小さな村にある小さな小学校に風のように現れ、地元の生徒たちの心に様々な印象を与えて、また風のように去って行った転校生の又三郎。僕は転校生だったから、よく「お前は転校生か、風の又三郎やな」みたいなことを言われたものだ。たぶんこの地方でずっと教師を続けてきた先生にとっても、数年間だけその地域に暮らし、突如として去って行く生徒たちのことが、又三郎のように見えていたのかもしれない。少々こじつけだけど、だから先生は又三郎のことを思い出したのだろうか。
僕にとって、地元で生まれ育ち、確固とした故郷がある人たちの気持ちがいまでも実感として上手く味わえないのと同じく、地元の友達にとっても、転校生であることがどういうものなのかは上手く想像出来ないものなのかもしれない。今回の旅を通じて、僕はあらためてそんなことを感じた。自分が転校生という少数派の存在で、それによって辛い思いをしたりすることもあったのかなあとは思っていた。だけど、この童話が雄弁に物語っているように、友達を見送る方の地元の仲間たちにとっても、別れはものすごく辛く、寂しいものであり、大きな喪失感を味わっていたのだということが理解できたような気がした。だからこそみんな、こんなにも暖かく僕のことを迎え入れてくれたのだろう。これまでの自分のものの見方が、とても偏ったものであることに気づかされた。また先生に大切なことを教わったような気がする。
すでに先生のご自宅にお邪魔してから、一時間ほどが経過しただろうか。エイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん、紀子ちゃん、みんなそれぞれ先生との思い出を反芻しているに違いない。誰にとっても、先生は特別な存在だ。自分と先生の間だけにある、特別な絆のようなものがあるはずだ。
先生は表情をほころばせて、暖かく教え子たちのことを受け入れてくれた。僕たちは先生に再会できることで感激し緊張もしていたけど、先生は大人になった僕たちが目の前にいることを、当たり前のように受け止めてくれた。僕たちもずいぶん年は取ったといえ、まだ先生が生きた時間の半分に到達したかどうかの位置にいる。僕たちの二倍の長さを生きてきた先生の目には、教え子たちは今どんな風に映っているのだろうか。それは今の僕たちにはまだわからないことだ。まだまだ人生の折り返し地点。先生と同じだけの長さを生きたとき、僕たちには今日の日の先生の気持ちがわかるのかもしれない。かつて子供だった僕たちが、大人になった今、あの頃の先生の言葉の意味を噛みしめることがあるように。先生の優しげな表情の後ろで、長い人生の様々な思い出が駆け巡っているように思えた。
名残惜しいけど、そろそろ帰らなくてはならない。お礼を言って、家を出た。お体の具合のこともあり、普段は客人を玄関で見送るという先生が、靴を履いて表に出てきてくれた。奥さんが少し驚きつつも嬉しそうに、これは珍しいことなんですよ、と言った。
先生はそのまま、駐車場のところまで僕たちを送っていくと言う。奥さんはさらに驚いていたけれど、先生の意志を尊重し、ふたりで手をつないでゆっくりと歩き出した。先生にとってはちょっとした冒険だ。
僕たちの少し先を行く先生と奥さんの後ろ姿が、とても美しく感じられて、はっとした。夕暮れ時の柔らかな陽射しが、ふたりを照らす後光のようで、まるで手をつないだ先生夫婦が別世界にいるように感じられた。ふたりが歩んできたこれまでの長い人生を表しているようで、あまりにも神々しくて、僕たちは圧倒された。
駐車場に着くと、みんなで写真を撮った。ひとりひとり先生と握手をした。先生、ありがとうございました。それしか言葉が見つからない。会えてよかった。本当によかった。またいつか会う機会はあるかもしれない。だけど、その機会に期待してはいけない。今日この日、先生と会えたことに感謝し、しっかりと手を握りしめた。僕は東京に戻って、これからまた自分の道を歩んでいきます。先生の教え子であることを誇りにして。ありがとうございました。
奥さんが握りしめるようにしてひとりひとりと握手をしている。僕も握手をした。奥さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。みんなも感極まっている。車に乗り込み、マキちゃんが走らせ始めた車の窓から、先生夫妻に向かって手を振った。先生が、おどけた様子で、マキちゃんに「オーライオーライ」と合図を出している。その様子があまりにもおかしくて、みんな涙が止まらないのに、思い切り笑った。奥さんも涙を流しながら笑っている。さようなら、先生。さようなら、奥さん。さようなら。マキちゃんがカーブを曲がると、ふたりの姿は見えなくなった。
