この句、前山と、富士山を望む場所はどこだろう。単純に、作者が海老名市に住んでいることを考慮すると、海老名から西を望めば、丹沢山地と大山、その背後に富士山が控えているはずだ。
只今、日本列島の山々は、山桜の白、薄紅、芽吹きの黄緑、薄緑、濃緑、枝の茶色も交じり、華やかで賑やかで美しい。これを「山笑う」という。
三月四月の富士山はまだまだ真っ白であり、雪の衣を脱ぐのは「皐月富士」と言われる旧暦の五月頃である。
ヒメオドリコソウ(姫踊子草)
この句、前山と、富士山を望む場所はどこだろう。単純に、作者が海老名市に住んでいることを考慮すると、海老名から西を望めば、丹沢山地と大山、その背後に富士山が控えているはずだ。
只今、日本列島の山々は、山桜の白、薄紅、芽吹きの黄緑、薄緑、濃緑、枝の茶色も交じり、華やかで賑やかで美しい。これを「山笑う」という。
三月四月の富士山はまだまだ真っ白であり、雪の衣を脱ぐのは「皐月富士」と言われる旧暦の五月頃である。
ヒメオドリコソウ(姫踊子草)
門灯や街灯が靄に包まれると、光の輪環が現れ幻想的である。遠くに去った昭和期の住宅街の路地を、一人の女性が家路を急ぐ、闇に隠れては街灯に照らされて行く、そんな情景が想像される。
ちなみに、これが太陽や月に現れる現象を「暈(かさ)という。太陽の周りに丸い虹となって出現すると、日暈(ひがさ、にちうん)、月に現れると月暈(つきがさ、げつうん)という。又、虹のようにも見えることから白虹(はっこう、しろにじ)ともいうそうです。
ミヤマシキミ(深山樒)
日本列島は、最大幅300キロ、長さ3500キロに及ぶ。中新世(2300万年前 – 530万年前)にユーラシア大陸と分離して日本海が形成され、50万年前に伊豆半島が列島に衝突した。更新世の終わり頃の2万年前に、現在の日本列島が完成した、という。
又、ユーラシアプレートと北アメリカプレートの2つの大陸プレートの下に太平洋プレートとフィリピン海プレートの2つの海洋プレートが沈み込む運動によって日本列島が形成されたという。プレートの移動は年8~10センチだから、ざっと一万年では一キロメートル、百万年では百キロメートル、という途方もない距離になる。
死者行方不明者18000人余の東日本大震災から10年経った。三陸では、明治29年の明治三陸地震、昭和8年の昭和三陸地震、昭和35年のチリ地震による津波など、多くの大津波の被害があったにもかかわらず、被害の歴史が役に立たなかった。
私達に身近な伊豆半島でも、272名の死者を出した昭和5年の北伊豆地震があり、丹奈断層では上下に2.4メートルずれ、北へ2.7メートルも移動した。
実際、日本列島を揺さぶっているのは、太古から地震である。東京直下地震、東海地震、南海地震が、いつ連動して起きても不思議ではない、と言われているが皆さん意外と無頓着である。
さてこの句、春一番を目の当たりにしながら作者は、近々起こるかもしれない地震のことを気にしてはいないだろうか。
ホトケノザ(仏の座)
(むしはまぐりと ぶっきらぼうな めだまやき)
蛤は、春に身がふっくらと肥え、旬を迎える。二枚の貝は、末長い夫婦の縁(えにし)の象徴とされ、婚礼や雛の節句、貝合せなどに用いられる。平安時代には、薬入れとしても使われた。吸物、蒸し物、蛤鍋、焼蛤として食卓に上る。将棋や碁などで使われる「その手は桑名の焼蛤」や西行の「今ぞ知る二見の浦の蛤を貝合はせとておほふなりけり」が有名
さてこの句、蒸蛤と目玉焼きという取り合わせが、ちぐはぐで可笑しい。一方、この句の目玉は、何と言っても「ぶっきらぼう」だろう。「ぶっきら棒」とは、ぶった切った棒の意から、物の言い方や挙動などに愛想がないことをいう。目玉焼きは、美味しいが愛想のない朝食の定番であり、蒸蛤は、味噌汁や吸い物にも良いが、何と言っても酒の肴に合う。
貝には、牡蠣、赤貝、帆立、浅利、蜆、バカガイ、色々あるけれど、古来から、やはり蛤が一番上等かもしれない。
サクラソウ(桜草)
湯豆腐に鶯まだか問うており 裕
蒸蛤とぶっきらぼうな目玉焼き
