8月は終戦の月。毎年今更のように戦争の悲惨さが心に沁みる月です。あれから69年も経つのに初めて聞く話や、いままで全く気付かなかったような事柄が分かったりするのもこの月です。1945年(昭和20年)8月は広島・長崎への原爆投下、ソ連の侵攻、玉音放送。歴史を変える出来ごとが次々起り、日本は大揺れに揺れて変身した。
8月という月は本当日忙しい。個人的に忙しいわけではないが、終戦記念日があり、盂蘭盆があり、高校野球がある。あの忌まわしい戦争を忘れぬ為の行事があり、テレビもそれに応える番組が多くなる。日本人は決してこの戦争は忘れないだろうが、それと並行して盂蘭盆の帰省を楽しみ、高校野球に熱中する。その中にも、結構感激も感動もある。8月という月は忙しい。また、僅かの期間でも夏休みあり、それなりに忙しい人もいる。
私の8月は、10日(日)に、大和山東京東部支部長、宇田川礼子さんの長男、隆一郎君の結婚披露宴があった。思えば、33年前に礼子さんが故宇田川隆史氏と結婚するために、意を決して沖縄から上京して、旧道場で披露宴を行った。それから33年、色々の事はあったが、その長男が晴れて結婚することになり、故宇田川隆史氏を偲び、胸迫るものはあった。この日は、台風11号が直撃するかも知れなかったが、幸い台風は北寄りに進路をとったので、少し雨が降ったくらいで助かった。それもあってか、出席者みな大喜びでとても良い披露宴だった。新郎、新婦も伸び伸びとしており、皆の祝福を率直に受けてとても感じがよかった。新婚の二人は、とにかく仲が良い。若い二人の新生活に幸あれ。
これは携帯電話で撮ったので写りはよくないが、左はケーキーを切っているところ。右はそれを食べさせているところ。
14日(木)は、例年通り、千鳥が渕戦没者墓苑に戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典に参列した。36万96柱のみ霊が昨年まで祀られていたが今年幾柱合祀されたたか。式典は18時から行われたが、今年は始めからひどい雨降りで傘をさしての参列なので、かなりこたえた。来賓や役員は天幕の中にいるが、一般参列者にはそれがない。この行事は新日本宗教団体連合会の主催であるが、新宗連は考えなければならない。予報で降雨が分かっていたならば、天幕の数を増して一般参列者にも雨除けの気遣いをすべきである。雨は時々激しくもなったが、式の終わりごろには止んでいた。式は最後に”平和へのメッセージ”が読み上げられた。これが毎年のクライマックスであるが、今年は、ことは集団自衛権にも及び反戦、不戦の決意が明示された。
式中、教団別礼拝の一例。この頃、雨は小止みだった。
15日(金)終戦記念日のこの日、病院へ行った。先日の診察の際には、予想もしていなかった不実な対応を受けたので、この日の受診の前もって、医師に手紙を出し、誠実な対応を促しておいた。それが功を奏してか、心配無用の関係となった。このような場合、相手が無頼の徒でない限り、人権を主張して話をすれば話は分かる。仕事ににおいても何においても、相互連絡と理解は必要ですね。それ以上に愛情が必要!
妹の所へは、6日(水)16日(土)と医者の往診に合わせて行った。この後は20日(水)29日(金)に行く予定。