随分と長いこと休みました。2015年3月14日依頼、実に2年2カ月振りの更新です。
この2年間と現状を一言で報告しますと、以下の通りです。
2013年5月29日~6月1日までの最初で最後の抗癌剤治療を終えてから、抗癌剤は一切中止したのは正解だと思う。抗癌剤を止めてから医療センターでの毎月または1ケ月半毎の検査ではあまり変化はなかった。今は殆ど2カ月毎の検査だが老年なので癌の進行は2ケ月くらいでは殆ど分からない程、遅い。
2015年3月4日、滝不動病院へ入院しての痔核手術は想定外の事が起こった。
僅か一週間の入院で体力が急降下。全身がだるくて自分の身体のようでなく、食欲は全く無く、歩行力は衰え、上半身にも力がはいらない。何をやるにも無気力でうまくゆかない。排泄のほうもあまりスムーズにはゆかなくなった。
これがうつ病の始まりとなった。
その間、2015年1月~2016年2月までのネフローゼ、~16年9月までのうつ病、などを体験、克服した。 この間2015年5~7月は40日間青山病院へ点滴に通った。 (偶発的には心室性期外収縮(散発)もあった)
2016年2月以降、体力は徐々に回復し、食欲は完全に回復、脚力も良く、普通の身体になった。
だが、それ等が治りかけた頃から、大量の痰を伴う咳がでるようになり、それは日々激しさ増してきている。
その後、胸の痛み、息切れ、疲労感などの症状が出てきた。これらの症状は同じ右肺内の腫瘍が徐々に進んでいることを示す。
以上が現状です。しかし、咳と痰に悩まされる時以外は、外見は普通の健康人と同じです。
4月末から5月上旬にかけては本当に不幸が続いた。4月29日には旧友の菊池幸雄君(元気象庁長官)が、5月2日には兄嫁の成子さんが夫々逝去した。又、4月29日には府中の泉苑で療養中の妹・純子急変の報あり。重ねて見舞いに行くもどうすることも出来ず、5月10日11時15分に純子は静かに永眠した。 この間、5月4日には、菊池君のお通夜、5日には成子さんの告別式があった。純子の場合は、斎場と火葬場の関係で遅くなり、21日にお通夜、22日に告別式を行った。遺骨は納骨の日まで我が家に安置することにした。妹・純子の80年間の人生を想う時、共に暮らした日々は少なかったが、この悲しみは深い。そして長く消えないだろう。