番外 北の伏見稲荷神社

2012年11月03日 | 日記

しばし、京都訪れる機会と遠ざかっていますので、旅日記の更新が滞っています。

しからばと、番外にて当地札幌と京都を繋ぐ縁を探ってみました。

北海道は開拓史以来、大通公園に建つ黒田清隆の銅像にして分かるように、開拓後の営みは薩摩をはじめとし、九州地方の文化の影響を大きく受けていると考えられています。

ご存知かと思いますが、札幌の都市計画は京都の条坊制を彷彿とさせる碁盤目で、俗に逆条坊と呼ばれているようです。

一般に京都の条坊制を真似たものと書かれた記事をよく目にしますが、札幌史ではそのことには一言も触れられていません。

開拓当時の都市計画を担ったのは佐賀藩出身の嶋義勇ですが、むしろ義勇がすごした町並みを基礎にしたという見方のほうがよいようです。

地方部では、京都から開拓に入植している地域もあるようですが、意外と発見し難い中でも、ここ伏見稲荷神社は文句なし京都との縁つながりでしょう。

札幌の伏見稲荷神社は明治17年に、京都の伏見稲荷大社から御分神を奉戴したものですので、れっきとした伏見稲荷神社になります。

札幌の中にあって、この地区を伏見といいます。これはこの神社の名称から取られた地名となります。

さすがに、その威厳は本家には遠く及びませんが、一応千本鳥居ならぬ朱塗りの七十数本鳥居があります。

鳥居の素材も木材ではなく、鉄柱ですからいまいちといったところでしょう。

でも、京都から1500Kmも離れた北の地域に、しっかりと伏見稲荷神社が存在しているのも、興味深いことでしょう。

コメント
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