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近江八幡 3 たねや

2017年12月28日 | 日記

たねやさんは、近江八幡が本店となる和菓子屋本舗ですが、全国にチエーンを持つ大きなお店です。

近江八幡市にもいろいろな施設を構え、八幡市の雇用や観光客集客に貢献しているようです。

新市街地にある本店は、近代的な立派な店構えですが、彦根のお店、近江八幡日牟禮ビレッジにある店構えは本当に良く似ています。

***彦根のたねや***

 

***近江八幡 日牟禮のたねや***

 

ほんの数年前まで、近江八幡の観光スポットだろう思われる日牟禮八幡宮境内周辺には、残念ながら食事が摂れるところはほとんどありませんでした。

ただ一か所、和菓子本舗の「たねや」が本舗内に食事のできるスペースを持っていました。

他に食事処がないため、好むと好まざるとにかかわらず、この近辺ではこのたねやでの食事になってしまいます。

 

このたねやさんの提供する食事、けっして不味いわけではありません。

手軽な麺物からしっかりした料理まで提供されていたので、観光客としては非常にありがたいお店でした。

 

今回、食事をと思いたねやに向いますと、途中でうどんはこちらでとの呼び込みの声が・・・

「おや?」と思ったのですが、ともかくたねやで順番待ち。

 

ここのお食事処は、いつも盛況で待たされる事が普通です。

さて、案内されて二階の部屋に入ると、「あら?」以前と勝手が違います。

 

以前は、座卓テーブルが置いてあり、お座りでの食事でしたが、今回はすべて椅子仕様のテーブルになっています。

 

このテーブルが半端な高さゆえに、椅子も半端な高さで座り易いとはとても言えません。

出されたメニューを見てまたビックリ!!

なんと、麺類は皆無です。

かなり大幅にメニューが変わったようです。

 

事前に確認をすればよかったのですが、以前の先入観で手軽な食事があるものだと思っていました。

 

で、メニューの中で一番リーズナブル(1,600円)な品物を頼みました。

昼食の軽食にはちょっといい御値段ですよね。

 

料理は栗おこわなんですが、他に使われている料理の材料をみても「んんー」と唸るところですね。

 

初めて入られる方は、こんものかとお思いですが、以前のたねやを知っている方は、この変わりようにちょっと古いですがビックリポンですね。

 

これで、途中でうどん屋さんの呼び込みがあった事に納得がいきました。

すなわち、この周辺に食事どころが、たねやの他にもできたということなんですね。

 

 

さてさて、今年のブログはここまでです。

近江八幡はまだまだ記事がありますが、来年にしようと思います。

 

今年もつたないブログにお付き合いいただきありがとうございました。

来年がよい年でありますように。

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近江八幡 2

2017年12月22日 | 日記

白雲館を出て、おそらく近江八幡市の旧市街地になるのだろうと思われる、あきんど道の碑の立つ通りを散策しました。

この「あきんど道」近江商人と謂れから付けた通り名なのでしょうね。

目的は、市立郷土資料館に行きたかったので、白雲館から出て左に折れると近いのですが、せっかくの機会ですので、ちょっと散策といった思いで右に折れ「あきんど道」に沿って歩きます。

 

散策ルートにしても、それ程の距離ではないはずでしたが、一本通りを奥に行き過ぎたようでなかなか周りの風景が資料館のあるイメージになりません。

 

通りは結構情緒がある街並みになっています。

これは、いい感じで古い家屋が残されているからなのでしょうね。

私は一度訪れたところですと、大体町のイメージを覚えていますので、2回目以降は感覚で以前来たところか否かを感じる事ができます。

 

歩いている時間からすると、とうに資料館が見えているはずです。

近江八幡のあきんど道商店街の構成は、碁盤の目のはずですので、迷うはずがないので、目的が見えないとなれば、散策が右に折れての始まりですので、右に折れ、右に折れと歩くと、歩き始めた通りへと出るはずです。

 

途中、旧市街地観光案内図の看板を見つけ、やはり一つ通りを奥に来ていることが分かりました。

そして、この通りを掘割方面に歩くと資料館に出ていきます。

 

市立郷土資料館へは、一度目は休館日をホームページで調べてい行きました。

結果、当時「月曜」となっていましたので、火曜に行ってみると休館日、「エッ!!」です。

隣の交番に聞いてみると、休館日が変わったようですよ?

