Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

私のハカセ人生

2010-02-16 18:36:39 | エッセイみたいなもの
生き物ブログなんかやっていると、時々、周囲の人間に「博士」と呼ばれることがある。たいてい何か質問されるときだ。ある日メールが来て、「博士、家の中にハチが入ってきちゃったんだけどどうすればいい?」とか、「息子が変な虫捕まえてきたんだけどこれ何?教えて博士」とかそんな感じである。

そうやって仲間うちで博士呼ばわりされているうちはいいのだけれど、先日、ちゃんとした研究者の先生のいるところで「この人がカエル博士の・・・」なんて紹介されてしまい、ヒヤリとして思わず「博士じゃない博士じゃない!」と言ってしまった。だって無論言うまでもなく、私は公的には完全に単なるいち素人に過ぎないのであって、博士号どころか修士号も持っていないのである。学士号は一応持っているが、私が卒業したのは法学部だ。「生物研究会とかに入ってなかったんですか?」と聞かれることもよくあるが、そのてのものも一切所属経験がなく、代りに空手道場などに所属していた。私が生物関係の組織に入るのは、一昨年、縁があって千葉市野鳥の会に入れていただいたのが最初である。

しかし思い返してみれば、私が幼稚園の頃、人生で最初についたあだ名が「博士」であった。とにかく物心ついたときから生き物が好きであったことは間違いない。何しろ私の地元は今でものんびりした田舎だが、当時は河川改修も田んぼの基盤整備もされておらず、魚やカエルなんか素手でいくらでもつかみどりできるという、秘境みたいなところであった。タヌキ、ノウサギ、リス、イタチがあたりをうろうろし、飼っていた猫は三日に一度はノネズミやモグラをくわえてくる。そんなところで育ったら誰だってそれなりに動植物に関心を持つようになる。

おまけに私は本も好きで、暇さえあれば子供向けの図鑑やらシートン動物記やらに没頭していた。従って、仲間たちが何か捕まえてきたり、幼稚園の教室に何か入ってきたりすると、みんなが私のところに「これ何?あれ何?」と聞きにくるようになった。・・・なんだ、今とおんなじじゃないか。

幼かった私には、「自分が何かに詳しくなって何かの役に立てる」ということが、素晴らしい喜びのように感じられた。もう、「僕はこれだ、これしかない、将来は動物学者として食べていこう」くらいの勢いだった。

しかし、世の中はそんなに甘くないのである。尊敬される偉い人になるには周囲と和していけることが大切であるのだろうが、当時の私にはそれができなかった。何だったか忘れたが、下らないイタズラをやって「うめ組」の保母さんを激怒させてしまい、クラスのみんなの前で気をつけの姿勢で額に指を突きつけられて「あなたは博士じゃありません!今日からバカセです!」と怒鳴られたとき、私の正統的な学者としてのキャリアは終りを告げた。

気がつけばそれからもう三十年が経った。巡り巡って結局、生き物と本が好きということは昔と変らない。考えてみるとなんだか不思議だ。今、私の部屋の窓の前には、一見昔と同じような、しかしその中身は昔とは全く異なる風景が広がっている。荒れてゆく里山の木々の枝をリスが走ることはもうなく、コンクリートで固められた川、基盤整備によってその川と切り離された田んぼにはほとんど魚が住むこともできない。様々な生き物が割り算のようなスピードで消えてゆこうとしている。そしてそれは、長年に渡ってこの国の風土を支えてきた第一次産業の構造の変化、そして衰退と明らかに密接な連結を持って迫ってくる。そこに関係していない人は日本に誰一人としていない。みんなの生活に関係があることなのだ。この国から生物多様性が失われる日は、この国の人たちが自分の国でとれた食べ物を口にすることができなくなる日だ。

そういった問題が存在することを皆に伝え、そしてどのように向き合ってゆくか、それを考え、何かしらの実践を生み出す上で、今後私という人間が、自分の立場でほんの0.00001ミリでも役に立つことができるなら、そんなに幸せなことはないと思う。私が本物の博士になることはもうできないだろうけれど、偽物の博士とでも呼ばれるなら、それはそれでけっこう身が引き締まる。だって「偽」という字は「人」の「為」と書く。それってどえらく責任が重いじゃないか。