*******************************
暮れ始めた江津の町を、5人を乗せたマキちゃんのヴァンが走り出した。先生に会えて本当によかったね。興奮しながら口々にそう語る僕たちは、ついさっき28年ぶりに再会したばっかりだということも忘れて、懐かしい思い出を語った。6時からは、浜田駅の近くのレストランで男子たちと合流し同窓会をする。清君が段取りをしてくれたのだ。盛りだくさんの一日のフィナーレを飾る、楽しみなイベントだ。
僕たちは過去の世界のぬくもりを確かに感じ、先生への感謝の気持ちを新たにした。僕たちはあのとき先生からもらった大きな愛情に、今もしっかりと守られている。車は浜田に向かって快調に走っていく。だがそれと同時に、忘れ物をしっかりと取り戻したという思いに包まれた僕たちは、自分たちが住むそれぞれの世界に向かって、明日に向かって、また走り始めたような気もしたのだった。
第3章 「再会 ~学級の歌~」完
(続く)
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僕にとって、地元で生まれ育ち、確固とした故郷がある人たちの気持ちがいまでも実感として上手く味わえないのと同じく、地元の友達にとっても、転校生であることがどういうものなのかは上手く想像出来ないものなのかもしれない。今回の旅を通じて、僕はあらためてそんなことを感じた。自分が転校生という少数派の存在で、それによって辛い思いをしたりすることもあったのかなあとは思っていた。だけど、この童話が雄弁に物語っているように、友達を見送る方の地元の仲間たちにとっても、別れはものすごく辛く、寂しいものであり、大きな喪失感を味わっていたのだということが理解できたような気がした。だからこそみんな、こんなにも暖かく僕のことを迎え入れてくれたのだろう。これまでの自分のものの見方が、とても偏ったものであることに気づかされた。また先生に大切なことを教わったような気がする。
すでに先生のご自宅にお邪魔してから、一時間ほどが経過しただろうか。エイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん、紀子ちゃん、みんなそれぞれ先生との思い出を反芻しているに違いない。誰にとっても、先生は特別な存在だ。自分と先生の間だけにある、特別な絆のようなものがあるはずだ。
先生は表情をほころばせて、暖かく教え子たちのことを受け入れてくれた。僕たちは先生に再会できることで感激し緊張もしていたけど、先生は大人になった僕たちが目の前にいることを、当たり前のように受け止めてくれた。僕たちもずいぶん年は取ったといえ、まだ先生が生きた時間の半分に到達したかどうかの位置にいる。僕たちの二倍の長さを生きてきた先生の目には、教え子たちは今どんな風に映っているのだろうか。それは今の僕たちにはまだわからないことだ。まだまだ人生の折り返し地点。先生と同じだけの長さを生きたとき、僕たちには今日の日の先生の気持ちがわかるのかもしれない。かつて子供だった僕たちが、大人になった今、あの頃の先生の言葉の意味を噛みしめることがあるように。先生の優しげな表情の後ろで、長い人生の様々な思い出が駆け巡っているように思えた。
名残惜しいけど、そろそろ帰らなくてはならない。お礼を言って、家を出た。お体の具合のこともあり、普段は客人を玄関で見送るという先生が、靴を履いて表に出てきてくれた。奥さんが少し驚きつつも嬉しそうに、これは珍しいことなんですよ、と言った。
先生はそのまま、駐車場のところまで僕たちを送っていくと言う。奥さんはさらに驚いていたけれど、先生の意志を尊重し、ふたりで手をつないでゆっくりと歩き出した。先生にとってはちょっとした冒険だ。
僕たちの少し先を行く先生と奥さんの後ろ姿が、とても美しく感じられて、はっとした。夕暮れ時の柔らかな陽射しが、ふたりを照らす後光のようで、まるで手をつないだ先生夫婦が別世界にいるように感じられた。ふたりが歩んできたこれまでの長い人生を表しているようで、あまりにも神々しくて、僕たちは圧倒された。
