除夜の鐘 知恩院

2010年12月29日 | 日記

重さ70トンといわれる知恩院の大鐘楼である。

 

 

 

2010年も残すところわずかとなり、大晦日には煩悩を祓うために108つが撞かれる事であろう。

 

般若心経のなかにも説かれている「無眼耳鼻舌身意」の眼、耳、鼻、舌、身、意(こころ)は、仏教では六根と呼ばれて、人間がもつ108つの煩悩の数の基となっているようである。

 

六根それぞれに好き、嫌い、どちらでもないの三つの感情をかけると18の煩悩となり、さらにこの18の煩悩には、きれい、汚いいわば善悪の二種があるので、この二種をかけると36の煩悩となる。

 

この36の煩悩に時間軸である、過去、現在、未来の三つをかけると108の煩悩が生まれる。

 

これらの煩悩をひとつずつ祓っていくのが除夜の鐘というわけである。なんとありがたい事ではないか。

 

 

 

しかし、しかし、京都の寺院をまわっていると、かの比叡山延暦寺をはじめ、喜捨をとり鐘を撞かせてくれるところがある。鐘を撞いてみたいとの心根がすでに煩悩であると思うのだが、さてさて・・・・

 

 さりとて、煩悩を持っている事が、はたまた生の証ともいえ、凡人には理解しがたい教えのようである。

 

これらの煩悩を祓い、身も心も清くいたいとの祈りの言葉が六根清浄であるという。

 

この六根清浄が歳月とともに訛化し、「六根浄」となり「どっこいしょ」になったといわれる。そう言われれば、「どっこいしょ」を口にする時には、意外と無心の状態に近いようである。

 

今年も残すところ一日で新しい年を迎えますが、皆様方には2011年が良い年でありますよう。

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南山城をゆく 観音寺

2010年12月28日 | 日記

観音寺は市街地から離れた田園地帯に中にポツンとある。京都に見られる大伽藍を構える寺院とは少し違う。

 

関東の方であれば鎌倉に存在する寺院の在り方を想像すればよい。

 

 

加茂町近隣の寺院の在り方は規模こそ異なるが、ほとんどこのような在り方のようである。

 

 

観音寺は少し前までは、普賢寺と称していたが最近になって観音寺と改称されたようである。

 

 

本堂にかかる額も普賢寺のままである。なぜ観音寺に足を運んだのかは、ここに国宝の十一面観音立像があるからである。

 

いわば本堂のみともいえるこの寺院に多くの人が足を運ぶのは、本尊の十一面観音立像があるからに他ならないと言ってもいいであろう。

 

 

ここ観音寺の十一面観音立像もまさに目の前で見ること事ができる。その見事さはしばし足が止まるが、いかんせ行列状態での拝顔であり惜しみながらも足を進めなければならなかった。

 

海住山寺の十一面観音立像が木造であるが、観音寺の十一面観音立像は木心乾漆造りといわれるものである。

 

これは大まかな彫刻を木で造り、漆で練った大鋸屑のようなもので形を整え、その上に漆を施し仕上げていくのである。そのため極めて写実性が高い。

 

今年ブームを巻き起こした奈良興福寺の阿修羅像がこの造りである。ここまで来て、ふっと疑問が湧いてきた。

 

実は岩船寺にも十一面観音立像があり、加茂町を回ったほとんどの寺院の本尊が十一面観音立像なのである。ブログの表題どおり私はいつも、ぶらり、ぶらりの道行きで、下調べなどほとんどしない。しかし、これだけの十一面観音立像と出会うと、やはり少し調べてみたくなる。

 

十一面観音の後に出てくるのが、どうやら千手観音のようであるが、こんどゆっくりと調べて見ることにしよう。

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南山城を行く 海住山寺

2010年12月22日 | 日記

加茂町にある海住山寺も岩船寺同様に聖武天皇ゆかりの寺である。

 

神童寺、蟹満寺と加茂町近隣の寺院は聖武天皇にゆかりが深く、南都奈良の影響を大きく受けているようである。

 

三上山中腹に建てられた海住山寺は、さすがに池を伴う庭は作られなかったようである。

 

まず大きなインパクトを受けたのは、参道代わりともなる道路の狭さである。

 

急勾配の狭い道幅は、車一台がようやく通れるものである。

 

そして道路の両側には民家が建ち車もあるのである。

 

この道路はどのようにして使われているのか、不思議に思うのは至極当然の事である。

いまだに疑問のままである。

 

海住山寺は別名南天寺とも呼ばれるようで、境内の所々に朱色の実をつけていた。

 

 

