会報いしかり
第134号(令和 5年 6月10日)
いしかり手打ちそば同好会 初版発行:平成20年9月13日
〒061-3202 石狩市花川南2条6丁目256
URL:http:blog.goo.ne.jp/it sobo
蕎麦と城巡り紀行1 藤井哲夫
結婚50年の「金婚式」と「喜寿」を記念して、たまたま昨年4月に愚息が
鹿児島県鹿屋市から長野市に転勤になったこともあり、また、終了目前の
全国旅行支援を活用し、北陸・岐阜・信越方面の、桜の開花時期の城巡り
をしようと、フェリーにマイカーを載せて、糟糠の妻と7泊8日の旅に出た。
勿論、蕎麦生産量が本道に次ぐ全国2位の長野県において、蕎麦文化に触れることも、もう一つの目的であった。
桜前線が観測史上最速で、日本列島を北上中というニュースにやきもきしながら、岐阜・長野県境は北アルプスを越える
ことから、夏タイヤに履き替えて行くべきか否かと、関係県警の交通情報センターに
問い合わせし、峠のライブカメラ映像を毎日確認しながらも迷いに迷った。
直前に夏タイヤに履き替えを決断し出発することになった。
4月4日夕刻、小樽港から新日本海フェリー新造船「アザレア号」の乗客となった。
14時間の船旅で、新潟港には翌5日午前9時過ぎに入港した。
新潟港にはコロナ禍から解禁された豪華外国クルーズ船も接岸していた。
日本海は「天気晴朗にして波も穏やか」で船酔いも無縁で快調であった。
乗船したフェリーは全長197m、総トン数14000t余、旅客定員600名、車両はトラック150台、
乗用車22台を積載可能な巨大フェリーである。
巷間、軽空母と言われる海上自衛隊最大の護衛艦、「出雲」「加賀」クラスに比肩する。
航路は小樽・苫小牧と秋田・新潟・舞鶴・敦賀を結ぶ日本海側の人流・物流の大動脈であり、毎日複数の巨大
フェリーが日本海沿岸を、北に南に航行している。
2日目は、新潟港上陸後。北陸道を西進し、新潟県最西部の我が国唯一の海上ICと言われる親不知IC
で、丼からはみ出す越前カニの天丼の昼食となった。午後からは富山県に入って高岡市の「日本三大大仏」
の「高岡大仏」を拝観し、夕方には金沢市に到着、旅装を解いた。桜吹雪目前の金沢城を見学し、2日目の
夜は金沢市に宿泊した。
3日目は、前日時間切れで入園できなかった日本三大公園のひとつ兼六園を見学し、下道を使い富山県南
砺市の世界文化遺産「五箇山・相倉合掌造り集落」に向かった。
亡父は富山県から幼児のころ長姉に背負われて一家揃って新十津川に入植(後に小清水に移転)した。
出身は南砺波と聞いていたが、鬼籍に入って30年以上経った今となっては、滝野に行っても確かめる術がない。
集落は今も住民の方が生活の場となっており、観光客に配慮を求める立て看板があった。
県境から岐阜県に入り、相倉合掌集落と同じ世界文化遺産の岐阜県「白川郷」に寄った。相倉より住戸が
多く、現在も人々が生活し、規模も多かった。合掌造りを利用した旅館、飲食店、土産屋もあった。山間の
地であり、合掌造り集落の茅葺屋根に満開の桜も映えていた。
駐車場は観光バスで満車、観光客も多く80%は欧米人であった。コロナ禍から経済は確実に回復の兆し
を見せているなと実感した。夕方飛騨高山に到着したが、飛騨高山は幕府直轄地だったそうで、小京都の佇
まいの街並みが続き冷雨に煙っていた。3日目の宿は飛騨高山であったが、岐阜県北部の山岳地帯であり桜
は金沢より遅れていた。
4日目は、いよいよ岐阜・長野県境を超えて長野入りである。長野県は面積が北海道・岩手・福島に次ぐ
全国四位、南北203㎞、東西126㎞の縦長の県で海がなく、8つの県に囲まれている。(ちなみに県名は省
略)国道158号と中部縦貫自動車道安房トンネルを経由したがトンネルとはいえ3000m級の北アルプス乗
鞍や穂高の下であり、標高も1500m位はある。しかし路面及び路肩に雪はなく凍結もなく乾燥しており、
ライブカメラ通りの路面状況で夏タイヤに換えてきて大正解であった。トンネルを抜けると長野県であるが
案内看板に河童橋で有名な「上高地」方面を示す表示があり、ロケーションのイメージが沸く。
