長岡京市にある粟生光明寺は、本当に静かなお寺との印象があったのだが、紅葉の時期は別物のようである。
総門前は人、人、人の波で、時期によって雰囲気がこうも見事に変わるものかと驚いてしまった。
総門前の広場には、臨時に拝観受付の小屋が建てられ、その前には大勢の人が列をなす。この時ばかりと、喜捨を集めまくる。そんな印象を強く与えられ、思い描いていた紅葉模様が無残にも消し飛んでしまった瞬間であった。
この残念な印象は、境内を進むにつれ強くなる。境内のあちらこちらに臨時の仲見世が登場し、これらが医薬門に至るまで続いていたのである。
「日が悪かったかな?」と思ってみても、後の祭りである。そうそう蛇足であるが、「後の祭り」とは、祇園祭が語源と聞いたことがある。
御影堂でお参りを済ませ、とりあえず信楽庭へと向かうが、ここの渡り廊下も人の波。勅使門前に広がる信楽庭に配されている石組みは、阿弥陀三尊と行者が大海を渡る様を表しているというが、小生のような凡人には理解のしようもない。
それよりも小生のような凡人には、勅使門前に配したこの庭、天皇はどこを歩んで来られるのか、といった雑念の方が多い。
釈迦堂では、人間国宝の藍染が展示されていたが滅多にない機会である。撮影OKとのことで、直近から撮ってきたので少し多めに掲載しておきます。興味のある方はどうぞ。
釈迦堂から外で出ると、またまた臨時の仲見世群である。いつもの医薬門への通路は監視員によって止められているため、出店に囲まれ細くなった道を他の見物客とぶつかりながら通らねばならない。このぉぉぉぉおおおおおおである。
なんとも不愉快な気分で、やっとのことで医薬門までたどり着いた。紅葉で名高い光明寺は、医薬門からの見る紅葉が絶品とされるが、やはり色合いは緑、朱、まだらとさまざまであった。
このような光景は、予想だにしなかったのであるが、やはり夏の猛暑が影響しているのであろうか。
この滅多に見られない様子に遭遇したのを不運と考えるべきか、はたまた幸運と考えるべきか。