一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

田中沙紀アマの女流棋士への道(3)

2021-02-18 00:40:41 | 目を考える
14日に東海研修会があった。久しぶりに、田中沙紀さんの成績を見てみよう。

11月8日 C2○、C2●、C1●、C1●
11月22日 中田章道七段飛香○、C2○、C1○、D1○
12月13日 C1●、C2●、C2○、テスト入会●
12月27日 竹内雄悟五段飛香●、C2○、C1●、C2○
1月10日 休
1月24日 B2香●、C2○、奨励会5級香○、C1●
2月14日 C1○、C2○、山口稀良莉女流2級香○、C2●

14日は3勝1敗でまずまず。いい所取り6勝3敗になり、次回研修会で3連勝すれば「9勝3敗」でC1昇級となる。
全体的に、C2には勝っているが、C1には勝てていない。しかしC1に勝てないと、B2に昇級はできない。
研修会は棋士との対局もある。男性棋士とC2は飛香落ちの手合い。棋士には勝利賞が出るからこちらも真剣だが、それでもこの手合いなら、研修会員がしっかり勝ちたいところだ。
ただし12月の例会で竹内五段に負けている。どんな将棋だったのだろう。私も駒落ちの上手を持つことがあるので、竹内五段の指し回しを勉強したいところだ。
この14日は山口女流2級との対局もあった。女流棋士も研修会で指すとは知らなかった。
これは香落ちで田中さんが勝ったが、いずれにしても、プロ相手はボーナスゲームと思って、しっかり星を稼がなければならない。
次回研修会は28日か。とにかく3連勝し、とえりあえずC1に上がっておかないと、話にならない。
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堀女流1級、初優勝

2021-02-17 00:32:23 | LPSAイベント
14日(日)は港区の施設で、LPSA第75回1dayトーナメント「Minervaカップ」があった。私は入場を考えたが、サイトを見ると8日(月)で事前申し込みが終わっていた。
そういえば申し込み制だった気もする。私もここ何年かは覇気のない生活を続けているので、事前に申し込みをする気力すら沸かなかった。
本戦は準決勝から公開で行われるようで、カードは「渡部愛女流三段VS中倉宏美女流二段」「船戸陽子女流三段VS堀彩乃女流1級」だった。サイトには「1/11本戦」と書いてあるが、たぶん「2/14」の誤りで、この2局と決勝戦が、ライブで指されるのであろう。
ファン向けの企画としては、決勝戦で「次の一手名人戦」があった。優勝者予想クイズはあったのだろうか。だけど渡部女流三段に優勝予想が集中しちゃうので、やらなかったのかもしれない。
ただ、現状で私の一推しは堀女流1級である。今年度の公式戦は3勝10敗とまさかの惨状だが、彼女はいつもストイックに将棋の勉強をしており、たまたま勝ち星に見放されているに過ぎない。よって優勝に推すのに何の躊躇もない。もっとも、私が現地に行ってないので、ここで叫んでもまったく意味はないのだが。
夕方になって、サイトで将棋を見てみる。
船戸女流三段VS堀女流1級戦は相居飛車の出だしだったが、堀女流1級の左銀が動いたので、船戸女流三段が四間飛車に振った。実はこの動き、私も船戸女流三段相手に指したことがある。もちろん、イビアナ封じだ。
ただ船戸女流三段は基本居飛車党だし、また振るにしても、中飛車が多かった。船戸女流三段に若干、迷いがあると思われた。
ところで船戸女流三段は1月21日に女流三段に昇段した。昇段においての免状授与式はイベントで行われるのが通例で、今回もファンの前で行われた可能性が高い。ファンは感動的な場面に立ち会えたはずだ。
将棋は船戸女流三段が優勢に見えたが、堀女流1級の反撃も鋭く、最後は船戸玉をうまく仕留めた。堀女流1級、うれしい決勝進出である。
渡部女流三段VS宏美女流二段戦は、相居飛車から宏美女流二段が右玉に構えた。作戦家の宏美女流二段、まさかの戦法で決勝進出を狙う。
これも一進一退の見応えある攻防だったが、最後は渡部女流三段が宏美女流二段の猛攻を振り切り、宏美玉を即詰みに討ち取った。
これで決勝戦は渡部女流三段VS堀女流1級となった。渡部女流三段が1dayで何度も優勝しているのに対し、堀女流1級はゼロ。ただし決勝進出は5回目で、このカードは2016年のMinervaカップ以来となる。堀女流1級に絶好の雪辱の機会が訪れたわけだ。
将棋は堀女流1級の先手で、相掛かりになった。中盤以降も難解な手順が続き、私には何がなんだかサッパリ分からない。ただ、この五里霧中のような局面からふたりが本筋の手を続けていることはまさにプロである証で、私はひとり唸ってしまうのである。
局面が進み、堀女流1級が優勢に見えてきた。上で渡部女流三段の優勝が多いと書いたが、決勝戦で負けていることも何度かあり、堀女流1級が勝っても不思議でない。
……と、ここで現局面に合流した。私は渡部女流三段の大ファンではあるが、今回は堀女流1級を応援している。
局面は堀女流1級が勝勢で、渡部玉を受けなしにしたようだ。だが渡部女流三段は飛車を9筋に転回し、王手。その後△7八飛成と金を取り、堀玉を受け なしにした。
一手以上の余裕があると思ったので、私は慌てた。渡部女流三段の飛車が動いたことで、玉の逃げ場も出来ている。私だったら冷静さを欠いて暴発するところだが、堀女流1級は冷静に王手。

