石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都市 左京区大原勝林院町 勝林院北墓地石鳥居

2008-02-06 00:45:10 | 京都府

京都市 左京区大原勝林院町 勝林院北墓地石鳥居

勝林院の境内を北に抜け暫く林の中の道を行くと共同墓地に行き当たる。Photo 墓地の西端の一番低いところに小さい石鳥居がある。花崗岩製で高さはわずか106cmながら太い柱と荒叩きの表面が朴とつとして、ある種の貫禄のような趣さえ見せている。地面に平らな基壇石を置き、両端を柱の断面形にあわせて丸くくりぬいて両側の柱をはめ込んで固定しているようで、左右の柱は太く裾はやや広がって転びをつけている。貫と額束、笠木と島木はそれぞれ一石彫成で貫は柱外に貫通しない。笠木と島木は全体に緩く反り、笠木の上面は緩く稜を設け、両端はほぼ垂直に切っている。額束東側には長方形の額を刻みだし、「如法経」の文字を陰刻する。また額の左右の貫に4行にわたり「奉造立石鳥居寛正二年(1461年)辛巳十一月・・・」の銘があるというが肉眼でははっきり確認できない。川勝博士は如法経を埋納した場所の門として建立されたものと推定されている。それが経塚なのか塔婆を伴うのかは知る手立てはない。小さいが江戸時代の鳥居には見られない雰囲気があり、中世に遡る紀年銘も貴重なものである。墓地には室町期の石塔や石仏が多数みられ、中には正和2年銘の宝篋印塔もある。(これは別途紹介します)ずっと継続していたか否かは不詳だが中世まで遡りうる墓地と思われる。今日的な常識では鳥居は神社にあるもので、墓地にあるのはピンとこないが、近江湖西の玉泉寺墓地や当尾の辻千日墓地のように墓鳥居というものが稀にあり、北野天満宮の東向観音寺五輪塔と伴社石鳥居がかつてセットで忌明信仰の対象とされていたように塔婆と鳥居が組み合わされる例もある。

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 39ページ

京都の大原は三千院をはじめ著名な観光スポットが多い土地ですが、実は見るべき石造美術が多いところで、観光客の多くは気付かず見逃してしまいます。先に大長瀬宝篋印塔を紹介しましたが、今回は大原石造美術シリーズ第2弾として勝林院北墓地の石鳥居を紹介しました。


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