列島をゆさぶりながら春一番 炎火
春一番オットセイ族蠢きぬ
料峭や仄かに草の匂ひあり さくら
早春賦ハモった頃の若かりき
春一番革靴ステッキ濡れ布巾 豊春
春一番大島初島歪みけり
陽の匂ひ残したままの毛布かな 沙会
料峭やブランコ一つ揺れもせず
歩む季も踵を返す余寒かな 鯨児
冬の果て何やら散るや死の都
お互いに生き延びましょう山笑う 稱子
春愁や息でしめらせ眼鏡拭く
料峭也窮屈退屈痩我慢 凛
料峭や他人のやうなパスポート
門前の沈丁花咲きカラス鳴く 空白
老人臭初めて感じた冬の風呂
窓ガラスぴかぴかにして春が来た 洋子
草萌えや和菓子抹茶でもてなさん
料峭や電車まだ来ぬ無人駅 貴美
ポリバケツ転がって行く春一番
どこまでも送ってくれる春の月 歩智
蕨摘むころんでもころんでも
風光る水切り石の飛びきりし 薪
封筒に点字ふつふつ梅咲けり
取れ立てを鍋一杯にひじき煮る パピ
光る風長い長い影作り
鴉の巣小枝落とすあわてんぼう 一煌
春一番ドスンと幹騒がしや
料峭や電車まだ来ぬ無人駅 貴美
ポリバケツ転がって行く春一番
だんご喰うずつなしきめて春炬燵 光子
立春や白髪染めたら出かけよう
人影のまばらなる街春浅し イヨ
蕗の薹鼻歌交じりに一つづつ
春一番合格絵馬を嘶かす 雲水
探梅や縄文系の黒き髪
毎年、恒例になった鶯が初めて鳴いた日の記録。今年は、2月22日。確かに昨日は、五月頃の気温に匹敵する記録的な暖かさだったから、鶯が鳴いて当然だろう。しかし、三寒四温という季語の通り、2,3日後に再び寒波がやってくるらしい。アメリカ南部テキサスでは、大寒波が来て大変らしいから、日本列島もまだまだ気が抜けない。
21年 2月 22日
20年 3月 9日
19年 2月 9日
18年 3月15日
17年 3月19日
16年 3月 3日
15年 3月 9日
12年 2月21日
フキノトウ(蕗の薹)
毎年、年が明けると4,5本の小楢の榾木に椎茸菌を打つ。2年後の秋から冬にかけて、ある日突然椎茸の芽が出始める。椎茸の成長は、雨によるところが大きい。折角成長している椎茸も雨が降らなければ、小さいまま干し椎茸になってしまうし、雨が続けば一晩で巨大な椎茸になる。
従って、夜雨音が聞こえると、「今頃、椎茸が大きくなっているだろうな」と思い、明日の朝見に行くのが楽しみになる。
先日、湯河原農協で柿を買った。「ずくし柿」と書いてあった。「熟柿」は、「じゅくし」と読むから、柿の字はいらないと思ったが、「熟した柿」の意ならば、間違ってはいない、と納得。「じくし」とも呼び、各地の方言らしい。
当日、客人が来たので塾柿を出すと、湯呑に柿を逆さにして、果物ナイフでへた(蔕)を三角に取り除き、スプーンで食べていた。通の食べ方だそうである。
美味しかったので、種を瓶に入れ、冷蔵庫に保存した。来年蒔くつもりだ。芽が出たとしても、食べられる頃には生きていないだろうが。
キチジョウソウ(吉祥草)家に植えて花が咲くと、縁起がいいそうです。
一筋の川、渓流、せせらぎ、又は小川の水が、涼風の来る川下へ流れてゆく、つまり、平野の川下から涼風が山へ吹いてくるのだ。水は下り、風は登る。風と水は全くの逆方向。
しかし、「奥へ奥へ」という言葉に違和感を感じて、考え直してみる。つまり、川上から涼風が吹いて来るのだ。水源のある山の方角から、吹き下ろしの涼風が吹いて来る。水と風は同じ方向なのだ。これで納得です。
サルスベリ(百日紅)
木立の茂った森や林に入ると、青空は青葉によって封鎖されている。木々は、生きるための見えない闘争を続けながらも、結局はお互いに譲り合って隙間なく葉を広げている。それは実に見事である。勿論、完全に封鎖できるはずもなく、かすかな隙間から漏れる日光が木洩れ日だ。
この句のレンズとは、葉と葉の隙間をレンズと見立て、レンズを通して地面に洩れ落ちた光が、揺らめいている様子を踊っている、と表現している
つまり、「木漏れ日のレンズ」とは、葉と葉の隙間のことであり、「踊らす青葉風」とは、地面の木漏れ日が風によって踊っているのである。
