関西思い出旅日記

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見た事がない鬼の法楽 廬山寺

2010年02月03日 | 日記

廬山寺は京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。紫式部の邸宅跡として知られる。

比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)により天慶元年に京都の北山に創建。寛元元年に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。

元亀3年、織田信長の比叡山焼き討ちは正親町天皇の女房奉書により免れたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間に現在地に移った。

度々の火事のため、現在の堂宇は寛政6年の再建になるものである。昭和40年に考古・歴史学者角田文衞により紫式部邸跡とされた。御黒戸四箇院のうち現存する唯一の摂家門跡である。

本堂は光格天皇の命による仙洞御所よりの移築と伝える。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、右脇侍勢至菩薩、左脇侍観音菩薩)。

元三大師堂は参道正面に位置する。本尊は元三大師(良源)。他に毘沙門天像、薬師如来像、不動明王像などを安置する。毘沙門天は京都七福神の一つ。本堂庭園は源氏庭と称し、白砂と苔に桔梗を配する。豊臣秀吉の築いた史跡の御土居が境内東端に残る。(wikipediaより引用)

節分ですので鬼の法楽で知られる廬山寺を取り上げてみた。しかし、節分会の鬼の法楽を実見した事はなく、どの様な成りあいなのかは分からない。他に節分会の追儺式で知られるのは、吉田神社の鬼やらいであろうが、こちらも実見なし、わずか天龍寺の節分会を実見したに止まる。

そこでこの度は、節分会の他に知られる紫式部の邸宅跡に触れてみる。廬山寺は紫式部の曽祖父である藤原兼輔が、この地に邸宅を構えたのが始まりとされている。式部はこの邸宅で源氏物語を執筆したといわれ、本堂前の庭園は源氏庭と呼ばれている。

寺町通にあり隣に御苑、梨木神社とロケーション的にも悪くはない。2008年の源氏物語千年紀では、数多くの源氏物語ファンがこの廬山寺を訪れたのではなかろうか。

 

本堂前の歌碑には紫式部の歌「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」(お久しぶりお会いしたのに、お会いしたのかどうかも分からないほど まるで雲の中にかくれる月のように、おかえりになっておしまいになったのですね)が刻まれている。

本堂の前には源氏庭が広がる。草木の部分は雲を表現していると聞いたが、ならば砂は空。奇しくも紫式部の歌と重なる。

 

この源氏庭、旬であれば桔梗の花咲く清楚な庭のようであるが、訪れた時期が冬のため寂びしめである。庭園の様式は、他の寺院に多く見られる自然風景式や枯山水のような心象式とも少し違うようである。

本堂は幾つかの部屋に分けられている。これらの部屋の殆どが源氏物語一色に染められている。さすがは紫式部邸宅跡を銘打つだけの事はある。源氏物語をこよなく愛読されている方にとっては魅力的なお寺のひとつであろう。

 



機会があれば、源氏物語千年紀の年に、気まぐれに訪れた宇治十帖の史蹟を紹介したい。