(こころざし なくておいたり ひきねむる)
ヒキガエルは、近くに適当な水場があれば、庭の草陰に結構生息している。ヒキガエルの表情や肌は、グロテスクとも気持ち悪いなどとも言え、その実に個性的なところが俳句のある感慨を伝えるのに好都合の題材と言える。つまり、作者がヒキガエルと重なるのだ。
「蟇」の句と言えば、草田男の「蟾蜍長子家去る由もなし」を思い出すが、「蟇」+「感慨」というパターンは、この句も同じ。
例えば「少年よ大志を抱け」などという啓蒙を、社会の規範として押し付ける考え方に、常に背を向けてきた私としては、「志なくて老いたり」は、当然のことだ。しかし、そんな必要は全くないのに、作者はどうやらそれを後ろめたく感じているらしい。それとも、そんな自分をあっけらかんと笑っているのであろうか。つまり自嘲だろうか。
ヤマツツジ(山躑躅) ツツジ科ツツジ属
本日AM2:00頃、ホトトギスの初音(忍び音)
聞いたのは、残念ながらトイレの中ではなかった。