会報いしかり
第133号(令和 5年 4月8日)
いしかり手打ちそば同好会 初版発行:平成20年9月13日
〒061-3202 石狩市花川南2条6丁目256
URL:http:blog.goo.ne.jp/it sobo
!! 蕎麦は健康・長寿の源 !!
三井 文
昨今のコロナ経験には、会員の皆様におかれましても右往左往の一年間でありました。
特に認定会を受験された皆様には苦労の連続であったこととお察しいたします。
結果は素晴らしい成果となって結実いたしました。合格された皆様には心からお喜び申し上げます。
当然に主催者並びに事務局の方々も倍する苦労であったことでしょう。
新しい年を迎えるにあたり、更なる試練が待ち受けていることと思います。
4年目に入ったコロナは第8波とインフルエンザとの同時被患が進行中といわれております。
この難局を乗り切ることができるは、会員の皆様が一致団結し、
日々の合格を目指している会員の方々をサポートすることと思います。
春が来ない冬はない。きっと花は咲きます。
当会員も年々高齢化で、ここ数年で故籍を移られた方が何人もいられます。
そういう私も昨年はコロナに被患したことで多大な迷惑と心配をかけ申し訳ない気持ちで一杯でした。
お互いくれぐれも健康に気を付けましょう。今年は私にとって7回目の干支(1月)となり、84歳になります。
皆さんもチョットやソットで、蝶、鰈なる高貴交霊者にはなれませんよ。
なぜなら戦前、戦中、戦後の食糧難、我慢します(欲しがりません)勝つまではの精神を骨の髄まで叩き込まれた世代です。
やがて戦後も落ち着いたころには「うさぎ小屋」で24時間戦えますかの猛烈社員となり、
無断超勤や風呂敷超勤(持ち帰り)は当たり前、ふと気が付けば定年(停年)。
年金支給年齢の引上げ、更に健康保険料や介護保険料の値上げと御意見無用の世の中となりつつありますが、割り切りましょう。
「老兵は死なずただ消え去るのみ」。
医学の進歩、医療技術の向上、新薬の開発など希望一杯の新年となりますよう祈りましょう。
私も皆様同様高段位を目指し頑張ります。少しずつ階段を上り、梯子段を上り、
冗談、漫談を重ね相談、怪談否快談し、密談は良くないので、歓談しましょう。
もう仏壇の扉が閉まるとの声が聞こえたのでこれまでとします。
正月や冥土の旅の一里塚、目出たくもあり、目出たくもなし(一休さん)。合掌
祝!六段位(蕎士)
3月に開かれた全麺協そば道六段位(蕎士)認定選考会で、
藤田宜且会長と、後藤篤雄蕎道塾長が六段位に認定されました
。おめでとうございます。
六段位(蕎士)認定選考会への挑戦
藤田 宜且
令和5年1月12日、第3回そば道六段位(蕎士)認定選考会の開催の案内が届いた。
令和5年2月28日までの期限であった。
一昨年食道癌に罹り、昨年の六段位の受験は断念した。今年こそはと思っていたのだが、
昨年の11月30日に旅行中に脳梗塞に罹ったのを知らずに帰宅後の12月5日、石狩脳神経外科に行って分かった。
秀友会病院を紹介され、12月7日即、入院でした。脳梗塞は4時間が勝負で、私の場合は手遅れでした。
10日間、入院したが左半身90%の可動範囲になってしまい、それでも運が良いと医者に言われました。
皆さんも私と同じ年代が多いので、兆候があったら直ぐに入院の出来る脳神経外科に罹って下さいね。
常に水を飲むことで予防につながるそうです。
本題に入ります。書類が届いてから、東京へ行く体力があるか?再発しないのかで受験するか否か、
ぎりぎりまで迷い、挑戦することにした。それから、頻繁に練習を重ねた。
だが左手の動きが遅く、時間が掛かり上手に打てない状態だったが、止むを得ない。
東京に到着後、3月12日は午後から東京都立産業貿易センター浜松町館にて、
六段位受験者と特任審査員を対象とした「そば道と今後の全麺協のあり方」についての研修会が開かれた。
翌日の13日は麺業会館で「第3回そば道六段位(蕎士)認定選考会」が開かれ、
14名が受験したが長年の五段位だけあって皆さん上手で全員合格した。
私は、最高段位受験でもあり、そば打ちの正装で臨み、作務衣、白足袋、草履で挑んだ結果、
理事長と審査委員長の鵜飼良平氏にも褒められた。
当日の流れとして技能審査については、水まわしに時間をかけて、加水も普段より回数を多く、
小まめに加水した結果、しっかりとしたそば玉に仕上がった。
すると非常に打ちやすく、伸びも良く、打ち粉もあまり使わず、後遺症の左指も引っかからず、麺棒の動きも良くなり、
四つ出し、幅出し、本延しと順調に進み、畳みも良く、今までで一番良い仕上がりであった。
