Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

明日は試合

2010-02-27 14:11:05 | 日常のこと
数えてみると、今年で剣道を始めてから20年、空手を始めてから15年になる。その間、やってない時期も相当多くあるので中身はかなりスカスカなのだが、まあ細々と続けてきた。

その間、複数の暴漢に絡まれた女の子を救出し、「危ないところを救っていただいてありがとうございます・・・お名前は?」「いやあ、名乗るほどのものではありません(夕陽に向かって去ってゆく)」などといったようなロマンスは特になかった。せいぜい、酔っ払いの喧嘩を止めたことがある程度である。

山の中で稽古していて天の声を聞き、「おお、これだ!俺は今、真の極意に達した!(突然降り出した雨に打たれながら)」などという瞬間も全くなかった。毎日「あーでもない、こーでもない」の繰り返しである。

なぜ剣道だの空手だのを始めたのか。「わからない」としか言いようがない。「強くなって女の子にもてたい」とか「いじめを克服したい」とか、そういう明確なリーズンはさっぱり思いつかない。なんだかわかんないけど気がついたらやっていたという感じだし、揺るぎない意志で続けてきたというわけでもない。稽古がきつい時など、「もうこんなことはやめだ!やめるんだ!」と思ったことは数限りなくあった(・・・今でもたまにある)。しかしだいたい翌日になるとまたのそのそと道場に来てしまった。

そんな私だから、筋の通ったカッコいい武道人生を語ることなどできない。およそロクなエピソードがない。

家の中で素振りをしていて天井の蛍光灯を叩き割ってしまったことが前後三度ある。

今でも、防具袋と竹刀袋を手に剣道の稽古に行く度に、隣の婆さんに釣りに行くのだと思われ、「今日はたくさん釣れるといいねえ」と励まされる。

某先生の家に呼ばれた時、壁が大理石だったのですごいなあと思って裏拳でコツンと叩いてみたら、実はプリントの合板でヒビが入ってしまい、誰も見ていなかったので床においてあったゴルフバッグをその位置に立てかけてごまかし、そのまま帰ってきてしまったことがある。

道場の神棚のお神酒を盗んで多人数で酒盛りをし、空の瓶に水を入れて戻しておいたことがある。

夜、公園で空手の形をしていたら、それを見ていたブラジル人に「かっこいいねえ」と言われたので、「でしょ?俺が考えたんだよ」とウソをついたことがある。

高校の時、準備運動の跳躍素振り千本の号令をかける際に、時々、七十九の次を九十にしていた。

とりあえず、いろんな人に出会った。無条件で素晴らしい人もいれば、変だけど素晴らしい人もいた。ただ変なだけの人もいた。

私よりもっと根性があり、肉体的にも精神的にも優秀であったのにいつの間にかやめてしまった人間は星の数どころか円周率の桁数くらいいる。以前はそういうことを考えると切なくなったが、今はみな運命だと思うことにしている。人にはそれぞれ、その時その時で進むべき道があるのだ。

昔は稽古が大嫌いだったが、今はしばらくやらないと「稽古したいなあ」と感じられる。「稽古できて嬉しいな」とも感じられる。上級者の方々に言わせると、この上には「稽古しないと寂しい」「稽古しないと死んじゃう」などのステージがあるそうである。道は果てしない。

いっぱい怪我もしたし、情けない思いもしてきたけれど、その分いろいろなものも得てきたように思う。続けてきて良かった。もしみな運命であったなら、運命に感謝したい。そして、その中で関った人たちには、もっともっと感謝したい。

ということで明日は剣道の試合だ。

ちょっぴり燃えている。