ここで更新が滞ったので不審に思ったが、渡部女流三段が投了したようだ。堀女流1級優勝!? そう、優勝したのだ! これは堀女流1級、うれしかっただろう。
この日、同じ東京の立川では、王将戦第4局があった。それに比して本棋戦は、参加女流棋士数人のミニ棋戦である。注目度は100分の一もなかっただろうが、勝者の喜びは、王将戦に勝るとも劣らなかった。
堀女流1級は渡部女流三段に勝ったのだから、もっと自信を持っていい。最後は自分が勝つ、というくらいにデーンと構えていれば、自然に勝ち星も転がり込んでくる。
ひとつ予想をしておこう。来年4月には、堀女流1級が女流初段に昇段しているだろう。
堀先生、初優勝おめでとうございます。
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「将棋ペン倶楽部」掲載タイトル一覧・2021年版

2021-02-16 00:57:14 | 将棋ペンクラブ
当ブログの2016年9月16日付に、「将棋ペン倶楽部」に掲載された拙作の一覧を記した。今回、4年5ヶ月ぶりに最新版を記そう。

・「青春の大阪」(会報37号・2002年春号)
・「運命の端歩」(会報39号・2003年春号)
・「旅先での将棋」(会報41号・2004年春号)
・「『まった』の是非」(会報43号・2005年春号)
・「将棋のご縁 関東交流会レポート」(通信25号・2005年夏号)
・「『共感の法則』とその周辺」(会報45号・2006年春号)
・「『LPSA』の未来はバラ色」(通信29号・2007年夏号)
・「文化祭1982」(会報48号・2007年秋号)
・「真部一男九段との思い出」(会報49号・2008年春号)
・「勇者の涙と己の恥」(通信31号・2008年夏号)
・「船戸陽子女流二段の決心」(会報50号・2008年秋号)
・「金曜日の楽しみ」(会報51号・2009年春号)
・「聖夜前日のドラマ」(会報52号・2009年秋号)
・「手つきについて」(通信34号・2009年冬号)
・「第六回将棋寄席」(会報53号・2010年春号)
・「奇跡の光景」(会報54号・2010年秋号)
・「将棋の文庫本」(通信36号・2010年冬号)
・「天童の美女」(会報55号・2011年春号)
・「忘却の角」(会報56号・2011年秋号)
・「忘却の角<完結編>」(会報57号・2012年春号)
・「聖夜の将棋寄席」(会報59号・2013年春号)
・「天狗の鼻を折られた日」(会報60号・2013年秋号)
・「女流棋士と駒落ちの話」(会報63号・2015年春号)
・「米長哲学の真意」(会報65号・2016年春号)
・「元日の観戦記2017」(会報67号・2017年春号)
・「将ペン駒落ち道場 天使か、鬼か」(会報68号・2017年秋号)
・「15歳の将棋」(通信51号・2018年夏号)
・「新春CI寄席」(会報73号・2020年春号)
・「ライバルとの戦いでの連敗記録」(通信56号・2020年冬号)

