石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都市伏見区竹田中内畑町 安楽寿院五輪塔

2015-03-23 00:06:25 | 五輪塔

京都市伏見区竹田中内畑町 安楽寿院五輪塔
塔高約304cm。地輪幅約121cm、高さ約71cm、水輪幅約113.5cm、高さ約85.5cm、火輪幅約107cm、高さ約65cm、空風輪高さ約82.5cm、風輪幅約56cm、空輪幅約52.5cm。花崗岩製。旧本堂前広場にあったというが、現在は老人ホーム脇の一画に辛うじて残されているような状況。安楽寿院は保延3年(1137年)に鳥羽天皇により鳥羽離宮の一画に創建された鳥羽天皇の廟寺的な寺院で、その後、興廃を繰り返しながら命脈を保ってきたが、昭和36年の第2室戸台風で大きな被害を受けたというから、旧本堂はこの時に倒壊したのであろうか。現在は、西の鳥羽天皇陵と南の近衛天皇陵の間に静かな佇まいの境内を構えている。おそらく、かつては付近一帯が境内であったのであろう。さて、五輪塔は、わずかな灌木が生えた草生地の中央にあって三方をフェンスで囲まれ、道路に面した東側は木柵で立ち入りが制限されて近づくことができない。旧本堂前から移築されたとも言われるが、江戸時代の『都名所図会』にも描かれ、鳥羽天皇陵や冠石との位置関係から、現在の位置と変わりないように見える。塚状の高まりの上にあると書かれているが、現状ではごくわずかな高まりに過ぎず塚状とまでは言えないように思う。全体に彫整が非常にシャープな印象で、下端は埋まってはっきり確認できないが地輪はあまり高くなく安定感があり、水輪は裾すぼまり感がやや強めだが、火輪の軒口は厚く隅に向かって力強く反る。やや大きめの空風輪が描く曲線は滑らかで空風輪全体に重厚感がある。台座や基壇は見られない。各輪とも梵字などはない素面。典型的な鎌倉様式の五輪塔で、規模も大きく、遺存状態も良好。地輪北面に7行の陰刻銘がある。磨滅が進んで痕跡をうかがわせる程度であるが、「一□南無阿弥陀佛/□□□□□法□/念仏□□法界□□/一切功徳□□行□/□□□□□□願□/□生縁□□□菩提/弘安十年丁亥二月□□□」と判読されている。浄土信仰の所産と知られ、弘安10(1287)年の紀年銘が貴重。すぐ南側に鳥羽天皇陵があり、鳥羽天皇の発意による如法経塔との伝承があるが時代が合わない。重文指定。
 

参考:川勝政太郎『京都の石像美術』
   竹村俊則・加登藤信『京の石像美術めぐり』
   (財)元興寺文化財研究所編『五輪塔の研究』平成4年度調査概要報告書(文中の法量値を参考とさせていただきました)
 
ここでは取り上げませんが、安楽寿院の境内には享保年間に成菩提院跡から掘り出されたとされる凝灰岩製の三尊石仏3体のうち釈迦三尊と薬師三尊の2体(弥陀三尊は京都博物館に寄託)が置かれています。破損が目立ちますが院政期の希少な石仏ですのでぜひ注目してください。