそらく相当なものだったことが感じられた。いくら元クラスメイトであっても、28年間、顔を合わせていないし声も聞いていない。そんな相手に、自分の辛い日常はなかなか打ち明けにくい。なんとなく連絡が途絶えていた期間、それぞれがそれぞれの現実に直面し、重たい気持ちを味わっていたのだ。そのちょっとした偶然に驚いた。「便りのないのはよい便り」というけれど、そうとも限らない。人生にはよいこととよくないことが半分ずつ起こる。よくないことに追い込まれているとき、沈黙してしまうことだってある。仕事に追われて非人間的な暮らしをしていたこの数ヶ月の間、僕はまたしても彼女たちが抱えていた苦しみのことを想像できなかった。そして僕が28年間、沈黙していた間にも、同じように彼女たちが、そして浜田の友達が、人生のなかで辛い思いを味わってきたことがあったのだろうと想像した。

でも、1ヶ月ぶりのメールで、彼女たちが決して楽しいことだけではない人生の側面を語ってくれたことで、ますます彼女たちに共感する気持ちが高まっていった。僕は、「辛いのは自分だけではない」というセリフを用い、他人の苦しみを利用して自分を慰めることは好きではない。だが、偶然にもほぼ同じ期間、彼女たちが辛い出来事を体験し、それを乗り越えようとしていたことを知って、すぐに内にこもり、自分だけが辛いのだと感じてしまうこの弱い心を恥ずかしく思うと同時に、もっと前向きにならなくては、元気にならなくては、と素直に思った。

実際、僕は元気をとり戻しつつあった。無理矢理自分は元気になったのだと思い込む必要も感じなかった。風邪を引いた子どもが回復するように、自然に元気になっているようだった。理由ははっきりとはわからない。だが「浜田でみんなに会える」という想いが、この元気の素になっているのは間違いない。

この時期に見つけてもらってよかったと思った。
一年前の自分なら、みんなと再会しようという気にはなれなかったかもしれない。そして、かつて経験したことがないような辛い時期を過ごしていた僕のことを浜田の友達が見つけてくれたのは、単なる偶然ではないような気がした。

日程も決まった。8月13日に浜田に入り、14日に小学校の校舎に集合。その後、先生のご自宅にお邪魔して、夜は同窓会。15日はエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃんたちとどこかに遊びに行く。16日の午後には浜田を去る。

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秘書・靖子さんからは、清君&靖子さん宅でご飯を食べ、夜は泊まっていってもかまいませんとのお言葉をいただいた。ちょっと図々しいかなと思って迷ったのだけど、お言葉に甘えてお邪魔することにした。13日、浜田入りした日の夜は、清君、靖子さん、そしてカペ君との会食だ! その次の日も、清邸に泊めていただくことになった。本当にありがたい。いくら昔仲がよかったとはいえ、28年ぶりに会う友達をいきなり自宅に泊めてくれるとは、やっぱり浜っ子っていい人だ。清君は懐が深い。

旅の準備を始めた。荷造りをし、電車の切符を買った。着替え、カメラを鞄に入れた。浜田でも時間があったら走ってみたい。そう思って、普段用の靴としても兼用できるような、ちょとと洒落たデザインの、オレンジのジョギングシューズも買った。もちろん、先生にもらった辞書も、持って行く。


――8月13日、僕はあの頃の自分に会いに行く。


ヒョードル戦を目の前にしたミルコ・クロコップのような心境で、僕は出発前夜を迎えた。



第1章「時空を越えたメール」 ~完~ 



(※いつのまにか第1章 笑。明日から第2章「浜田へ」と題して書きたいと思います)

(続く)

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
タダで! (捨て猫マリオ)
2009-08-26 21:44:32
いやぁ、こんなストーリーを無料で読ませてもらえるなんて!イワシさん、作家として執筆したほうがいいですよ!
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第1章と言えばロード (たら)
2009-08-26 22:33:31
私なら「由美ちゃんから教えてもらったブログのイワシさんにメールしてみたらやはり児島君でした。お盆にみんなで再会することになりました…まる」としか書けない。それが一つの章ができる程に、素晴らしい!!

その7の写真は全員変顔してるんよね。当時そんな言葉なかったけど、先生の案で。みんなそれぞれめいっぱいやってます。あの頃はとにかく何でも一生懸命だったよな。
これと前後して撮ったもう一枚は全員真顔。この発想が景山先生だし、楽しくて仕方なかった。必死に笑いをこらえたけど半笑いになったよ。
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過去ログよんだよ。 (ゆみ)
2009-08-26 22:46:55
ま、読まないとこの人だ!ってならないんで。
ノーイメージからピグレットへ、写真も増えて・・・本当に・・(略)
しかし、きよしくんほんまにえらい。
かわらない笑顔ですぐわかったなー。
そうそう、あたしも浜田にかえれないかも事件があったのに・・・無事帰れてよかったよ。

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いえいえ (iwashi)
2009-08-27 00:29:46
マリオさん

コメントありがとうございます! 以前コメントをいただいたマリオさんにもこのシリーズを読んでいただいていたと知り、とても嬉しく思います! 作家だなんてとんでもないです。たいしたことは書けませんが、浜っ子の魂に導かれるようにして続きを書いていきたいと思います。
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もう限界 (iwashi)
2009-08-27 00:31:33
もうプロローグでひっぱるのは限界に感じたので(笑)強引に1章としてくくってみました。でも、こっちを出発して、浜田に到着するまでが長かったんだなこれが。2章も長くなりそう
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清君夫妻はすごい! (iwashi)
2009-08-27 00:33:44
普通、28年会ってない友達をこころよく泊めたりはできない。そのときは電話でも話をしてなかったのに。清君夫妻の人間の大きさに今更ながら感動してます。そして由美さんにも、このタイミングでこのイワシブログを見つけて貰って本当に感謝してます。嘘みたいに出来すぎたタイミングだったよね!
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そうだよね。 (ゆみ)
2009-08-27 08:16:09
里見八犬伝みたいによばれたか?
さーて今日もはりきっていこう。
まだまだいいことあるぞ!
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発見伝 (iwashi)
2009-08-28 18:59:00
ゆみちゃん

返事遅れてごめん!!書いてたつもりだったのに。八犬伝が出てくる当たりがさすが図書館の本をすべて読み尽くした女! 恐るべし。

「風の又三郎」今日買って吉祥寺のカレーやで一気読みした。小さいとき呼んだ記憶あるけど、こんな話なのかと思ってちょっと意外だった。先生がこの話思い出してくれたの、俺たちのことも少し頭にあったのかな~なんて思った。読んだら長浜小の光景が浮かんできたよ。
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又三郎 (ゆみ)
2009-08-28 21:57:23
あたしもよんだよ。あたしも自分の記憶とすこしずれてたよ。
賢治の擬音すごいね。
あとさー栗の木がなんどもでてきたけどなんか意味あるのかねえ。
先生、転校生は男っちゅー話だったからこっちゃんいいなーっておもったよ。
しかし、きょーれつな複式学級だよねー。1年から6年までおるって。
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残された人たち (iwashi)
2009-08-28 22:51:37
又三郎は、転校生の視点じゃなくて、転校生を受け入れる側の視点で書かれている。突然きて、去って行く転校生を受け入れる地元の生徒もまた、何かを失っていく寂しさを強く感じていたのだなあということが実感できたよ。由美ちゃんもオレも転校生だけど、転校生だからって、自分だけの境遇を嘆いていてはいけないんだなあって思った。名作だね。
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