滋賀県 湖南市正福寺 川田神社宝塔
先に紹介した正福寺(永厳寺跡)から西に約1km、街道の南に川田神社の森が見える。社殿の北西、玉垣外の林の中に石造宝塔がある。 白っぽい良質の花崗岩製。高さは約225cmで7尺半塔、切石を組み合わせた基壇の上部が落葉や腐葉土からのぞいている。基壇ともで8尺になろうか。基礎はやや背が高く西と南2面だけ輪郭を巻き内に格狭間を飾り東と北は素面である。格狭間内は素面で近江式装飾文様は見られない。輪郭の幅は狭い方で上下左右に大差がない。比較的大きくよく整ったシャープな印象の格狭間は、肩が下がらず内面の膨らみも見られない。塔身は軸部と首部一石よりなり、框の突帯、扉型、匂欄などの装飾のない素面でシンプルさがかえってすっきりした好印象を与える。笠は笠裏の円孔で塔身首部を受け、一重の垂木型を刻みだし、軒は厚く隅に向かって少し厚みを増して適度な反りを見せる。隅降棟は断面凸状の突帯となり、隣接する四柱がどうしの突帯が露盤下を通じて連結する。隅降棟表現としてはやや形式的で稚拙な感じを受ける。露盤下の笠頂部を広めにとっているので四注部分が寸詰まった感じで勾配はきつめになっている。笠頂部には高めの露盤がほぼ垂直に立ち上がり笠全体をうまく引き締めている。相輪は九輪部の四輪目と五輪目の間で折れているがうまく接がれ完存している。伏鉢はやや円筒形で下請花は複弁反花式で薄く、九輪との太さの差があまりない。上請花は単弁、九輪の凸凹がはっきりするタイプだが溝は少し浅い。宝珠は高さがあって球形に近い。全体として風化の程度も低く保存状態良好で、何より各部材が完存している点が嬉しい。銘文は確認できない。造立時期について川勝博士は鎌倉、池内氏は鎌倉末期、神社社殿前の案内看板には南北朝と諸説ある。軒反の強さ、素面のシンプルな塔身や格狭間の特徴は古調を示す一方、基礎はやや背が高く、相輪の伏鉢から下の請花辺りにかけてやや硬さがあるように思う。小生としては池内氏のご説のとおり鎌倉末期頃のものだろうと考える。市指定文化財。
参考
川勝政太郎 『近江 歴史と文化』 90ページ
池内順一郎 『近江の石造遺品』(下) 361ページ、402~403ページ