さてどうしましょうか

2012年06月22日 | 日記

本州は梅雨の時期ですが、幸いこちらは梅雨がないといわれています。

しかし、昨今は蝦夷梅雨と呼ばれる気候の悪さがあります。

今週も事前の週間予報は見事に全部外れ、気温の低い梅雨模様なのです。

さて、ここのところ京都に足を運ぶ機会がありません。

来月は祇園祭ですが、昨年はかなり暑く山鉾巡行は少し見学して、すぐに比叡山に逃げました。

私的には祇園祭の魅力は、何といっても宵山に感じていますので、巡行はおまけみないなものです。

その祇園祭も今年は、いく予定になっていません。

今年はいまのところ秋の紅葉狩りが入っているだけ。

さて記事をどうしましょうか、といったところです。

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宇治十帖を巡る Ⅲ

2012年06月18日 | 日記

源氏物語宇治十帖の最終になります。

源氏物語52帖(宇治8帖)は蜻蛉の巻きですが、この碑は意外と見つけ難いところにあります。

これまで書いているように、源氏物語の碑など宇治市では特別の整備などしていません。

普通の道端にポツンとあるだけなのです。

もう一度行けといわれると、迷うこと間違いなしです。

51帖の浮舟で、浮舟が入水したようだと噂があり、52帖ではその騒ぎの様相が描かれています。

この状況を、蜻蛉の駒札の最後に歌でかかれています。

 

源氏物語53帖(宇治9帖)は手習ですが、京阪宇治駅とJR宇治駅の中間くらいの位置にあります。

この碑も国道の道路脇ですから、見つけることは簡単です。

しかし、石碑と駒札だけですから感動はなしです。

この巻きでは、浮舟が横川の僧に助けられ、出家をしていく模様が描かれています。

一説には、この横川の僧は源信との話もありますが、定かではないようです。

 

源氏物語最終章の54帖(宇治10帖)は、夢の浮橋で宇治十帖の出発点橋姫の碑の近くにあります。

京阪宇治駅から宇治橋を渡ったふもとにあります。

紫式部を模した像がありますから分かりやすいです。

源氏物語の最後、浮舟が薫にかえした歌がこの章の内容と一致しており、私はなかなかいい感じの終わり方と感じています。

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宇治十帖を巡る Ⅱ

2012年06月12日 | 日記

宇治十帖巡り、源氏物語48帖(宇治4帖)から源氏物語50帖(宇治6帖)です。

源氏物語48帖(宇治4帖)は早蕨の碑は、さわらびの道とよばれる宇治川沿いの観光道路を行くとあります。

ちょうど宇治上神社の参道と同じになります。

ところが、碑自体が道端にポツンとありますので、よそ見をしながら歩くと見落とす事があるかも知れません。

そのくらい何気なくあります。

先の十帖巡りでも書きましたが、このあたりが宇治市は観光にあまり力が入ってないなと感じるところです。

源氏物語49帖(宇治5帖)宿木(やどりぎ)は、早蕨から少し離れ平等院側の宇治川のほとりにあります。

畔といっても、想像するようなロマンティックな場所じゃありません。

ここも道路わきに、何気にあるに過ぎません。

レンタカーでなら、完全に見落としてしまいそうな場所です。

そして源氏物語50帖(宇治6帖)は、これも先に少し触れましたが、JR宇治駅の近くで、46帖椎本のすぐ近くにあります。

このように古蹟をみて行くと、本当にその昔、この辺りに物語にまつわる屋敷などがあったのだろうかと思ってしまう。

宇治4帖から宇治6帖では、薫と大君のえにしを、5帖の宿木では薫と浮舟の運命的な出会いが描かれます。

そして、源氏物語51帖(宇治7帖)が、三室戸寺の浮舟碑で、匂宮の悪さが発揮されるところです。

上は三室戸寺の境内から見る三重塔です。

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番外 YOSAKOIソーラン祭り

2012年06月10日 | 日記

六日から始まったYOSKOIソーラン祭りだが、小雨の落ちる日が多かったようだ。

週間天気予報では、祭りの期間中はすべて晴れマークだったのが、いざ始まってみると予報とまったく異なる天気模様。

時代が、科学が、いかに進んでも、さすがのスパコンも人間様のKKDにはかなわいようである。

以前は当たる確立がよかったのだが、最近はとんと信用できない。

いつも外れてしまう予報結果をみていると、空海、弘法大師の「宇宙は生きている」との言葉を思い出す。

そうなんですよね、自然界の営みは生きているんですね。←だから予報も機械まかせでは難しい。

しかしこの天気、踊り子さんにとっては幸いかも知れない。

YOSAKOIソーランの踊りの振り付けは、各チーム激しいものが多いので晴天よりは楽だろう。

今年もブログ名からして、関西京都今村組をアップする。

独特のパフォーマンスで観客を魅了するチームだが、今年の成績はブロック3位で、今夕行われるファイナルステージまでには届かなかったとの事である。

パレード前段の説明で、これから子供達が生きていく中で忘れて前へ進む事柄、忘れてはいけない事柄という言葉とともに、今年は特別な年と説明された。

今年は、昨年の3.11震災に遭った子供達も参加しての踊りであった。

 