今日の最初の目的地は、この旅の最大の関心事である、奈川蕎麦の原産地「奈川」である。奈川はかって
単独の自治体であったが合併で松本市の字名となった。川沿いの道路を進むと道路に沿って所謂「鰻の寝床
」よろしく集落がまばらに続き、蕎麦畑らしい畑地は見当たらない。道路より更に上に蕎麦畑があるらしい
。標高は1400m、手稲山(1024m)の頂上より高い。寒暖差の大きい冷涼な気候、朝霧が発生することで
、旨味を蓄えた蕎麦が育つ。少ない栽培面積で育てられる「奈川在来の蕎麦」は一般の栽培種より一回り小
粒で風味豊かになるとある。高い山に隔絶されているので交雑され難く、蕎麦も種が保たれるという。さら
に奥に行けば、戦前に飛騨地方の若い娘が野麦峠を越えて長野県の諏訪や岡谷の製糸工場に働きに行くため
吹雪の中を危険な雪道を超えた女工哀史の舞台「野麦峠」に至る。
蕎麦屋も何店かあるが、集落の一番奥の如何にも美味しそうな名前の「そばの里奈川」に入る。お勧めを
尋ねると「とうじ蕎麦」という。ざるの上にわんこそばよりやや大きめな麺を小分けして並べる。出し汁が
入った鉄鍋の中で雉肉、山菜が泳いでいる。根曲がり竹でできた「超小型掬いざる」に小分けしたそばを鉄
鍋に入れて温め、雉肉と山菜を一緒に掬いあげた後、椀に移し食する。「とうじ」とは「浸し温める」という意味で、
「投げる汁」と書いて「投汁そば」という人も、また「蕎麦のシャブシャブ」と表現する人もいるとい
う。かつて結婚式や法事に出されて「ハレの日」の「客人のおもてなし料理」の食文化であったそうだ。当
同好会の例会の賄いで使われる黒松内産「奈川」同様の美味しさである。自分なりには、かつて盛岡で食べ
た「わんこそばの温かいバージョン」か?と想像した。店内に「ざると生蕎麦と山菜と雉肉と根曲がり竹製
超小型掬いざるが入ったセット」が販売されており、大いに購入意欲が刺激されたが、待てよ、生物で更に
旅行が続くと思い直して断念した。奈川在来種は各地に移され栽培されたそうだが、黒松内産「奈川」もそ
の一つであり、道理で美味しいわけである。
奈川では蕎麦は夏収穫の夏蕎麦と秋収穫の秋蕎麦の「二期作」だそうで、びっくりする。そば祭りも6月
の新緑蕎麦まつり・8月の夏蕎麦まつり・10月秋の新蕎麦まつり・11月の奈川在来そば祭りと、年4回
の蕎麦祭りが地元のパンフに紹介されている。如何にもそば栽培の聖地、適地だなと納得する。昼食のとう
じ蕎麦を堪能し松本市に向かう。郊外の桜の名所弘法山は「前方後円墳」の古墳の全山に桜が植栽されてお
り、遠望するに「巨大な桜の饅頭」の風情であった。ファインダーに収まらず、麓のヤマダ電機の広い駐車
場から撮影させてもらう。
市内の「国宝五城」の城郭の一つ松本城に向かう。ご存知のこととは思うが、残り四城は、姫路・松江・
彦根・犬山である。いずれも木造天守が健在であり、エレベーター等ない。「それがどうしたという話」で
はあるが、城フアンとして過去に全て登城した。松本城は5層6階の木造天守が残る城としては日本最古。
実は今回の訪問は3回目だが、桜の時期の訪問は初である。桜と残雪を頂いた北アルプスをバックに荘厳さ
は特筆ものであるが、弾丸旅行の為に、今回は登城せずに上田城に向かう。上田城は言わずと知れた六文銭
の旗印真田幸村の築城。徳川の軍勢を二度撃退した歴戦の名城。天守は残っていないが大手門と櫓はある。
城址公園は桜の名所で、満開の中、露店も出て桜まつりが開催中であった。小諸城まで足を延ばす予定のと
ころ明るいうちに長野市に着けない虞があり、安全を優先し、断念して上信越道を利用して長野市内ホテル
にチェックインとなった。 (次号に続く………)
初・二段位認定会を終えて
令和5年の石狩認定会が4月29日、花川南コミュニティセンターで開かれました。
初段には13名、二段には12名受験され全員合格されました。
当会からは初段に相澤千春さん、久保田孝明さん、中村富光さん、大友政彦さん、土井裕子
さんの5名。二段には永倉吉弘さん、松井道枝さん、北村清彦さんの3名が受験されました。