前回から5本増えて、合計29本になった。この間の傾向としては、執筆ネタはあったのに、書く気力がなくて投稿できなかった、というパターンが多かった。それでもブログは1日も欠かさず更新していたのだから、A氏じゃないけれど、ブログに傾注しすぎと言われても仕方がない。もしブログネタを「将棋ペン倶楽部」用にリライトしていたら、会報に毎号掲載されていたのではなかろうか。
なお、この当時書きたかったペン倶楽部ネタは忘れたので、文字通り幻になってしまった。

前回から追加された5本の説明を軽くすると、「元日の観戦記2017」は、2013年にブログに書いた「元日の観戦記」の2017年版である。
「天使か、鬼か」は、たしかブログに書くつもりだったのをペン倶楽部用にリライトした。
「15歳の将棋」は、ブログに掲載してしまったものをリライトした。
「新春CI寄席」は、湯川博士幹事から執筆の依頼があったので、書いた。といっても、これも先にブログに、発表している。もっともそちらはあくまで「ブログ版」で、寄席の会場に行くまでのエピソードと、寄席後に湯川邸で開かれた新年会を重点的に書いた。
「ライバルとの戦いでの連敗記録」も、最初はブログに掲載するつもりだったのを、ペン倶楽部に投稿した。
こうしてみると、純粋にペン倶楽部用に書いた原稿は1本もない。
ちなみに、現在も1本投稿中だが、それも当初はブログネタだった。いっそのことブログを止めてしまえばペン倶楽部の投稿に一本化できるのだが、そうもいくまい。
よって現在の二刀流を続けていくなら、どのネタをペン倶楽部に回すかがカギになる。だけどバカバカしい記事も多いから、選別は難航するだろう。
結局、ペン倶楽部用に気合を入れて書いた文章が、いちばん面白くなるような気がする。
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最近見た夢(2021-01-17、22、28、31、02-02、03、08、14)

2021-02-15 00:24:03 | 
最近見た夢を記しておこう。
まず1月17日に見た夢。
私の髪の毛がだいぶ伸び、鏡を見たら、私の目の下まで髪の毛が伸びて、顔の半分が隠れていた。
場面変わって、羽生善治九段が竜王を奪取したようだった。だが新聞には5面の観戦記のほかには、3面と1面で、羽生九段の奪取を小スペースで伝えていただけだった。

続いて22日朝に見た夢。
私はどこかの図書館で勉強していた。そこは面積が広く、古色蒼然たる雰囲気で、古い書物を中心に置かれていた。
場面変わって、私はある小部屋にいた。そこには憧れの女子生徒がいて、私たちは女性講師から、英文をフランス文に訳すよう課題を出された。だが私は「I」を「Je」に直すことくらいしかできなかった。
そこにオフクロが来た気もするのだが、よく分からない。
また場面変わって、雰囲気は先の図書館と同じだったが、どこかの会社だったようだ。そこも部屋がいっぱいあったが、社内にスパイが紛れ込んでいた。
ある部屋は、不要の資料を置いておく雑多部屋のような感じだった。私は、そういう部屋が存在するということは、会社の規模が大きいからだと思った。
……というところで目が覚めた。

続いて28日に見た夢。26日、27日も印象的な夢だったのだが、内容は忘れてしまった。28日は今年に入って最も見応えのある夢で、内容を断片的に憶えていた。
場所はとある広告代理店。大きな窓に直角に対して机が3つあり、そこにデザイナーがいた。イメージとしては、私の母校の小学校だった。デザイナーのひとりは俳優の安田顕で、ほかは女性と男性だった気がする。たぶん、私は含まれていない。この3人は優秀なデザイナーだった。
車内コンペか社外コンペがあり、3人がぞれぞれデザインを作成していた。どうも私は、社内のもう一グループのデザイナーだったかもしれない。
彼らの作品の評価は芳しくなく、上司からやり直しを命じられた。
作り直しは女性のものが優秀で、すべて焼杉で造られた塔のようなものだった。どうも、何かの建物のコンペだったらしい。
上司からのOKも出て、これを会社の作品としてプレゼンテーションをすることに決まった。
このあとうとうとして目が覚めたのだが、スマホのアラームに叩き起こされた。

