ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

幻となる春の旅 ─ パンデミックに負けず … 読売俳壇・歌壇から

2020年04月18日 | 随想…俳句と短歌

       (安倍文珠院の桜)

 「ロマンチック街道と南ドイツの旅」を連載中ですが、今回は3月、4月の「読売俳壇・歌壇」から、心に響いた俳句と短歌を紹介したいと思います。時も時!! ですから。

 もちろん、この場合の「時」は、パンデミックの状況下という意味です。

 こういう時だからこそ、人間らしい心やユーモアを失いたくないものです。

       ★

 子供の頃、誰からだったか、小学校の担任の先生かもしれませんが、こんな言葉を知りました。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなあなたが悪いのよ」。何でも、人のせいにする態度を揶揄した言葉ですが、今は「あなた」のところに「おかみ」とか「政府」と入れ替えてみたらよいでしょう。

 「くれない族」という言葉がはやった時代もありました。「△△してくれない」と、不満ばかり言う幼児性を抜け出せない人のことです。

 しかし、「皇帝は親、人民は子」というのは、専制国家です。今は「皇帝」ではなく、「中国共産党」に取って代わっていますが、同じことです。

 福沢諭吉が言うように、民主国家は、「おかみ」がどうこうより、まず国民一人一人が自立し、かつ、社会の一員として主体的に行動できなければ成り立ちません。

 前回のブログの最後に書いたように、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という市民精神の上に、「各自の家の中は各自の勝手」というのが、西洋の個人主義です。

 日ごろ、全く人気のないイタリアの首相やフランスの大統領の下、今、国民は政治的立場を超えて一つになっています。なぜウイルスがこんなに広がったのか?? そういう疑問や不満はあとのことです。今は危機存亡の時、司令官の下に一つになることが勝利のための最初の第一歩だということを、民主国家の国民は知っています。

 戦争のさなかに、国民の一人一人が、まるで自分が司令官のように意見や非難を言い合い、不平不満を言う。それは、民度の低い国民です。

 戦国時代、武田や上杉の軍勢は、いよいよ決戦というとき、全軍がシンと静まって静寂が漂ったそうです。弱い軍勢ほど、決戦を前にすると、興奮して、やたらと騒がしい。静まり返った敵軍を見て、恐怖にかられる。

 政府が、いついつまでに何億枚のマスクを作ってお届けします、とテレビで公約したのに届かないのは、トイレットペーパーのときと同様に、買いだめしている民度の低い国民がいるからです。しかし、この感染症を克服していくためにはマスクは必要ですから、政府はやむなく、洗濯できるマスクを2枚、国民に郵送することにしました。戦時中の配給制ですよ。それをまた、マスコミは非難する。何の役にも立たず、ただ不満を煽るだけの存在が、今の日本のマスコミです。

 お昼のワイドショウを注意深く見ていると、専門家でもない素人のコメンテイターが、局(司会役)の誘導に添って「意見」を述べているのがよくわかります。

 エッセイストだとか、お笑い系の人とか、コロナについては全く素人の弁護士だとか、評論家だとかというワイドショウの「コメンテイター」たちは、テレビ局から出演料をもらい、テレビ局に使ってもらってなんぼの人たちですから、結局、テレビ局の意に沿って発言します。

 そのテレビ局は、人々の不安や不平不満を煽り、「おかみ」を非難して、視聴率を上げようとしているのです。

 戦前、大新聞は、競って政党政治を非難し、非難するほどに発行部数を増やしました。こういう姿勢を大衆迎合(ポピュリズム)と言います。そうやって形成された世論に煽られ、若い軍人がテロやクーデターに走りました。だが、マスコミや国民は彼らの「正義感」に同情的でした。かくして、軍国主義の時代に入っていったのです。軍人がいきなり政治に乗り出したわけではありません。マスコミが発行部数を増やそうと国民を煽ったのです。

 現代は、テレビのワイドショウだけでなく、ネットという闇の世界もあります。まるでうっ憤晴らしのような一方的な意見が大量に書き込まれていますが、それは結局、サイトの広告収入の拡大につながります。

 こうして、多くの人々が不安と不平不満の空間をふわふわと浮遊し始めています。

 それがコロナよりも「脅威」であることに、多くの人は気づきません。

 「ネットという闇の世界」と言ったのは、そこが匿名性の世界だからです。恐ろしいことに、そこで、世論がつくられています。匿名性を良いことに、「魔女狩り」ではないかと思われるようなバッシングもあり、しかも彼らは自分のうっ憤晴らしを正義と勘違いしています。

 しかし、ネットの「世論」は、知らぬ間に他国に操作・誘導されているかもしれません。今、欧米の選挙には偽情報が氾濫し、外国の巨大なサイバー組織が介入してきています。もちろん、非民主国家のサイバー組織です。

 これこそ「事実」と信じ、自分こそ「正義」だと思い込む ── それが実は他国の「サイバー攻撃」よってつくられた世論であったということが、実際に起こりうるのが今の「世界」です。

