謙のわがまま日記

マナイゲルをつくる会・手稲会・船橋歩こう会・大和山の参加記録。旅先の感想・記録。その他気楽な手記。

思い出しながら

2005年02月09日 | 大和山

1月29日、沖縄への飛行機の中で急病人(心臓発作で意識不明)が出て機は急遽、伊丹空港に着陸。病人を救急車に渡して燃料を補給するだけで1時間以上を費やした。しかし、矢張り常識のある社会人ばかりで、不平を言う者は一人もいなかった。結局1時間半の遅れ。那覇空港から摩文の丘へバスで移動。米軍が撮ったという沖縄戦の1フイートビデオの上映はすでに終わっていたが、慰霊祭には間に合った。約2時間の慰霊祭のあと摩文の丘で平和の礎や慰霊塔を見学した。






  宇つり香のきゆるか惜しき
     年ころを洗はですぎし
        吾子か衣よ

  とこしえに安らけくあれ
    わが友よはるか潮路の
      はてにありとも

  征きしままとなりはてしかど
     わが胸にかへりきまさぬ
        ひと日とてなし

1月30日、ホテルを9時30分出発、首里城へ向かう。首里城を自由見学。石垣が本土の城のとちょっと違うだろうか?少し早い昼食のあと、米軍上陸地点の泡瀬運動公園海岸へ行き、そこで戦没者のご冥福と世界平和を祈って礼拝した。その後「ひめゆりの塔」に行った。
ひめゆり平和記念資料館の講堂で、ひめゆり部隊の体験者宮良ルリさんの『ひめゆり学徒出陣』の体験談を聞いた。
語り部の話を聞いたことはは広島でもなく、初めてだった。話の内容は肺腑をえぐる。
その後、米軍撮影の沖縄戦のビデオなど、十分に時間をかけて平和記念資料館を見学した。
そのあとは、自由行動。沖縄発19時20分、羽田着21時30分。

米軍上陸地点に集まり


戦没者の冥福と世界平和を祈る


ひめゆり部隊最後の壕


献花と祈り ”乙女の霊、安らけく