関西思い出旅日記

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主なしとて春な忘れそ 北野天満宮

2010年02月23日 | 日記

北野天満宮は京都市上京区にある神社である。通称、天神さん・北野さん。旧社格は官幣中社、二十二社。京都市民からは「てんじんさん」の愛称で呼ばれる。

毎月25日に縁日が開かれ、多くの参拝者や観光客で賑わう。菅原道真を主祭神とし、特に学問の神として知られ多くの受験生らの信仰を集めている。福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心となっており、当社から全国各地に勧請が行われている。

菅原道真を主祭神とし、相殿に中将殿(道真の長子・高視)と吉祥女(道真の正室)を祀る。

延喜3年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で歿した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。

右京七条に住む多治比文子という少女に、近江国の神官の幼児である太郎丸に託宣があった。それに基づいて現在地の北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営された。

一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られる。文安の麹騒動で天満宮が焼け落ちてしまい一時衰退する。天正15年境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。境内西側に史跡「御土居」がある。(Wikipediaより引用)

 

北野天満宮の境内は想像以上に広い敷地である。菅原道真は牛と縁が深かったようで、鳥居から中門までには、臥牛像が幾つも置かれている。この臥牛像をついついなでてしまうのは私だけではないようで、像には光沢がある。

中門を越えたところにある絵馬がけは、合格祈願の絵馬がほとんどであるが、絵馬堂にはなにやら古めかしい絵馬が並ぶ。

その傷み具合から想像すると、かなりの歳月を経ているようである。なかには首をひねるような置き方の絵馬があり、図柄より置き方の工夫に興味を持ってしまう。しっかりと掛けられた「誠」の絵馬は、新撰組の旗印の文字に使われたと聞き及んだ。


学問の神として知られる天満宮だけに、春先ともなると本殿には受験の成功を願う長い列ができる。大きな本殿の軒には、幾つもの提灯、銅鐸が飾られているが、これが実に印象的である。


本殿の右奥には、文子天満宮があり多治比文子との縁の深さが見て取れる。文子天満宮前でスケッチをされている方をよく目にするが、ここから眺める本殿は周りの景観と整合してとても美しい光景である。文子天満宮は七条の渉成園近くにもあるが、そちらの方は別の機会に取り上げてみる。

天満宮境内は、菅原道真が右大臣から太宰府へ左遷された時に詠んだといわれる「東風吹かば 思いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」にちなみ、梅で包まれている。

春近し陽光のなか、のんびりと境内を歩けばとても清清しい気分になれる。