3年ぶりに受験者全員での開会式及び閉会式が行われました。最優秀賞、優秀賞、敢闘賞の
各賞を設けられ、二段最優秀賞に北村さん、初段敢闘賞に相澤さんが選ばれました。心からお
祝い申し上げます
相澤 千春
この度は、初段認定試験合格に向けてご指導してくださいました藤田会長、居上教務部長、
諸先輩方に感謝致しております。
蕎麦が好きで、自分で打てるようになりたい一心で石狩同好会に入会しました。例会では、
教務担当の方々が優しく蕎麦打ちの楽しさを教えてくださり、入会してすぐに四段位認定試験
の救護班として沢山の学びがありました。理論的に理解しないと出来ないタイプの私には、初
段認定試験を目指す事で水回しの大切さ、肉分けの仕方、切りの姿勢と手の力加減を学ぶ貴重
な経験となりました。認定試験当日は、見慣れた会場の雰囲気で緊張する事なく、
無駄なく淡々と終える事が出来たのは、暖かく見守ってくれていた先輩方が居たからだと思います。
土井 裕子
今はアクシデントもなく無事終われたことでホッとしてます…。
実のところ何度も自信が無く初段を受けることを諦めようと思っておりました。
ですが諸先輩方が優しく丁寧に教えて下さり受かる受からないを別として挑戦してみようと思えるように
なりました。トップバッターで会場入りした方を見学しようと2階に向かった時佐々木則子さんを見た瞬間
抱きついて泣いてしまいました。
そのぐらいの緊張が午後まで…。会場入りした際、諸先輩方の温かい言葉本当にありがとうございました。
この度はこの様な素晴らしい機会を下さり良い経験が出来ました。自分一人では成し遂げられ
なかったことだと思いました。
松井 道枝
手打ちそばの美味しさに惹かれ自分でも打ってみたいと思い、同好会に入会しました。
初段認定会は苫小牧開催。無事会場に到着するか心配され、今年は手を怪我して心配をかけ
ました。焦りが大きく、大丈夫だから落ち着いての指導部の方々の声にも落ち着かず、悩み、
迷いました。認定会当日さりげなく沢山声かけて貰い、あがり症の私は地元開催の良さ、
有難さを実感しました。
いつか自分も先輩たちのように声をかけられるように成長したいと思います。
更に日本の食文化であり伝統食そばの魅力を伝えられるように勉強をして行きたいと思います。
どうぞご指導宜しくお願いします。
北村 清彦
名前を呼ばれて、若い女性の「キャー」という黄色い声(若かった女性の「ギャー」という
叫び声)を浴びたのは、人生で初めてのことです。日頃、私の練習の駄目っぶりを見ている皆
さんはさぞ驚かれたことでしょう。しかし誰よりも私自身が信じがたく、思わず膝の力が抜け
てしまいました。今回の賞は、こんな私でも二段位の合格水準にまで引き上げてくださった
「いしかり手打ちそば同好会」の皆さんに与えられたものです。心より感謝申し上げます。
大友 政彦
同好会の皆様の手厚いご指導のお陰で、初段位を手にすることができ本当に感謝しています。
還暦を迎え、我流で細々と続けていたそば打ちに、本腰を入れようと思い道具を買い集めて
いた時、さとらんどのそば打ち体験の案内が目に留まり、応募しましたが既に定員。
あきらめきれず、見学だけでもと拝み倒しての当日、偶然のキャンセル枠が出て参加可能となり、
それがいしかり手打ちそば同好会の方々との初の出会いとなったわけです。
私は幸運な男だと出会いにも感謝しております。
永倉 吉裕
目標を持つことが肝心! 喜寿と金婚を迎えた昨春の初段位挑戦を再現するように、
2月からの特訓成果が開花したのは認定会当日、体験話なども交えて戴いた叱咤激励の辛抱強いご指導
に深謝です。
そして、二段昇段と同じく喜びたいのは、筋力の回復や息切れと、指先に残る痺れ感覚が減
少し健康に向かっている実感です。しかし、抱えるそば打ちの課題や反省点は少なくありません。
乱雑な切りの克服と麺棒の扱いは元より、加圧する際の力加減や麺の仕上がり具合を探る指
の感触などなど…。目指すは、段位に相応しい手打ち!物覚えや体力の衰え如何は止まりませ
んが、呆れずにご指導のお付き合いをと願います。