駐車場に着くと、みんなで写真を撮った。ひとりひとり先生と握手をした。先生、ありがとうございました。それしか言葉が見つからない。会えてよかった。本当によかった。またいつか会う機会はあるかもしれない。だけど、その機会に期待してはいけない。今日この日、先生と会えたことに感謝し、しっかりと手を握りしめた。僕は東京に戻って、これからまた自分の道を歩んでいきます。先生の教え子であることを誇りにして。ありがとうございました。
奥さんが握りしめるようにしてひとりひとりと握手をしている。僕も握手をした。奥さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。みんなも感極まっている。車に乗り込み、マキちゃんが走らせ始めた車の窓から、先生夫妻に向かって手を振った。先生が、おどけた様子で、マキちゃんに「オーライオーライ」と合図を出している。その様子があまりにもおかしくて、みんな涙が止まらないのに、思い切り笑った。奥さんも涙を流しながら笑っている。さようなら、先生。さようなら、奥さん。さようなら。マキちゃんがカーブを曲がると、ふたりの姿は見えなくなった。
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暮れ始めた江津の町を、5人を乗せたマキちゃんのヴァンが走り出した。先生に会えて本当によかったね。興奮しながら口々にそう語る僕たちは、ついさっき28年ぶりに再会したばっかりだということも忘れて、懐かしい思い出を語った。6時からは、浜田駅の近くのレストランで男子たちと合流し同窓会をする。清君が段取りをしてくれたのだ。盛りだくさんの一日のフィナーレを飾る、楽しみなイベントだ。
僕たちは過去の世界のぬくもりを確かに感じ、先生への感謝の気持ちを新たにした。僕たちはあのとき先生からもらった大きな愛情に、今もしっかりと守られている。車は浜田に向かって快調に走っていく。だがそれと同時に、忘れ物をしっかりと取り戻したという思いに包まれた僕たちは、自分たちが住むそれぞれの世界に向かって、明日に向かって、また走り始めたような気もしたのだった。
第3章 「再会 ~学級の歌~」完
(続く)
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ところで、夫いわく、こっちゃんが転校生だから温かく受け入れたわけではなく、こっちゃんだから、ということです。人間性の問題だよって。大好きな友達が、会いに来るって言えば、何十年ぶりだろうと、うれしくて、ドキドキしながら待つでしょ。それだけです。
妻の私も全く同感です。こっちゃんだから、みんな待っていたのです。近くにいても、疎遠な人はいますしね。私たちは、いつでもウエルカムなのです。
今日は夫婦で登山しました。気持ちよかったですよ~。空気がおいしい感じがしました。今度島根に来られることがあれば、一緒に登山したいですね。
今後のお話も楽しみにしています。
いわし君のブログを通して幼い時代の娘の様子を初めて知る事ができ新鮮な気持ちで愛読しております。
こんなに、浜田を愛している人がいることを大変嬉しく思います。
これからも、楽しみにしております。
ありがとうございます(涙)。30年近くも経って、こんなにもみんなを身近に感じられるようになるなんて、本当に嬉しい限りです。僕も、清君やかぺ君のことが大好きだったから勇気を出して会いに行こうと思うことができました。
子供の頃の自分の気持ちが今もまだ生きていて、友達とそれを共有できる。こんなに嬉しいことはありません。本当にありがとう!
登山お疲れ様でした。これからの季節、登山がますます楽しくなりますよね~!僕も来月高尾山に行ってきます!
コメントありがとうございます。
ブログを読んでいただきとても嬉しいです。
makoさんには本当によくしていただきました。浜田に帰ることができたのも、makoさんやエイコちゃんたちのおかげです。本当にありがとうございました。
お母様に見ていただいていると思うとなんだかすごく恥ずかしいです(^^)つたない旅行記ではありますが、みなさんへのせめてもの感謝の気持ちとして、最後まで書き続けてみたいと思います。とっても素敵なmakoさんの魅力をもっと上手く伝えられるように頑張ります!