ムラサキシキブ(紫式部)
平安末期、「往生要集」の作者、源信の驚くべき独創によって、地獄極楽が生まれた。輪廻転生や六道、人々を極楽浄土へ導く阿弥陀如来、地獄から救う地蔵菩薩などが信じられるようになった。
熱海の日金山東光寺には、地蔵菩薩を本尊とし、参道には閻魔大王と脱衣婆が向かい合って参詣人ににらみを利かせている。
さてこの句、友人を助けたい句なのだろうが、誤解を招く内容である。つまり、友人は余程の悪人だったのだ。作者は、友人を憎み恨んでいて地獄に落ちると信じているのだ。そして、脱衣婆に手加減せず身ぐるみ剥がすように恃んでいるのである、という真逆の解釈が成り立つのである
地蔵菩薩にお願いするのなら、「友を助けて下さい」となるが、いくらなんでも閻魔の女房の脱衣婆が、友を助ける訳がないではないか、と思われる。
ところで、私見ではあるが、あの世には地獄などなく、天国しかないと思う。
オオアラセイトウ 別名ムラサキハナナ(紫花菜)ショカツサイ(諸葛菜)、花大根
(はなきぶし かまばにさかせ えのきわる)
6トンの松、桜を割り終わった3日後に、3トンのエノキ(榎)が来た。
「せっかく掃除して、きれいに積み上げたのに」とは思ったが、やはり有難いことだ。感謝しなければ・・・・・
鶯も鳴き出し、ヤシャブシ(夜叉五倍子)やキブシ(木五倍子)も咲き出した。我が家の指定山桜も1,2輪咲き出した。いよいよ、春本番だ。
ヤシャブシ(夜叉五倍子)
70才ともなると、断捨離や終活問題を考えることになる。大きなものからいうと、不動産(土地)・家屋(家具・車)・墓地・仏壇・位牌・預貯金・株etc
この句の場合、ほとんど使わない身の回りの衣類・アクセサリー・寝具・趣味の道具(楽器・釣道具・スポーツ用品、写真、パソコン、ブログ)などであろう。
作者が、捨てるべきものを選別し、少しずつ減らしていることが想像されるが、季語の「つくしんぼ」の斡旋によって、作者の関心事は地球の自然の一切、気候や植物などに向いているのかもしれない。そんな風に想像が膨らむのである。
ホトケノザ(仏の座)
初音(はつね・ウグイスの初鳴き)がありました。
昨年より一ト月遅く、例年の平均(3/4)より5日遅かった。
春風や笑うおばばの歯は二本 海人
芭蕉さえ詠めぬ松島春の海
つくしんぼ大切なもの何と何 凛
クレパスは八十八色山芽吹く
深海魚ニギス空揚げ春来たり パピルミ
春兆す朝焼け山を三色に
チューリップスカートふわり座る人 洋子
薄紙を取りて目合わす内裏雛
春寒や枝一粒の真珠雨 沙会
髪乱し待ち人来たり春一番
春風や送電線は鳴り止まず 豊春
春の庭背伸びの猫の赤リボン
若き日のことなど話し二月尽 さくら
寒明けや緞帳あがる心地して
節分の千切れ雲から陽がこぼれ 裕
日脚伸び畳の縁の影日向
春立てど風の啼く道夕の帰路 イヨ
笠雲の雪の富士山近く見ゆ
ただの風邪咳をするにも気を遣う 歩智
おみくじの咲いてる小枝梅一輪
いつの間に庭一面に春の花 鞠
節分のコロナウィルス鬼は外
髪乱し待ち人来たり春一番 貴美
コーヒーの窓辺を鳴らし春一番
春風で身近のうわさ拡大し 余白
春風がしがみついてた実を落とす
寒明けや軋む扉に油さす 稱子
受験子にことば選びて応援す
節分や追われた鬼はどこにゆく 炎火
水の音昨夜の雪の名残り哉
歩道橋は街の浮橋春の雲 薪
浄水流す街の小川や陽炎える
椎に椎茸桜になめこ菌を打つ 雲水
穴窯を見に来て数多蕗のとう
ヒメオドリコソウ(姫踊子草)ヨーロッパ原産の帰化植物。北アメリカでは侵入植物として扱われる。
旺盛な繁殖力を見ると、日本でも警戒が必要である。
最近ほぼ毎日、深夜に起きてビールを飲みながら、俳句のブログを書いたり、録画ビデオやYouTubeを見たり、ラジオを聞いたりする。そして、2,3時間経ったら再び寝て、6時頃に起きる、というのが習慣化になってしまった。しかし、たまには寝坊して犬に起こされる。
一般的には「ダメな生活」と言われるかもしれないが、私はとても気に入っている。
ヤマツツジ(山躑躅)