続いて31日に見た夢。
私は小さな広告代理店に勤めていた。私は日経BP社の発行する媒体、すなわち「日経Click」や「日経パソコン」を営業していないことを気がついた。
私は大手広告代理店のパーティーに参加した。するとオフィスには、日経BP社が発行する大量の見本誌と、広告企画書が雑然と置かれていた。さすがに大手だけあって、黙っていても日経BP社から送られてくるのだ。ウチのような小さな代理店だと、麹町の日経BP社まで、見本誌と企画書を取りに行かなければならない。
パーティーには水本氏がいた。水本氏は私が新卒で入った会社の先輩だった。水本氏は現在その会社に勤めているようだった。
私には広告営業をしたい企業があったが、そこは広告予算をふんだんに取っていない。営業するとしたら、4色1頁広告よりも、1色1/3頁広告が適当のように思われた。
場面変わって、私は1両編成の下りモノレールに乗っていた。だがしばらくすると、モノレールが中空に飛び出た。下は廃線跡になっていて、レールと枕木が剥がされていた。
私は上方を見たが、何もなかった。本当にモノレールは宙を飛んでいたのだ。
モノレールは終点に到着した。すると2人組の芸人らしき人が、「私の持ちネタの落ちを教えてあげる」と言った。私は旅行貯金をしたかったし、上りのモノレールの時間もあったから急いでいたが、その落ちを聞くことにした。
芸人はほかにも人を集め漫才をやっていたが、なかなか落ちを言わなかった。
場面変わって、ある部屋では何かのイベントをやっていた。
私は来場の子供たちと大人しく待っていたが、誰かが来たようで、私たちは飛び出していった。だが私はビデオカメラを忘れたようで、取りに戻った。
表にはナマハゲが来ていたようだった。
私はある会社への営業を目論んでいたが、せいぜい1色1/4頁を勧めるのが適当に思った。
私はさっきのモノレールに乗ることになった。しかしまた下りだった。近くに泉ピン子がいたので、「このモノレールは中空に飛び出します」と言ったが、泉ピン子は信じてくれなかった。
……というあたりで、スマホのアラームに起こされてしまった。
今日もとても見応えのある夢だったのに、何てことだ。

続いて2月2日に見た夢。
この日もいろいろな夢を見たが、俳優の石黒賢が怪盗として出ていた。私は木造の建物にいて、表に石黒賢が歩いているのが見えた。怪盗はほかに2人いて、3人はアンデスの民族衣装みたいなのを着ており、立ち話をしていた。誰かが、「お前の息は臭い」と言っていた。
……というところで、スマホのアラームに起こされた。

続いて3日に見た夢。
私はどこかのターミナル駅で切符を買った。だが釣銭がやたら多く出て、というか前の客が取り忘れていったであろう100円玉5枚などを含め、1,500円分くらいあった。
私はその後、ある施設に入った。クイズ施設で、私たちは2階の位置にいる。そこから1階が望め、そこで演者らがクイズを出し、私たちが答えるというものだった。演者らはクイズのみならず、マジックなどもやった。
2階はたいそう賑やかで、別にクイズに参加しなくてもよい。よって、雑談に興じるものもいた。クイズ出題者の中には、ビートたけしもいた。
クイズ大会が終わるとビートたけしが来て、封筒の中から10円玉に触れず、それを引っ張り出すマジックを見せてくれた。そしてグレート義太夫がこっそり種明かしをしてくれる。それは厚紙に糸を貼り、それをこっそり引っ張っているというものだった。

続いて8日に見た夢。
私は片思いの女性と一緒の職場で、外回りが多かった。彼女は夏子さんだった気もするが、よく思い出せない。
私は思い切って告白すると、彼女は困惑したようだった。しかし私が彼女の手を掴んでも、彼女は拒絶しなかった。ああ私は幸せだ、と思った。
場面変わって、ある旅周りの一座があった。これは「相棒」の一場面だったようだ。その座長は47年前に亡くなっていたが、それが殺人事件の疑いが出てきたようだった。
……というところで、尿意で目が覚めた。