最後の切りは見せ場なのでスピードを上げアピールをした。制限時間1分前を目途とした。
その後、面接審査になり、作務衣の上に陣羽織を着て正装で受けた。
質問は「今後の全麺協はどうしたら良いか」と主に問われ、私は、まず自分の同好会の話しから始めた。
「私の同好会は一枚岩です。なぜかと言うと会員の小さな意見でも聞き、不満を払拭し、実行するからです。
やはり全麺協も下部団体の意見を耳澄まして聞くように心がけると自然と一体感が生まれ、
繁栄すると思います」とそのような趣旨の意見を述べた。どう感じたか分かりませんが聞いてくれました。
その後、閉会式で賞状の授与、集合写真を撮り、解散した。その日から逆に体調も良くなり、
東京に3日滞在し数年ぶりに二人の妹夫婦と食事をし、歓談した。お互いに高齢なので、今生の別れになるかも知れないと思った。
次の日「浅草演芸ホール」で落語を聞き、とても楽しかった。
浅草で百年以上営業している「丸太こうし」という名の店で「詩人のサトウハチロー氏」行き付けのおでん屋があり、
10年振りに江戸前のおでんを食べた。旨かった。
谷中銀座へ行き、長命寺で満開の垂れ桜を観賞、早咲きでとても見事な桜だった。
次の日の夜、鵜飼先生の店「上野藪そば」で色々な料理を食べ、流石に美味しかった。満足した。
羽田空港から帰ってきた。疲れた! だが、とても充実した日々であった。
今後も機会があれば、参加しようと思っている。
そば道六段位に挑戦して
後藤 篤雄
皆さんの応援を得て、この度実施されました六段位認定会に合格することができました。
有難うございました。受験者14名で全員が合格です。
この試験の前日には「全麺協を理解するための研修」が行われ、外部講師による進行でディスカッションが行われました。
その内容は⑴全麺協という団体が社会にもたらす価値は何か ⑵自分が全麺協の理事長だとしたらどんな取り組みをしたいか。
またその課題は⑶全麺協の高齢化、若者が増えない課題についての取り組み ⑷全麺協の組織と財政についてで、
いずれも全麺協の経営的な内容でした。これらの内容からも本部が何をすべきかを見出そうとしていることを感じました。
試験の内容についてです。私は面接のトップバッターでした。
事前に課題などの提示がありませんでしたので勝手に前日の研修内容の続きくらいな気持ちで臨みましたらやはり、
それに沿った内容の意見を述べてくださいとのことでした。
面接官は外部から4名と本部理事1名の5名の方で、8分間、自分の考えを述べ、4分間、質問を受けるというものです。
私は魅力ある全麺協であるためのそば打ち活動について話をし、全麺協に求めることを石狩での活動や自分自身の取り込みを交えて話をしました。
自分自身の考えを8分にまとめて述べるには時間が短すぎます。質問もあまり突っ込んだものはなかったように感じました。
実技の方ですが最終回になり、私の回は受験者4名、審査員5名で審査委員長は鵜飼良平氏です。
実技の方も技術を問う内容ではなく、そばを打つ姿を見るものだと思います。
だから、比較的打ちやすい粉、外二1.2kgですし、時間も50分と余裕があります。
とは言っても恥ずかしい打ち方はできないので出発前に20回くらい練習をしました。
自分の打ち方は昔から、水回しの手の動きは内回しで、
練りは玉を2分割にして左右の手で交互に練ってからまとめるというもので今回の受験者にはほかにはいなかったかと思います。
本当は延しを巻き延しでと思っていましたが、吉田勝先輩から「うどんじゃないから」と鵜飼先生から意見されるのでないかと言われたのと、
最終的に巻延しでは型が崩れやすく、その修正に時間がかかることがわかり、通常の延しでやりました。
鵜飼先生からは地延しの時に打ち粉の量が多いとの指摘を受けました。
しかし、最終評価で、屑も少なくよくここまでやりましたねとの褒めの言葉をいただきホットしました。
実技はすべてが日頃のそば打ちを超える出来で、自分でもなんでこんなにうまく決まったのか不思議な感じでした。
やはり冷静に、力を抜いた打ち方に心がけた点にあると思います。今回の認定会はすべてにおいて楽しくやれた一日でした。
日頃から皆さんには温かく接していただき今の自分があります。重ねて感謝します。
初・二段位認定会
4月29日(土)そば道初・二段位認定会が石狩市南コミュニティセンターで開催されます。
当会からは初段位に相澤千春さん、大友政彦さん、久保田孝明さん、竹之内俊和さん、土井裕子さん、中村富光さんの6名、
二段位に永倉吉裕さん、北村清彦さん、松井道枝さんの3名が挑戦します。
応援およびお手伝いをお願いします。