大河も遠くなりにけり 寺田屋

2011年02月24日 | 日記

インフルエンザが猛威を奮い出した。我が職場でも相当数の人が休んでいる。かくいう当方もインフルエンザではないようだが、すっかり風邪で寝込んでしまった。

 

そこで、昨年の大河ドラマゆかりの寺田屋で少しとりつくろい。

 

***相変わらずの人気***

***京都見回り組かと思いきや ***

 

 

いきなり話がそれるが、大河ドラマと名がつくのはおそらく、放送期間が大きな川の様に長い事に由来するのであろう。これまでNHKが放映するこの手のドラマは、時代考証もしっかりと固められ、ひとつの時代を眺めていくには好都合で有ったのだが、昨年の龍馬伝あたりから雲行きが怪しくなってしまった。

 

時代背景はまずおいておき、ややもすれば派手で目立つところを作り出す。さらに最悪であったのが映像である。担当の技術者は映像スキルをはき違えているのではないかと思ってしまった。毎回のように、画面全体を逆光とし、あのブルーがかった光で霞のように覆ってしまった画面の見にくさには閉口してしまった。

 

ところで今年はというと、2年前篤姫を脚本した田渕さんの原作とのこと??「おや?この人、歴史は全然だめだったのでは?」と思っていたら、突然とんでもない展開になってしまった。こうなったら、もう歴史もへったくりもなんにもなし。逆になんでもありなのである。年齢9歳と思われる姫が馬を走らせる、安土城を走り回る、軍議に口をはさむである。

 

当時の子女がかなりの制約の中で生活を強いられていたのは常識的な考えである。NHKの大河ドラマの質もここまで落ちてしまったようである。もはや歴史考証のひとつとしてのツールとしては、使えないようである。懸念するのは、若年の方々がこれを正当の歴史と思ってしまわないかということである。ドラマの冒頭にあくまでもフイクションで有ることをうたった方がよいように思う。

ところで、寺田屋であるがさすがに龍馬人気は衰えるところを知らない。まぁ通年でも人気のある人物であるがいつも見物の人で列をなす。どうもみていると旅籠自体に人気が集中しているようである。

2年前にも物議を醸しだしたが、現在の寺田屋は頭に「伝」の字が付くと思った方がよいようである。刀傷などあるが、それがどの時々のものかは定かではないようである。通常であれば表から旅籠の玄関をくぐり二階へと回るが、この時はすごい人の混みようで、庭にも見物の人が列をなしていた。

庭には小振りな竜馬の銅像や、寺田屋の歴史ゆかりの記念となる品々がおかれているの、だが、だが、まず驚く事にこちらを散策しようなどとする仕草の見物客は皆無である。おそらく持ち帰ったパンフを見て、「ん、こんなんあった?」となるのであろう。

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京都冬景色

2011年02月13日 | 日記

年末年始の雪模様から始まり、今年は西日本も雪が多いようである。

春秋の花模様に彩られる京都もいいが、やはり京都観光で絶品といえば雪景色であろうと思える。

モノトーンに包まれる風情は、なかなか味わい深いものがある。

昨年も取り上げてはいるが、幾つかをまとめてアップしてみた。

今年は、まだまだ雪景色を見られる機会がありそうである。

法然院山門の雪景色である。

この山門の風景は、とにかく風情がある。

足利義政が建てた東山山荘にはじまる銀閣寺。

東山の高台から眺める雪景色は、当方にとってはめったに出会うことができない。

大原の里に佇む宝泉院。

盤桓園と呼ばれる庭園が、額縁となって名のとおり立ち去りがたい思いをつのらせる。

同じ大原の里にある三千院門跡、往生極楽院阿弥陀堂の参道。

なんともいいがたい童地蔵の姿である。

宝ヶ池の近くにある蓮花寺である。楓の枝が雪に垂れる。

桜、紅葉の時期は大勢の人で賑わうが、冬は訪れる人もまばらである。

書院からみる雪の庭園、入船はなにを伝えようとするのか。

なんといってもネームバリューは京都観光屈指の観光寺院、清水寺。

奥の院。

子安塔と、みごとな雪景色を奏でる。

ライトアップは、ねねゆかりの高台寺である。

開山堂からお霊屋へと臥龍廊が伸びる。

ほとんどの雪は、淡雪のように消えてしまう。

それだけに、目にとどめる時間もまた過ぎ去るのが早い。

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節分 廬山寺

2011年02月04日 | 日記

いつも1月という月は長く感じるが、今年も節分が終わり立春を迎えた。

節分というと京都では吉田神社が有名であるが、もうひとつ紫式部ゆかりといわれる廬山寺がある。

 

 

寺町通り沿い御所梨神社の隣にある天台宗の寺院である。

 

廬山寺の前身は元三大師良源によって北山に創建されたとされる。後、歳月を経て豊臣秀吉の寺町改修により現在地に移転されたとされる。

 

創健者である元三大師の鬼退治の逸話から現在も続く伝統行事が節分祭の追儺式が「鬼の法楽」である。

 

この行事では紅白の餅や豆を投げて鬼を追い払うものであるが、いわゆる邪気払いなのであろう。

 

近代にはいり考古学者によりこの廬山寺は、紫式部の邸宅跡とされ最近では源氏物語ファンが訪れる機会も多いようである。

2008年も源氏物語千年紀には多くの源氏物語ファンが訪れたことであろうが、境内や本堂は源氏物語一色で包まれている。

 

 

 

 

本堂前には桔梗が植えられた「源氏の庭」が広がり、時を一瞬平安へと戻してくれる。

 

 

 

ところで、節分は陰暦を使用した24節気のひとつであるが、現在では太陽暦を使用するため感覚的に1カ月ほどのタイムラグあるためピンとこない。もし時間があるならば、いちど陰暦の暦に目を通してみるとよい。24節気の感覚は、実によくできていることに気づくはずである。

 

さてさて節分の豆まきであるが、どうも昔の人は鬼門を意識していたようである。鬼門というと丑寅(北東)の方角であるが、鬼の姿はここからイメージされたといわれる。いわゆる角とトラパンである。

この鬼門は悪魔がやってくる入り口とされ、魔の目をつぶす役割として、語呂合わせではないが、豆を使うようになったようである。

面白いことに、この鬼門から裏鬼門である南西(未申)の方角についてみると、誰もが知っているおとぎ話の桃太郎につながるというのだから、日本のおとぎ話は馬鹿にできないのである。ご存知のとおり桃太郎のおしまいは鬼退治である。

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