うるう年で2月は明日29日まで。
不思議なことに3月と聞くと春がすぐ近くといった感じになります。
新しい月が巡ると、少し騒がしくなるかも知れませんね。
写真を整理しているとこんな写真がでてきました。
平成の大修理完成で特別に撮影が許可になったときのもので、現在はたしか撮影禁止かと思いました。
うるう年で2月は明日29日まで。
不思議なことに3月と聞くと春がすぐ近くといった感じになります。
新しい月が巡ると、少し騒がしくなるかも知れませんね。
写真を整理しているとこんな写真がでてきました。
平成の大修理完成で特別に撮影が許可になったときのもので、現在はたしか撮影禁止かと思いました。
日蓮上人730回忌を迎え、昨年来から日蓮宗のお寺の多くが改修工事中であった。
妙蓮寺もその中のひとつで本堂が改修中、名が知れた御会式桜の存在も薄れがちであった。
よく見ないと分からないような小さな花びらで、おそらく今頃が満開の時期に相当するのであろう。
写真ではご覧のとおり、本堂改修の影に埋もれそうである。
んな訳で本堂は諦め、庫裏へと向かう。
日蓮宗では寺務所と呼ぶようだ。
時期が観光のオフシーズンという事もあり、建物内はほとんど人気がない。
建物内には襖絵に四季を描いた部屋があったが、そこは撮影禁止。
ところが、思いもよらず庭が・・・・
十六羅漢の石庭だという。
禅宗でなく日蓮宗で十六羅漢とはこれまた妙な感じであるが、作庭者は桂離宮造営指示の玉淵坊。
見た感じ、かなり新しい印象を受けるのでおそらく復刻版でしょう(笑
妙蓮寺境内を歩いて印象に残ったのは、宿坊であったであろう小さなお寺から聞こえてきたジャズの音色でした。
ちょっと寄り道になりますが、東大寺二月堂です。
2月も下旬に入りましたが、3月には二月堂のお水取り、そして春を迎えるのが関西風?
東大寺の参道を、鹿をお供に右へ歩みを進めると三月堂(法華堂)があり、その奥に二月堂があります。
私的には大変端正な形のお堂かと思います。
大仏殿の大きさには驚かされますが、こちら二月堂の趣にはググッと心を惹きつけられます。
お堂としてはかなり大きな建造物です。
どうも察するところ、この頃の寺院建造は大きさが権力の象徴であったのでしょう。
しかし、この木造の建造物で大松明の火を振りかざすのだからよく火災にならないものだと驚いてしまう。
もっとも、お水取りが原因で焼失した事があるようだが、それもわずか一度の事のようである。
残念だがお水取りを実見した事はないが、一度見て見たいものである。
このブログは京都旅ゆきのブログであるが、その出発点となっているのは奈良慈光院なのである。
小生社寺仏閣巡りは好むが、かといって、いかに有名人だろうが歴史上の人物だろうが、墓巡りのような事はまったく興味がない。
しかし、たまたまついでという事ある。
この紫式部の墓もそうである。
あえて行こうと思い行ったわけではなく、たまたまそこにあったので覗いて見た程度である。
「本当に??」と思ってしまうほどの在りようなのだが、一説には信憑性は高いという。
今日からすると、紫式部は平安時代のカリスマ的人物かと思うのだが、この墓所を見ると果たして当時の評価はどうだったのだろうか。
かって、雲林寺境内に含まれていたといわれるが、すぐ傍の寺院は廃寺のようである。
なんとも妙な気分になってしまう墓所である。
いわずと知れた東寺です。
京都というと、東寺の五重塔を思い起こす人も多いのではないでしょうか。
世界文化遺産ですから、所蔵する寺宝は数知れず。
南大門・三十三間堂から移築したもの
京都は女性グループの観光客が多いですね
よく庭の京都、仏閣・仏像の奈良と聞きますが、ここ東寺にはかなりの数の仏像が所蔵されています。
京都のお寺としては、やはり珍しいかと思います。
また、空海が嵯峨天皇からこのお寺を下賜されたことから、真言密教にかかる資料の宝庫です。
大師堂(国宝)です
先に書きましたが、当時には五重塔が二基あります。
ひとつは高さ55mを誇る有名な大きな五重塔、もうひとつは宝物館に展示されている160cmの五重小塔です。
宣陽門院の寄贈とされていますが、京都の五重塔の一基として正式にカウントされています。
東寺を訪れた時には忘れずに。
雪の東寺は絶景かと思いきや、境内が広いためかどこか肩透かしにあった感じでした。
雪の五重塔を遠くから眺めるのが一番いい光景かもしれません。