 戦いの始めは大きな「戦略」を示すべきだ、小出し戦術は失敗のもと、などと政府を批判してきた有識者もいます。最初に大きな「絵」を描いて、戦力を一点に集中し、一気に駒を進めよ、というのは、士官学校の教科書に書いてあることで、どこの国の若い士官でも知っています。しかし、実戦は絵に描いたようにうまくはいきません。トランプ大統領をはじめ、西欧の各首脳も、大きな目標と期間を設定し、一気にウイルスを封じ込めようとしましたが、相手は「未知」の敵です。当初の「絵」のようにはいかず、今はだらだらと延長10回、11回と持久戦を強いられています。ユリウス・カエサルは、戦いながら、相手の出方に対応して、戦術を変化させていきました。本当の戦いは、そういうものです。

 感染症の医者なら、サーズと同じ性質のウイルスだったら、収束までの「絵」が描けます。しかし、相手はサーズとは全く性質の異なる未知のウイルスです。そういう相手に、最初から成功の「絵」を描いて戦いを挑むのは、無謀というものです。

 これは政権の擁護ではありません。今、最前線で頑張っている押谷仁さんや西浦博さんらへのエールです。PCR検査が足りないとか、医師や検査士や看護師やベットが足りないとか、医療用マスクが足りないとか、今、あれこれ批判しても、何の役にも立ちません。戦後日本には、他国のような緊急事態法の名に値する法律もないのです。そういう条件下で、ベターの戦術を編み出していくしかないのです。そういう戦いの最前線に立っているのが、彼らです。少なくとも、私は、彼らに命を委ねます。

 それが何であれ、声の大きな「正義」の主張には用心が必要です。単純明快で、ラジカルな主張に簡単に乗らないようにしたいものです。この世に「絶対に正しいもの」などありません。「どちらがマシか」「こちらの方がマシだ」「でも、こうすれば、もう少しだけマシになる」「立派に聞こえるが、その考えにも必ずリスクがある筈だ。そのリスクをどう乗り越えられるかだ」などを考えるべきです。冷静なリアリズム精神です。

 みなさん、冷静になりましょう。

       ★

 この3か月を経て思うことは、今、必要なのは二つですね。一つ目は、NHK以外の、民放やネットの世界の、意見や非難、不平不満をシャットアウトすることです。NHKが全て良いわけではありませんが、相当にマシです。事の本質や事実に迫る、考えさせられる情報を提供してくれます。ワイドショウや韓国ドラマでお茶を濁す民放は、必要ありません。

 シャットアウトは、各自が鬱にならないためにも必要ですね。スマホを開くのは、百科事典として使うときと、知人との交流のときだけにしましょう。

 二つ目ですが、人間らしい心と体を取り戻しましょう。人の心に共感し、自然の美しさに感動する。本を読み、外を歩き、この世界が美しいことを感じましょう。

 この3か月で、私が得た教訓は以上の二つです。

 俳句や短歌をとおして、人間らしい感性や情感に共感するのは、とても良いことだと思います。今はそういうことも大切です。長期戦ですよ。

 それでは、まず、俳句からです。

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〇 諸事情に 幻となる 春の旅 (横浜市/杉山太郎さん)

 春になったら、旅に出たいと思っていた。旅先で数十年ぶりに旧友にも逢い、一献酌み交わしたいと、年賀状にも書いた。だが …… 1月を経て2月になり、ためらいは日ごとにあきらめに変わっていった。そんな状況でしょうか。

 選者の正木ゆう子さんの評。「どういう事情かすぐに推察できるだろう。諸事情という曖昧で便利な言葉の発見がこの句の鍵。俳諧味もそこに生じている」。

 さすがです。「俳諧味」という解説があって、風雅の人の趣も加わった。

 写真は三朝温泉。橋のたもとの河原に小屋掛けの露天風呂があり、朝も昼も夕も、いろんな年齢層の男性が入りにやってくる。

 旧友と久しぶりに酌み交わし、翌日は温泉で一泊する、というのもいいなあ … などと想像したりします。

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〇 ともかくも 休校の子に ひなあられ (長岡市/地引永安さん)

 また、正木ゆう子さんの解説がいい。

 「この句では『ともかくも』が鍵となって、この春の混乱を物語る。配された『ひなあられ』のあえかな優しさに救われる」。

 雛の節句は、言うまでもなく3月3日の、別名、桃の節句。歳時記に「雛を飾り、白酒、菱餅、雛あられなどを供え、桃の花を生けて祭る」とある。「ひなあられ(雛霰)」は、「米粒に砂糖蜜をまぶし、加熱してふくらましたもの」。

   千葉県香取市を流れる小野川は利根川の支流だ。江戸時代は利根川流域の水運で栄えた。近くの香取神宮に参拝したついでに、香取市佐原(サワラ)に寄り、舟めぐりをしたことがあった。

 折しも雛祭りの頃で、写真のように、川岸のそこここに木の箱状の棚が置かれ、お雛様が飾られていた。

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〇 九分九厘 春の風邪とは 思へども (神奈川県/中島さやかさん)

 選者の小澤實さんの評です。「九分九厘の確率で春の風邪と自分で見立ててはいるのだが、あと1厘は新型コロナウイルスの可能性を思っている。春という明るいはずの季節なのだが、陰影が深い」。

