石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 宇陀市 大宇陀区牧 覚恩寺十三重塔

2008-02-24 09:47:17 | 奈良県

奈良県 宇陀市 大宇陀区牧 覚恩寺十三重塔

津風呂川の上流左岸、旧大宇陀町の最南端、吉野町との境、西側の山地から東に向かって開けた陽当たりのよい小さい盆地に牧の集落はある。01中世には竜門庄に属したようで、『吾妻鑑』に出る有名な源義経の「腰越状」に彼が竜門牧に潜伏した旨の記述が見える。正平年間に書写された川上村東川運川寺蔵の大般若経奥書に南朝方として楠木氏と並んで牧定観・堯観父子の名や「牧之城内」などの記述があるという。背後の山には中世城郭の牧城跡がある。02「牧」氏は「真木」氏と書くこともあるようである。集落の中央に神社があり、その南側に会所があって付近が覚恩寺の旧境内だろう。今は廃寺のようで、重要文化財の藤原期の薬師如来坐像と鎌倉時代の阿弥陀如来坐像を安置する鉄筋コンクリートの収蔵庫のみが残る。そばには住職のものと思われる近世の無縫塔が草に埋もれている。現地の案内看板によれば寺は牧氏の菩提寺で、筒井順慶によって焼かれたとされるが由緒は不詳とのこと。収蔵庫の東、生垣に囲まれた細長い一画の奥、コンクリートの低い垣で囲まれ石造十三重塔が建っている。高さ4.15m。二重の切石基壇を備え、初重軸部(塔身)以外の軸部は笠と一体彫整にした通例の構造形式。基礎は適度な幅:高さ比だが上端より下端の幅が広めで安定感がある。塔身は幅よりやや高さが勝る。各層の軒口は垂直に切って適度な厚みがあり、隅近くで力強い反りを見せるが軒中央の直線部分がやや目立つ。各笠裏に一段の垂木形を削り出し、各層逓減率はみごとに計算され、フォルムのデザイン完成度は高い。珍しく基礎も塔身も無地にしている効果もあって、全体に整美ですっきりした印象を与える。相輪先端の宝珠と請花はコンクリートで後補。 銘は認められず、造立年代は不詳。川勝博士は軒反の形状などから鎌倉末期の典型作とされている。一方、収蔵庫前の案内看板には室町初期の典型的な作品とあって見解が分かれている。長慶天皇(1343?~1394?)の墓塔との伝承によって造立を室町初期とするのであれば本末転倒である。清水俊明氏は鎌倉時代の余風を伝える南北朝時代とされる。種子や格狭間など装飾的な細部ディテイルを持たず、フォルムは整美ながら逆に際立った特長がない点が年代推定を困難にしている。小生としては軒反の力強さ、高さが勝る塔身など室町に降ることはないと思う。14世紀前半~中頃でいいのではと思う。材質についても川勝博士は石英粗面岩製、清水氏と案内看板は花崗岩製と見解が分かれる。風化し苔むした表面からどちらが正しいのか、あるいはそのどちらでもないのかについては即断できない。しかし小生には花崗岩製には見えない。なお、石英粗面岩は流紋岩(流紋岩質溶結凝灰岩なども含む)のこと。重要文化財指定の優品。

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 246ページ

      清水俊明 『奈良県史』第7巻石造美術 504ページ

      平凡社 『奈良県の地名』 日本歴史地名体系30 781~782ページ


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