創建は天平であるから、かなりの年代を経ている。

 

境内に入るとまず鎌倉時代の作とされる五重の塔が目に飛び込んでくる。

 

 

国宝指定であるが、均整のとれた趣のある塔である。

 

極端に古さを誇張しているわけでもなく、修復による新しさが目につくわけでもない。

 

 

塔の特徴は初層目に裳(もこし)を持つことである。もこしとは早い話がスカートである。

 

そのため屋根の数だけを数えると六枚有るように見える。

 

 

また、心柱が初層内部になく、初層の四天柱といわれる天井に支えられたところから設置されるという珍しいもののようである。

 

残念ながら初層の特別公開は終了との事で実見する事はできなかった。

 

本尊の十一面観音菩薩立像は目の前で見ることができる。

 

 

この本尊様は国宝ではないが、実によい表情をしておられる。

 

参拝者がいなかったため、しばし本尊様の前でご尊顔を拝顔させていただいた。

 

本堂の中が明るければよいのだが、これは贅沢というものかも知れない。

 

この後、加茂町はずれにある普賢寺(いまは観音寺)に向かい、国宝の十一面観音立像を見ることになるのだが、まさに甲乙つけがたいものである。

 

 

なぜ海住山寺の本尊様が国宝でないのか不思議なくらいである。

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今年はあつかったで暑 清水寺

2010年12月17日 | 日記

清水寺、今年の漢字は「暑」と発表されました。それだけ今年は暑かったということなのでしょう。

 

夜間拝観期間終了を目前にして、ミーハーで今年もこの漢字を眺めに・・・・・

 

 

夜間拝観を目的に寄ったわけではないため、昼間の拝観終了間際に入りましたが、入れてくれるんですね。昼間の拝観は午後5時30分までですが、当方が入ったのは午後5時。

 

 

拝観受付の方は、淡々とチケットを渡してくれましたが、夜間拝観の準備があるとの事で、実際に5時30分になると、追い出されてしまいました。

 

市民目線からすると普段からどうも評判がいまいちの清水のようですから、対応としてはこんなものでしょう。

 

 

それにしても、ネームバリューはすごい、清水坂はいつもどおり人で混雑していました。
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南山城をゆく 岩船寺

2010年12月16日 | 日記

浄瑠璃寺から車で十分ほど東へ行くと岩船寺がある。岩船寺も浄瑠璃寺同様奈良との県境にほど近い。車窓から見え隠れする外の景色は、京都というよりは奈良である。

 

岩船寺の創建が729年とされるから、平安京健都より65年、聖武天皇が都を奈良平城京から恭仁京に移した時期より10年ほど古い事になる。

 

寺伝によると聖武天皇の勅願によって創建されえたと有ることから、この頃すでに聖武天皇の視野には都替えがあったのかも知れない。

 

岩船寺の寺観は京都市街地にあるような寺院とは全く趣を異にする。山間に地に、こじんまりとした本堂、そして三重塔が建つ。

 

 

三重塔の建設時期は創建より年代が新しいため、創建時は本堂のみであったであろうが、周りは広葉樹が多く豊かな緑に包まれた閑静な寺であった事がうかがえる。

 

 

夏にはアジサイが咲き乱れるというが、訪れたのは秋、三重塔にかかる紅葉が緑から朱へのグラデーションを奏でていた。年代以上に新しさを感じる三重の塔は、おそらく近々に修復でもされたのであろう。

 

 

 

本堂に安置されている阿弥陀如来座像はかやの一木造りで、朱の衣をまとっているという。確かに、剥落した色彩からはかろうじて朱の色が見てとれる。

 

阿弥陀如来を守る四天王像は寄せ木造りであるが、像との間を遮るものはなにもないため、寄せ木の隙間まで間近で見てとれるのは貴重である。

 

本尊様の裏手には、白象に乗った普賢菩薩様が厨子に納められている。すぐ横手にあるガラスケースにも幾つかの象が納められているが、とても好印象のものばかりである。

 

よく庭の京都、仏像の奈良と耳にするが、これらの仏像を目にするとやはり岩船寺は、南都奈良の影響を大きく受けているようである。

 

これら国宝級の像を間近で見るなど、京都の寺院ではなかなか難しい。

 

このような、おおらかな地域性は、いわゆる京都とは少し趣が異なる印象を感じとれる。当初、岩船寺から浄瑠璃寺まで当尾の道を石仏を探しながら散策する予定でいたが、雨模様のため急遽取りやめる事にした。

 

この行程でも結構疲れがあったので結果オーライなのであるが、それにしても体力の衰えを身に滲みる年になったものである。

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