 この句の気持ちはよくわかる。私も4月の初め、夕方になると喉に少し痛みを感じて、不安な思いをした。もう高齢者と言われる年で、このウイルスには弱いとされる男性で、しかも、ふだん医者にいろいろ薬を処方されている。最近、やっと痛みを感じなくなり、安堵した。

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 ここで川柳を一句。「よみうり時事川柳」からです。

〇 詐欺電に 声が若いと 褒められる (京都/矢吹睦枝さん) 

 むむっ。電話に出た声はまだ若い。息子の真似をすべきかどうか。「ああ、やっぱりお母さんでしたか。私は、息子さんの友達で……」と、役を代える。

 4/16の讀賣の社説には、「神奈川県の80歳代の女性は3月下旬、『コロナ対策の助成金が出る』との電話を受けた。その後、自宅を訪れた金融機関職員を装う男にキャッシュカードを持ち去られ、約50万円を引き出された」などの例が載っている。「水道管にウイルスが付着しているので清掃します」という電話がかかってきたという家も。社説に「感染拡大に乗じた犯罪が増えている。不安な心理に付け込まれないよう、気を付けたい」とある。 

 古い民家やお寺には、鬼門の側に厄除けの鬼瓦。西洋の悪魔と違って、鬼は人間に近く、時に人間を守ってくれる存在だ。

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 次は、「読売歌壇」から。

〇 良いことが ある筈だった 2020年 空欄のまま 二月を切り取る (大津市/松井美枝さん)

 除夜の鐘を聞き、初詣に行ったときは、こんな年になるとは思ってもいなかった。こういう風に事業を展開してみようとか、今年こそ念願の旅行に行こうとか、いろいろ思いはあったのに。むなしく2月のカレンダーを切り取った。

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〇 キャンセルの FAXの束 受け取りて パートの主婦らに 断り入れる (水俣市/角田聖子さん)

 本当に悲しいですね。

 最初は海外から観光客が来なくなり、すぐに国内旅行する人もいなくなって、全国の観光バス会社も、ホテル・旅館も、あっという間に存亡の危機となった。各地の有名レストランも、そこに食材を卸していた農家や酪農家や漁師さんも窮地に陥った。サプライチェーンが途切れて工場の機械も止まったまま。住宅も、電気製品も、車も、売れず、経済は落ち込んでしまった。通勤者も7割をテレワークにということは、実質的な休業要請だ。

 「休業要請するなら休業補償を」と言うが、「休業要請」する前から、既に収入がなくなっている、或いは大幅に落ち込んだという業種・業界は日本国中にあふれている。全国のすべての中小企業や個人営業を等しく公平に支えたいものだ。

 先日、桜井市に近い安倍文珠院に行ってきた。もとは、645年の乙巳の変のあと、安倍一族の氏寺として建てられたそうだ。

 国宝の仏像もあり、桜も美しく、浮御堂は霊宝館で、阿倍仲麻呂や安倍晴明の像が安置され、陰陽道の道具も置かれていた。

 御堂を7周まわって、1回ごとに、各自、七難を除くお祈りをするのだそうだ。それで、私も、7回まわって、徹底的に「新型コロナウイルス退散」を祈った。ここは、安倍晴明の力も動員したい。

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〇 「もういいかい」「まあだだよ」って 休校に 子らはこもりぬ 球根のごと (足利市/坂庭悦子さん)

 「まだ、休校のままだよ。もう少しおうちにいてね」。優しい響きの歌である。

 選者の俵万智さんの評。「休校措置への思いが、かくれんぼの掛け声でうまく伝わってくる。休校と球根の響き合いもいい。こもっている時間が、芽吹きの準備になっていればいいのだが」。

 小さなスミレの花の横に、土の中から伸びてきたのはキキョウの芽。晩夏には凛とした紫の花を咲かせる。

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   こういう状況の中でも、コロナとは関係ない句もたくさん投稿されている。日本人の自然や人情に対する感性は美しい。

〇 雨降れば 雨を愉しむ 桜かな (上尾市/中野博夫さん)

〇 桜散る 地に着くまでも 美しく (秩父市/辺見さん)

 大和郡山城趾の堀端の桜。

 散るときも、ひらひらと風に舞い、最後まで美しい。そのように生きたいものです。

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 パンデミックもいつかは必ず収束する。それまで、十分に気を付けて、生きぬきたいものだ。生きていれば、良いこともある。たとえば、こんな良いことが。 …… 「一円を 拾わんとして 屈みたる 机の下に 百円眠る」(東京都/大室英敏さん)。クスッ(笑)。

 最後は、やはり旅の句で締めくくりましょう。

〇 春怒涛 見に来よ日本 海へ今 (浜田市/大島一二三さん)

 今はまだ無理ですが、必ず「春怒涛」を見に行きます。

〇 駅弁の 包みに民話 春の旅 (熊谷市/田島良生さん)

 「駅弁の包み」「民話」「春の旅」。なつかしい響きです。いやされます。

 山陰のローカルな列車の中。

 次の回は、「ロマンチック街道と南ドイツの旅」に戻ります。

      

 

 

 


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