先日から10日ほど、愛媛県宇和島に行き、周辺の海、山、川のフィールド調査をしてきました。
宇和島あたりってちょうど、和歌山湯浅あたりの自然の感じと共通項があるんですね。
夕日が沈む西向きに海が面しているし、海を見て右手は瀬戸内海、左手には太平洋というロケーションがまず似ている。温暖さも似ているし、みかんが名産であるところもよく似ている。
そして我がひとつのテーマでもある、
「黒潮フィーリング」ってやつ。
特に紀伊半島と四国南岸は同じ黒潮沿線の温帯地域ということで、
非常に興味があるフィールドです。
紀伊半島では、岬をひとつずつ南に向かえば向かうほど微妙に水温も上がり、だんだんだんだんグラデーションのように黒潮フィーリングってやつが色濃く感じられるようになってきます、などと常日頃言っていますが、このリアス式海岸の宇和海でも同じような傾向がありましたね。
そして最南端の
潮岬(和歌山)、
柏島(高知)でそのフィーリングが最も色濃くなる、というところも似ています。
(まあ、ちょこっと漕いだくらいでは分からんのだけれどもね。五感を総動員し、自分自身で天候・海況を読み、地形を読み、判断力を駆使して進んでゆくことによってのみ、分かってくるリッチな感覚。そんなのは他力本願で楽して得られるものなわけはない。自分の生命感で、そのフィールド特有の女神とダンスするような感覚とでも言うか。それこそが本当のシーカヤックの真髄なのである)
実際は宇和海のほうがサンゴが多くて黒潮の影響が強いのですが、
月の満ち欠けによって生じる潮汐流の影響も強く、また島の数もより多いので、
さらに瀬戸内的な趣も強かったのが、面白いところでした。
(地球が自転することによって起こる海流・黒潮と、月の満ち欠けによって起こる潮汐流とは、まったく異なる流れ。太平洋は黒潮の海で、瀬戸内は潮汐流の海だ。宇和海や紀伊水道ではそのふたつがミックスしているが、そのミックス具合が微妙に異なる。)
似ているところと似ていないところ、
シーカヤックのような敏感なフネに乗ってのみ察知することのできる微細な感覚を吟味するのは、非常に面白いことだ。
海に出て野性感覚のスイッチが入り、
今この瞬間の感覚に集中すればするほど、
過去に漕いだ時の感覚的記憶がふとフラッシュバックする。
まず宇和海を漕いでいて紀伊半島沿岸のことを思い出し、そして過去に漕いで紀伊半島沿岸に似ていると感じられたフィールドのことを思い出し、さらにそこと似ていたフィールドのことを思い出し・・・・、といった感じで次々に忘れていたフィーリングが胸の内にサーッと溢れ出て来るのだった。
心のどこかに「体感的フィールド記憶貯蔵タンク」みたいなものがあったとして
普段の日常ではすっかり忘却のかなたに行っちゃってるけれど、
シーカヤックに乗ることによって海モードのスイッチをオンにすると、
そのタンクが稼働し始めて、
パンパンパーンと感覚的記憶がフラッシュバックしたりする。
海は時空を飛ばした超伝導体みたいなものなのかもしれない。
その中でも日本ならではの海流である黒潮というやつは、一筆描きであらゆるフィーリングをつないでゆく、マルチメディアのような存在に思える。
借りていた一軒家。ここを拠点に海、山、川に毎日繰り出してリサーチ。