石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市今崎町 日吉神社(引接寺)宝篋印塔

2007-03-02 22:20:22 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市今崎町 日吉神社(引接寺)宝篋印塔

旧八日市市市街地の南方、今崎町は今在家が転訛したといわれ、中世以来の由緒ある土地柄である。日吉神社の参道を入ってすぐ左手に、薬師堂があり、隣接して地区の公民館がある。その前の広場の西側、一段高い場所に石塔や石仏が並べられている。そのDscf8258 中で一番手前に一際大きい宝篋印塔がある。参道を挟んだ南側にある引接寺の所管であるという。基礎は2個の切石を跨いでいるが、これは長い2個の切石と小さい方形の切石を組み合わせ、基壇内部に空間を設けるための工夫をしたものが、正面の小さい方の切石を失ったため、内部の空間が露わになったものと解すべきだろう。もちろんこれが当初からの基壇かどうかはわからない。石塔類が集められている様子から場所の移動の可能性が高い。現在の正面側は保存状態が良好だが背面は砕けたように角がとれて破損し、ところどころ黒っぽく変色している。風化や倒壊ではこのような痛々しい破損は起こりえないので火災にあったものと思われる。基礎は壇上積式で、側面は四面とも格狭間に肉厚の開蓮華を入れている。格狭間は、花頭部の中央が広く、外側の弧が下がっているが、側辺の曲線はスムーズで、脚は短く脚間は狭い。基礎上は2段。塔身には4面とも大きく舟形光背形に彫りくぼめ、内に四仏坐像をしっかりと半肉彫している。笠は上6段、下2段で、3弧輪郭付の隅飾は現在の正面側がほぼ完存しているものの背面側は欠損している。軒と区別して直線的にやや外反し、輪郭内に蓮華座上の月輪を陽刻し肉眼で確認ができないがア(ないしアク?)の種子を陰刻していることが6面で確認できる(2面は破損)。大きく伸びやかでシャープな印象の隅飾である。相輪は伏鉢、請花、九輪の6輪までが残る。続く7輪以上は傍ら置かれた一回り小さい宝篋印塔残欠の笠にコンクリートで固定されている。伏鉢は低く、下請花は複弁、上請花は単弁で宝珠は重心が高く請花とのくびれが強い。九輪の凹凸がはっきりしたタイプで、火災によると思われる破損も共通しているように見え、大きさも釣り合いがとれて当初からのものと見てよいだろう。現高185cmで、元は7尺ないし7尺半の規模は大きい方で、緻密で良質な花崗岩を使用し表面の仕上げも丁寧である。また格狭間や隅飾などの細部の意匠表現、像容優れ肉厚の四仏坐像など全体として完成度の高い出来ばえを示している。鎌倉後期式の宝篋印塔の意匠が最盛期を迎えた頃の特徴を典型的に示しており、優れた宝篋印塔である。火災によるらしい破損が惜しまれる。14世紀初めから前半の造立と思われる。

参考:八日市市史編纂委員会編 『八日市市史』第2巻中世 633ページ