会報いしかり
第97号(平成30年2月24日)
いしかり手打ちそば同好会 初版発行:平成20年9月13日
コラム 〒061-3202 石狩市花川南2条6丁目256 URL:http:blog.goo.ne.jp/it sobo
Монгол Улс Ⅱ
(モンゴル語キリル文字「モンゴル国」。「モンゴル」は民族名で、「オルス/ウルス(Улс)」は「国」を意味する)
■ モンゴルという国
(2)食事・飲み物
ウランバートルに住む人や若者については米やパン食で野菜もあり、日本にいるのとそう変わりはない。
しかし、肉を食べる習慣は日本よりはるかに多く、魚は淡水魚があるものの極めて少ない。
モンゴルの遊牧民は肉しか食べない時代があり、地方では今でもその風習が残っているそうで、
老人に野菜を出すと「草は家畜が食べるもので、それを俺に食べれというのか」と怒られるとか。
お酒はビールが多く、元横綱“朝青龍”の会社でも地ビールを作っている。
ほかにロシアの影響からかウオッカが飲まれている。
また、お年寄りがいる家庭ではあとで出てくる「馬乳酒」が各家庭で作られている。
カルピスや日本では懐かしい「ファンタ」の大きな看板も見られた。
水道水はやや緑がかっており、飲用はできない。ミネラルウォーター500mlが日本円で1本25円程度。
ホテルなどのレストランには給水器がある。ウランバートルの街近くに川が流れており、それが水道水の水源になっている。
帰路の飛行機内から見ると、川は流れる先が無く、途中の湿原で川が消えていた。
(3)交通事情
交通事情はあまり良くない。急激に発展してきている街なのでインフラが追い付いていない。
公共交通機関が発達していないので町の中は車であふれており、渋滞はいたるところで発生していた。
車がないと生活できないから車は多い。その中でも7割は日本車である。
さらに日本車の内7割はトヨタ車でそのほとんどはプリウスである。右ハンドルは中古輸入車である。
新車は左ハンドルだが少ない。軽自動車は見なかった。
モンゴルは鉱物資源で近年発展しているが、自動車の燃料となるガソリン類は輸入に頼っているので価格は高い。
よって燃費が良い日本車が乗られているわけである。
ガソリンは日本円で1リットル115円くらいで国民所得水準からいうと高価である。
タクシーは許可制でなく誰でもできる。車種はプリウスがほとんどである(プリウスを見たらタクシーと思え)。
行灯のついたタクシーは少数で大多数は白タクみたいなものである。
通訳からは、白タクには怪しげなものもいるから利用しない方が良いとの忠告があった。
(4) 気 候
国の緯度的には日本と同じだが、大陸的気候で砂漠的である。6~8月は温暖で過ごしやすい。
日中は30℃くらいまで上がるが夜間は冷える。モンゴルの遊牧観光時期である。
10月になると冬の始まりで、我々が行った時も朝は氷点下2℃で雪の日もあった。そして乾燥が著しい。
冬は最大30㎝程度の積雪になる。気温はマイナス30℃以下になる。
冬は日本に影響が大きい冷涼乾燥の大陸性高気圧の中心はこの地である。
(5) モンゴル人民の生き方
遊牧民族という事で生活レベルの低さしか考えられなかったが、
話を聞くと「遊牧」こそ生きる上での原点であり最高の幸せとの意外な考えであった。
物の豊かさより心の豊かさを考えさせられた。ウランバートルのような都会に住んでいる人でも、
夏休みにはゲルを車に積んで大草原の生活をするそうである。
学校も6~8月の3ヵ月は休みで草原生活に戻るという事である。
ウランバートルの市内でも郊外に行くとゲル生活が見られる。住宅の庭にゲル生活をしている方がいる。
(6) 遊 牧
放牧地は柵などもなく、放牧されている馬・牛・羊などは自由に移動している。
国道など車が多いところも車の合間をぬって横断している。その状況でも車は徐行すらしない。
放牧地に所有権などはなく、どこでも自由に移動できる。しかし、大体長年の経験で決まっているようである。
ゲルの中にはほとんどの電化製品がある。テレビ・冷蔵庫・洗濯機など。またパソコンがあるにはびっくり。
ゲルにはトイレや風呂はない。冷涼乾燥地だからトイレは外での垂れ流し、風呂の習慣はない。
ウランバートルは下水道も完備で、トイレットペーパーも流せる。なお、紙は硬くごわごわであった。
(7) 観 光
モンゴル航空の成田~ウランバートル間は一日おきの運航で、料金は往復で季節によっても違うが
10月時点で6万円位(夏季は高い)。機内食はおいしく、特に成田発の便はおいしい。
モンゴル観光は夏場の遊牧体験で、ゲル生活と乗馬になり宿泊先を移動する体験型観光である。
モンゴル観光で民族舞踊のコンサート会場を訪れた。
モンゴル民族舞踊での民謡はホーミー(喉歌、喉から発せられる笛のような声の歌唱法)には圧倒された。
踊りの女性は大変美人ぞろいである。また、おどけた面をつけた老人風の芸だが、伝統芸能のようだ。
