石造美術紀行

石造美術の探訪記

「餓鬼草紙」に描かれた墓地の五輪塔

2008-04-20 21:39:01 | ひとりごと
「餓鬼草紙」に描かれた墓地の五輪塔
先頃、ある方から、平安時代の終わりに描かれた「餓鬼草紙」に五輪塔が描かれているとのご指摘をいただきました。そういえば確かに描かれています。「餓鬼草紙」は東京と京都の国立博物館に1巻ずつ所蔵されているようで、東京のものは、旧河本家蔵本とも呼ばれ、その第四段、疾行餓鬼が墓場にたむろして死屍を食う場面に五輪塔をはじめ、いくつかの塔婆が描かれています。概ね12世紀後半に描かれたものとされています。平安時代の終わりごろの、鳥辺野や船岡山など当時の葬送地の実際の情景を彷彿とさせ、墓制や葬送史の研究に、しばしば引き合いに出されるものです。この絵を見る限り、平安時代の終わりには、既に墓塔の一種として建てられた五輪塔の存在を知ることができます。しかも、五輪塔は石造に見えますよね。しかし、史料はともかく、なぜか確実にこれは平安時代に遡る石造五輪塔だという現物の事例が、京都ではほとんど確認されていないんです。いちおう、この頃の石造五輪塔は風化速度が早い凝灰岩製と推定されており、風化して朽ち果てたり、バラバラになって省みられなくなったりして残っていないのだろうと考えられています。あるいは、今も残る五輪塔の残欠の中には、案外古いものが混ざっているのかもしれませんが、いずれにせよ平安期の五輪塔として実証困難な状況にあるといえましょう。さて、詳しくは失念しましたが、どなたかが「餓鬼草紙」に描かれた墓地を詳しく分析された論文を読んだ記憶があります。「餓鬼草紙」には、筵に放置されたままの死体、棺に入っただけのもの、さらに一つひとつの塚や立てられた塔婆類にもバリエーションがあり、釘貫(柵)の有無、石積や立木の有無などの相違があって、被葬者の貧富や階層の違いを示すものだろうといった大意だったと思います手前に見える五輪塔の塚は、釘貫に加え、石積に石造五輪塔備え、描かれたものの中では、最も手の込んだ墓です。恐らく貴族など経済的に豊かな人か、高僧などの墓だろうと思われます。この絵からは、一部の特殊な階層の墓塔として採用されはじめた頃の石造五輪塔の姿を見ることが出来ます。これが次第に民衆レベルにまで普及し、広く流行するには、なお数百年を要するのかなと考えています。このような昔の墓地の姿は、絵画史料などに加え、中世墓などの発掘調査によっても次第に明らかになりつつあるものと思われます。ご指摘をいただき、石造美術を考えていく上で、こうした幅広い視点が必要だということを、改めて痛感しつつ、不勉強と情報不足に頭を抱える小生であります。(それにしても、何で平安期の五輪塔が京都にほとんど皆無といっていいほど残ってないんでしょうかね?やっぱり謎ですよね。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。