続いて14日の朝に見た夢。
私は神保町の書店にいた。そこで偶然、就職アドバイザーに会った。彼には私が転職する際、お世話になった。だがまた私は無職で、彼に合わせる顔がない。
彼はある俳優と同じ顔をしていたが、それが誰だったか判然としない。
彼は欲しい本を無雑作に2冊取った。私は買う時にじっくり選ぶタイプなので、その決断の早さが羨ましかった。
彼はエレベーターに乗ろうとした。私も乗ろうと思ったが、そこで夢が変わった。
場面変わって私はビートたけしと旅行していた。あたりは雪一面で、どこかの神社だった雰囲気だ。参道にはオシャレな屋台が出店していた。私たちはある場所に移動しようとしていたが、路線バスは1日に3本しかない。屋台の看板に時刻表が掲載されていると思ったが、なかった。
私は参道の雪を丸めて雪だるまを作ろうとしたが、参道には雪があるのが風情があると思い、やめた。
場面変わって、自宅に多くの親戚が遊びに来ていた。夜、私がトイレに行くと、その前で布団をうずたかく積み、いとこ(女子)と姪がおしゃべりをしていて、私は入れなかった。
私は2つめのトイレを目指し、パジャマ姿のまま表に出たが、その姿を道行く人に見られてしまった。
そのあともいくつか違う場面の夢を見たのだが、内容は忘れてしまった。

このあたりで一度アップしよう。
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立川

2021-02-14 00:24:42 | プライベート
第70期王将戦七番勝負第4局が、東京都立川市で13日から始まった。王将戦は、SNSで指し手の記述をすると棋譜使用料を請求されるらしいので、うかつなことは書けない。何も触れないのが吉である。
さて立川といえば、立川澄登である。立川澄登はバリトン歌手で、フジテレビ「オールスター家族対抗歌合戦」の審査員を長く務めた。いつもニコニコと温厚だったが、1985年、56歳で急逝。ヒトの人生は分からないものだ。
立川といえばもうひとり、立川三貴という俳優もいる。ちょっとコミカルな悪役、というイメージがあるが、最近はあまり見ない。

鉄道ファンからすると、立川は羨ましい都市だ。すなわち、多摩都市モノレールが走っているからだ。1998年開通で、2000年に16㎞が全通。モノレールは中空を走るから気持ちがいいが、多摩モノレールは跨座式で、高架式鉄道と乗り心地が似ているのが惜しい。やはりモノレールは懸垂式がよく、湘南モノレールのように、中空を左右に揺れながら走るほうが、スリルがあってよい。
私は東京在住なのであえて乗りには行かないが、精神的に余裕ができたら、乗りに行こうと思っている。

昨年夏、私は夏子さんのことで頭がいっぱいになり、作家のA氏に飲み会の時間を作ってもらった。場所は両者の中間地点である立川とした。8月1日のことである。
私はデートしたことがほぼないのでアレだが、私が立川駅に先着してA氏を待っていると、ちょっと緊張してきて、オッサンを待つのに何でこんな気持ちになるんだと苦笑したものだった。
飲み会は立川駅から徒歩3分のところにある居酒屋で行ったが、雰囲気のあるいい店だった。A氏とは何度か飲んだことがあるが、彼はいつも味わい深い店をチョイスすので、感心する。
飲み会では私がひたすらグチをこぼし、A氏はニコニコしながら聞いてくれた。それだけで私の精神的負担がだいぶ軽くなった。A氏には感謝に堪えない。
現在はコロナ禍で外出もままならないが、一段落したら、また飲みに行ければと思っている。

立川ネタで最後にもうひとつ。私は12日に履歴書を送付したのだが、その会社が立川だった。求職に関しては東京23区と埼玉県は川口市、千葉県は松戸市までを想定しているが、もう所在地に贅沢は言っていられない。職安の窓口で「立川だけど大丈夫ですか」と聞かれたが、構わず手続きを取ってもらった。
笑われるかもしれないが、私が履歴書を送付するときは、その会社に就職するイメージを持つ。立川だと起床が6時台になるが、就寝時間を早めれば、克服できるだろう。
それより勤務地が立川となれば、今後A氏と飲む機会も増えるかもしれない。楽しみである。
……と、あれこれ考えるいまが束の間の穏やかな時間で、さしずめ宝くじを買い、当選金の使い道を妄想するのに似ている。今回の応募も客観的に見れば、数日後に不採用通知が送られてきてオワリであろう。
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