今度は日をあらためて 粟生光明寺

2011年01月21日 | 日記

長岡京市にある粟生光明寺は、本当に静かなお寺との印象があったのだが、紅葉の時期は別物のようである。

総門前は人、人、人の波で、時期によって雰囲気がこうも見事に変わるものかと驚いてしまった。

総門前の広場には、臨時に拝観受付の小屋が建てられ、その前には大勢の人が列をなす。この時ばかりと、喜捨を集めまくる。そんな印象を強く与えられ、思い描いていた紅葉模様が無残にも消し飛んでしまった瞬間であった。

 

 

この残念な印象は、境内を進むにつれ強くなる。境内のあちらこちらに臨時の仲見世が登場し、これらが医薬門に至るまで続いていたのである。

 

「日が悪かったかな?」と思ってみても、後の祭りである。そうそう蛇足であるが、「後の祭り」とは、祇園祭が語源と聞いたことがある。

 

御影堂でお参りを済ませ、とりあえず信楽庭へと向かうが、ここの渡り廊下も人の波。勅使門前に広がる信楽庭に配されている石組みは、阿弥陀三尊と行者が大海を渡る様を表しているというが、小生のような凡人には理解のしようもない。

 

 

 

それよりも小生のような凡人には、勅使門前に配したこの庭、天皇はどこを歩んで来られるのか、といった雑念の方が多い。

 

釈迦堂では、人間国宝の藍染が展示されていたが滅多にない機会である。撮影OKとのことで、直近から撮ってきたので少し多めに掲載しておきます。興味のある方はどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

釈迦堂から外で出ると、またまた臨時の仲見世群である。いつもの医薬門への通路は監視員によって止められているため、出店に囲まれ細くなった道を他の見物客とぶつかりながら通らねばならない。このぉぉぉぉおおおおおおである。

 

なんとも不愉快な気分で、やっとのことで医薬門までたどり着いた。紅葉で名高い光明寺は、医薬門からの見る紅葉が絶品とされるが、やはり色合いは緑、朱、まだらとさまざまであった。

 

 

このような光景は、予想だにしなかったのであるが、やはり夏の猛暑が影響しているのであろうか。

この滅多に見られない様子に遭遇したのを不運と考えるべきか、はたまた幸運と考えるべきか。
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なんでもあり 大原野神社

2011年01月13日 | 日記

昨年の紅葉狩りは、京都の三尾(高尾、槇尾、栂尾)を予定していたのだが、夏の猛暑で紅葉が遅くなるだろうと思い、少し遅らせたのだが例年のとおりでよかったようである。

 

すでに三尾の紅葉は終わりとの事で、急遽予定を西山方面に変更した。巷では2010年は紅葉の当り年と騒がしかったが、いずれにせよこれが京都の紅葉という場面には出会わなかった。

 

楓も木により、紅葉しているもの、緑のままのものと、まちまちの状況であった。救いは、確かに紅葉自体はここ数年よりは色鮮やかであった事である。

 

今回の西山ルートは、常寂光寺を経て宝筐院、勝持寺、大原野神社、金蔵寺、粟生光明寺をたどっている。いつものように、ぶらりみてあるきであるから、大原野神社、粟生光明寺は予定にはなかったところである。

 

嵐山を抜け勝持寺からさらに長岡京の方へと向かうとなると、途中市街地らしきものがなくなる。そこでお昼の腹ごしらえに、このあたりで昼食の取れる大原野神社へ立ち寄ることとなった。

 

 

大原野神社でも昼食がとれるのは一箇所のみである。と、いうよりお店が一軒しかないのである。今回はその大原野神社である。

 

大原野神社は桓武天皇が奈良から都を長岡京に遷都した折に、皇后であった藤原乙牟漏が奈良の春日社を勧請したといわれる。奈良というと鹿が思い起こされるが、そのゆかりか、ここ大原野神社の神の使いは鹿である。

 

大きな境内を持つ大原野神社は、明るい感じがする。そのためか参拝者も意外と多いのである。勧請以後、京において藤原氏の氏神として信仰を集めるようになったようである。

 

残念ながら、ここでも紅葉の見ごろは過ぎてしまっていたようで、目を見張るような光景に出会う事はなかった。しかし、平安京よりさらに歴史のある神社である。大伴家持が好んだといわれる瀬和井の井戸、奈良猿沢の池をモデルとした鯉沢の池を横目に、本殿へお参り。

 

 

 

 

お出迎えは、狛犬ならぬ狛鹿である。こうなると、ほんに京都の神社はなんでも有り感がする。有名どころでは、今年の干支である兎を使った岡崎神社の狛兎、大豊神社の鼠、護王神社の猪、それに猿、虎と何でも狛化してしまっている。

 

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晩秋 金蔵寺

2011年01月09日 | 日記

のんびりしていた訳ではないが、所要に忙殺されていたら年が明けてしまった。

時期的にはかなり遅いが、これから少々昨年の紅葉の模様。

 