馬や剣を使った男性の踊りも見応えがあった。
チンギスハーン像を見にウランバートルから50㎞位の有名観光地を訪問した。
途中の街には有名な力士の出身地というが名前を聞き損ねた。この道中で、
我々のマイクロバスが停車するとすかさず住民が寄って来て籠に入った木の実や果樹の実を買ってくださいと
車の窓に接近してきた。
この道中の道路には各所で関所のような料金所があった。これは各町が通行税を徴収しているとのこと。
地元車両以外は通行税が掛かるようでナンバープレートの地区名で判断している。
これは高速道路でもない一般道の出来事である。
■ 今 回 の ツ ア ー
今回のツアーには添乗員がつかず、主催者である全麺協の女性役員がその役を務めてくれた。
身内なのでコミュニケーションがスムースで良かった。
モンゴルの食事の時間的な感覚がずれていて調子が狂う。昼食は13時から夕食は20時からなので町の中では
夜遅くまで飲食店がにぎやかである。
ホテルに帰るともう遅くなっているのでゆっくりする時間はなかった。
スケジュールが込んでいて自由時間があまりとれなかった。
よって、ウランバートルの一般市民の普段の様子をもっと観察したかった。たとえば、
グループ単位で市内を散歩や、市場やスーパーなで庶民生活を見たかった。
ホテルは立派で部屋も個室ですごく広く寂しい位だから快適であった。
日本でいえばツインルームで一泊6,000円位とのこと。安い。
ウランバートルでは6~7人のグループに現地の通訳の方がついてくれた。通訳の方は朝青龍の会社の社員である。
私たちのグループにはエンへさんという方で、日本で琉球大学の医学部を出て、医師と薬剤師の両方の免許を持っている方である。
彼は朝青龍に引き抜かれ朝青龍の会社の医薬品販売の会社の専務をしている。
彼の奥さんも通訳に来てくれていて彼女も朝青龍のプラセンタの製造販売会社での責任者で、日本留学経験があった。
通訳のエンへさんから毎日、モンゴルの「馬乳酒」を持参していただき朝晩飲んでいた。
おばあちゃんが作っているとのことで、各家庭で味が違うそうだ。ちなみにお腹をこわす恐れがあると皆さん遠慮していたが、
自分は毎日おいしく飲みました。後日知ったことだが日本のカルピスの原型だという事である。
馬の乳を牛の皮で作った容器に入れ混ぜ、1~2日でできるが10月に入ると気温が下がり醗酵できないことから
これが今年最後ということでした。なお、馬乳酒を造っている企業はなく販売もされていない。
モンゴル滞在中全くお金はかからず、お土産代の1万円(約21万ツグルグ)のみで済んだ。
博物館や美術館にもまたコンサートホールにも行ったが、日本では制限される写真撮影がお金を払うことで可能であった。
コンサートホールは1,000円、美術館・博物館は500円程度でした。
モンゴルではビールが良く出されて飲んだ。国産の5種類のビールを飲んだが、○○ライトがおいしかった。瓶の大きさは350 mlだ。
ワインやウオッカも飲むがウオッカはロシア、ワインはフランス製でした。
我々が宿泊したフラワーホテルは日本のスシローと現地法人が設立したホテルである。
日本語がOKで部屋はスタンダードであったが、ツインで日本では考えられない広さでした。これで一泊6,000円位とは安い。
■ 元横綱“朝青龍”
朝青龍は、日本で得た莫大な財産を母国のために貢献するべくいろいろな事業に参画している。
朝青龍の銀行もあり、我々も両替をした。日本で見た朝青龍とは全くイメージが違い、
温厚で気さくな人物で我々の話にも応じるなど近く感じた。
日本から来たお客様という事で終始、大変ご機嫌であった。帰国前夜、朝青龍主催の夕食会が盛大に行われた。
すごいご馳走と、モンゴル舞踊、そして特別な飲み物(朝青龍がロシアに作らせた横綱yokozuna)や
子羊の丸焼き(お腹に岩塩と焼き石を詰めた最高のもてなし)が出され朝青龍もご機嫌でトークしていた。
お土産に大統領府のお酒、カシミヤのマフラー、モンゴルと日本の国交正常化45周年で発刊したモンゴルの歴史の本、
岩塩などが紙バッグに入っていた。
朝青龍は現在全くお酒を口にしていない。横綱時代のフィリピン巡業で同僚のモンゴル出身力士と一晩に15升のお酒を飲み、
次の日の行事で大失態を起こしたのを反省し、それからはお酒を断つこととしたらしい。50歳までは口にしないと誓っている。
(次号はいよいよ「モンゴルそばまつり」)
■ 1月20日(土)蕎道塾(シフォンケーキ他)
■ 1月21日(日)サッポロさとらんど
■ 2月3日(土)初・二段位特訓が始まる
○ 3月、4月の当番
3月:作業班は2班、受付は3班
4月:作業班は3班、受付は4班
○ 初段位・二段位認定会
4月28日(土)に開催しますので、全員にお手伝いをお願いします。なお、
前日27日は会場作りをしますので、こちらもお手伝いをお願します。
平成30年5月までの事業予定
当会の事業にはお手伝いをお願いします。○は当会の事業