石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 野洲市比江 江竜寺跡宝篋印塔

2007-08-07 22:55:17 | 宝篋印塔

滋賀県 野洲市比江 江竜寺跡宝篋印塔

江竜寺は観音菩薩を祀る小堂一宇を残すのみとなり、寺院の面影は失われている。集落内の空地のようになった境内にぽつんと宝篋印塔が立っている。01_12 すぐ横の石積で区画された一画に天正19年銘の自然石供養碑があり、その碑文によっても、かつてここが江竜寺という寺院であったことが分かる。この宝篋印塔こそが近江最古の紀年銘を持つ宝篋印塔であるとは我々のような一部の石造マニアでなければ誰も気づかないだろう。相輪はなく、基礎、塔身、笠がそれぞれサイズ的にまったく不釣合いで、一見して別物の寄せ集めであることがわかる。笠上には五輪塔の空風輪が載せてある。基礎は幅69.5㎝で、幅:高さ比が小さく、非常に低く安定感がある。上2段式で、側面3面は輪郭を巻き、格狭間を配し、1面のみ素面となる。輪郭は幅が狭く、格狭間内は素面で、近江式装飾文様は見当たらない。格狭間は花頭曲線中央を広くとって、左右の二弧を両端にかなり寄せている。脚部は短く間隔が広い。側線はスムーズで若干肩の下がりが見られる。輪郭、格狭間の彫り込みは浅くないが、内面を平らに仕上げている。段形の彫成もきっちりと垂直に近く仕上げている。02_21 基礎全体の低さのために段形の逓減が大きい。格狭間の左右と輪郭束部分との空間は広めにとっている。広義の花崗岩製だが、白っぽい縞状の模様が斜めに走っており変成岩系の花崗片麻岩であろう。輪郭格狭間のない側面に3行の刻銘がある。田岡香逸氏は最初の1行目を「弘安二(1279年)己卯六月日)」と判読され2行目以降は判読困難とされている。3行の刻銘があることは分かるが肉眼での判読は不能である。塔身は金剛界四仏の種子を、月輪を伴わずに直接薬研彫している。種子は比較的大きく、塔身全体の背が高いこととあいまって古調を示す。笠は珍しく上7段で下2段。隅飾は軒と区別せず一弧素面であるが長大なタイプではない。笠上に比較して笠下の段形が薄い。塔身とともに13世紀後半代に遡るものと推定したい。各部寄せ集めではあるが、13世紀後半に遡る貴重な宝篋印塔で、特に基礎の弘安二年は数多い滋賀県の宝篋印塔では最古銘であり、省みる人も少ない空地に放置状態にあるような代物ではない。

写真上は空地にポツンと立っている様子です。空地は里中の狭い道路から続いていて、方向転換しようとする自動車が誤って衝突して破損する危険性や盗難も心配されます。一刻も早い保護措置を期待します。

参考:田岡香逸「野洲河改修地区調査資料石造美術(1)-小浜の称名院・比江の江竜寺―」 

  『民俗文化』79号


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