ならばと、二度目は月曜日に行くと、またもや休館日、「エッ!!」。

二度目の時は休館日を調べていなかったのですが、あわてて確認すると確かに月曜休館日となっています。

一度目の火曜の休館日の時には、観光地の資料館は普通は月曜が休館日なので、火曜との事で驚いたのですが、月曜に戻したんですね。

 

「オイオイ休館日をそうそう簡単に変えるなよ」といいたいところでした。

さて三度目の正直、今回は修復工事中で閉館「エッ!!」。

 

近江八幡の郷土資料館、是非見学したかったのですが、三度来て三度とも蹴られました。

 

歳を考えると、おそらく今後近江八幡を訪れる事は難しいかなと、「んんーー」この資料館には縁がないなと実感しました。

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近江八幡 1

2017年12月20日 | 日記

今回からこの旅の戻り行程に入りますが、高月から琵琶湖線をとおり京都までとなります。

この日、予報では、朝方まで雨との事でしたが、朝食をとるまでは結構な雨足でした。

おやおや、これは雨に当たるかなと思いましたが、旅館をでる頃には折りよく雨があがりました。

いや~~当たることもあるんですね、天気予報。

ただ、他の町もこの状況とは限りません。

雨でなければ、近江八幡に立ち寄ろうと考えていました。

この町は、雨宿りができる観光施設が少ないので、天候が悪いと雨の中を歩くことになってしまいます。

どうやら天気は持ち直しそうで、近江八幡で途中下車です。

近江八幡は、以前に京都からタクシーを使って二度ほど訪れました。

近江八幡の観光スポットとなると、日牟禮八幡宮の境内から見られる掘り割りの風景でしょう。

まずは荷物を駅のコインロッカーに預け出発です。

後で、この荷物のコインロッカー預けが笑い話になるのですが・・・

駅から日牟禮八幡宮へ向かうのは初めてですが、失礼ながら街の模様は意外と近代的です。

タクシーの運転手の方と話しますと、やはり最近になって所謂新町のような市街地が開発されたとの事で納得です。

信号機の住所表示が、中村町と名の付いたあたりから少しづつ古い建物が目に付くようになってきました。

この付近から旧市街地となるのでしょうか。

 

中村町を過ぎ少し走ったところで、大きな通りから横の細い通りに曲がると一気に町並みが変わります。

伝統的建造物保存地区のような、古い町並みになってきますが、すぐに日牟禮八幡宮の鳥居前に出てきます。

タクシーはここまでで、ここで下車します。

鳥居をくぐると橋の下は、掘り割りです。

両岸は桜並木ですが、さすがに冬枯れで閑散とした風景になっています。

まずは、近江八幡が初めての方も同行していましたので、鳥居の正面に立っている白雲館から見学です。

白雲館は明治に建てられた擬洋風建築ですが、がっちりとした見映えのする建物です。

当初は学校としての建築だったようですが、その後いろいろな使われ方をしているようです。

現在、この館のなかは観光案内やらおみやげ物の販売やら、ごく普通の趣ですね。

 

二階に上がることができますが、ギャラリーで使うとか、休憩場とかのようです。

二階の窓から日牟禮八幡宮の鳥居が正面に見えます。

奥に見える山が八幡山で、豊臣秀次が天守を築いていたところになります。

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高月観音堂 大円寺

2017年12月16日 | 日記

忘れるところでした。

私どもの宿は、JR高月駅から徒歩で4,5分のところにあります。

気さくでいつも元気な女将さんと、娘さん、そして料理を担当するご主人といった感じの旅館です。

 

どちらかというと、観光客が相手の旅館ではないようです。

泊り客の殆どが仕事のためので、連泊の方々が多いようです。

何といっても、ここは宿泊料金がとても安いです。

朝夕2食、その2食のかなり工夫されている料理でとても豪勢です。

それでも料金は安いのです。

ですからお客さんがいつもいっぱいといった感じです。

 

ただ、洗面所のお湯が出ません。トイレは男女共用で洋式もありますが、和式のほうが多いです。

男女共用ですので女性のなかには、ちょっと引く方もいるかも知れませんね。

お風呂はもちろん、男女別々ですよ。

それでも湖北を回りたいという方には、このお宿をお勧めします。

 