かなり険しい山道を行くと金蔵寺がある。最寄りのバス停からも徒歩で1時間ほどかかるという。

後に知ったが、金蔵寺は小塩山の中腹に位置しているらしい。

当方には徒歩で登るほどの体力は持ち合わせていないため、いつものようにタクシーで登る。

タクシーの中には、ここ金蔵寺は道が険しいため断る方もいるらしい。

 

金蔵寺は天正天皇の勅命で、隆豊の創建とされるが、後に聖武天皇より金蔵寺の勅額を賜り寺名となったようである。

だが一般的には、桓武天皇が王城鎮護のため四方に祀った岩座のひとつの方が通りがよいのではなかろうか。

 

それにしても、この金蔵寺まで詣でるのは、かなりマニアックな方が多いのかと思うと、修学旅行生が来ていたりするから驚きである。

 

11月の末ともなると、ほとんどの紅葉は散り、わずかに秋の名残をとどめるのみなのだが、これがまた散り際の異彩を放っていた。

 

 

仁王門から境内に入って行くのだが、お寺の方は誰もいず、なんとおおらかな、志納料を納める箱が置かれているだけである。

 

 

仁王門から本堂まで続く石段では、散りもみじが晩秋の風情を醸し出してくれる。

 

現在の伽藍は、桂昌院(春日局)の再建とされる。しかし、場所が場所だけにかなりの荒れはいなめないが、これもまた金蔵寺の魅力のひとつとなっている感じがする。

 

本堂横の山道を行くと、そこは展望台になっており、京都市内が一望できる。小塩山の中腹といえど、かなりの標高である。

 

 

                           ***正面は比叡山***

 

じき冬枯れを迎えるであろう金蔵寺を眺めていたら、この伽藍を包み込む緑はどのような顔をみせるのだろうか。夏場にもう一度来て見たいとの気持ちが湧いてきた。

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上村松園展と大鳥居

2011年01月06日 | 日記

昨年の暮れに入洛した折に、たまたま空き時間ができたので国立近代美術館で催されていた上村松園展に足を運んでみた。

当方、どうもこの手の美術に関しては全くの知識なし、音痴ならぬ絵痴なのである。

したがって、以下記述は独断と偏見による個人的感想である。

 

上村松園は地元の作家でもあり、午前中の早い時間にもかかわらず多くの人が列をなして会場へ向かう。

近代美術館の前では、松園の代表作なのであろう序の舞と焔が迎える。

 

                        ***焔***          ***序の舞***

 

 

かなりの数の作品が展示され驚いたが、絵自体は品が良く大変きれいであり、さすがは京都に生まれ育った感性が溢れているようである。

しかし、どこか人を強烈に惹きつける、あくの様なものが無いように思えた。

ただ、「きれいだな」との感覚で終わってしまいそうなのである。

 

また、次々と絵を眺めているうちに、「はて?」と思う事があった。

それは、どの絵からも同じような感覚を受ける事に気づいたのである。

よくよく考えてみると、松園が描く人物の目の表情が、どの絵も同じようなのである。

つまり、人物が装う背景は異なるが、描かれている人物の表情はあまり変化がないと感じたのである。

この手の美術に造詣が深い方の眼力には、別に映るのであろうが、ともかくこちらはど素人である。

 

絵痴の当方が近代美術館に足を運んだのは、四条派といわれる作家の原本を一度目にしておきたかったがためである。

珠玉の美人画を目指した松園の様であるが、描いた中でも特異な絵が二つある。

焔と花がたみである。

この二幅はきれい、きれいで終わらぬ松園本来の力量を発揮している2枚でなかろうか。

 

さて、国立近代美術館は平安神宮のすぐそばにあり、神宮の大きな鳥居を上から見る事ができる。

 

 

左に小さく写る伽藍の屋根は、位置からすると金戒光明寺(黒谷さん)であろう。

向かいは市立美術館で、こちらはバロック建築を彷彿とさせる重厚な建築物である。

訪れた時には、日展が行われていたようだが入り口をのぞいただけである。

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双龍図 建仁寺

2011年01月03日 | 日記

元日から雪となった年初めの京都ですが、メジャーどころは初詣客で多くの人出があるようです。

 

2011年の初めは、建仁寺法堂の双龍図。

 

 

お茶自体は平安の頃からあったようですが、栄西禅師が宋から喫茶を持ち帰り、いわゆるお茶の風習が広まる初めとなったといわれるお寺です。

 

昨年、建仁寺では幾つかの物が重要文化財指定になりましたが、この法堂もそのひとつ。法堂天井に描かれた双龍図、現在は自由に撮影ができますが、この先ははたして・・・・

 

では、撮影が許されている間にと昨年の暮れに撮ってきました。

 

 

龍は水の神様として、多くの寺院で法堂の天井に描かれているようです。いわば火災除けなのでしょう。

しかし、京都では撮影を許可している寺院となると、建仁寺を除いてまず皆無といってよいのではないでしょうか。

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