                              後に立っているのが震災にあった子供達。

                                   ダイナミックな踊りは健在。

                           気仙沼から今村組にきた子供達。

                         今村組のパレードは毎年大勢の観客が集まる。

               このチームだけ踊りの列にNHKのTVカメラが入っていたが、ドキュメンタリーの取材であろうか?

 

地元では、北大の赤フンパフォーマンスに人気があるようだ。

 

人様が入る写真は、できるだけ人物が特定できないよう選択するため大変である。

このあたりなら、なんとかセーフか??

 

6.11追記

ファイナルステージの模様はTVで観ていたが、地元の平岸天神チームが優勝した。

雨の中での演舞でステージが濡れており、踊り子が足を滑らせる場面もあり観ている方がヒヤヒヤする。

私は5日間の期間で、一日程度ひやかしに見物に行く程度なのだが、それだけに細かいところはすぐ目に付く。

昨年までフリーであった8丁目会場のステージ下が、今年は商業ベースになっていた。

つまり見物料金が必要なのである。

フリースペースも残されているが、入れ替えなしの先取り勝ちの陣取り合戦である。

どうも見物環境は、年を重ねるごとに悪化しているようである。

地元のラジオでも取り上げているが、開催の賛否がこれだけわかれるイベントも全国的に珍しいようである。

もともと北海道は、明治2年北海道と命名して以来154年ですかね。

江戸幕府より短い歴史しか持っていない土地のため、伝統文化とかしきたりにあまり束縛されない風土である。

そのため新しい物事をすんなりと受け入れるところがある。

その反面、それらの事柄が長く続ける文化にまで発展させるノウハウを持たない土地柄でもある。

このあたりのバランスの取り方が難しく、この土地の今後の課題であろう。

 

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宇治十帖を巡る Ⅰ

2012年06月08日 | 日記

どうも私の京都散策は、時間に追われ駆け足になってしまいます。

宇治周辺の散策も京都と違わず、駆け足となってしまいます。

先に三室戸寺の浮舟碑を取り上げたので、駆け足で宇治十帖の遺蹟を巡ってみます。

5帖ずつ2回に分けようとしましたが、写真が多くなりすぎるようなので、3回くらいに分けます。

今回は源氏物語45帖(宇治1)橋姫から47帖(宇治3)総角までになります。

勝手ですがこのブログを読まれている方は、源氏物語の大筋はお分かりの事とさせていただきます。

また、私の勝手な解釈が入りますので、既成解釈と異なる部分がでると思いますが、これもご承知おきを願います。

私としては最終章での浮舟の言葉が大変印象に残るのですが、それはさておき、宇治十帖の1帖から5帖までは、物語の最終章へのつなぎとしての伏線に思えます。

宇治十帖の半分は、源氏の弟八の宮とその娘、大君、中君と、源氏の息子薫と孫匂宮との恋愛模様を描いています。

その宇治十帖(一)の始まり橋姫の遺蹟は、JR宇治駅からそう遠くない距離にあります。

駅から宇治橋を渡り、平等院参道を行くと見つけることができます。

宇治橋からの景観はとても素敵ですね。

八の宮が、この土地に隠棲を決め込んだのが分かる気がします。

さて、その橋姫碑ですが、その簡素さに驚きます。

物語から想像するやわな期待などぶっ飛んでしまいます。

宇治十帖(二)の椎本(しいがもと)の碑は、これもJR宇治駅の近くにあります。

JR宇治駅を基点とすると、橋姫と逆方向の位置になり宇治橋を渡りません。

国道7号線になるのでしょうか、大きな通りの脇にあり、宇治十帖(六)の東屋碑と隣り合っています。

残念ながらこの周辺の環境からは、いにしえの風情を想像するのはかなり難しいです。

宇治十帖(三)の総角(あげまき)の碑は、宇治上神社の隣にあります。

難しい漢字ですね。とても「あげまき」とは読めません。

調べて見ると、髪型に由来しているようです。

このような名前の結い方があるようです。

宇治十帖(三)の総角の内容からすると、薫と大君の長き契りをあらわしているようです。

この総角碑の道では、碑の位置を道路標示されています。

些細な気配りですが、分かりやすいですね。

しかし、宇治は京都と比較すると、行政として観光には余り力を入れていない印象を受けます。

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