旅館の周辺には、駅が近いというのにお店らしきものが全くありません。

必要な小物は、あらかじめ忘れないようにしておかなければなりません。

 

この旅館のすぐ傍、歩いて1,2分の所に高月観音堂と呼ばれる大円寺があります。

湖北の観音様は、多くのお堂が撮影ができます。

 

この周辺で撮影禁止なのは、大円寺奥側にある渡岸寺の十一面観音立像、日本一美しいといわれる観音様ですが、ここは撮影禁止です。

 

高月観音堂を訪れるのは、本数の少ない電車の待ち時間に十分見る事ができますので、毎度帰り工程に朝になります。

 

このお堂も所謂住職といわれるお坊さんが常駐しているわけではありません。

でお堂を守る担当の方が管理しています。

 

管理されている方のお話によると、この堂は現在真言宗のお寺とか、でも管理されている方は真宗教徒だそうで、こんな感じでお守りしていますと笑っておられました。

時代と共に、本尊様をお守りできないお堂もでてきて、そのようなお堂の仏像をもお預かりしているとの事でした。

**** 綺麗な弁財天さまですよ *****

***この毘沙門天、なかなかのイケメンなんです*****

**** どうどうたる風格の不動さんです ****

 

確かに、お堂の中には、本尊様はじめ、弁財天、毘沙門天、不動明王、阿弥陀様と多くの仏様が鎮座しています。

 

本尊様は、十一面千手観音立像ですが、昨年は修復のためありませんでしたが、今年は戻ってきてました。

 

*** 仏像は見る角度によって表情が変化します ***

 

 

この本尊様は寄せ木造りと説明されてましたが、間近で見ましたが継手は殆どわかりませんでした。

かなりしっかり作られているようです。

また彩色をしていませんので、木が持つ非常にきれいな色で室町時代の仏像という感じを受けません。

 

火除けの観音様として知られていますが、今回も火難除けのお札をいただいて参りました。

 

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彦根城

2017年12月14日 | 日記

今回は彦根城になります。

彦根は、多賀大社から長浜経由で高月まで戻る途中になります。

彦根城は現在でも大きな堀に囲まれていますが、以前は外堀もありもっと大きな面積だったかと思います。

お城の周囲をじっくりと見て回る時間は有りませんので、まずはお城を目指します。

彦根というと、ユルキャラのひこにゃん。

ひこにゃんが待機する時間は決まっているようで、お城の入り口に時間割が書かれています。

時間が合わないので、ダメかなと思っていましたが、いました。

ちょうど出番の時間も終わる頃立ったようですが、表から遠目に見ることができました。

拝観受付の処をくぐるとすぐに緩やかな石の階段が現れます。

緩斜面の階段と思うと大間違いで、登って行くとこれが結構きつい。

それもそうです。

ここはお城、戦いになるといわば砦になるところ、そう簡単に登られては敵からの防御ができません。

この階段先には堀切になっており、太鼓丸と鐘の丸にかけられた掛け橋にでます。

いざとなった時は、この掛け橋を落とし敵の侵入を防ぐことになります。

掛け橋から堀切を見ると結構な高さであることが分かります。

息を切らしながら参道を登り切ると、彦根城が現れます。

形の整った綺麗なお城です。

彦根はもともと、石田三成のお城である佐和山城があったところですが、関ヶ原のあと、ホレ今NHKで放映しているドラマに出てくる井伊直政が18万石で入ります。

関ヶ原の戦いの布陣。

世界の軍事専門家に聞くと、西軍の布陣は東軍に負けないとジャッジする方がほとんどですが、勝てば官軍です。

井伊直政は賊将とされた三成の佐和山城を嫌い、現在の処に築城したと云われています。

お城は天守まで見学できますが、途中の階段がものすごい急峻です。

結構な年輩の方々も上っていましたが、見ていると人ごとながら足下が心配になります。

階段というより、梯子と思った方がよいかも知れません。

天井を支える梁や柱の太さはさすがと感心するほど太い材木です。

こうでなければ、現在までもちませんね。

 

お城からは琵琶湖をも一望できます。

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